ハムレットを劇的に再解釈!…映画『オフィーリア 奪われた王国』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:イギリス・アメリカ(2018年)
日本では劇場未公開:2020年にDVDスルー
監督:クレア・マッカーシー
オフィーリア 奪われた王国
おふぃーりあ うばわれたおうこく
『オフィーリア 奪われた王国』あらすじ
平民だったオフィーリアは王妃ガートルードに気に入られ、侍女になることができた。しかし、城では身分の違いから周囲に冷たい扱いをされることも多く、オフィーリアは孤独を感じていた。そんなとき、異彩を放つ彼女の姿はハムレット王子の目を惹き、禁断の愛が芽生えていく。ところが、城で起きた波乱の出来事により、オフィーリアの運命は狂いだし、自分の物語を選択することに…。
『オフィーリア 奪われた王国』感想(ネタバレなし)
ほとんど二次創作!?
映画は普通の人よりはたくさん観ている私ですけど、お恥ずかしながら文学作品はそれほど親しんではいないです。自分の時間的リソースを可能な限り映画に注いでしまっているので…。
でも言い訳をさせてください。
文学は映画よりもはるかに歴史が桁違いに深いじゃないですか。映画の歴史なんてリュミエール兄弟を起点するとしてもたかが100年ちょっとですよ。そう考えると映画は初心者向きでコスパがいいですよね。同じく歴史が浅い「ゲーム」という作品群もありますけど、あれは1作を堪能するのに下手したら100時間以上かかり、操作テクニックも必要になりますし…。いやぁ、映画って易しいなぁ…。もちろんだからと言って舐めているわけではなく、映画も奥深いですけどね。
その文学作品の中でも著名なのにちょっと手を出しにくいなと思うのが「シェイクスピア」です。かの有名なウィリアム・シェイクスピアの作品は私も読んだものがいくつかありますけど、ちょっと語りづらい。それくらい簡単に語っちゃいけないようなハードルの高さを勝手に感じてしまうのです。でもなにせ文学の礎になってますからね。つまり文学を土台にする映画にも無視できない存在なわけで。いつまでも逃げることもできません。
そんな中、四大悲劇として語られる「マクベス」「オセロ」「リア王」に続く「ハムレット」が最近になって映画化されたと聞いて、これは後退できん!と勝手に自分を振るいたたせて観たわけです。
それが本作『オフィーリア 奪われた王国』です。
でもこの本作、「ハムレット」の一般的な映画化ではありません。そもそも「ハムレット」はこれまで幾度となく映画化されてきました。例えば、1948年のローレンス・オリヴィエ監督のイギリス映画版はその年のアカデミー賞で作品賞を受賞しましたし、1964年のグレゴリー・コージンツェフ監督によるソ連映画版はヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞。他にも1990年のフランコ・ゼフィレッリ監督作、1996年のケネス・ブラナー監督作、さらには2000年のマイケル・アルメレイダ監督作では舞台を現代のニューヨークに置き換える大胆な改変がなされ、2006年の香港・中国映画版『女帝 [エンペラー]』では中国王朝時代を舞台に移しています。
では本作『オフィーリア 奪われた王国』は何が違うのかと言うと、もうタイトルでバレバレだと思いますが、主人公が「ハムレット」のヒロインのひとりである「オフィーリア」になっているのです。しかも、それはオフィーリアの視点にしました!みたいな軽いアレンジではありません。詳しく書くとネタバレになって面白くないので控えますが、もはや限りなく別物なんじゃないか?というレベルの劇的な改変がなされています。ほとんど二次創作の同人誌ですよ。なんでも原作があるらしくリサ・クレインという人が書いた小説らしいです。
なので厳格なシェイクスピアの原典を第一に考える人にしてみれば猛反発を受けてもしょうがないのですが、私はまあいいんじゃない?くらいに思いました。むしろ正直に言って本作のアレンジは思い切りがよくて好きです。これくらい開き直って改変されるとこっちも「いいぞ!いいぞ!」と応援したくなります。なんか『高慢と偏見とゾンビ』と同じ感覚かな。
そんな大胆不敵な『オフィーリア 奪われた王国』を生み出した監督が“クレア・マッカーシー”です。オーストラリアの映画人で、これまで『The Waiting City』(2009年)、『Little Hands』(2011年)などの作品を手がけてきたみたいですが、私は本作で初めて触れる監督です。
そして肝心の主人公オフィーリアを堂々と演じるのが、『スター・ウォーズ』続3部作で新主人公という大役を任せられ、その重圧の中で見事にやり遂げてみせた“デイジー・リドリー”です。本作は2018年の作品なのでたぶん『スカイウォーカーの夜明け』を撮る前に撮影したのだと思いますけど、まさに彼女だからこその新生オフィーリアという感じですね。別に今回は光る剣を振り回したりはしないですけど、やはり経験値が凄いので貫禄がある…。
他の気になる登場人物を演じるのは、王妃ガートルードを“ナオミ・ワッツ”が熱演。作中では年をとったことを気にしている描写があるのですが、もう“ナオミ・ワッツ”自身50代なのに全然若く見える。本作では実は別のキャラもダブルで演じているのですが、それは観てのお楽しみ。
ハムレット王子を演じるのは、『1917 命をかけた伝令』で主人公として画面にずっと映っていたので顔を覚えちゃった人も多いでしょう、“ジョージ・マッケイ”です。
また、国王の弟であるクローディアスを“クライヴ・オーウェン”が、オフィーリアの兄であるレアティーズを“トム・フェルトン”(『ハリー・ポッター』のマルフォイ役と言えばわかるはず)が演じています。
日本では劇場公開されずにWOWOWで放送された後に、ビデオスルー&配信スルーとなったのですが、なかなか見逃すには惜しい一作です。「ハムレット」を知らない完全に新規の人にもあえてオススメできるとすら思うので、ここからシェイクスピア・デビューするのもユニークで良い経験かもしれませんよ。
オススメ度のチェック
ひとり | ◯(題材に関心があるなら必見) |
友人 | ◯(文学好き同士で語り合おう) |
恋人 | ◎(ロマンスもたっぷり) |
キッズ | ◯(子どもでも鑑賞可能です) |
『オフィーリア 奪われた王国』感想(ネタバレあり)
私の物語を私が語ろう
映画の冒頭、静かな小川に浮かぶオフィーリアの映像から始まります。これは知っている人は当然のように知っている、「ハムレット」のオフィーリアのシーンで最も有名な場面。オフィーリアが死亡してしまった作品随一の悲劇を象徴する一幕です。
しかし、作中でのそれは、何か私たちの知っているあの場面とはちょっと違います。そして彼女の声でナレーションが流れます。
「私の物語は知っているだろう。大勢が語ってきた。今や遠い昔のこととなり、神話になった」「皆が思う以上に私は天国と地獄を見てきた。でも常に自分を持ち心の声に従って行動した。そしてようやく私の物語を自ら伝える時が来た」
まだ少女であるオフィーリアは兄のレアティーズについていき、無邪気に駆け回っていました。「私も勉強したい」とねだるも平民の女にそんな選択はありません。それでも好奇心を抑えられないオフィーリアは、食事の宴をこっそり覗きます。そこには国王と王妃の両親の間に挟まれて佇むハムレット王子がいました。
机の下からその光景を覗くオフィーリアは、そこで話されている会話に「知恵の実に罪はない」と口出ししてしまいます。失礼な態度に慌てるオフィーリアの父ポローニアスでしたが、王妃ガートルードは怖いもの知らずに意見したオフィーリアを覗きこみ、顔の泥をとってくれます。
「私は女ですがレディにはなれません。男になるのは嫌だけど」…そう言い放つオフィーリアに、ガートルード王妃は「では私の侍女に」と提言。
それから数年後。成長したオフィーリアは侍女として王家に仕えていましたが、身分もあって、他の侍女たちからは陰口を言われており、本人もつまらなさそうに暮らしていました。
そんなオフィーリアの状況をガートルード王妃は察しているようです。そして「私と姉は城ではなくフランスの修道院で育った。いじめもあった。でも私には姉がいた」と身の上話を語ってくれました。ベッドに眠る王妃のために本を読むオフィーリア。その中身は信仰ではなく色恋沙汰の物語で…。
ある日、ハムレット王子が城に帰ってきます。城の近くの川で水浴びをするのが密かな楽しみだったオフィーリアでしたが、偶然通りかかったハムレット王子とその友人のホレイショーに見つかってしまいました。そして関心を持ったような態度を見せてきます。それはその時限りではなく、ハムレット王子はオフィーリアに好意を向けてくるのでした。
一方、自分が年老いたことを悲しむガートルード王妃に、国王の弟であり良からぬ噂が絶えないクローディアスが近づいてきて、キスをしていました。そんな情事を見てしまったオフィーリア。クローディアスはハムレット王子にも優勢を感じさせる高圧的な態度を示し、腹黒さを隠しません。
しかし、ハムレット王子が大学に戻ることになり、オフィーリアの恋模様は突然の中断。身分の格差を痛感し、失望します。
森に女が住んでいるので彼女から薬をもらってきてとガートルード王妃に頼まれたオフィーリアは「顔を見てはいけない」と忠告され、「魔女だから?」と聞きますが、その女は治療師で、名はメヒティルトだと聞きます。いざ不気味な場所へ行くと、王妃が求めているのは永遠の若さだとメヒティルトから教わります。
王はクローディアスをよく思っていないらしく、王妃と喧嘩するほどの状態。そして事件が起こりました。城が騒がしくなり、何事かと思えば、なんと庭で毒蛇に噛まれた王が亡くなったとのこと。取り乱す王妃。
ところが早々にクローディアスが王になってしまいました。ハムレット王子が急いで戻ってきて「もう喪が明けたのか」「母上を誘惑するとは」「まともなのは僕だけだ」と言葉を浴びせますが、クローディアスは動じません。「お前の王だ」と言い切るクローディアスにハムレットは渋々跪くことしかできず…。
激動に揺れる物語を“見ている”しかできなかったオフィーリア。ここから彼女は物語を動かす中心人物になることに…。
そこまでやっちゃうの!?
素人な私は「ハムレット」を初めて読んだとき、本音を言うとオフィーリアというキャラクターのことが全然理解できませんでした。なんというか、物語をドラマチックにするための舞台装置としてしか機能していないというか、そういうモノ的な存在で、心の通った人物には見えづらいと当時は思ったんですね。
しかし、この「ハムレット」におけるオフィーリアというのは、どうやら文学評論家の間でもいろいろな解釈がされているようで、フェミニズムの視点で分析されることもあるようです。フェミニストな文学者の中には、オフィーリアを「ヒステリックな女性」というステレオタイプさと、男性からの解放によって揺れ動く存在という、2つの視点から見る人もいます。
そしてこの『オフィーリア 奪われた王国』は、もうなりふり構わず振り切ってフェミニズムでリブートしたような一作になっていました。
別にこういうのは全然ありだと思います。最近だと『キング』なんかもそういうアプローチがあった作品でしたが、こと演劇で題材になるような物語はこういうアレンジは珍しくないでしょう。
ただ、『オフィーリア 奪われた王国』の場合はそのアレンジが、ほぼジャンル映画化したような飛躍になっており、粛々とした元のシェイクスピア原作のイメージからはかなり逸脱したと思います。これは好みがわかれるのも無理はないかなと。
とくに終盤の展開はやりたい放題です。まずオフィーリアが薬を使って死を偽装するという展開は、完全にファンタジーの領域。ちなみに例の小川で倒れて死んだように思われることになりますけど、あれじゃあいくらなんでも水死してしまうだろうに…。あれか、フォースか、そういう力なのか。
で、墓の棺からホレイショーに掘りだされ、メヒティルトの解毒剤で完全に復活した後、男勝りな兵士になる。このへんも見た目はカッコいいけど、必要だったのかという根本的な疑問は残る…(別に女性のままでも抜け出せたよね)。
さらに極めつけはガートルード王妃が剣をクローディアス王に向けて突き刺し、メヒティルトが率いる兵士の乱入です。ここまでやっちゃう!?という大事件。もう『ゲーム・オブ・スローンズ』だ…。
あの大波乱の後、あの城はまとまるのか、さっぱり謎なのですけどね…。作中ではそのあたりの現実問題は無視して、盛大にぶん投げたうえでやや強引に(いや相当なパワープレイで)物語の幕を閉じます。
熱量は物語を書き換える
でもあくまで私の感想ですけど、『オフィーリア 奪われた王国』の吹っ切れた感じ、私は好きです。ちょっとタランティーノ感があるというか。物語なんだから何をしてもいい、それが物語の力だろう!という潔さがありますよね。
フェミニズムとかそういう能書き的な解説は置いておいても、こういう物語がさらなる物語で上書きされていくというのは、創作の世界では普通にあるし、なんだったらその熱量があるからこそ長い歴史の中で作品が受け継がれていくわけで…。今では同人誌文化とかでプライベートなファンベースでも活発に起きていることですし。『オフィーリア 奪われた王国』はまさにアツさで押し切る一作です。
個人的には“デイジー・リドリー”主演の『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』でイマイチ消化不良で予定調和に終わった雪辱を、この『オフィーリア 奪われた王国』で晴らしているような感じさえする…。これくらい名作が持つ古い鎖をぶった切ってくれたら最高だったのですけどね…。
ある意味、もうひとりのヒロインであるガートルード王妃の描写も良くて、今作では“ナオミ・ワッツ”がメヒティルトもダブルで演じており、一種の二重人格的な二面性を象徴しています。このまま男社会に迎合する道を選びかけるガートルード王妃の女性的側面と、社会に排斥されて苦汁を舐める生き方しかできないメヒティルトの女性的側面。その二人が自分の殻を壊して一歩踏み出した時、両者は邂逅し、一人の女性に合体するかのようにガートルード王妃は命を絶つ。この展開もなかなかにアツいです。
男たちの描写も違った意味での役割を担うことになり、それはそれで面白いキャラクター性になっています。とくに今作のハムレット王子は、“ジョージ・マッケイ”が演じているせいか、どことなく未熟さが前に出て感情だけで突っ走っている感じに見え、主体性に目覚めていくオフィーリアと良い意味で対になっていました。
クローディアスは相変わらずの悪者っぷりで、さすが“クライヴ・オーウェン”。ちなみに作中で黒ローブ姿で登場するシーンがありますけど、完全に“デイジー・リドリー”と合わさると某“スターでウォーズ”の闇の奴を連想してしまう…。いつ赤い光る剣や電気ビリビリを出してくるかとハラハラした…。
私は結構昔の作品をガンガンにアレンジしていくのは嫌な人間ではないので、これからもあれとかこれとか、お構いなしにリニューアルして楽しませてくれるといいなと期待しています。こうやって間口を広げておけば新規ファンも増やせるでしょうしね。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 61% Audience 60%
IMDb
6.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)IFC Films
以上、『オフィーリア 奪われた王国』の感想でした。
Ophelia (2018) [Japanese Review] 『オフィーリア 奪われた王国』考察・評価レビュー