ギレルモ・デル・トロが名作ノワールを現代に…映画『ナイトメア・アリー』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本公開日:2022年3月25日
監督:ギレルモ・デル・トロ
DV-家庭内暴力-描写 ゴア描写 動物虐待描写(家畜屠殺) 性描写 恋愛描写
ナイトメア・アリー
ないとめあありー
『ナイトメア・アリー』あらすじ
『ナイトメア・アリー』感想(ネタバレなし)
あの名作ノワールを蘇らせる
アメリカの映画を観ていて普通にでてくる要素でも「これ、日本にはないなぁ」と思うものはよくあります。例えば、移動遊園地。
英語では「carnival(カーニバル)」と呼ばれており、日本語では「巡業見世物」とか翻訳することもあります。各所を転々と移動しながら遊園地を設営し、その地域の人を楽しませます。娯楽の乏しい田舎の人たちにとっては格好のエンターテインメントです。この移動遊園地はアメリカでは1900年代初めから活動が活発化し、1930年代後半には300を超える移動遊園地が存在していたとか。
その移動遊園地は、遊園地といっても観覧車やメリーゴーランドみたいな「ライド」ばかりではありません。むしろ初期は「見世物」系のものがたくさん並んでいました。とくにいわゆる「フリーク・ショー」と呼ばれるものが定番でした。これは当時は「奇形」(もちろんこれは差別的な表現ですよ)と呼ばれていたような人たちを見世物にしたり、火を噴くなどの大道芸だったり、はたまた手品と呼んでいいものか、あからさまにイカサマのフェイクで成り立っているものもあったり、要はスリルのためなら何でもありな様相でした。
そんな移動遊園地で働く人は「carny(カーニー)」と呼ばれます。移動遊園地最盛期でもあった1930年代のアメリカは大恐慌に突入していたので、おそらくビジネスに失敗したり職を失ったりした人が、この移動遊園地に流れ込んで働いているという事例も多かったのではないかなと思います。ああいう地方を渡り歩く存在だからこその貧困者の受け皿になっていくという視点での分析もできますよね。
今回紹介する映画もその移動遊園地と貧困の関係を象徴的に物語に組み込んでいる作品です。
それが本作『ナイトメア・アリー』です。
この映画は原作があります。それは“ウィリアム・リンゼイ・グレシャム”というアメリカの小説家が1946年に執筆した小説「ナイトメア・アリー 悪夢小路」です。古い作品ですが、移動遊園地で働いていた男の数奇な末路を描いたもので、当時の移動遊園地の雰囲気が色濃い内容で、ノワールの古典とされています。
この小説「ナイトメア・アリー 悪夢小路」は1947年に映画史に名を残す名監督“エドマンド・グールディング”によって映画化され、『悪魔の往く町』という邦題で公開されました。そして2021年(日本の公開は2022年)、またも映画化されたのが本作『ナイトメア・アリー』というわけです。
その実に70年以上ぶりの再映画化に手を出したのが、あの“ギレルモ・デル・トロ”。『パンズ・ラビリンス』『クリムゾン・ピーク』などのダーク・ホラー・ファンタジーをこよなく愛し、『パシフィック・リム』などオタク全開の作品も手がけてコアな映画ファンの支持もアツく、そして最近は2017年の『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー作品賞にも輝いた、もはやベテランの貫禄のメキシコ人監督クリエイター。
確かに“ギレルモ・デル・トロ”監督なら「ナイトメア・アリー 悪夢小路」は好きそうだなと思いますし、なにせ「フリーク・ショー」ネタですからね。
なお、“ギレルモ・デル・トロ”監督の『ナイトメア・アリー』は1947年の映画のリメイクということにはなっていません。あくまで原作小説の再映画化です。これはたぶんあの1947年の映画自体がやや物足りなさもあったのだと思います。当時の映画規制もあっていろいろと表現が抑えられている部分も多かったです。その点、今回の“ギレルモ・デル・トロ”監督の『ナイトメア・アリー』はきっちり映像になっており、プラスアルファでとても“ギレルモ・デル・トロ”監督らしい寓話要素も強まっています。それだけでなく、私はしっかり現代で映画化する意味のある作品に仕上げているなとも思いました(このへんは後半の感想で)。
『ナイトメア・アリー』は俳優陣も豪華で見どころのひとつ。主人公を演じるのは『アリー スター誕生』の“ブラッドリー・クーパー”。今回も魅せてきます。そして、『オーシャンズ8』の“ケイト・ブランシェット”、『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』の“ルーニー・マーラ”、『ヘレディタリー 継承』の“トニ・コレット”、『ライトハウス』の“ウィレム・デフォー”、『シェイプ・オブ・ウォーター』の“リチャード・ジェンキンス”、『ヘルボーイ』の“ロン・パールマン”、『グッドナイト&グッドラック』の“デヴィッド・ストラザーン”、『メルビンとハワード』の“メアリー・スティーンバージェン”など。
ちなみに“ケイト・ブランシェット”と“ルーニー・マーラ”と言えば『キャロル』での共演が印象深く、「また共演してくれるのかぁ」と期待した人もいるかもですが、『ナイトメア・アリー』でこの2人が同じ画面内に並ぶことはないです。
アカデミー賞では作品賞、撮影賞、衣裳デザイン賞、美術賞にノミネートされ、評価も高い一作。“ギレルモ・デル・トロ”監督のカーニバルに入場してみませんか。
オススメ度のチェック
ひとり | :監督ファンは必見 |
友人 | :俳優好きも満喫できる |
恋人 | :ロマンス要素もあるけど |
キッズ | :やや残酷描写あり |
『ナイトメア・アリー』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):ここは人生の終点
スタントン・“スタン”・カーライルはボロボロに古びた家の床下に死体を引きずり、マッチで火を放ちます。家はたちまち炎上。スタンは静かに去っていくだけ。
スタンは帽子を深くかぶり、バスで眠り、いつの間にか終点に。そこで降りると夜の町にカーニバルがやってきていました。さまざまな見世物小屋が並ぶ中をスタンもうろつきます。
するとクレム・ホートリーという一座の男が「獣か人か」と客を煽ってテントの中へ招いており、スタンも入ってみます。25セントで鶏を獣が食う姿が見られると宣伝し、1羽の鶏を放つと飛び出してきたのは、長髪のみすぼらしい人間のような存在。それは鶏の首に食らいつき、そして食いちぎってしまいました。その恐ろしい獣人「ギーク」に観客は息を飲みます。
スタンはそれを目にし、たいして驚きもせずに去ります。すると筋力を見世物にするブルーノと小柄な体を見世物にするモスキートに囲まれ、「何か企んでいるのか」と怪しまれます。結局、スタンはこのカーニバルで仕事をすることになりました。
土砂降りの中での資材運びやテント撤収をこなし、格安の給料しか貰えません。食事していると慌ただしくなり、なんでも獣人が逃げたとか。大勢で車両の下などを探す中、スタンは獣人を見つけました。
「黙っててやる、お前に恨みはない、傷つけもしない」
急に石で攻撃してきたのでこちらも反撃でノックアウト。獣人をクレムと檻に入れ、それ以来、クレムに気に入られます。
朝。スタンは電気パフォーマンスをするモリー・ケイヒルを見つめていました。彼女を気に入っていましたが、今の自分はみすぼらしい格好です。
ある家の前に女性が座っているのを見かけ、「中に風呂はあるか?」と聞きます。その女性、ジーナ・クランバインは夫のピートと一緒に読心術でショーをしていました。
部屋の湯船に浸からせてもらっていると、ジーナがスタンの股間に手を伸ばし、キス。こうして2人は関係を持ち、スタンはジーナのアシスタントになりました。
ジーナの人の心を読むショーは盛況です。ただ、下からピートが指示を出すはずですが、泥酔しており、かなりヒヤヒヤでした。ピートは重度のアルコール依存状態で、酒を辞められそうにありません。
ある日、クレムと会話するスタン。そこで木酢液の危険性を教えてもらいます。アルコール類の成分もありますが、とても毒性も強いということも…。
スタンはモリーに電気椅子のパフォーマンスを提案。一方で、ブルーノにモリーと仲良くなりすぎるなと忠告してきます。それでもスタンはモリーと独立してショーをしたいと思っており、彼女を誘いますが、モリーは嬉しくはあるものの決断できませんでした。
学びに積極的なスタンはクレムにどうやってギークを作るのかと訊ねます。中毒者や酒依存者を見つけて仕立て上げるそうで、そのえげつなさに躊躇するスタン。
そんな中、ピートが死亡するという事件が起き…。
有害な男らしさの呪縛の見世物
『ナイトメア・アリー』はフィルムノワールでありますが、“ギレルモ・デル・トロ”監督の手によって暗黒御伽噺っぽさが濃くなり、禍々しさがもうイチ段階増しました。主軸にあるのは、ひとりの人間の人生が凋落し、それがカーニバルによって息を吹き返したと思ったら、またも凋落していく人生崩壊モノ。同時にこれは有害な男らしさの呪縛から抜け出せずにいる男を描く悲劇の寓話でもあるでしょう。
主人公のスタンは父親を憎んでおり、弱り果てた父を窓を開けて凍死させ、家を燃やして過去にします。彼なりに有害な家父長制から抜け出して心機一転を図ろうとしているわけです。
その冒頭でバスに乗ってカーニバルに着く場面。スっと窓の風景が変わる演出といい、それがバスの終着になっている部分といい、人生のどん底から物語は始まりますよという御伽噺の幕開けのようで、このオープニングが最高に良いですね。
そこでスタンは熱心に働き、スキルを身に着けていくのですが、カーニバルからモリーと共に出ることに決めます。自立という意味では喜ばしい再出発です。
しかし、いざ2人が独立し、スタンがショーで成功をおさめるとスタンの雰囲気は一変。明らかに家父長的な態度をとり、モリーもすっかり従わされてしまっています。
まさしくスタンは人を掌握するという快感に酔いしれてしまっており、それは権力の甘い汁でもあり、こういうエンターテイナーは今のメディアにもいっぱいいますよね(それこそ論客的な男性とか)。
その自己陶酔がピークに達しているときに出会うのがリリス・リッター博士です。リリスとは共犯関係になり、死者と会話したいと依頼してくる富裕層を巧妙に騙していくのですが、一方でリリスはスタンをセッションとして分析していきます。
ここで一応はリリスは心理学者ということになっていますが、きちんとした科学ではなく、彼女のそれはおそらくサイエントロジーを題材にしているのだと思います。要するに疑似科学であり、後半はこの「スタンの言葉巧みなリーディング詐欺vsリリスの疑似科学的なマインドコントロール」のバトルが静かに勃発することに…。ちなみに原作者の“ウィリアム・リンゼイ・グレシャム”はこういう奇術や疑似科学を暴くことに関心があってそういう著作も多い人でした。
それにしてもリリスを演じる“ケイト・ブランシェット”があまりにも強敵オーラがでていて、私なら30秒足らずで自分の弱音を吐露していそうだ…。
もうやり直せない、抗えない
そんな他人の心を掌握することに快感を得ていくスタンはのめり込むあまり、ついに一線を越えてしまいます。亡き妻に未練を残すエズラ・グリンドルの要望で幽霊と対面させるために、モリーにグリンドルの妻の格好をさせて目の前に立たせるという、やりすぎな行為を決行。その結果、グリンドルは本性を現します。つまり、グリンドルはDV的な行為をしており、妻の死にもおそらく関与している、最低な男だったのでした。キャリア欲しさに心を弄んだ結果の末路。それはスタンにとって自分の父を思い出せるもので…。
これ以外にもフェリシア・キンボールのあの無理心中など、本作はエグさが増量していましたね。
エディプス・コンプレックスに溺れ、無意識のうちにアルコールに手を出し、気が付けばアルコール依存症に陥っているスタン。モリーにも見捨てられ、全てを失ったスタンが流れ着いたのはまたしてもカーニバル。そこでもう一度やり直そうとするも、座長から提案されたのは「獣人になること」。
ここでの“ブラッドリー・クーパー”の乾いた笑いの演技がまた一級品です(何度もリテイクして納得できる演技をやったらしい)。
今回の『ナイトメア・アリー』は“ギレルモ・デル・トロ”監督がしっかり原作を映像化することにこだわり抜いており、観やすさが向上しました。今作ではオチがかなり明快にキマっているのでわかりやすかったでしょう。
あとやっぱり全体のデザインが格別ですね。フリーク・ショーの描き方もとても細かなリアリティがあって、もっとあの世界を見たくなります。小物使いもいいです。とくに作中で随所に意味深に登場する3つの目を持つホルマリン漬けの胎児。ある意味で本作の寓話の行く末を見つめる神様的(いや、悪魔的と言うべきか)の視点であり、不安感を与えるのですが、“ギレルモ・デル・トロ”監督なので単なる怖い小道具ではおさまらない感じもある。独特の味わいをもたらしていました。
“ギレルモ・デル・トロ”監督はオタク的な作家性が一番に挙げられますが、それでもしっかりエンターテインメント・ショーの偽善、疑似科学やスピリチュアリズムの危うさ、有害な男らしさの呪縛、白人特権といったテーマを巧みに盛り込める。この才能はやはり凄いなと今作でも痛感しました。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 80% Audience 68%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2021 20th Century Studios. All rights reserved.
以上、『ナイトメア・アリー』の感想でした。
Nightmare Alley (2021) [Japanese Review] 『ナイトメア・アリー』考察・評価レビュー