過去に問いかけ、未来を想う当事者たち…ドキュメンタリー映画『二風谷に生まれて ~アイヌ 家族100年の物語~』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2024年)
日本では劇場未公開:2024年にNHKで放送
ディレクター:中田実里
人種差別描写
にぶたににうまれて あいぬ かぞくひゃくねんのものがたり
『二風谷に生まれて アイヌ 家族100年の物語』簡単紹介
『二風谷に生まれて アイヌ 家族100年の物語』感想(ネタバレなし)
アイヌの本音は雪像の中にはない
私の地元である北海道では毎年冬に「さっぽろ雪まつり」が開催されます。2024年も2月4日から始まり、コロナ禍以来4年ぶりの全面開催となったことで、久々に昔のような空気で大勢の観光客が集まって盛り上がっていました。
メインとなる大通会場には、目玉となる巨大雪像がいくつか並ぶのが恒例なのですが(自衛隊の協力で作られている)、今年のそのひとつが「ゴールデンカムイ」と民族共生象徴空間「ウポポイ」がコラボした大雪像でした。
「ゴールデンカムイ」は日露戦争終結直後の北海道・樺太を舞台とした漫画で、北海道の先住民族であるアイヌのメインキャラクターが登場することでも話題の一作。アニメも人気で、2024年早々には実写映画化し、勢いは絶好調。
対する「ウポポイ」はアイヌ文化を伝える拠点として2020年に北海道白老郡白老町に開業した施設です。コロナ禍の最中での船出だったのでイマイチな出発だったこともあり、年間来場者の目標100万人は開業から3年2カ月経過した2023年9月にやっと達成しました。
その2者がコラボレーションするというのは、このイベントを機に道民や観光客にアイヌ文化を認知させようという狙いあってのことなのでしょう。「ウポポイ」側は来場者の伸びの鈍さもあって、「ゴールデンカムイ」などのエンタメ系コンテンツを取り込んで、一般の関心を集めたい意図が透けてみえます。
ただ、この「ゴールデンカムイ」はアイヌの描き方の観点で批判も受けた作品ではありました。また、実写映画のほうでも、アイヌのキャラクターを当事者でない俳優が演じるなど、製作姿勢に疑念の声もあがりました。
今回の「ゴールデンカムイ」大雪像も北海道の主要メディアは呑気に盛り上がりを伝えていましたけど、その報道の中身は薄っぺらいものです。キャラ紹介程度で、漫画の宣伝にはなっていても、当のアイヌの歴史を詳細に語るメディアはありません。
北海道の地に歴史を刻むアイヌの人たち。そんなアイヌの人たちは人工的に作られた雪像にて、フィクショナルなキャラクターとして世間に漠然と記憶されるだけなのでしょうか。
そんなことを考えていたら、ちょうど2月に良いドキュメンタリーがNHKで放送されていました。今回はこちらを紹介します。
それが本作『二風谷に生まれて アイヌ 家族100年の物語』です。
本作は映画館や一般の動画配信サービスで広く扱われるものではなく、先ほども書いたようにNHKで放送された番組のひとつです。さまざまな社会問題を取り上げるドキュメンタリー番組「ETV特集」の枠で公開されました。
「ETV特集」は良質で題材も見どころがあるので、NHKの数ある番組の中でも要チェックなプログラムですね。ほんと、女性蔑視発言ばかりの芸能人を起用した番組とか作るくらいなら、真面目でちゃんとしている番組におカネを使ってほしいものです。受信料を払っている身としてはそれくらいは言っていきたい…。
『二風谷に生まれて アイヌ 家族100年の物語』はとあるアイヌのルーツを持つ当事者を取材し、本人の語りで映し出されていくドキュメンタリーです。
その人は、祖父と父がアイヌの権利運動に身を捧げてきたという家系を持ち、若い頃はあまりその親世代の権利運動に関心を持ってきませんでした。しかし、ある程度の大人になってその自分の家族の歴史を振り返り、自身のアイデンティティ、さらには今のアイヌと日本社会の関係を見つめ直しています。
本作は当事者の率直な語りが特徴で、「アイヌはこれからどうあるべきなのだろうか」という素朴な自問自答が漂っています。
当然、その問いはアイヌの当事者に真っ先に突きつけられてしまっているのですけども、実際は非アイヌ(いわゆる「和人」、アイヌ語では「シサム」と呼ぶ)の人たちに大きな責任があるというのを忘れてはいけません。
本作には北海道の地に先住していたアイヌの人たちはどうしてこれほどまでに複雑な状況に追い込まれたのか、その歴史の一部が語られてもいます。
アイヌの歴史に興味がある人は、資料としては必見。事前の知識は全然ないという人でも、そんなに難しい内容ではありませんので大丈夫です。1時間程度のボリュームなので見やすいのも嬉しいところ。
アイヌのキャラクターの大雪像をスマホでパシャパシャ撮っているだけでは意味ないですから…。
『二風谷に生まれて アイヌ 家族100年の物語』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :差別の歴史を知って |
友人 | :関心ある者同士で |
恋人 | :興味あれば |
キッズ | :勉強の資料に |
『二風谷に生まれて アイヌ 家族100年の物語』感想(ネタバレあり)
二風谷のとある家族の歴史
現在、アイヌのルーツを持つ人たちは北海道各地(もしくは日本や世界中)にいるのですが、『二風谷に生まれて アイヌ 家族100年の物語』ではそのタイトルどおり、「二風谷」という地域を舞台にしています。
二風谷は「にぶたに」と読み、その由来はアイヌ語で「木の生い茂るところ」という意味の「ニプタイ」であると作中でも説明されます。北海道の地名の多くはこのようにアイヌ語を和名っぽく漢字で置き換えているものが多いです。
今の二風谷は平取町に属し、札幌から東南に約80kmの位置にあります。人口は約400人。これくらいの過疎地域は北海道にはいくらでもありますが、特徴なのがその住民の多くがアイヌにルーツを持つということ(作中ではその7割ほどだと説明されている)。
本作はそんな二風谷を故郷とし、今は父の後を継いでこの地で農業をしている“貝澤太一”さんの視点で語られるドキュメンタリーです。
“貝澤太一”さんはアイヌの家系で、しかもアイヌの権利運動で先陣を切ってきた祖父を持つという、アイヌの中でもかなり特筆される家柄。ゆえに思うことがたくさんあって…。本人は望んでいないかもしれませんが、アイヌの今を語るうえでこの人しかいないという絶妙な立ち位置ですね。
“貝澤太一”さんの家系を辿ると、資料に残っているのは、高祖父“ウエサナシ”に始まり、曾祖父“與治郎”(よじろう)と続き(3世代前から和風の名前を名乗るようになった)、祖父の“貝澤正”、父の“貝澤耕一”となっています。
これは別にアイヌに限った話ではないですが、4世代近い100年の家系の歴史をそれなりに保存できているのはなかなかに凄いと思います。もう今は家系図とか価値が無くなっていますからね。貝澤太一さんの場合、それがそのまま貴重な歴史的資料になるのですが…。
“貝澤太一”さんは、若い頃は全然そんな家系の歴史などに興味はなく、いかにも若者らしい自分の道を進んでいたようですが、やっぱりある程度の人生の通過点で自身のルーツに立ち返りたくなるものなのか…あらためて見つめ直し、今に至ります。
と言っても、ラクなものではなく、祖父や父の偉大さに距離をとってしまい、亡き祖父の書斎も避けていたと率直な当時の心境を振り返る姿も印象的です。
父は今年で78歳。祖父が亡くなった年齢に近づき、いよいよ自分が最前線に立つ側に…。父は「好きに生きていい」と重荷を背負わないように言葉をかけてくれるけども、そう言われても…。
この感覚は、もうアイヌというか、“貝澤太一”というひとりの人間しか実感できない領域だろうなとは思います。
差別の原体験は権利運動の原動力
まず“貝澤太一”さんの祖父である“貝澤正”…この人の人生の足跡がもう凄いですよ。普通にそのままドラマ化とかしてほしいくらいです。
祖父と父の世代が権利運動に身を投じていく中で、とくに大きな論点となったのが「二風谷ダム」。当時の“田中角栄”首相が日本列島改造と息巻くほどに高度経済成長期に有頂天だった日本。北海道では工業地帯を作る構想が持ち上がり、二風谷の自然の要である沙流川にダム建設の実地調査が開始されたのが1973年。工業用水欲しさのために川が潰されようとしていました。
チノミシリという神聖な場所であったのでアイヌの人たちは反対。しかし、日本社会は経済を優先します。富める者にさらに富を、貧しい者にはさらに貧困を…。それがあのときの日本がやったことでした。
アイヌの歴史はある時点から差別の歴史でもありました。狩猟民族だった本来の生活は明治に一変。政府は北海道を日本の領土として組み込み、同化政策を推し進めます。アイヌの人たちに日本語を強制し、鮭や鹿を自由に獲ることも禁止。生活の糧を失い、アイヌは貧困に陥りました。
こうした中、アイヌを保護するという名目で制定されたのが1899年の「北海道旧土人保護法」。今度は農業をしろと政府から命じられたも同然でしたが、入植者を優遇し、アイヌに与えられた土地は川沿いなど農業に適さないところ。増水ですぐにダメになり、借金だけが増えていく…。
そしてその死守した土地さえも今度のダムで水没して犠牲になる…。
あまりに理不尽。植民地主義というものの残酷さをこれでもかと物語る歴史です。
その“貝澤太一”さんにとっては不屈の戦士に見えたであろう祖父“貝澤正”にも意外な過去があったことがわかるのがまた興味深く、祖父は当初は1941年に満蒙開拓団に参加し、満州へ行っていたのでした。あのときのスローガンであった「五族協和」という、全ての民族が一致団結して理想の世界を作るという理念に魅せられた…。ところが満州でも日本でアイヌを差別したのと同じように満人を差別していた実態に直面。幻滅して権利運動に人生を捧げることに…。
この原体験は凄まじいですね。「日本→アイヌ」「日本→満州」という二重の植民地主義の中で、日本社会に失望し、希望に身をゆだねるのではなく、自分で勝ち取ることにしたという…。
かつての日本でのアイヌ差別は酷いもので、1986年には国会でさえも当時の中曾根康弘首相が「日本には差別を受けている少数民族はないだろうと私は思っております」「私も眉毛は濃いし、髭は濃いし、アイヌの血は相当に入っているのではないかと」と軽薄に口走るほどの意識の低さ。
“貝澤太一”さんも高校時代に石を投げられて差別を自覚したとは言え、「差別」とひとくちに言ってもその体験はやっぱり世代で全然違って…。
こういう差別の原体験を通ってきたのだとわかると、権利運動の原動力がひしひしと伝わってきます。
権利はもういいのだろうか
では今はどうなのか?…というのが本作の最後の問いかけです。
今のアイヌにルーツを持つ若い世代は苛烈なイジメなどは経験しておらず(経験している人ももちろんいると思いますが)、アイヌのアイデンティティをそんなに考えなくても暮らせています。
映画『アイヌモシリ』で描かれたように当事者であっても若者はルーツを考える機会もあまりないです。
これは良い社会になったからなのか。それともこれこそ同化というやつなのか…。
1997年に札幌地裁で土地収用は違法だと示され、アイヌは先住民族であるという司法判断が下され、そして2019年に「アイヌ施策推進法」が成立してアイヌが日本の先住民族であると初めて法律に明記されたこと。2020年に「ウポポイ」が復興・創造のナショナルセンターという拠点として立ち上がり、アイヌは今やエンターテインメントで親しまれていること。
字面だけで書き綴っていけば良い流れのような気もする。でも本当に…?
アイヌの先住権は認められず、アイヌ差別をする政治家が「利権だ」「公金チューチューだ」と騒ぎながら自分は不正な会計をしていることがバレたり、北海道の自然が経済発展を大義名分になおも破壊され続けている…そんな世の中でも…?
単一民族国家という日本の政治姿勢は今だに揺るがず、アイヌ自身がアイヌであることを忘れてしまいそうになっている。周囲からも「権利なんてもういい」という声もあがる。
本作を観て、あらためて感じるのは、権利運動のモチベーションというか、持続力のための目的をどう設定するか…その難しさですね。これは先住民族だけでなく、障がい者とか、LGBTQとか、さまざまな権利運動に共通すると思います。
これは私の今の考え方ですが、権利運動って基本的に「自分さえ良ければいい」という思考からいかに視野を広げるかに全てが懸かっていると思うのです。自分は経済的に困ってないし、現状で差別を受けていなくても、世の中に苦しんでいる人がいるなら連帯して声をあげなくてはいけない…そういう姿勢ですね。その世の中っていうのは今だけじゃなく、未来も考えたうえです。今が改善されつつあっても将来に不安が残るなら、先んじて活動する…それが権利運動でしょう。権利は後退もしますから。
アイヌの権利運動コミュニティは決して地盤が強大ではなく、少数で行ってきたものでしょうし、いとも簡単にか細くなってしまいます。なので作中で映し出されたようにシンポジウムにて世界各地の先住民族が集まって議論を交わすというのもひとつの方向性であり、国際的な連携が今後は欠かせないでしょうし、次はそうした知見が求められるのだと思います。
“貝澤太一”さんの祖父や父とは全く違うステージで戦っていくスキルが必要になってくる。では今の若いアイヌ世代にはそういうスキルを高めるチャンスがあるのか? 新しい課題がどんどん湧いてきます。アイヌではない非当事者も権利運動に参画させる手段も考えないといけないでしょう。当事者ばかり矢面に立たせるのではなく…。
「アイヌであることを誇りに思うことはあっても恥じる必要はない」
先人の言葉を深く刻むべきは、そして行動を正すべきはやはりアイヌ以外の日本人です。
ROTTEN TOMATOES
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IMDb
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作品ポスター・画像 (C)NHK
以上、『二風谷に生まれて アイヌ 家族100年の物語』の感想でした。
『二風谷に生まれて アイヌ 家族100年の物語』考察・評価レビュー
#先住民 #アイヌ #北海道