過去と向き合って…アニメシリーズ『九龍ジェネリックロマンス』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2025年)
シーズン1:2025年に各サービスで放送・配信
監督:岩崎良明
自死・自傷描写 恋愛描写
くーろんじぇねりっくろまんす
『九龍ジェネリックロマンス』物語 簡単紹介
『九龍ジェネリックロマンス』感想(ネタバレなし)
ジェネリックなロマンス、そしてクィア
よく通院する私も「ジェネリック医薬品」にはお世話になっています。
ジェネリック医薬品というのは「先発医薬品と同じ有効成分を同量含んでおり、先発医薬品と同等の効き目がある」と認められた医薬品のこと。先発医薬品(新薬)は特許があるので何かと値段が高いのですが、その特許が切れると他社でも同様の医薬品を安く作れるようになります。それがジェネリック医薬品ですね。
「generic」という単語はいろいろな意味があるのですが、このジェネリック医薬品においての「generic」は「特許が切れた」というただそれだけの意味です。
安全性や有効性については、日本では先発医薬品と効き目や安全性が同等であることが証明されたものだけが厚生労働大臣によって承認される厳格なルールになっており、少しでも問題があれば承認から外されます(政府広報)。
まあ、一般の患者はとくに気にせずジェネリック医薬品を服用していると思います。こちらとしては使えればそれでいいですから。そんなに複雑な葛藤はないです。
でも今回紹介するアニメシリーズの「ジェネリック」は複雑すぎる葛藤に包まれます。
それが本作『九龍ジェネリックロマンス』。
本作は『週刊ヤングジャンプ』で2019年から連載されている“眉月じゅん”による漫画が原作で、2025年にアニメ化されました(同年に実写映画も公開されている)。
原作者の“眉月じゅん”は以前に『恋は雨上がりのように』を作り出しており、こちらもロマンスのジャンルだったので、今作もタイトルのとおり、ロマンスなのだろうと察しがつきますが、確かにそうなのですが、ちょっと異色です。
まず香港の九龍城砦が舞台で、しかし、これがまた少々(いや、少々どころではない)込み入った設定になっていまして…。これに関してはネタバレに大きく関わるのでもう書けません。
そしてその舞台とも深く関連して、本作はSFミステリーのジャンルにもどっぷり踏み込んでおり、「普通の日常の恋愛モノ」だと思って油断して手を出すとびっくりします。
むしろ物語の推進力はSFミステリーのほうにあると思うので、SFミステリー好きにオススメな一作です。
また、メインとなるのは男女の異性同士のロマンスですが、それと並行してゲイ・ロマンスにも焦点がしっかりあたるのも特徴。同性愛者が差別に苦しむみたいなベタな描写も直接的にはなく、真っ当にゲイ・ロマンスに向き合っているので、その点は安心してください。アニメ化の際にもそのクィアな表象を避けずに丁寧に描かれていて良かったですね。
性的指向だけでなく、インターセックスやトランスジェンダーのアイデンティティと重ね合わせられるキャラクターのエピソードも挟まれます。
そんなこともあって2025年のクィアなアニメとしては無視できない作品です。
アニメ『九龍ジェネリックロマンス』の監督は『Lv2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ』の“岩崎良明”、シリーズ構成は『ゆるキャン△』や『【推しの子】』の“田中仁”です。
全13話となっています。30代のキャラクターたちが織りなす大人向けの人間模様でありつつ、どこか夏っぽい味わいがあるので、過ぎ去った夏を懐かしみつつ観るのもちょうどいいでしょう。
『九龍ジェネリックロマンス』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 子どもへの虐待的な扱いの描写が間接的に描かれるほか、自死を示唆するシーンがあります。 |
キッズ | 大人の恋愛関係が描かれるので、低年齢の子どもには不向きです。 セクシュアライゼーション:なし |
『九龍ジェネリックロマンス』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
32歳の鯨井令子は朝のアラームとともにベッドからゆっくり起き上がり、眼鏡をかけます。蛇沼製薬のCMがテレビから流れる中、部屋で食事の準備。スイカを切り分け、ベランダでタバコ片手にくつろぎます。ここは九龍。いつもの風景、いつもの暑い夏の日です。
空にはジェネリックテラと呼ばれる正八面体の飛行物体が浮かんでいますが、あれが何をもたらしているのかはよく知りません。ジェネリックテラは政府計画だと報じられていますが、裏では蛇沼製薬が仕切っているとの噂が九龍でも流れています。
そんなことも気にかけず、鯨井令子は出勤。勤めているのは不動産会社「旺来地產公司」支社です。支店長含め3人しか働いていない小さな職場。タイムカードを押そうとすると、先輩の工藤発に横入りされます。
そのお詫びで昼食をおごってもらうも、新しい店ではなくいつもの水ギョーザの店を好む工藤発。彼は何でも強引に解決しようとするのでやや辟易させられますし、デリカシーのない発言も飛び出します。
今もやけに眼鏡の度があわないと悩む鯨井令子にテキトーな言葉をかけてきます。蛇沼製薬の目薬を使っているのですが、視力が悪くなったのか、疲れているのか…。
九龍は古い街で、ここで不動産をするのも大変。それでも工藤は住人のことを真剣に考えており、「ここは懐かしい場所であるべきだ」と真剣に呟きます。
工藤に薦められて眼鏡屋に行くと視力が2.0になっていたことがわかり、それを伝えると工藤は「眼鏡のほうがいい」とやけに真面目そうな声で呟くのでした。
工藤はジェネリックテラに反対しているようで、工藤はこの街に懐かしさを抱く感情は恋と同じだと主張し、だから新しいものはいらないと言い放ちます。鯨井令子は「工藤さんにはときどき懐かしさを感じます」と呟いてしまいます。
伊達メガネで次の日も出勤した鯨井令子。工藤は別の店に案内してくれ、九龍らしい料理をたくさん味あわせてくれます。ラストはタオ・グエンという男がやっている洋風の喫茶店へ。店を出る際にグエンは工藤のカノジョだと思ったようです。工藤は金魚をくれます。
別の日、物件の壁の塗り替えをしていると熱中症で朦朧として、工藤が助けてくれます。鯨井令子は工藤に恋愛感情が芽生えていることを自覚。
職場で寝ている工藤に支店長のマネで「工藤くん」と飛ぶと、驚いたことに寝ぼけたままキスしてくる工藤。気まずい中、「悪い。間違えた」と静かに工藤は去っていきます。
そして工藤の引き出しに写真を見つけます。工藤の隣に映るのは自分と瓜二つの女性。
一体どういうことなのか…。
アイデンティティは他人の影響を受けるけど

ここから『九龍ジェネリックロマンス』のネタバレありの感想本文です。
『九龍ジェネリックロマンス』は、徐々に明かされるあの「九龍」の世界観の全貌がなかなかに複雑かつ完全にスッキリ解明されるわけでもありません。
でも夏休み文化を意識しているような物語ですよね。実質的にはひと夏のホラー風味な体験。繰り返される現実逃避の時間からどう一歩踏み出すのか、そこで自分の踏ん切りついていない後悔の滲む過去とどう向き合うのか…。
本作の「九龍」は工藤発の後悔がジェネリックテラに作用して生み出された超常現象的な空間ですが、この工藤発のキャラクターアークの中心にあるのは、愛する人であった鯨井令子(先輩)との死別です。
当初の工藤発があえて感情を露にせずに淡々と「仕事一筋」のように振舞う仕草といい、自身の負の感情に向き合うのが苦手な男らしさの脆弱さがよく表れているキャラクター描写だったと思います。
同時に鯨井令子(先輩)についてはオーバドーズによる自殺ということになっていますが、その詳細をあからさまにはしません。このあたりも希死念慮の描き方としてとてもリアルですし、自死に追い込まれた犠牲者も周囲の人間も責めはしない、静かに追悼する余韻としても良かったです。
全体的にわざとらしくエモーショナルな演出にしがちなところを抑え込んでおり、この工藤発と鯨井令子(先輩)のペアのストーリーはとくにその上手さが光っていました。
対するある意味でその男女のカップルのすれ違いの結果で生まれたとも言える、この本作の主人公である鯨井令子(後輩)。クローン人間という言葉でイメージされる化学的な製造起源ではなく、テクノロジカルな超常現象の結果で生じる「ジルコニアン」という存在で、バーチャルキャラクターとか、幽霊とか、そういう表し方もできそうです。でも作中では「ジェネリック」と表現されます。
この主人公である鯨井令子(後輩)のキャラクターアークは、謎解きの探偵役を担いつつも、「アイデンティティを持たずして生まれた存在が、オリジナリティを獲得するまでの物語」であり、こちらも丁寧でした。
アニメーションとして映像化した本作では、鯨井令子(後輩)と鯨井令子(先輩)の担当する声優も違っているせいもあって、視聴者にはよりくっきり別人格の印象が深まるのですが、このへんのアプローチは好みは分かれそうではありますね。同じ声優に演じ分けさせるのもありではあるかなとも思ったけど…。
ともあれ、どう似ていようとも「それはそれ、あれはあれ」と区別するのは本人の主体的な意思の賜物であるということに、本作は力点を置き続けてくれます。本作はアイデンティティというのは他者の影響は受けるのは避けられないけれども、やはり絶対的に自分のものですよと肯定してくれて、そこが安心感があります。
鯨井令子(後輩)のエピソードは前半はロマンスではあるのですが、後半、そして着地点といい、ロマンス云々以上に、自立性を獲得する女性の物語として誠実な結末だったのではないでしょうか。
テーマをクィアに補完する
『九龍ジェネリックロマンス』は「絶対の私になる」という表現を好んで多用しますが、それは鯨井令子(後輩)だけでなく、周囲のキャラクターにもそれぞれのアイデンティティの獲得の物語が用意されており、適度にテーマを補完し合っていました。
例えば、九龍に縁のない楊明は「母の期待に応える存在」でしかなかった過去の自分を全身整形という荒業で身体的に振り切るも、心までは振り切れていなかったので、九龍の外へ覚悟をもって飛び出しました。鯨井令子(後輩)にとっての気軽な女友達ポジションとしてもそうですし、「過去の自分は私じゃないと否定する、それでよくない?」の言葉どおり、実はさりげなく他者に貢献する役割を果たしている、そのイレギュラーさがプロットに自然に活かされている存在でした。
一方の蛇沼みゆきは少々乱高下の激しいキャラクターです。正直、初登場時のいかにも「Predatory Gay」の型どおりのステレオタイプな描写はやや大袈裟すぎるミスリードでもうちょっとどうにかならなかったものかと思うのですが、全体のストーリーは見た目に反して堅実に落ち着いて終息していくのでひと安心。
母の治療のために蛇沼家に養子になったのに、その母を失ったことへの復讐心。その目的すらも喪失し、九龍に飲み込まれそうな寸前のところを、愛してくれる人であるタオ・グエンが救ってくれる。タオ・グエン、見事にゲイの王子様として輝いていました。
蛇沼みゆきはインターセックスで(「インターセックス」の意味は以下の『「生物学的性別」とは?』の記事を参照してください)、その身体を不完全だと劣等感に感じていることも孤立の一因になっていたようですが、身体のバリエーションを見世物にせずに包容する結末でこちらも安心。
クィアなところで言えば、小黒もアイデンティティの獲得の物語として、こちらは「やむを得ずにデトランジションしたトランスジェンダー」っぽさを感じさせるエピソードになっていました。まあ、やや「可愛いものを求めているだけ」という「男の娘」テンプレに陥っているので、その語り口はワンパターン化していますけども。
小黒(少女姿)に関しては、日本作品にありがちな中国人ステレオタイプである「~ね」という口調なのはさすがにやめてほしかったところではあります。
本作、九龍城砦が根幹にありますが、それなりにナラティブに組み込んで上手に活かしていましたが、やはりこういう小黒の些細な部分なんかでエキゾチックな消費が滲んでしまうのだと思います(ユウロンの関西弁もあまり良い妥協的な表現だとは思えない)。
2025年はただでさえ本場の映画『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』が日本を席捲しまたからね。あの映画で映し出されるとおり、九龍は普遍的な懐かしさみたいなオリエンタリズムで薄められるものではない、中華圏影響力のある東アジアの複雑な歴史を象徴するところでしょうし…。
そんな苦言もありつつ、『九龍ジェネリックロマンス』は世界観の活かし方といい、ユニークな作品で楽しめはしました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
関連作品紹介
日本のアニメシリーズの感想記事です。
・『ロックは淑女の嗜みでして』
・『アポカリプスホテル』

作品ポスター・画像 (C)眉月じゅん/集英社・「九龍ジェネリックロマンス」製作委員会 クーロンジェネリックロマンス
以上、『九龍ジェネリックロマンス』の感想でした。
Kowloon Generic Romance (2025) [Japanese Review] 『九龍ジェネリックロマンス』考察・評価レビュー
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