ホン・サンス監督がずっと一緒にいる相手は?…映画『逃げた女』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2020年)
日本公開日:2021年6月11日
監督:ホン・サンス
逃げた女
にげたおんな
『逃げた女』あらすじ
ガミは、5年間の結婚生活で一度も離れたことのなかった夫の出張中に、ソウル郊外で3人の同性の友だちと出会う。バツイチで面倒見のいい先輩、気楽な独身生活を謳歌する別の先輩、そして偶然再会した旧友。行く先々で「愛する人とは何があっても一緒にいるべき」という言葉を何度も繰り返すガミ。穏やかで親密な会話の中に隠された本心が少し露わになるたびに、ガミの中で少しずつ何かが変わり始めていく。
『逃げた女』感想(ネタバレなし)
キム・ミニと出会ったホン・サンス
『パラサイト 半地下の家族』のアカデミー作品賞受賞や、K-POPの世界的メジャー化など、今や韓国発信のコンテンツは最も勢いに乗っており、グローバルに開花しています。
もちろん今は確かに目立ちますが、以前から世界的に活躍していた韓国のクリエイターは存在しました。例えば、映画界においても監督として著名な韓国人は複数挙げられます。
そのひとりが“ホン・サンス”監督です。
“ホン・サンス”監督は1960年のソウル生まれ。ちょうど軍のクーデターで権力を掌握され、朴正煕がどんどん支配力を強めていった時期ですね。しかし、“ホン・サンス”自身は大学はカリフォルニア美術大学へと進んでいったので、1980年代の韓国が大揺れした時期にはいなかったのでしょう。
とにかく“ホン・サンス”は映画界へとキャリアを進める道を選びます。初監督作品は1996年の『豚が井戸に落ちた日』。これが韓国国内で高く評価され、新人ながら一気に注目の存在に。『カンウォンドの恋』(1998年)など、当時からロマンスを中心とした人間ドラマを手がけることが多い人でした。また、アメリカで映画作りを学んだせいか、あまり韓国映画界の色に染まっていない感じもします。
その独自性が目を惹いたのか、2010年の『ハハハ』がカンヌ国際映画祭である視点賞を受賞し、ここから世界が注視する監督へと飛躍しました。その一方でだからと言って評価されまくり…というわけでもありませんでした。確かに順調に映画を撮っています。1年に1作以上は監督している勢いです。それでも世界で輝かしい賞を獲るのは簡単ではありません。
そもそも“ホン・サンス”監督は『教授とわたし、そして映画』(2010年)などからもわかるように、どこか自分自身のキャリアと重なるような、一種の自己投影型の創作スタイルであり、クセが強いです。評価されるときはされますが、されないときはされない。こうなってくると世間の目を気にしてもいないような感じも…。
その“ホン・サンス”監督のフィルモグラフィーに大きな影響を与える“とある話題”が持ち上がります。それは2016年のこと。2015年の監督作『正しい日 間違えた日』で出演した“キム・ミニ”と不倫関係にあることが報道。ちょうどこの時期は“キム・ミニ”は『お嬢さん』を主演し、国際的な注目を集めているタイミングでしたし、相手も世界的に有名な監督だったので、話題性はじゅうぶん。
個人的には人が誰と交際関係にあろうと知ったことではないし、興味もないのですが、まあ、今回は職場内の不倫なので“プライベートでお好きにどうぞ”というわけにもいきません。おそらく韓国社会は保守的なキリスト教の力も大きいので不倫に良いイメージはないのでしょう(日本も人のことは言えませんが)。
“ホン・サンス”監督のキャリアはどうなるのだろう…と思っていたのですが、“キム・ミニ”とパートナー関係を持ち続け、なんと“キム・ミニ”主演で映画を作り続けるという、一貫したブレなさを披露。しかも、作品内にその自身の不倫をめぐるあれこれを投影するかのようなスタンスを見せ、作家性もかなり変容しました。例えば、2017年の『夜の浜辺でひとり』は“キム・ミニ”演じる不倫スキャンダルで世間を追われた女優という設定の主人公を描いており、あまりにもそのまんまです。同年の『クレアのカメラ』『それから』、2018年の『草の葉』『川沿いのホテル』もやはり似たりよったりで、“キム・ミニ”出演で女性視点で映画を生み出し続けています。
不倫はさておきここまで女優依存で映画を作るというのも凄いですし、これはもう“ホン・サンス”監督の明確な意志なんでしょうね。監督は自分で脚本も製作も音楽も手がけていますし、ネームバリューもあるので、これだけの自由なクリエイティブを貫けるのでしょうけど。
“キム・ミニ”も『夜の浜辺でひとり』でベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞したりと、“ホン・サンス”監督のパートナーシップ以降も継続してキャリアを伸ばしています。“ホン・サンス”監督作品ありきではあるし、本人がそれでいいならいいんですが…。
その“ホン・サンス”監督&“キム・ミニ”最新作が本作『逃げた女』です。
本作ではベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀監督賞)を受賞し、キャリアとしては最高潮に。相変わらずの海外の支持力の厚さですね。
物語としてはいつもの“キム・ミニ”との出会い以降の“ホン・サンス”監督作品の流れと同じ。過去作を観ている人にはすぐに想像がつくと思います。今作はこれまでの中でもひときわ穏やかなトーンですが、地味なドラマの裏に佇んでいる情念を察していくのが面白さだったり。
共演は『よく知りもしないくせに』『自由が丘で』の“ソ・ヨンファ”、『浜辺の女』の“ソン・ソンミ”、『はちどり』の“キム・セビョク”など、いつもの“ホン・サンス”監督メンバーです。
“ホン・サンス”監督作品は初めてという人もお試しにどうぞ。
オススメ度のチェック
ひとり | :監督ファンは必見 |
友人 | :盛り上がるタイプではない |
恋人 | :メリハリのある物語はない |
キッズ | :大人のドラマです |
『逃げた女』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):ずっと一緒に
広々とした家庭菜園のような敷地で眼鏡の女性が黒いグローブをつけて土いじりをしています。そこにスーツ姿の女性がひとり、近寄ってきて挨拶。面接があるようです。
顔がむくんでいることを気にしますが、土いじりの女性は「大丈夫」と優しく励ますのでした。
今度は車でやってきた別の女性。「ガミ!」と眼鏡の女性は声をかけます。ガミにとって眼鏡の女性は「先輩」。「髪をバッサリ切ったのね」と先輩のヨンスンは気楽に語り、ここでも「可愛い。若く見える」と相手にかける言葉は親しみがあります。ガミは買ってきた肉を袋ごと渡し、部屋に。
部屋でまったりしつつ、「最近、人に会うのは好き?」「人に会うのは疲れる」「もう会いたくない」「会うと、しなくてもいい話やイヤなこともするからうんざり」とお喋り。ガミは人付き合いに辟易している様子。
「ルームメイトはまだですか?」とガミ。あと1時間くらいだそうです。
話題はこの家のことに移ります。ガミは「どうしてここに住むことに?」と聞き、ヨンスンは「買ったの。旦那と別れた時の取り分とローンで買った」と淡々と答えます。いいところだとガミは憧れているようです。
ガミは「そういえば、別れた旦那さんは何を? 最近も連絡しますか?」と訊ね、ヨンスンは「しない。連絡する理由もない。泥沼だったから」と答えつつ「あなたの旦那は?」と聞き返します。ガミは「毎日一緒にいます。離れたことがない。今回が初めて。5年で初めて」と言い、なんと1日も離れたことがないというのです。「愛する人と一緒にいるべき」というのが意見なようです。ガミいわく「旦那と一緒なら毎日が楽しい」とのこと。
一方でヨンスンは自分は耐えられないほどに苦しかったと明かします。今のヨンスンは平穏です。ガミは「私の夫は先輩のことを本当にいい人だと思ってます」と気遣います。
肉を焼いて食べ始める2人。ヨンスンと一緒に暮らすヨンジが焼いてくれています。ヨンスンは今もベジタリアンになりたかったそうで、ガミも口いっぱいに肉をムシャムシャしつつも同意。牛は可愛い動物だ、これからはお肉を食べないと箸で肉を口に運びながら語るガミ。
今度は部屋で3人でリンゴを食べます。切って剥いているのはヨンジ。ヨンジいわく近くに鶏がいるらしく、その1羽は雌鶏を突く怖い鶏なのだそうです。ヨンジは力説します。
そんな後、ガミは今度はまた先輩であるスヨンを訊ねます。そしてその次には旧友のウジンとカフェで再会します。
同じようで同じようではない会話を繰り返すガミの心はいずこに…。
3人の女性との出会い
『逃げた女』はドラマとしてとにかく地味です。ご近所の女性たちの会話を偶然にカメラにおさめたかのような、自然すぎる映像が続きます。“ホン・サンス”監督はあまり綿密にシナリオを事前に練り上げるタイプではないそうなので、今作も割と行き当たりばったりで撮っているのかもしれません。
しかし、単に脈絡がないわけでもなく、今作はとくに作為的すぎるくらいにわかりやすい構成になっていると思います。
物語の構造はシンプルで、ガミという主人公がフラっと3人の女性と出会っていくという3パート構成であり、会話の内容も繰り返しのように類似しています。けれども何かが違う。その裏に潜む何かを探っていくかどうかは観客しだいです。
まず1人目の先輩であるヨンスン。バツイチらしくヨンジという人とルームメイトで今は生活中。ここで非常に眠くなるようなまったりとしたムードが漂います。でもヨンスンは明確に言及はしませんが、前の夫との間に相当な苦しい出来事があったようです。ヨンスンはここでの暮らしで心を少しずつ再生しているようにも見えます。
このガミとヨンスンの関係は見方によっては、“ホン・サンス”監督実人生と重ねるならば、不倫された側の女性と不倫した側の女性との邂逅のようにも解釈でき、おっとりしたウーマンス的ムードの中にもピリっとした緊張感も感じられなくないような…。独特の空気です。
続いて出会うのはスヨン。ピラティスの講師をしているスヨンは独身で、貯金もあり、この家も大幅に節約して手に入れることができたそうで、どこか余裕がありそうな雰囲気です。しかし、経済的にも心理的にも安定しているように見えますが、その内側では孤独への恐怖を隠しているようにも見えます。ヨンスンの家では美味しい料理を味わえましたが、このスヨンの家では料理に失敗しているのも対比的です。
さらに3番目に会うのがウジン。これは予定していない出会いのようですが、2人ともそこまで挙動不審になることもなく、自然に会話。しかし、ここでも「あの時は悪かった」と謝ってくるなど、明らかな何かしらの過去を感じさせます。
女は何から逃げたのか
ではこの『逃げた女』の主人公であるガミは結局は何をしたかったのか。
作中では彼女は3人に対して常に「愛する人とは常に一緒にいるべき」という主張を繰り返し、ひとときも夫と離れたことはないと言い切ります。でもだったらなぜ今は離れているのか。夫は出張中のようですが、ここでいうところの“離れる”というのはどういうシチュエーションのことなのか。物理的な距離のことなのか、それとも心理的な寄り添いのことなのか。
ガミの発言を聞いていても口では恋愛伴侶規範を能弁に述べているように見えつつ、どうしたってラブラブという感じではありません。空虚です。
ガミはよく家や夫婦の話題を相手に投げます。ヨンスンにもスヨンにも家を褒め、憧れを示します。しかし、自分の家や夫婦の話題は深く事細かに打ち明けません。例の「愛する人とは常に一緒にいるべき」を唱えるだけです。
これは私の感想としての解釈の一例ですが、本作はガミという女性の自己内の対話を描いているようにも受け取ることもできると思います。例えば、ヨンスンもスヨンもウジンも、ガミにとっては同一人物であり、もっと言えば自分自身でもあるとか。それが過去の自分なのか、未来の自分なのか、はたまた別の今の自分なのか、詳細はわかりませんが、自身との対話を淡々と続けている。そんな見方もできるでしょう。
『夜の浜辺でひとり』では主人公が声を張り上げて相手と舌戦をするシーンもあるのですが、この『逃げた女』ではそれがありません。静かです。この静けさがなおさら本作を心の中の話であるかのように思わせます。
ガミはタイトルのとおり、何かから逃げたのか。問題は“何か”ではなく“どう”逃げるかなのかもしれないですね。
「女・男・映画」の三角関係
また、作中で男性の介入があるのも印象的です。ヨンスンのときは近所の引っ越してきたばかりの人が猫の餌やりの件でクレームを言いに来ます。そこでのヨンジとの平行線な会話。「そうはいってもこの子たちも食べてはいかないといけないですし」という頑として曲げない立場。スヨンの場合は、一夜を共にしてしまった若い男が「人として接してくれませんか?」「あなたはそれほど残酷なんですか?」と随分と切実に訴えてきます。ウジンの場合は、テレビなどに出て饒舌に変化したという相手の夫です。
“ホン・サンス”監督作品は基本的に定点カメラみたいに視点を動かさずにときおりズームにするくらいの撮影スタイルなのですが、この男たちの描き方はとても地味で、見せようという気もないほどです。
この「男」の存在をどう捉えるかも自由なのですが、私はこの「男」はある種の映画観客と重なるような感じもすると思いました。他人の人生に首を突っ込んでくる批評家やメディアとも言えるかもしれません。ここも“ホン・サンス”監督の人生と重なる部分ですが。
そして忘れてはならないのは「映画」。本作のラストは映画館で終わります。「韓国のゴダール」「エリック・ロメールの弟子」などと称される“ホン・サンス”監督は、映画への言及を忘れません。というか最後はやっぱり映画に着地します。
“ホン・サンス”監督にとって「女・男・映画」の三角関係はそんな簡単にわざとらしい泥沼化もしないし、スキャンダルにもならない。当人たちは空気のようにそれを吸い、温度のように肌で感じる。ただそれだけなのかもしれません。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience –%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Jeonwonsa Film Co.
以上、『逃げた女』の感想でした。
The Woman Who Ran (2020) [Japanese Review] 『逃げた女』考察・評価レビュー