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『アフター・ヤン』感想(ネタバレ)…一緒に踊りましょうか?

アフター・ヤン

一緒に踊りましょうか?…映画『アフター・ヤン』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:After Yang
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2022年10月21日
監督:コゴナダ

アフター・ヤン

あふたーやん
アフター・ヤン

『アフター・ヤン』あらすじ

人型の高度なロボットが一般家庭にまで普及した近未来。茶葉の販売店を営むジェイクと妻カイラ、幼い養女ミカは慎ましくも幸せな毎日を過ごしていたが、一緒に暮らしてきたアンドロイドのヤンが故障で動かなくなり、ヤンを慕っていたミカは落ち込んでしまう。ジェイクは修理の方法を模索する中で、ヤンの体内に毎日数秒間の動画を撮影できる装置が組み込まれていることに気付く。そこには大切な記録があり…。

『アフター・ヤン』感想(ネタバレなし)

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コゴナダ監督が描くSF

2022年9月30日、イーロン・マスク率いるテスラがヒト型ロボットの試作機をついに発表しました。この開発は1年以上前から公表されていたもので、やっとそのロボットの実物がお目見えです。

しかし、世間の反応は冷ややかでした。なぜなら、実際に披露されたのは確かにヒト型ですが、ぎこちなく手を振るくらいしかできないもので、ステージでは歩くことすらしませんでした(テスラ製と既製の部品を組み合わせてつくられた別のロボットはぎこちなく歩いていたけど…)。私たち人間の単純労働作業はこれで消え去ると豪語するイーロン・マスクの言葉は虚しく響きます。

文明の根本的な革新が起きるのはどうやらまだ遠そうです。しばらくはファミレスで席の間を移動し回る配膳ロボットなんかが主流になる程度でしょうね。

でも私たちは「ロボットで労働をラクにする!人件費削減だ!」みたいな目先の利益しか考えていないですが、けれどもその高度なヒト型ロボットがもし当たり前になってしまったら、もっといろいろな概念が揺さぶられ、これまでにない葛藤に直面したりもするのではないか。そういうことを想像することも大切だと思います。

今回紹介する映画もヒト型ロボットを題材にしながら、即物的な題材にとどめず、社会がそのロボットをどう扱い、人の心にどう作用するのかを問う、とても考えさせられる作品です。

それが本作『アフター・ヤン』

『アフター・ヤン』はヒト型ロボットが社会に普及した近未来を舞台にしています。主人公はとある家族。夫婦と幼い娘がいて、そこにヒト型ロボットが1体加わっている…そんな家族です。しかし、ある日、そのヒト型ロボットが故障で動かなくなってしまい、そこから物語は始まります。

“アレクサンダー・ワインスタイン”の短編小説「Saying Goodbye to Yang」が原作とのこと。

本作は近未来をビジュアルで壮大に映像化するタイプの作品ではありませんし、ド派手なエンターテインメントが展開されるわけでもありません。非常にミニマムで、心象を丁寧に綴っていくような、静かなドラマです。どこぞのロボットみたいに人類を皆殺しにしようとかはしてきません。

それもそのはず『アフター・ヤン』を監督するのは、2017年に『コロンバス』という映画で監督デビューとなった韓国系アメリカ人の“コゴナダ”。2022年にはApple TV+配信のドラマシリーズ『Pachinko パチンコ』という素晴らしい傑作を生みだし、その実力は完璧に証明済みです。

その“コゴナダ”監督がSFジャンルに挑戦すると聞いて、どんな内容になるんだと思ったら、やっぱり実に“コゴナダ”監督らしいテイストでした。VFXなどには全く頼らず、最小限の撮影と物語だけで、映画をコンパクトに構築していく。“コゴナダ”監督のエッセンスがジャンルが違ってもしっかり感じ取れます。

“コゴナダ”監督は過去作でも自身がそうであるゆえかアジア系を何かしらのかたちでピックアップしてきましたけど、今回の『アフター・ヤン』でも同じなのですが、少し他にはないアプローチでアジア系と向き合うのでそこも注目です。

今作では、音楽面で“坂本龍一”とコラボレーションをしていたり、ある日本映画からの引用があったりと、これまた“コゴナダ”監督が好きなのであろう日本要素のセレクションにもなっています。“コゴナダ”監督って韓国系なのに韓国の要素はあんまり入れないですね。日本的な作劇が好きなんだろうなぁ…。

俳優陣は、『THE BATMAN ザ・バットマン』『13人の命』の“コリン・ファレル”、『クイーン&スリム』『ウィズアウト・リモース』の“ジョディ・ターナー=スミス”、ドラマ『アンブレラ・アカデミー』の“ジャスティン・H・ミン”、『コロンバス』では主演を務めた“ヘイリー・ルー・リチャードソン”、ドラマ『HOMELAND』の“サリタ・チョウドリー”など。

『アフター・ヤン』はあまり大勢で観てワイワイと盛り上がる映画ではないですが、ひとりでじっくりとその世界観と向き合いながら、ゆっくり物語を咀嚼し、SNSなんかですぐに感想を呟くわけでもなく、しばらく自分の中に映画の余韻を心にとどめておく。そんな付き合い方をしたくなる映画なんじゃないでしょうか。

本作を観終わった後に配膳ロボットが動き回っているレストランとかに行くとモノ悲しくなるだけなので、あんまりオススメしないですが…。

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『アフター・ヤン』を観る前のQ&A

✔『アフター・ヤン』の見どころ
★アイデンティティと向き合う静かなドラマ。
✔『アフター・ヤン』の欠点
☆起承転結がハッキリはしていない。

オススメ度のチェック

ひとり 3.5:静かな物語を見るなら
友人 3.0:エンタメ作ではない
恋人 3.0:盛り上がる空気ではない
キッズ 3.0:子どもにはやや退屈
↓ここからネタバレが含まれます↓

『アフター・ヤン』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):ヤンは家族の一員

3人が並びます。ジェイクカイラ、そして養女のミカ。さらにこっちにおいでと呼ばれて「ちょっと待って」と返事をしながら現れたのはヤンと呼ばれた人間。家族写真を4人で撮影します。

でもヤンは人間ではありません。テクノという名称のヒト型ロボット、アンドロイドです。かなり昔からこのジェイクたちと暮らしており、今ではすっかり家族に溶け込んでいます。

4人で仲良く食事し、4人で踊ったり、いつも一緒。

ところが今日のダンスではなぜか踊りの終了後もヤンは踊り続けてしまっています。「おい、ヤン!」と静止しようとしますが…。

どうやらヤンは故障してしまったようです。もう動きません。中古で購入したものなので、壊れる可能性はありました。もうどれくらい稼働してきたのかはわかりませんが、ロボットとしてそろそろ動作はできない時期だったのかもしれません。

しかし、ジェイクたちにとってはそんな簡単にヤンを捨てられません。ヤンは家族の一員です。楽しい時も悲しい時も常にその感情を共有してきたのです。

茶葉の専門店を営むジェイクにとって、売り上げはそんなに良くないので、資金があるわけでもありません。それでもなんとかヤンを修理できないかと模索します。

車で移動し、後部座席ではミカは心配そうに動かないヤンを抱きかかえていました。ミカも元気がありません。ミカにとっては物心つく前からずっと一緒にいたのです。兄を失ったような気持ちになっていました。

治せないかとあちこちへ探りを入れますが、販売者は新しいモデルとの交換を薦めます。ヤンは古い型なので、すでにこれを修理できるような状況ではないようです。

アンドロイドの修理屋ラスに見てもらい、しばらくヤンの動かない肉体を預けます。

ミカは家でもヤンに会いたいとぐずります。でもどうしようもないので、なだめるしかできません。そんな家を謎の女性が窓から覗いているのにジェイクたちは気づきません。

ラスに呼ばれて行ってみると、ヤンの内部に隠されたチップが見つかったと報告を受けます。何のチップかはわかりません。そこでラスの紹介で博物館の専門家のクレオのもとへ持っていきます。

スパイウェアかと思いましたが、珍しいメモリバンク・チップなのだそうです。これは1日数秒間だけで動画でヤンが見た記憶を映像で保存できるもの。実験的な機能でしたが、初期のアンドロイドには搭載されており、今は廃止済みだとか。

また、ヤンが復活する可能性はないと告げられ、ジェイクはそのメモリに保存されたデータを再生する方法を教えてもらいます。

メガネ型のデバイスをかけ、パスコードを唱えて再生。そこには女性の映像が映し出され、エイダという名で、なにやらヤンと親しそうにしていました。これはヤンがうちに来る前の記憶だろうか…。

さらに記憶は再生を続け、「メイメイ」と呼ばれていたミカの幼少期の映像が流れます。成長の記録としてよくわかるものでした。それ以外でもヤンは何気ない風景など多くの映像を残していました。今となってはなぜこれを保存したのか、わかりませんが…。

ジェイクはエイダの存在が気になり、探し始ます。そしてコーヒーショップに辿り着き、そこでヤンの過去を知ることになりますが…。

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何をもって家族と言えるのか

『アフター・ヤン』、静かなドラマですと紹介しておいてなんですが、冒頭のオープニングクレジットからの謎の勢いありすぎるダンスに面食らいます。「い、いったい何が始まるんだ!?」とびっくりですが、私はこのやけに吹っ切れたダンス映像はこれはこれで本作に合っているなと思いました。

このダンス・シーンではいろいろな4人が映り、それぞれで息のあったダンス・パフォーマンスを披露しているのですが、要するにこれが本作における「家族」。何かを一緒に同期して行動する、そんな存在であるという表明みたいなもので…。この軽いようにも受け取れる家族の在り方の描写が、極端な家族神秘主義に作品が陥らないようになっている気もします。

そしてヤンはここでダンスが止まらなくなり、ヤンという存在がこの家族から外れたことが視覚的に示唆されます。

本作はアンドロイドが題材です。アンドロイドは家族になりうるのかというテーマとして単純に受け取れます。同時にミカという幼い養女が描かれ、ヤンとの語り合いを通して、ミカも家族とは何かを悩んできたのがわかります。ここで血のつながらない養子は家族としてどうなりうるのかというテーマも重なります。

それだけでなく本作にはエイダという存在を通して、クローンまで登場します。クローンはアンドロイドや養子と違って血がつながらないどころか、その真逆で血がつながりすぎている(というか同じ)存在です。そこにもまた家族とは何かという問いかけが生じます。

この3者の存在が連なることで、家族における血縁主義的な概念は全く居場所を失い、家族という共同体を考える別の軸が浮上します。本作はそれをメモリ・チップで表現しています。あのチップは想いという形の無いものの具現化なのかもしれません。それを「毎日数秒間の動画を撮影できる」というTikTokみたいな形式にしているあたりが今っぽいですけどね。

また、本作はヤンは本当にアジア人なのか、それとも単にアジア人の表面上の投影なのかという、人種的なアイデンティティを投げかける物語だとも解釈できます。人種というのは生物学的なものならば、ヤンはアジア系ではありません。でもそんなバッサリと言い切れるものなのか。ミカに対しても同じで、白人と黒人の夫婦に育てられた子はアジア系ではなくなるのか。何がアジア系をアジア系だと断定しうるのか。

考え出すとキリがないのですが、こういうアイデンティティへの漠然とした疑問は人生において持ちあがったりするものです。『アフター・ヤン』はそれについて考える96分の時間を与えてくれます。

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イーロン・マスクにはわからない世界

『アフター・ヤン』を見ていて思い出したのは、ソニーが売りだしたロボット犬「AIBO(アイボ)」の合同葬儀のニュースです。ロボットとは言え、本物のペットとかではないですし、そのまま廃棄やリサイクルに出せばいいのですが、所有者や家族はそのロボット犬には「想いが詰まっている」と考え、それに誠意をもって扱うべく、葬儀を望む人が実は多いという話。

これはロボットというものが単なる労働力の代用では片付けられないことをすでに示しています。たぶんイーロン・マスクはそんなこと考えていないだろうなと思いますけどね。あの人は労働力の代替としてしかロボットを見ておらず、資本主義的な価値観が土台にありますから。まさか人々が情を注ぎ込み、そのロボットを家族同然にみなすとは想定もしていない…。

例えば、退屈で地味な労働力の作業をロボットに任せるというコンセプトであっても、世間の中にはロボットを家族同然に見る人が増えれば、「そんなことをロボットに押し付けるのは可哀想だ」と声をあげる人も増えるでしょう。「ロボットが単純労働をやってくれます!革命です!」なんて単純な未来では済みません。そこにはロボットの人権…みたいなことまで考えないといけないという新しい問題の浮上があるのではないか。

『アフター・ヤン』はまさしくヒト型ロボットの供養の物語です。家電製品みたいに次から次へと買い替えればいいものではなくなっています。ロボットはモノからヒトへと確実に立ち位置が変わっている。少なくともこの作品ではそうなっており、私たちはそのモノではなくなったロボットにどうやって気持ちを向き合っていけばいいのかと葛藤します。

この心情的なコストというものを現代のテクノロジー社会は評価しきれていない。だから映画という芸術がそこをフォローして、題材にしていく。そんな関係軸も見えてきたり。

『アフター・ヤン』のラストは“岩井俊二”監督の『リリイ・シュシュのすべて』の「グライド」の曲が引用されます。最近で言えば『スワン・ソング』みたいな、とてもアンチクライマックス的な終わり方ですが、“コゴナダ”監督にしか作れないような思慮深い映画でした。

『アフター・ヤン』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 89% Audience 68%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
6.0

作品ポスター・画像 (C)2021 Future Autumn LLC. All rights reserved. アフターヤン

以上、『アフター・ヤン』の感想でした。

After Yang (2022) [Japanese Review] 『アフター・ヤン』考察・評価レビュー