そんな世界はあるのだろうか…映画『ウィキッド ふたりの魔女』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2025年3月7日
監督:ジョン・M・チュウ
イジメ描写 人種差別描写 恋愛描写
うぃきっど ふたりのまじょ
『ウィキッド ふたりの魔女』物語 簡単紹介
『ウィキッド ふたりの魔女』感想(ネタバレなし)
新時代の魔女の始まり
「Box Office Mojo」によれば2024年の世界の映画興行収入ランキングで上位4位は『インサイド・ヘッド2』(1位)、『デッドプール&ウルヴァリン』(2位)、『モアナと伝説の海2』(3位)、『怪盗グルーのミニオン超変身』(4位)と、いずれもフランチャイズの続編でした。
しかし、5位にランクしたこの映画は違いました。でも公開前から大ヒットするであろうことは容易に予想できもしました。
それが本作『ウィキッド ふたりの魔女』。
本作はいわゆる2部作であり、2024年にアメリカ本国で公開されたのは「PART1」で、アメリカでは2025年11月に「PART2」が公開予定。ここからフランチャイズが始まる最初の一歩です。
それでも大ヒットが事前に予想ついた理由は、この作品がもともと巨大なファンダムを築いていたからです。
『ウィキッド ふたりの魔女』の原作は、アメリカの作家の“グレゴリー・マグワイア”が1995年に執筆した『ウィキッド: 誰も知らない、もう一つのオズの物語』という小説。この小説はあの有名な児童文学にして、1939年に“ジュディ・ガーランド”主演で映画化もされて、今も名作として語り継がれている『オズの魔法使い』…それを基にしたいわば二次創作的な世界観となっています。正史ではなく、あくまでパラレルワールドです。
主人公は『オズの魔法使い』で悪者であった「西の悪い魔女」であり、その魔女の視点で過去を語ることで、オリジナル作品の善悪の価値観を問い直し、世界そのものを拡張しています。
この小説『ウィキッド』は2003年にブロードウェイでミュージカルにアレンジされ、これも含めてこの二次創作は元の『オズの魔法使い』以上に多くのファンを獲得しました。
なのでこの小説とミュージカル舞台劇を土台に映画化されるとなれば、それはもうヒットは確実ですよ。実際、公開されるや、アメリカの若者や女性層に大ウケで、これは前年の『バービー』の大ヒットを彷彿とさせる現象でした。映画のビジュアル・デザインも似ていますしね。
ただ、まあ、日本ではこの『ウィキッド』自体の知名度がアメリカと比べると低いのが…。日本での劇場公開時期も大幅に後ろにされていて、完全にムードに置いていかれたかたちに…。2部作なので余計にズレが浮きだちます。この映画を機に人気が定着するといいのですけどね。
『ウィキッド ふたりの魔女』を監督するのは、『イン・ザ・ハイツ』の“ジョン・M・チュウ”。フィルモグラフィーをみてわかるとおり、ミュージカル慣れしており、今回の大作も見事にこなしていて安定感があります。
主演するのは、舞台から映画に転身し、『ハリエット』などで圧倒的な才能を披露していた“シンシア・エリヴォ”。そして、シンガーソングライターとして賞を総なめにしてきた“アリアナ・グランデ”。この歌唱力に関しては最高の逸材を2人メインに配置しているだけあって、『ウィキッド ふたりの魔女』のパフォーマンスは近年のミュージカル映画の中でもダントツです。
ファンタジーやミュージカルが好きな、普段はそんなに洋画を観ない人にもオススメしやすい敷居の低い映画ですから、日本でも愛される作品になってほしいですね。
『ウィキッド ふたりの魔女』を観る前のQ&A
A:1939年の『オズの魔法使』を観たことがない人でも問題ありませんが、観ておくと元ネタがわかって面白さが増します。
鑑賞の案内チェック
基本 | 学内のイジメ描写が前半は描かれます。また、それに関連して人種差別を暗示させる内容になってもいます。 |
キッズ | 基本的には低年齢の子どもでも楽しめるわかりやすさです。 |
『ウィキッド ふたりの魔女』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
オズの国。それは魔法が実在する場所。その地で忌み嫌われていた西の悪い魔女は死にました。その知らせにマンチキンランドの住人たちは喜びに包まれます。
そのお祝いムードの中、ピンクのドレスをまとった北の良い魔女グリンダが優雅に現れ、あらためて脅威は消えたことを告げます。グリンダは微笑み、住人たちの幸せに同調します。
そして、子どもの純真な質問に答えるかたちで、西の悪い魔女の過去について語り始めます。
魔女はスロップ総督の妻が旅のセールスマンの男と不倫した結果、生まれた子でした。しかし、生まれた赤ん坊の肌は見たこともない緑色で、一同は驚愕。しかも魔力を持っていたのでした。不気味がって拒絶され、その子は子守りの熊に育てられます。
エルファバと名づけられ、成長していきましたが、子どもでも嫌われる人生でした。生まれながらに車椅子が手放せない妹のネッサローズにも優しく振る舞い、性格は穏やかだったものの、同年代の子はエルファバを嘲笑い、親もそっけない態度で愛情は薄いです。エルファバは自身の魔力も抑え込むしかなく、感情を押し殺していました。
現在、西の悪い魔女の巨大藁人形が盛大に燃やされ、住人たちはそんなエルファバの死を歓迎します。
そのとき「悪い魔女と友人だったのは本当なのですか?」とグリンダは質問をぶつけられ、不意を突かれたように表情を一瞬固まらせます。そして「知り合いではあった」と言葉を濁すように返事するのでした。
グリンダは思い出します。エルファバと初めて出会ったあの昔を…。
まだグリンダはガリンダという名でした。美貌と人柄から社交界で常に注目のまとだった若きガリンダはシズ大学に入学。大学でもすぐに人の目を集め、温かく迎えられます。
一方、エルファバもその場にやってきていました。みんなその緑の肌に言葉を失います。露骨に怪訝な顔をみせる人もいます。それでもガリンダが建前上の優しさをみせるとみんな拍手でガリンダを褒めたたえます。エルファバはうわべだけの親しみには慣れており、その空気も流します。
妹のネッサローズに同行するためにエルファバは来ており、魔法学部の学部長であるマダム・モリブルが新入生歓迎式でスピーチする中、エルファバも後ろで見ていました。
しかし、あるトラブルが起き、偶然にもモリブルはエルファバが潜在的にとてつもなく強い魔法力を持っていることを察知。すぐさまモリブルは個別指導をしようとエルファバに提案し、ガリンダのルームメイトにさせてしまいます。
ガリンダはいきなり自分の傍に自分に似つかわしくない存在が現れ、しかも学部長に気に入られているのが内心では不快です。
こうしてエルファバとガリンダの微妙なすれ違いの生活が始まりますが…。
差別には断固として抗え

ここから『ウィキッド ふたりの魔女』のネタバレありの感想本文です。
『ウィキッド ふたりの魔女』は、俗に「Evil Former Friend」と呼ばれる「今は敵対している二者が実は昔は親友だった」というお約束(トロープ)の物語です。
映画は完全にファミリー向けにも対応していて子どもでも見られる内容ですが、もともとの原作は明確に大人向けで、性暴力描写など露骨に子どもには不適切なシーンがあります(なので原作本は子どもにオススメしないように注意です)。
そして原作には「善悪とは?」という根源的な主題があるのですけど、今回の映画は少なくともこの「PART1」はそういう小難しい実存的な哲学の問いはさておき、もっとシンプルに「差別」を描くことに徹していました。子どもでもわかる「差別こそ悪いことだ」というメッセージですね。
エルファバは「緑の肌」という容姿であからさまに差別を経験しており、これは人種差別に限りなく鏡映しです。あくまで単独の突然変異のような出自なので、人種や民族(レイシズム)というよりは、障害(ディサビリティ)の差別と捉えることもできます。学内でも露骨にイジメ的な眼差しを浴びます。
一方、エルファバの妹であるネッサローズは車椅子ユーザーで、視覚的にわかりやすい障害者ですが、こちらはエルファバと違ってマイクロアグレッションのようなチクチクした偏見を経験する姿が描かれます。一見するとみんなネッサローズに優しいのですけども、「“できない”と決めつけて“手助けする”」ことが当事者の能力の過小評価になっているというパターンですね。
本作ではこのネッサローズというキャラクターを演じるのが、同じく車椅子俳優の“マリッサ・ボーディ”で、当事者起用となっていて、より説得力が増していました(車椅子利用者でも俳優業できますよという正当な能力評価の体現)。
そしてより歴史的に残酷な差別構造を映し出すのが、喋る動物たちの扱い。作中でディラモンド教授が語るように、このオズの国では現在進行形で動物たちの「権利」が奪われつつあり、雇用差別まで生じ、確実に動物は人間より劣等として扱われ始めています。まさにスケープゴートとしての差別対象になっているわけです。
オズの国という表面上はユートピアにみえる世界にも差別が存在し、それは権力の横暴と庶民の無関心が育んだものでした。
映画のエルファバは自分だけでなくこれらオズの国で起きている差別すべてに声をあげる代弁者になっていく…というのがストーリーの流れです。本当に直球なプロテストを軸にしたプロットですね。
ミュージカル劇の良さを素直に引き継ぐ
そうしたテーマに対して『ウィキッド ふたりの魔女』はミュージカルを交えることになりますが、ミュージカルとしての見ごたえもしっかりありました。
2019年の映画『キャッツ』のような余計なVFXで台無しにすることもなく、素直に劇としてのセットで魅せる演出に軸足を置いているのが安定感があります。“ジェフ・ゴールドブラム”演じるオズの魔法使いの登場シーンはとくに仕掛けたくさんで面白いですし、それ以外でも毎度「こんなセット、作りましたよ!」と製作者が自信満々で見せているのが伝わってくる…。
最もVFXが繰り出されるのはラストのエルファバの箒での飛翔シーン。しかし、この最大のエモーショナルな場面でこその特別演出になっているので、あえて異質にしていることも上手くハマっていたと思います。
それにしてもあの飛翔シーンは、いわば『アナと雪の女王』における「Let It Go」に相当するシーンですけど(疎外された主人公が抑圧に縁を切って自己肯定を得る)、あれで「To Be Continued」とバン!とでる清々しさがまたこの『ウィキッド ふたりの魔女』の二部作を恥じない決意表明で良かったのかもしれません。
PART1よりも次が肝心…
とはいえ『ウィキッド ふたりの魔女』は「PART1」。2部作はたいていは「PART2」でどう物語を締めるかが重要です。ただでさえ本作は難所が後半に集中しています。
例えば、原作は大人向けだと説明しましたが、原作の後半のほうがドロドロした人間模様の展開が多く、これを映画でどうファミリー向けと折り合いつけるのかという問題は避けられないと思います。
また、本作で出番や役割が増えたグリンダをどう活かしてくるのかも気になりますね。“アリアナ・グランデ”はグリンダを絶妙にモノにしていて、下手すると単なる「これだから女の敵は女なんだよ」みたいな女性蔑視になりかねないバランスの難しさなのですけど、いいさじ加減でユーモアを混ざて表現していました。“アリアナ・グランデ”って『ドント・ルック・アップ』でも思いましたけど、セレブや美人であることを自虐するのがなんか上手いですね。
そしてクィア表象もどうなるやら…。
「PART1」の『ウィキッド ふたりの魔女』ではグリンダの学友である“ボーウェン・ヤン”演じるファニーがあからさまにゲイです。わざわざ“ボーウェン・ヤン”ありきでキャスティングしていたらしいので意図的でしょうが、これだとゲイ・フレンドどまりです。それ以外だと“ジョナサン・ベイリー”演じるフィエロが女性だけでなく男性もメロメロにさせるバイセクシュアルな魅力を発揮しまくっていました。
もともとの映画『オズの魔法使』がLGBTQコミュニティに愛される特別な一作で、「虹の彼方に(Over the Rainbow)」という曲がレインボーフラッグの由来になったというまことしやかな逸話もあるくらいなのは、『ジュディ 虹の彼方に』の感想でも語ったとおり。
『ウィキッド ふたりの魔女』はクィアを支持するキャストを揃えて、さらにクィア・フレンドリーな雰囲気を醸し出していますが、まだまだ弱めです。
原作の後半はもっと明快にクィアなキャラクターがでてくるので、それを映画で逃げずに向き合い、「差別」のテーマに織り込めるのか…。ここは結構この2部作の命運を分けるのではないかなと思います。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
?(匂わせ)
作品ポスター・画像 (C)Universal Studios. All Rights Reserved. ウィキッド1 ウィキッドPART1 パート1 二人の魔女
以上、『ウィキッド ふたりの魔女』の感想でした。
Wicked (2024) [Japanese Review] 『ウィキッド ふたりの魔女』考察・評価レビュー
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