映画がさらに読み解いてくれる人生の難解さ…映画『怪物はささやく』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ・スペイン(2016年)
日本公開日:2017年6月9日
監督:フアン・アントニオ・バヨナ
かいぶつはささやく
『怪物はささやく』物語 簡単紹介
『怪物はささやく』感想(ネタバレなし)
「ジュラシック」を任せられた監督
2015年に大ヒットした『ジュラシック・ワールド』の続編のタイトルが『Jurassic World: Fallen Kingdom』と発表されました。非常に楽しみなところですが、その監督に抜擢されたのが“フアン・アントニオ・バヨナ”。
このスペイン人監督は、あの日本人も大好きオタクの味方“ギレルモ・デル・トロ”監督にその才能を認められた逸材。『永遠のこどもたち』(2007年)、『インポッシブル』(2012年)と、これまで手がけた作品はどれも高い評価を受けています。そして、最新作である本作『怪物はささやく』も、スペインのアカデミー賞と称されるゴヤ賞で9部門にノミネートされ、監督賞を受賞するほど、評価はうなぎ上り。そりゃあ、『ジュラシック・ワールド』続編の監督に選ばれてもおかしくないですね。
本作の原作はイギリスの作家パトリック・ネスのベストセラー小説ですが、映画自体はスペインとアメリカの合作です。本作はダークファンタジーと宣伝されているとおり、確かに幻想的な映像も大きな魅力。物語の鍵となるCGで描かれた怪物の声を担当するのはなんと“リーアム・ニーソン”。しかも、モーション・キャプチャーもしてます。
しかし、本作の売りは決して映像だけではありません。
“フアン・アントニオ・バヨナ”監督は、迫力ある手の込んだ映像で勢いまかせにすることなく、その中でも人間ドラマをしっかり描くことに確かな才能がある人です。例えば、『インポッシブル』は2004年のスマトラ島沖地震で被災した家族を描いた実話ですが、生々しい津波映像とともに困難に直面する家族の葛藤が丁寧に描かれていました。
舞台は違えど、本作『怪物はささやく』もその点は共通してます。ファンタジーだからといって子ども向けではなく、大人でも考えさせられる深層的テーマに踏み込んだ人間ドラマです。
『怪物はささやく』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):物語を聞かせよう
大地ごと崩壊する教会。奈落の地下に落ちそうになる母の手を必死に握りしめる少年ですが、その手は離れてしまい…。
激しい動揺の状態で目覚める少年、コナー・オマリー。
「物語の始まりは?」
「多くの物語と同じさ。少年の話。子どもと大人の狭間にいる少年が悪夢を見る」
身支度をして学校へひとり向かいます。学校ではイジメっ子たちに殴られ、「いつも空想に耽って何が楽しんだ?」と嘲笑われます。
トボトボと帰宅。帰ると祖父の映写機が置いてあり、動かしてみます。白黒の映画が映り、それを母と一緒に鑑賞。映像では巨大なモンスターを人間たちが攻撃しています。
夜。少年は自分の机で物語をイメージした絵をノートに描いていきます。
すると異変が。窓を開けると激しい風が顔にあたります。遠くにある木は動き出し、怪物へと姿を変えたのです。赤い目で睨みつけ、こちらに歩いてきます。
「さらいにきたぞ」…そう言って巨大な手でコナーを鷲掴みにする怪物。
「今度来た時は起きるまで壁を揺らし、3つの物語を聞かせる。3つの物語を話し終わったら、お前が4つ目を話す。その物語こそ真実」
気が付けば椅子の上。コナーは母のベッドに潜り込みます。
翌朝。祖母がやってきます。「私と住みなさい」と言われますが「治るよ!」とコナーは拒否。そのとき、母が苦しそうに倒れ、急いで薬を渡します。コナーにとってそれは目に入れたくない光景でした。
そしてまたあの怪物がやってきます。
「まずは1つ目の物語だ」
コナーは「おばあちゃんを追い返して」とお願いしますが、怪物は全く聞く耳を持ちません。そして物語を語りだします。
イマジネーションで見えてきたもの。絵の具によって描かれる世界。豊かな王国。平和を勝ち取ったものの、王妃も息子も失い、失意の王には孫だけが残され、その孫はやがて勇敢な人物となった。国王は新しい女性と再婚、しかし、その女性は魔女だと言う噂も。そして王は崩御し、王子には恋が芽生え、闇から逃げ…。
そんな血塗られた悲劇の物語にどんな意味があるのか…。
難解、それこそが本質
本作『怪物はささやく』を観て、「なんか難解だったなぁ…」という感想を抱いたのなら、おそらくそれはこの映画の伝えたいメッセージがダイレクトに突き刺さった結果だと思います。
普通、大方の観客は映画というエンターテイメントにわかりやすさを求めます。良き存在が悪い存在を懲らしめる“勧善懲悪”だったり、弱き者が権力者に打ち勝つ“下剋上”だったり、不幸な人が最後は幸せを得ていく“大団円”だったり…。
でも、本作はそうじゃない。むしろ「実際の世の中は、人生は、人間は、難解なんだよ」と教えてくれるわけです。「そんなこと知ってるよ」と言いたい人もいるかもですが、意外と頭では理解していても納得はしづらいものです。
善悪の難解さ
本作『怪物はささやく』が語る「難解」のひとつに善悪がありました。怪物の語る“王子の物語”は全く善悪論では説明できない掴みどころのない物語でした。良い奴も悪い奴も実はいないのだと。
それはコナーの現実の人生にも当てはまります。例えば、祖母。いかにもおとぎ話に出てきそうな子どもを閉じ込める悪そうな人間に最初は見えますが、実はコナーの部屋を用意してあげたりと、愛情のある存在だったことが後に判明します。コナーをいじめる同級生もそうです。明らかに悪い奴そうですが、言葉の端々にコナーへの気遣いも感じられます。きっと彼なりにコナーを想っていたのかもしれません。一方、父親はコナーの救世主的存在として登場したように一瞬映りますが、結局、コナーの気持ちをくんでやることはできません。
この善悪のあやふやさ。実は序盤の母と1933年の初代『キングコング』を観ているシーンですでに明確に提示される問題です。リブート版『キングコング 髑髏島の巨神』しか観ていない人はわからないと思いますが、リブート版では完全にヒーロー感あふれる存在として描かれていたコングですが、初代『キングコング』のコングは善なのか悪なのか判断付かない、人間の常識を超越した神のような存在として登場します。だから、観た人によってコングから受ける印象は変わるんですね。ある人は怖いと思うし、ある人はコナーと同じように可哀想だと思う。それをわかっている母はコナーを優しく見守っているのでした。
この「キングコング」要素の追加、監督が特撮映画好きだからこその演出であり、映画ならではのオリジナリティが光るアクセントになったと思います。
死の難解さ
おそらく誰しもが人生でその難解さに直面し、苦悩するのが「死」です。本作もまた死をテーマにした作品でした。これはコナーのような子どもだけでなく、大人も向き合うのが辛い問題であり、本作はコナー視点ではありますが、それでも祖母や父、そして母がその問題に葛藤している様子が映し出されていました。
冒頭で描かれる、崩壊する地面に落ちそうになる母の手を必死に掴むコナー。このシーンは、最初、母の死を恐れるコナーの心理的苦悩を写すものだと思うのが普通。しかし、終盤、怪物に迫られたコナーは白状するわけです。「ママが死ぬことがわかってた、終わらせたかったんだ」…あれは“手を離れてしまった”のではなく“自ら手を放していた”のでした。
つまり、コナーは死の難解さと向き合うことから逃げていたんですね。
読み解く手助けとなる映画化
そんなある種の難解な、言ってみればいかにも“文芸的な”テーマに対して、本作は映画的技法を上手く駆使することで比較手わかりやすく見せていたほうだと、私は思いました。原作の読み解く楽しさを残しつつ、映像で訴えかける力に溢れていましたね。映画が読み解く手助けになってくれます。
これは“フアン・アントニオ・バヨナ”監督作品の持ち味なのかもしれませんが、カメラワークが良いです。何かがコロコロと転がるのをカメラが追っていき、観客の視点ごと釘付けにする手法とか、登場人物をメインで映しているカットの背景に重要なモノが映っているとか。じっくり観ているとハッとさせられます。
本作の特徴ともいえるアニメーションも素晴らしく。怪物の語る物語がアニメーションで表現されるのですが、それがラスト、コナーが見つけた「Lizzie Clayton」と書かれた母のスケッチブックを開いたときに、なるほどと理解につながる演出もお見事。ちなみに監督の父は画家だったそうですね。それも影響しているのでしょう。
『ジュラシック・ワールド』続編への期待がグッと高まる一作でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 86% Audience 81%
IMDb
7.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 ©GAGA Corporation. All Rights Reserved.
以上、『怪物はささやく』の感想でした。
A Monster Calls (2016) [Japanese Review] 『怪物はささやく』考察・評価レビュー