可愛い話かと思ったら、暗くてシリアス、でも最後は号泣…ドラマシリーズ『オリー』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本では劇場未公開:2022年にNetflixで配信
監督:ピーター・ラムジー
イジメ描写
オリー
おりー
『オリー』あらすじ
『オリー』感想(ネタバレなし)
あのオモチャたち、どうしているのかな…
私は子どもの頃はそれなりにオモチャを持っていたのですが、すっかり大人になった今、そのオモチャはほとんど残っていません。どこにやったのだろうか?とふと考えてみてもパっと思い出せないのですけど、たぶん誰かに譲ったか、捨てたか…。記憶が曖昧です。子どもの時にはあんなにお世話になったオモチャなのに…。私は結構モノを大切にする人間なので、オモチャの保存状態もそれなりにいい方だと思うのですが、いかんせん子どもだった時はさすがに手荒に扱ったりもしましたからね。壊れてしまったら廃棄することもあったでしょう。でもオモチャを代々他の子どもに譲っていくのも難しいですよね。オモチャってトレンドがあるし、好き嫌いが子どもの間でもハッキリ分かれるものだし…。
ちなみに大人になった今でも唯一残っている子どもの頃から持っているオモチャは、ゴジラの大きめのフィギュアであり、多少の傷はついていますが、私と人生を共にする相棒です。私が死んだら一緒に火葬でもしてもらおうかな…(ちょっとサイズが大きすぎるから無理かな…)。
そんな自分とオモチャの思い出をついつい考えたくなってしまうような作品が今回紹介する『オリー』です。原題は「Lost Ollie」。
『オリー』はNetflixで2022年8月から独占配信されているのですが、全4話の構成となっています。こういうのもリミテッド・シリーズというのかな? 1話あたり約40~50分程度なので、計3時間半ほど。長めの映画とも言えます。
お話は、この世界ではオモチャの人形は意識を持って動いており、とある1体の人形が外で迷子になってしまい、自分を所有していた少年のもとに帰ろうとする…というもの。
このあらすじだけ聞くと、真っ先に『トイ・ストーリー』を連想しますし、確かにビジュアルは完全に『トイ・ストーリー』そのものです。
でもこの『オリー』はそれとは違う点がいくつもあって、ネタバレにならないように説明すると、『オリー』の方がよりダークでシリアスな雰囲気になっています。絵面だけだと可愛い感じに見えますが…。そのシリアスさを引き立てているのが、この『オリー』が実写で作られているという部分。完全に実写の風景の中で人形たちが動き回っているので、フル・アニメーション映画よりもリアル感が強く、それが不気味さも醸し出しています。やっぱりオモチャの人形が動き回っていたらちょっと怖いですからね。
そして物語の展開もヘビーになっていき…。これは核心部に触れるのでこれ以上は言えません。少なくとも子どもが見て、純粋に楽しく笑顔になれるエンターテインメント…っていうノリでは全くないです。けれども、最終的には感動してしまう。こんなの泣くに決まってるだろ…と完敗のエンディング。大人のための御伽噺という感じでしょうか。どちらかと言えば『オリー』は大人向けなのは間違いないでしょうね。
この『オリー』自体には原作があって、“ウィリアム・ジョイス”という作家が2016年に執筆した「Ollie’s Odyssey」という児童文学が元になっています。“ウィリアム・ジョイス”はあの『トイ・ストーリー』でコンセプト・アートデザインを担当したので、この2つの作品が相似しているのは当然と言えばそうなのですけどね。もともと『ローリー・ポーリー・オーリー』という作品も手がけており、これは1998年からアニメーションになるなど、映像化企画と縁が深いクリエイターです。
そしてこの『オリー』の映像化に大きな役割を果たした存在がいくつかいます。
ひとりは製作総指揮に名を連ねる“ショーン・レヴィ”。ドラマ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』を成功させ、今やノスタルジックな青春モノでは先頭を走るクリエイターでしょう。
もうひとりは『オリー』の監督を務めた“ピーター・ラムジー”。『ガーディアンズ 伝説の勇者たち』(2012年)で監督デビューし、2018年の『スパイダーマン スパイダーバース』で大ヒットを記録したストーリーアーティストです。アフリカ系アメリカ人の中でも最もアニメーション業界で実績を挙げた人物となっています。
さらに『オリー』の圧倒的な映像美を生み出したのが、『スター・ウォーズ』でおなじみの「インダストリアル・ライト&マジック(ILM)」(ドキュメンタリー『ライト&マジック』も最高なので観てね)。この映像が本当に素晴らしくて…。もうこれは観て体感してほしいとしか言えない…。さすがILMですよ…。
これらのクリエイターの才能がガシっと組み合わさって、『オリー』を傑作へと近づけました。
芸術面を堪能するだけでもじゅうぶん贅沢ですが、やっぱり『オリー』を観終われば、そんなことよりきっと自分が遊んだあのオモチャのことを思い出さずにはいられなくなるんじゃないかな。
『オリー』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :心を揺らす感動と噛みしめて |
友人 | :思い出を語り合える人と |
恋人 | :素直に弱さを話せる相手と |
キッズ | :ややダークな雰囲気も |
『オリー』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):いつから友達だったのか
「ビリー、いつ友達に?」「ずっと昔だよ。思い出せないほどずっと前から」「絶対に僕のことを忘れないで」「誓うよ」
人形のオリーは気づくと箱の中でした。箱からオリーを取り出したのは見知らぬ女性。「ビリーがいないので探してもらえませんか」と呼びかけるも、値札をつけられて棚に並べられます。
そこで困惑していると、やってきた女の子に話しかけられ、「僕はオリー、ビリーを探しに行くのだけど一緒に来る?」ととりあえずオリーは誘います。その子に住んでいる場所を覚えているかと聞かれますが、何も思い出せません。5ドルまでなら買ってあげると言われるも、オリーはビリーを自力で探すと決めます。
しかし、店の電気を消され、オリーは慌てます。全力でダッシュして店から出ようとしましたが、引っかかってドアは閉じられてしまいました。ぶら下がったまま、もがくオリー。オリーの中にある鈴がチリンチリンと音を立てます。
なんとか脱出し、どうやって出ればいいのかと考え込んでいると、何かが落ちます。星形のものです。何か思い出すオリー。これはビリーと海賊ごっこをしていたときにもらったやつ…何があっても離れないという絆の証…。
ところが背後に犬が現れ、オリーは固まります。そのピンチを助けてくれたのはゾゾという人形でした。
ゾゾは店内の安全な場所に連れて行ってくれます。ゾゾはここに住んでいるようで、ほつれを直してくれます。ゾゾには顔の傷がありましたが、これに関しては話したくないようです。迷子になったとオリーは説明し、記憶も曖昧だと語ります。
「落ち着け、ゆっくりでいい」とゾゾはなだめてくれ、過去を思い出そうとするオリー。
そう言えば、ビリーの家には「記憶の壁」というのがあった…。それを再現するオリー。これは手がかりになりそうです。ダーク・リバー、マーク・トウェイン、トロール…。
でもゾゾがそれ以上助けれないようで、オリーは「あなたに大切な人はいないの?」と感情をぶつけます。すると「いたよ、でも彼女は消えた!」とゾゾは激しく声を荒げます。
少し落ち着いたゾゾは「一緒に探しに行ってやろう」と言ってくれ、2人は犬の出入りするドアから外へ出ます。途中で犬に見つかりましたが、追い詰められたところで、ピンクの人形のロージーが助太刀してくれました。ゾゾと知り合いのようですが、なんだか気まずそうです。
オリーは外へ駆け出します。その眼下には大きな川…オハイオ川です。
きっとどこかでビリーが待っているはず。オリーはかろうじて残っている記憶を手がかりに、ビリーとの再会を夢見て旅にでます。その先にどんな現実が待っているかも知らずに…。
実は人間主体の物語
『オリー』は前半はとてもベタというか、迷子になったオモチャの人形がまた家に帰るために冒険にでるなんて『トイ・ストーリー』で何度も観たよと思ってしまうやつです。
全くそう思ってしまうのも当然で、途中まで私もこれはこの主人公のオリーがゾゾやロージーと友情を育んで最後はハッピーエンドなのかなと考えていました。ビリーとの過去の記憶を思い出すというミステリー要素も絡めながらのアドベンチャー…うん、よくあるね…という感じで…。
しかし、第2話の終盤、船に乗り込み、貨物列車にも揺られ、辿り着いた森の奥。そこで行き詰ってしまうとゾゾが豹変。オリーの体を持ち上げ、いきなり暴力性を全開にしてきます。このへんで「あれ、この作品、なんだか急に重くなってきたぞ…」と雲行きが怪しくなり…。
『オリー』を最後まで観ると、これは『トイ・ストーリー』と全然立ち位置が違う作品だなとわかります。
『トイ・ストーリー』はあくまでオモチャに視点があり、『トイ・ストーリー4』なんかとくにオモチャの主体性を大胆に描いています。オモチャは人間に付き従うだけではない、独立したっていいんだという未知への領域に踏み込んだりして…。
一方『オリー』も一見するとあの人形たちに主体性があるみたいな描き方を前半はしていましたが、実際のところは本作は人間が主体の物語でした。つまり、この『オリー』の世界観では人形たちは人間のドラマを描くうえでの小道具的な仕掛けになっています。かといってオモチャを軽視しているわけではもちろんなく、オモチャの在り方は人間あってこその共依存の範囲で描かれているという…。
これはこれで特化した描き方ですし、本作はその演出が絶妙に上手いのでした。時間軸を微妙に混乱させながら同時並行で描いていく見せ方も巧みでしたし…。
オモチャ・セラピー
『オリー』は、人間であるビリーの物語を通して「マスキュリニティ」に向き合うドラマが展開されます。
ビリーはそれなりの年齢になってもまだ人形遊びをする子で、ビリーの父親はそのことをよく思っていない様子です。男として成長するなら人形遊びからは卒業するべきだと思っています。そしてビリーは学校の子にイジメられ、対抗心が芽生えて、自ら人形のオリーと決別する道を選んでしまいます。男になるために…。
要するに、このオリーの人形は「男らしさ」と正反対の存在であり、それを失ったビリーは一気に「男らしさ」に染まっていってしまう。オリーが母親に作られたもので、なおかつ母が子どもの時に遊園地のオークションで手に入れたバリ島踊り子人形ニーナの鈴を引き継いだものという設定からも、このオリーにはある種の女性性が投影されているようにも感じます。
また、豹変するゾゾの存在はそれこそ「有害な男らしさ」そのもので、女性を欲するがあまりに極めて暴力的な衝動に堕ちていく。ゾゾの顛末は悲しいものですが、本作はあくまで人間中心の物語なので、このゾゾはそういうトキシックな末路を表すアイコンとしての起用なんでしょうね。
最終的にビリーは「泣かないことが強さじゃない」と父と和解し、その後はオリーの人形無しでも成長を遂げます。こういうのなんなんでしょうね、オモチャ・セラピーとでも言うべきなのかな。確かにオモチャは単なる玩具としての趣味というだけでなく、人によってはセラピーの効果はありますよね。
もうひとつ興味深いのは、家族の絆の描き方で、『オリー』は血縁的な要素を用いずにそれを描くために、オモチャというものに代用させている感じもします。オモチャを継承するというのは家族の繋がりを示してもいる、と。そもそもビリーは養子ですし(ビリーの母を演じているのは“ジーナ・ロドリゲス”)、わざわざ「女の子→男の子→女の子」と性別や人種も変えながら人形の引継ぎを描いているのも意図的なのかなと思います。
ミニマムだからこそ光るVFXの職人技
そんな素晴らしいストーリーテリングもありつつ、『オリー』の映像美も物語を盛り上げていました。
人形たちは大部分がVFXで組み込まれているのですが、全く違和感のない自然な溶け込み方であり、それでいてかつ命が吹き込まれているということを最小限の動作で示す。見事な職人技です。
小さい人形の視点になると、大雨でもダイナミックな環境変化となりますが、そこに自然と人形の合わせ技は本当に芸術的だなと惚れ惚れ。まあ、これは私が最近『ライト&マジック』を視聴して、ILMの技術革新の歴史の重みに触れたばかりだからこその感動でもあるのですけどね。でも30年前の『ジュラシック・パーク』では巨大なティラノサウルスを土砂降りの中で走らせ、今は小さな人形を走らせているんですから、スケールとしては小さくなっているのに、そのミニマムなディテールにVFXの進化を感じさせる…技術って派手さだけではないんだなと痛感。
『オリー』のラストは、水たまりに浮かぶオリーを大人になったビリーが拾って直すシーンで始まります(つまりあのビリーがオリーを探している場面は過去の時間軸で、オリーがビリーを探している時間軸と一致していない)。手直しで元どおりになったオリーはビリーの娘と思われる女の子(第1話のリサイクルショップで出会ったあの子)の手に渡り、そこで女の子はあの思い出の歌と、そしてオリーから教えてもらったというパパ(ビリー)の母からの伝言を口にします。
受け継がれる思い出、受け継がれるクリエイティブ、受け継がれる人生の教訓…。
忘れたくないものです。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 88% Audience 97%
IMDb
7.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Netflix
以上、『オリー』の感想でした。
Lost Ollie (2022) [Japanese Review] 『オリー』考察・評価レビュー