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『マ・レイニーのブラックボトム』感想(ネタバレ)…Netflix;靴を踏むな!

マ・レイニーのブラックボトム

音楽業界に踏みつけられるアフリカ系文化が浮かび上がる…Netflix映画『マ・レイニーのブラックボトム』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Ma Rainey’s Black Bottom
製作国:アメリカ(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:ジョージ・C・ウルフ
人種差別描写

マ・レイニーのブラックボトム

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マ・レイニーのブラックボトム

『マ・レイニーのブラックボトム』あらすじ

1927年。情熱的で歯に衣着せぬブルース歌手のマ・レイニーは絶大な人気で業界の注目を浴びている。そんな彼女の存在をレコード会社が放っておくはずもない。そんなマ・レイニーと一緒に組んでいるバンドメンバーたちとともに、今日も新しい録音が始まる。ところがその音楽や人生に賭ける想いが熱くぶつかりすぎたことで、シカゴの録音スタジオは緊張した雰囲気に包まれ…。

『マ・レイニーのブラックボトム』感想(ネタバレなし)

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遺作を観ながら彼を偲ぶ

2020年は映画界にとって悲劇的な年だったのですが、あの人を失ったことが私は最もショックでした。

俳優の“チャドウィック・ボーズマン”が2020年8月28日、癌で亡くなりました。43歳でした。

2013年の『42 〜世界を変えた男〜』で注目を集め、『キング・オブ・エジプト』といった大作にも出演。彼を決定づけたのはもちろんマーベル・シネマティック・ユニバースを構成するアメコミ映画の一作『ブラックパンサー』(2018年)です。この映画は単なるブロックバスター大作以上の意味を持ち、「黒人映画はヒットできない」という映画業界の古き偏見を吹き飛ばし、新しい時代を切り開きました。

大袈裟でも何でもなく『ブラックパンサー』以前と以後では映画史の価値観が違ってきていると思います。別にマイノリティを出せば売れるわけではないのですが(ここ重要)、売れないことを理由にマイノリティをメインで出さないことはできなくなったわけです。このインパクトによってどれほど多くのマイノリティな要素を持つ労働者が職につき、夢を諦めずに済んだか…計り知れません。

他にも『キングのメッセージ』『マーシャル 法廷を変えた男』『21ブリッジ』など主演以外にも製作や製作総指揮でも活躍し、新時代の映画界をリードしていました。“チャドウィック・ボーズマン”がいればハリウッドは安泰だ、彼こそが映画界を正しい道に進める良心になる、そう多くの人が信頼を寄せていました。

それなのに…こんな唐突なお別れは…。正直、私はあまりに喪失感が強すぎてもう『ブラックパンサー』をハイテンションで鑑賞できなくなってしまいましたし、この空白を埋められそうにはないのですが、ウジウジすることもできません。

そんなこんなで本作『マ・レイニーのブラックボトム』です。“チャドウィック・ボーズマン”の遺作となってしまったこの映画を私は冷静に観られるのか、ちょっと自信がなかったのですが、なるべく乱れないように頑張ります。

“チャドウィック・ボーズマン”の話ばかりするのもあれなので、話題を別の切り口にしましょう。

『マ・レイニーのブラックボトム』はNetflixが贈る賞レース映画のひとつと言っていいはずです。実際にとても高評価を獲得しており、演技賞関連へのノミネートが期待されます。

主題となっているのは1920年代に活躍した「ブルースの母」とも称されるほどに絶大な人気を博した「マ・レイニー」という黒人の女性歌手です。

ただし、本作は『ボヘミアン・ラプソディ』のようなひとりのミュージシャンにフォーカスした伝記映画ではありません。あくまで作中では人生の晩年にさしかかっているマ・レイニーが登場するだけであり、本作を観ただけではマ・レイニーの人生史を理解することはほぼできません。わかるのは断片的なキャラクター性のみです。描かれる物語も実話ではなくフィクションです。

では本作の何が面白いのかと言うと、 当時(1920年代)の音楽業界においてアフリカ系のカルチャーがどう扱われたのか、その一端を垣間見ることできる社会派なドラマが展開される部分です。

原作はオーガスト・ウィルソンが1982年に発表した戯曲です。オーガスト・ウィルソンの戯曲の映画化と言えば“デンゼル・ワシントン”監督&主演作『フェンス』(2016年)がありました。

実はこの『マ・レイニーのブラックボトム』も“デンゼル・ワシントン”が監督する予定で企画が進められていましたが、製作に回ることにし、監督は“ジョージ・C・ウルフ”という劇作家として非常に高く評価されている人物にバトンタッチしています。過去に『イモータル・ライフ・オブ・ヘンリエッタ・ラックス(The Immortal Life of Henrietta Lacks)』(2017年)というテレビ映画を監督したこともある人です。こちらは医学の発展に多大な貢献をした「HeLa細胞」というものがあるのですが、それはヘンリエッタ・ラックスという黒人女性への非道な医療行為によって得たものだったという過去を解き明かす、これまた人種差別のおぞましさを突きつける一作です。

“チャドウィック・ボーズマン”以外の俳優陣は、中心的人物マ・レイニーを熱演するのが『フェンス』でアカデミー助演女優賞に輝いた“ヴィオラ・デイヴィス”。他には舞台で俳優や演出家として活動する“グリン・ターマン”、同じく舞台で仕事が目立つ“マイケル・ポッツ”、『ビール・ストリートの恋人たち』の“コールマン・ドミンゴ”、『ホワイト・ボーイ・リック』の“テイラー・ペイジ”など。

盛り上がるタイプの映画ではありませんが、名演のアンサンブル、そして何よりも亡き“チャドウィック・ボーズマン”を永遠にその目に刻んでおくうえでも大事な一作でしょう。

『マ・レイニーのブラックボトム』はNetflixオリジナル映画として2020年12月18日から配信中です。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(2020年の見逃せない傑作)
友人 ◯(音楽と人種問題に関心あるなら)
恋人 ◯(ムードのでる映画ではない)
キッズ △(性的な描写が多少あり)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『マ・レイニーのブラックボトム』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):とあるスタジオにて

1927年。ジョージア州のバーンズヴィル。夜、大勢のアフリカ系アメリカ人がテントに集まり、ショーに熱狂しています。お目当てはマ・レイニーです。彼女の歌に歓声をあげ、自然と手拍子が起き、体を揺らす聴衆たち。

マ・レイニーはブルースの母として今や伝説的になっていました。多くのファンに愛され、ステージで見せるマ・レイニーのパフォーマンスは観客を陶酔させます。偏見や差別によってなおも蹂躙されている黒人のコミュニティにとって、彼女は夢を見させてくれる大切な存在です。

イリノイ州のシカゴ。録音スタジオは準備の真っ最中。来るのはマ・レイニーです。白人のメルは時間どおりに録らせろとうるさいと文句たらたらでしたが、アーヴィンは「ブルースの母だぞ」とカリスマがやってくることに興奮冷めあらぬ感じです。

そこに一足先にマ・レイニーのバンド3人が到着。しかし、トランペットのレヴィーはまだ来ておらず、そのへんで道草をくっていました。

アーヴィンは3人を迎えますが、メルはレヴィーとマ・レイニーがいないことに不満顔。けれどもすぐにレヴィーが意気揚々と遅れてやってきます。その手には黄色い靴があり、どうやらひとめで気に入って買ったようです。ノリノリで履くレヴィーに他のバンドメンバー、リーダーのカトラー、ピアノ担当のトレドや、コントラバス担当のスロー・ドラッグは呆れています。

とにかくリハをしたいのですが、レヴィーの楽しげなトークは止まりません。「俺には才能がある。自分のバンドを作るんだ。曲も作った」と得意げで、「リハなんて必要ない」とまで言い張るレヴィー。自分の曲を仕上げることしか眼中にありません。「一緒にリハをやれ」と怒られますが、「マ・レイニーがいないと意味ないだろう」と元も子もないことを言います。

アーヴィンが顔を出し、弾く予定の「ブラックボトム」は2バージョンあり、どっちを演奏するべきかと訊ねると、「レヴィーのアレンジでやれ」とあっさり。それを聞いてしてやったり顔なレヴィー。ボスはマ・レイニーだと他のバンドメンバーは忠告しますが、「ここはシカゴだ、決定権はアーヴィンにある」とレヴィーも頑な。「俺たちはベテランだぞ、指図するな」と他のバンドメンバーに言われても気にしません。楽しければいいようです。

一方、マ・レイニーの乗った車はスタジオの前で軽い衝突事故を起こしていました。しかも、マ・レイニーが警察の前で人を突き倒したらしく、暴行罪で連行されかけています。なんとかアーヴィンが警官にカネを渡し、事なきを得ます。メルは遅刻にご立腹。

マ・レイニーはガールフレンドのダッシー・メイと甥のシルヴェスターを引き連れていました。ドアを開けると薄っすら聞こえてくるバンドたちが演奏する曲。しかし、マ・レイニーは気に入らないとキッパリ。

「あのアレンジで歌う気はない」「甥が冒頭の口上をやる」と一方的に宣言します。

「最近は踊れる曲が人気なんだ」とアーヴィンは訴えますが、「あんなのがいいなら他の歌手とやりな」「私はあんたらじゃなくて自分の中から聞こえる声に耳を傾ける」「断るなら私は喜んで南部のツアーに戻るだけだ」と聞く耳を持ちません。

そのマ・レイニーの要求を聞いたレヴィーも苛立ちます。「時代遅れなこだわりで曲を台無しにするのか?」「テントショーの音楽は北部ではウケない」とまくしたてますが、マ・レイニーが主導権を持っていました。

しかし、肝心のシルヴェスターは現場慣れしていない素人どころか、吃音があるために上手く喋れません。一同に気まずい空気が流れます。

そしてしだいに心の奥底に抱えていた感情がこぼれでることになり…。

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ブルースとマ・レイニーについて

『マ・レイニーのブラックボトム』はその時代背景や業界事情を理解した方が断然に楽しめます。作中では親切に説明する要素はほぼありません。そのかわり、『マ・レイニーのブラックボトムが映画になるまで』という30分程度のドキュメンタリーがあって、そこでだいたい解説されていました。なのでぜひともそちらも続けて鑑賞してください。

以下、その『マ・レイニーのブラックボトムが映画になるまで』を捕捉するかたちで説明すると…。

1800年代のアメリカの地で蔓延っていたアフリカ系アメリカ人に対する奴隷制は、一応は1865年に終わりを迎えます。黒人たちは表向きは自由を手にし、労働の幅も広がりました。

しかし、当然、平等を手に入れたわけではありません。黒人差別は現在のアメリカでも続いています。

そんな中、「ブルース」という音楽が南部のアフリカ系アメリカ人によって生み出されます。これはもともと奴隷として酷使されていた黒人労働者が自分たちの苦しさを歌にしたもので、1900年代になると一気にポピュラーな音楽コンテンツへと拡大していきます。結果、ブルースは今日のジャズやロックンロールのルーツになるわけです。

そのブルースを代表する歌手がマ・レイニーでした。マ・レイニーはもともとはミンストレル・ショーでパフォーマンスをしていたらしいですが、その持ち前の歌唱力で一気にブルースの先駆者として人気を集めます。1924年にはツアーをするほどの大人気でした。

ちなみに「ブラック・ボトム」というダンスがあり、リズミカルなステップを踏むもので、こちらもアフリカ系のカルチャーです。作中でレヴィーが見せていましたね。

しかし、1920年代の終わりになると生のライブが衰退し始めます。録音技術の登場によるためです。作中でもまさにその録音が行われている現場であり、マ・レイニーは時代の変化によって存在が埋もれていってしまいます。そして1939年に53歳で亡くなってしまいます。

なお、マ・レイニーはバイセクシュアルだったと言われており、レズビアンの先駆的なアイコンとして語る人もいます。作中でマ・レイニーが連れてきたダッシー・メイもガールフレンドという設定で、スタジオでイチャイチャしていましたね。マ・レイニーは作中ではレヴィーと対立することになりますが、ダッシー・メイをめぐる嫉妬もあるような動機になっています。

ただ、このレヴィーという架空の人物はマ・レイニーのライバル・ミュージシャンの象徴と捉えることもできますし(作中でも言及されていたベッシー・スミスのような競争相手は実際にいた)、同時にレヴィー自身が社会に蹂躙される黒人の息苦しさを代弁する多層的な語り部にもなっているとも解釈できるでしょう。

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「神は黒人の祈りをゴミ箱に捨てている」

『マ・レイニーのブラックボトム』の主題は『マ・レイニーのブラックボトムが映画になるまで』でも語られていましたが「レイス・レコード」です。

これは黒人ミュージシャンに対して不当な契約を強いて発展した音楽であり、前述したように本来はアフリカ系のカルチャーだったものが低待遇によって追いやられ(レイス・レコードという名称で別枠扱いにされ)、しだいに白人のものとしてすり替えられていきました。

いわゆる「文化の盗用」というやつです。本作のラスト、白人たちの演奏団が堂々と映るあたりでそのやるせなさを痛烈に描きだしています。ブルースは自分たちの魂の年代記なのに、なぜ白人なんかに表面上の音楽だけマネされて…それで何がわかるというのか。

作中の黒人キャラクターはみんなそれぞれの苦悩を抱えています。表向きは仕事があります。でもみんなやっぱり搾取されています。奴隷制度がなくなっても事実上は奴隷のようなものです。

レヴィーは最初の印象ではいかにもチャラチャラしています。女漁りに目がなく、自信過剰。白人に気に入られようと媚びうる姿を仲間のバンドメンバーからバカにされます。

でもその裏には激しい怒りがありました。母を白人集団に暴行され、神に祈っても助けてくれなかったこと。レヴィーは信仰にすらも期待しなくなり、もはや彼には音楽しか残っていません。「俺もイエッサーと言いつつ、タイミングを見計らっているんだ」…この言葉からもレヴィーの絶望が伝わります。“チャドウィック・ボーズマン”の演技が本当に素晴らしいです。

一見すると成功を手にしているマ・レイニーも同じ。ブルースは白人の所有になってしまっている現状を嘆き、自分の前では白人に毅然とした態度をとるも、やはり社会を変えることはできない。「連中が欲しいのは私の声だけ。黒人でもカネになるから近寄ってくる」…そんな言葉には乾いた自嘲が見え隠れします。“ヴィオラ・デイヴィス”の演技も負けず劣らず凄まじいです。

最終的に雀の涙のような報酬をもらうだけしかできず、さらには靴を踏まれたと仲間を刃物で刺すレヴィー。まさしく「ブラック・ボトム」…底辺の黒人たちの断末魔のような物語でした。

かなり暗い着地のお話でしたが、文化の盗用は黒人に限らずあちこちで今も起きていますからね。せめて数ドルをあげて満足している人間側にはならないようにしたいものです。

2020年は黒人のミュージック・カルチャーを題材にした映画として、『クラーク・シスターズ -First Ladies Of Gospel-』も良作でした。気になる方はそちらも鑑賞してみてください。

『マ・レイニーのブラックボトム』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 99% Audience 77%
IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 8/10 ★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Netflix マレイニーのブラック・ボトム

以上、『マ・レイニーのブラックボトム』の感想でした。

Ma Rainey’s Black Bottom (2020) [Japanese Review] 『マ・レイニーのブラックボトム』考察・評価レビュー