レズビアンが宇宙を創った!…映画『レズビアン・スペース・プリンセス』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:オーストラリア(2025年)
日本公開日:2026年10月2日
監督:リーラ・ヴァーギース、エマ・ハフ・ホブス
LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写
れずびあんすぺーすぷりんせす

『レズビアン・スペース・プリンセス』物語 簡単紹介
『レズビアン・スペース・プリンセス』感想(ネタバレなし)
レズビアンな宇宙がある(断言)
宇宙は急激な膨張(インフレーション)と大爆発(ビッグバン)によって誕生したって?
え? 違うよ? 宇宙はレズビアンのパワーによって創られたんだよ?
それくらい知っておいてよね…常識でしょ…。
ということで、さっそく本題。本作『レズビアン・スペース・プリンセス』の感想です。
この映画、その存在を知ったときから観たかった作品でした(2025年のベルリン国際映画祭でテディ賞も受賞していました)。なにせそのタイトルのインパクトですよ。レズビアン…スペース…プリンセス!? なんだそのバカ全開の題名は…。
とくに「レズビアン」と銘打っている映画は異例です。ただでさえ、現実でもいまだに「レズビアン」という言葉は避けられがちで、使われてもあからさまに性的なニュアンスのある単語として搾取的な扱いにとどまることが多々あります。
映画だと『レズビアン・ヴァンパイア・キラーズ』(2009年)くらいしか「レズビアン」をタイトルに冠する作品を私は思いつかないのですけど、あれも男性目線での消費的な内容ですしね。ただ、私は観ていないのですが、2011年製作の『Codependent Lesbian Space Alien Seeks Same』という“エド・ウッド”風味でレズビアンの宇宙人を描くインディペンデント映画があるらしいですね。こちらの映画はレズビアン当事者のクィア・クリエイターである“マデリン・オルネク”が手がけています。
こちらもレズビアンの宇宙人を描く点では同一の『レズビアン・スペース・プリンセス』は、“リーラ・ヴァーギース”と“エマ・ハフ・ホブス”という実生活でも恋人同士らしい監督が生み出したオーストラリア映画で、観れば一目瞭然なとおり、アニメーションとなっています。
内容は、『アドベンチャー・タイム』的なカートゥーンの絵柄とトーンを持ち合わせており、これで「レズビアン!」と言い切ってくれる遠慮のなさがまず気持ちいいです。
ただし、絵柄に反して子ども向けのアニメーションでは全くなく、『リック・アンド・モーティ』と同列の露悪的な残酷描写もあれば、アニメ『ビッグマウス』並みのヌードどころか露骨に下品なネタも盛り込んでいる、完全なアダルトアニメです。そこは勘違いをしないように。
物語の軸にあるのは、自己のアイデンティティと社会への期待との間の葛藤で、若いプリンセスが宇宙を旅しながら悩み成長していく過程を描きます。でもディズニーのようなお上品さはこれっぽっちもなく、社会を汚す女性差別とレズビアン差別をブラックユーモアたっぷりに風刺もしています。
当然ながらクィア女性文化への造詣が深いので、そのへんの背景を知っているとゲラゲラ笑いながら楽しめる一作です。
この『レズビアン・スペース・プリンセス』を創作したクリエイター陣にも、企画助成で資金をだした人にも、配給してくれた人たちにも、感謝です。こういう宇宙を待ってました!
『レズビアン・スペース・プリンセス』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
| 基本 | — |
| キッズ | 性的な描写があります。 |
『レズビアン・スペース・プリンセス』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
広大な宇宙のどこかにある惑星クリトポリス。この星を治める2人の女王の娘として生まれたプリンセスのサイラは、ガールフレンドのキキとの愛を深めていった思い出を、写真とともにスクラップブックに記録していました。あなた無しでは私の人生は成り立たない。あなたは私のすべて…。
内気なサイラは華々しい栄光に輝く母たちと比べると、あからさまに地味で、ゆえに史上最も退屈なプリンセスと評されたりもしました。孤独だったサイラにとってキキは絶対に離れたくない存在です。
しかし、賞金稼ぎとして自由に生きるキキは「さすがに愛が重すぎる」と苦言を呈し、そのスクラップブックをあっけなく投げ捨て、サイラと距離をとってしまいます。そして冒険に出かけました。
自己否定感に沈むサイラは目に涙を浮かべて「ごめん」と繰り返すしかできません。
失意のままに23歳の誕生日パーティーを迎えますが、母たちの相変わらずの派手な余興好きな性格も娘の心を晴れやかにはしません。
この星を統治するクリトピアンの一族は、伝説の武器「ラブリュス」を呼び出す力を持つはずですが、サイラにはそんな才能はまるでみられませんでした。ますます気分が塞いでしまいます。部屋に引きこもる日々です。
一方、キキは複数の女性とベッドで楽しく過ごしていると、ある者たちに捕まってしまいます。それはかつて宇宙最強を誇ったと勝手に自称するストレート・ホワイト・メイリエンズ。その白いペラっとした奴らは自身の唯一の居場所になったトキシック・ホームで不満を一方的にぶちまけてきます。彼らいわく自分たちの「女を惹きつける力」を再び活性化させるには、あのラブリュスが必要でした。これさえあれば、世界の女たちは自分ら男にメロメロになるはず…と豪語しています。
そこでキキを救いたければラブリュスを持って来いと、弱みにつけ込んでサイラに脅迫の電話がかけます。
その知らせを耳にしてサイラはパニックになりながら、独りでネット検索で答えを探そうとしますが…。

ここから『レズビアン・スペース・プリンセス』のネタバレありの感想本文です。
Kill the lesbian !
作中のタイトルの出かたからして「ああ、これは良いな」と確信した『レズビアン・スペース・プリンセス』。中身も期待どおりでした。
絵柄と中身のギャップがとにかく癖になり、言うなれば「Cartoon Network」と「Adult Swim」の掛け合わせみたいな感じです。
やっていることは「誘拐された元カノを救う」というわりと緊迫感のある事態のはずなのですけど、終始ダラけたテンションで、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』以上のグダグダっぷりで宇宙を漂います。
そうなるのも、まず何よりもあの一応の敵となるストレート・ホワイト・メイリエンズがあんなのだからかもしれませんが…。
アイツらは、限りなくインセルのパロディになっており、「自分たちがモテないのは、きっと俺らが嫌いな存在のせいに違いない!」と被害感情をこじらせて、集団化しているだけの存在です。急にマーベル映画について語らせてくれというモードに入ったり、必死にカノジョができたときのシチュエーションをトレーニングしていたり、妙なシュールな生々しさがあったりもします。
現実のインセルはともかく、この本作におけるコイツらは、ちょっと愛嬌があるのでしばらく眺めて観察していたい気分になる…。まあ、誘拐拘束されているキキはそのトークに死ぬほどうんざりしていたけど…。
アイツらぐらいに風刺抽象化されていると、作中で言い放たれる「レズビアンを殺せ!」というあまりに直球すぎるレズボフォビア(ヘイトスピーチ)も、この映画のタッチならまだ聞き流せるというか、「おうおう、言うじゃねぇか、お前ら」と腕を組みながら動じないでいられるものですよ。
他の厄介な奴としては、主人公のサイラが意図せず乗り込むことになる「問題のある船」で、この船のナビゲーション・コンピューター音声は、女性蔑視的な発言を何の気なしにしまくります。確かに「problematic」ではある…。
そんなダメな存在同士の最大の共演となるのが、巨大ペニスロボに対峙する終盤間際の展開。ここは本作における下品さのピークですが、このゲイ・スペースならば、これくらいの下品さも宇宙の神秘で片づけられます。そういうことにしておこう。
最終的には、ストレート・ホワイト・メイリエンズも、セクシュアリティのスペクトラムに身をゆだね、新しい快楽に気づけたので良し。女にモテなくても全く大丈夫、もっと楽しいことがあるしね…。
『レズビアン・スペース・プリンセス』、あからさまに女の女による女のための映画だけど、男にも優しく、それでいて女が男に優しくなることなくそれを成し遂げている作品でしたね。
ぼっち・ざ・れずびあん!
残虐暴力もエロも不謹慎なノリも何でもありな『レズビアン・スペース・プリンセス』ですが、しかし、「この作品はコンプラ無視で最高だね」という史上最もダサい褒め(たつもりの)言葉なんて、この映画にはふさわしくないでしょう。なぜならこの映画の物語の芯には、今の社会に対して作品が何を届けたいのか、その誠実さも伝わるからです。
『レズビアン・スペース・プリンセス』は、いわゆる「モデル・マイノリティ」の期待への苦悩をメインに映し出していました。
主人公のサイラは、生まれながらにプリンセスとして大衆の注目のまとになっているがゆえ、しかも、レズビアンの女王が統治するレズビアンの種族の出身であり、「模範的なレズビアン」を期待されてしまっています。それはつまり、「女性の恋人がいて、仲睦まじく交際し、なんだったらセックスライフも充実している」…そういう存在です。
でもサイラはそれとは程遠いです。頑張ってキキというガールフレンドがいる自分にすがりついてきましたが、それも自分で思っていた以上に儚いものでした。
作中の振る舞いをみているかぎりだと、どうやらこのサイラは社交不安の特性があるようで、人付き合いや不特定多数のいる場が苦手な様子。さながら『ぼっち・ざ・ろっく!』の主人公と似たような常にオドオドとし、パニック気味になっています。
ネットで思わずエゴサするかたちになると、そこには「ストレート(異性愛者)なんじゃないの?」なんて傷つく言葉が溢れていたりもする。こういう経験自体は、性的に活発ではないレズビアン当事者なら身に覚えのある話。
そのサイラが文字どおりのセーフティ・バブル(英語の声を演じているのはオーストラリアのドラァグ・アーティストの“ルーベン・ケイ”)を飛び越え、未知で予測不能な不安だらけの宇宙へと自分の世界を広げます。
本作はその旅を経て、性的になることや恋人を持つことありきではないクィアの自己肯定をしっかり描いているのが良いですね。クィアが自己愛を得るのに、何も恋愛は必須ではないということ。
穴に落ちた先で出会った資本主義に幻滅した元ゲイ・ポップ・バンドのアイドル(そしてノンバイナリーと思われる)ウィローに遭遇し、一時は性的関係になるも、「新しい恋人ができる」というオチにもしません。
「SEXY BITCH」の服を投げ捨て、自分だけのラブリュス(説明はWikipediaにお任せ!)を手にすればそれでいい。家族の関係をじっくり見つめ直し(ブレイドはそういう専門だったのか)、自分のささやかな趣味を誇り、できる範囲で自分の宇宙を拡張する。宇宙を誕生させる強大なレズビアンのパワーなんてなくとも、自分の小さな宇宙を築くその頑張りがもうじゅうぶんなあなただけのレズビアンのパワー。
ちなみにラブリュスについて、監督陣はメディアのインタビューで「ラブリュスに非常に気を配っていました。ラブリュスはかつてはTERF(トランス排除的フェミニスト)のシンボルだったので、作品に含めるかどうか議論しました。最終的には、トランスジェンダーのレズビアンを含むすべてのレズビアンに属するものであるべきだと考え、映画に取り入れることにしました。トランスジェンダー女性であるクイーン・リーアンは、トランスジェンダーの色でラブリュスを召喚する場面が描かれています。私たちは包括性を肯定的に表現する方がより力強いと感じました」と述べています(JoySauce.com)。
『レズビアン・スペース・プリンセス』が寄り添うクィアなエンパワーメントはやはり優しいものでした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
◎(充実/独創的)
関連作品紹介
クィアなアニメーション映画の感想記事です。
・『ニモーナ』
以上、『レズビアン・スペース・プリンセス』の感想でした。
作品ポスター・画像 (C)We Made A Thing Studios レズビアンスペースプリンセス
Lesbian Space Princess (2025) [Japanese Review] 『レズビアン・スペース・プリンセス』考察・評価レビュー
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