それは美味しくもないですよ…映画『ノスフェラトゥ(2024年)』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2025年5月16日
監督:ロバート・エガース
性暴力描写 性描写 恋愛描写
のすふぇらとぅ
『ノスフェラトゥ』物語 簡単紹介
『ノスフェラトゥ』感想(ネタバレなし)
ロバート・エガース監督版の「ノスフェラトゥ」
1897年に出版されたアイルランドの小説家“ブラム・ストーカー”による怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』。その小説を元にやや改変して映画化したのが、1922年の“F・W・ムルナウ”監督の『吸血鬼ノスフェラトゥ』です。
このドイツ表現主義を象徴するサイレント映画で大々的に有名になったのが「ノスフェラトゥ(Nosferatu)」という言葉。独特の語感があって一度聞くと印象に残りますよね。
創作物界隈では「吸血鬼のことをルーマニア語で“ノスフェラトゥ”と呼ぶ」とまことしやかに語られているので、そうなんだと思ってしまうのですけど、なんとこの「ノスフェラトゥ」という言葉は語源が不明なんだそうで、なかなか面白い単語です。
諸説があるのですが、ルーマニア語に精通していない人たちがルーマニア語を勘違いして広めてしまったのではないか…なんて説もあるほど…。「知ってる? ルーマニア語には“ノスフェラトゥ”って言葉があるんだよ」…という感じか…。想像つきそうな会話だな…。
そんな謎めいた「ノスフェラトゥ」という言葉ですが、2024年も映画に冠されました。
それが本作『ノスフェラトゥ』。
本作は“ブラム・ストーカー”の小説のほうではなく、それを元に改変した1922年の映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』をリメイクしたゴシックホラー映画です。あくまで1922年の映画『吸血鬼ノスフェラトゥ』に沿った作りになっていて、なのでその映画の脚本家の“ヘンリック・ガレーン”が原作にクレジットされています。
1979年に“ヴェルナー・ヘルツォーク”監督によって『ノスフェラトゥ』という同じタイトルでリメイクされてもいますし、実は2023年にも“デヴィッド・リー・フィッシャー”監督によってリメイクされたばかりなのですが、吸血鬼映画は多すぎてどれが何のリメイクでどこまでオリジナルなのか、わからなくなりがちですね…。
今回の2024年の『ノスフェラトゥ』は、監督はあの“ロバート・エガース”。『ライトハウス』や『ノースマン 導かれし復讐者』など、徹底的に作りこまれたビジュアルで禍々しさが尋常ではない不吉な物語を語る才能に定評があります。


今作も“ロバート・エガース”監督版『ノスフェラトゥ』として我が物にしています。これだけ作家性が濃くありつつ、インディーズ流の作り方を維持できているのは恵まれてますね。
俳優陣は、ドラマ『THE IDOL/ジ・アイドル』の“リリー=ローズ・デップ”、『陪審員2番』の“ニコラス・ホルト”、『クレイヴン・ザ・ハンター』の“アーロン・テイラー=ジョンソン”、『憐れみの3章』の“ウィレム・デフォー”、『デッドプール&ウルヴァリン』の“エマ・コリン”、『オーメン:ザ・ファースト』の“ラルフ・アイネソン”、『ほの蒼き瞳』の“サイモン・マクバーニー”など。
そして吸血鬼ノスフェラトゥを怪演するのは、『IT/イット』で狂気のピエロになりきっていた“ビル・スカルスガルド”。今作でも豹変しています。もうずっとこの路線でいくのかな…。確かにすっごい才能なんだけども…。
元の映画を知っている人も、知らない人も、“ロバート・エガース”監督版『ノスフェラトゥ』の残忍な世界を覗いてみたいならぜひどうぞ。
『ノスフェラトゥ』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 性暴力を示唆する描写があります。 |
キッズ | 激しく残酷な描写が多く、小さい子の鑑賞には不向きです。 |
『ノスフェラトゥ』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
孤独に沈んでいたエレンという名の少女は頼れる人もおらず、暗がりで超自然的な存在に「私の声を聴いて」と涙ながらに懇願していました。すると「何か」が応えます。その囁くような声に導かれて開け放たれた窓に近づき、揺らめくカーテンの奥にいる存在に身を捧げ…。エレンは誓います。迂闊に…決して委ねてはいけない相手に…。
年月は経過し、1838年、エレンは不動産業者のトーマス・ハッターと結婚し、ドイツのヴィスブルクに住んで、穏やかに暮らしていました。
仕事に燃えるトーマスは雇い主のハー・ノックから、老朽化した城を売却したいというオルロック伯爵による高額な依頼を引き受けることになります。上手くいけば大きな商談です。逃がせません。これで妻との暮らしももっと安定するかもしれません。またとないチャンスに飛びつきます。
オルロック伯爵は世間から離れて隠遁生活を送っているらしく、トーマスもよく知りません。
その仕事のためにトーマスはしばらく不在にしないといけません。それをエレンに伝えると、不安を抱えるエレンは嫌がります。しかし、こればかりはどうしようもないです。
そこでトーマスはエレンの世話として、裕福な友人のフリードリヒ・ハーディングに頼みます。彼は妻アンナ、そして2人の幼い娘クララとルイーズがいて、家は賑やかです。ここなら寂しくもないと考えてのことでした。
トーマスは単身で出発し、エレンは名残惜しそうにキスをして見送ります。
オルロック伯爵はトランシルヴァニアのカルパティア山脈の奥地にいました。トーマスはまず馬で近くの村まで行きます。泊まりたいと交渉しますが、どうやらオルロック伯爵はこの地元の人たちから避けられているようです。理由は不明です。だからと言って引き返すという選択肢はありません。
その夜、ふと目覚めたトーマスは近くの森でロマの一団が何やら死体を掘り起こしている異様な現場を目撃しました。しかも、その死体に杭で突き刺すと、まるで息づいているように血を吐いたのです。あれは死体ではないのか、だったら一体何なのか…。
気づくとベッドの上にいました。足は泥で汚れているので、外に出たのは事実のようですが、悪夢のようでもありました。不自然に記憶がありません。
起きて部屋から出ると村に誰もいません。馬もいなくなっていて、昨日の賑わいがまるで嘘のようです。一夜にして廃墟になるなんてありえません。でも目の前のこの事態はなぜ…。
トーマスはオルロック伯爵の城を目指して大自然を徒歩で進むしかなくなります。そして、さらに衝撃の体験をすることに…。
さまざまな暗示をみせる影のビジュアル

ここから『ノスフェラトゥ』のネタバレありの感想本文です。
“ロバート・エガース”監督版『ノスフェラトゥ』は、監督の十八番とも言えるビジュアルのこだわりが全編にわたって世界観の格調を底上げしており、最新の視覚効果でクラシカルな雰囲気を味わえるという体験を提供してくれます。
とくに今作は影の演出がいいですね。影というのは単なる光の当たらない暗がりではなく、本作ではさまざまなメタファーになっています。
冒頭からエレンに忍び寄る揺らめくカーテンの裏にいるような影は、抑圧的な家庭環境で孤立していた少女の精神的不安を暗示しています。また、オルロック伯爵がエレンのいる街についに辿り着いたときの、手の影が街の全景で伸びていく上空からのカメラアングルも、目に見えぬ疫病の拡大が恐ろしく表現されています。
それに何と言っても吸血鬼の描写が欠かせません。
元の映画…1922年の『吸血鬼ノスフェラトゥ』の時点で「ドラキュラ伯爵」ではなくて「オルロック伯爵」に名前が変わり(著作権侵害を避けるためという通説)、わりと独自色の強いキャラ造形でした。
当時で演じていたのは“マックス・シュレック”で、『魔人ドラキュラ』(1931年)の“ベラ・ルゴシ”の吸血鬼と比べると、より非人間的な異形さが際立つ佇まいでした。
2024年の“ロバート・エガース”版の“ビル・スカルスガルド”演じるオルロック伯爵ことノスフェラトゥは、“マックス・シュレック”をリスペクトしつつ、やはりメイクをふんだんに駆使して圧倒的にリアルに造形しているので、かつてないほどのおぞましさを放っています。
“ビル・スカルスガルド”の低い声が耳に残る…。喉が心配になる声だ…。
最初はその全身を詳細になかなか見せてこないという焦らし方もほどよく、独特なお出迎えだったり、オオカミを使役して襲わせたり、他の人を人ならざる者に変貌させたり(鳩さん…)、徐々に恐怖のギアを上げていきます。
船の惨状は、2023年の『ドラキュラ デメテル号最期の航海』でその舞台だけに絞って映画化されているので、そちらのほうがボリュームたっぷりですけども、今回の『ノスフェラトゥ』の船パートもかなり怖く描かれてはいました。
女性のセクシュアリティを描くにはその結末は…
“ロバート・エガース”監督版『ノスフェラトゥ』における被害者となる面々を見ていくと、まずトーマス・ハッター。
演じる“ニコラス・ホルト”は『レンフィールド』では吸血鬼の部下となってパワハラを受けるという役回りだったのに、今回の『ノスフェラトゥ』では吸血鬼が仕事の取引相手でカスハラ(カスタマーハラスメント)を受けるハメに…。いっつも吸血鬼に散々な目に遭う“ニコラス・ホルト”…不憫だ…。
今作では城についてから(城に着くまでの間でも酷い目に遭っているのだけど)、カスハラの連続です。「それをよこせ」と業務外の要求までされるわ、なんだかよくわからない書類にサインをするように脅迫されるわ、気を失って気づいたら変な傷ができているわ、軟禁状態になってパニックになるわ、川まで真っ逆さまに落下するわ…。
そりゃあ、あんな絶叫の顔にもなる…。
労災じゃ足りない…。労基は動いてくれますか? 絶対に対応してくれなさそう…。
いや、カスハラだって言うのは冗談に聞こえるかもですけど、オルロック伯爵みたいな陰湿な嫌がらせしてくる顧客はたまにいますからね…。そういう恐ろしく不気味でヤバい顧客がいたら、今度から皆さんその人のことを「ノスフェラトゥ」って呼べばいいですよ。
そして次の被害者はエレンです。
ただ、このエレンの描写に関しては元の映画どおりとは言え、さすがに「乙女の犠牲」というステレオタイプに実直すぎて、もうちょっと2020年代としてのアイディアはなかったのかと思いもしました。
ただでさえ、今作では“リリー=ローズ・デップ”はかなり艶めかしく演じてしまっているんですよね。官能的な演出を狙っているにせよ、少しやりすぎのような…。
もともとこの吸血鬼は伝承として「インキュバス」(女性を性的に襲う悪魔)と繋がりがあるとされ、本作での描かれ方もほぼそれをなぞっています。
同時に理解しておきたいのは、この時代において女性のセクシュアリティは過小評価され、ときに無視されてきたということです。女性が主体的に性に関心を持ち、性的快楽を得るのは異常とみなされ、「ニンフォマニアック・ヒステリー(nymphomaniac hysteria)」といった言葉で病気のように扱われてきました。結婚がそういった女性の「性の乱れ」を治療し、問題を解決すると信じられてきました。
作中のエレンも明らかにそういう扱いを受けています。登場するいかにも知識人ぶっているジーフェルス医師やアルビン・エバハート・フォン・フランツ教授ら男性たちは、エレンの女性としての自立的なセクシュアリティを認めず、外部に原因があるとみなします。
そんな中、エレンはどうするのかなと思って観ていたら、ノスフェラトゥに身を捧げ、実質的にはレイプされることで、社会を救った犠牲者になって終わってしまいます。無残な死体を映すだけのエンディングは、あまりにあっけないです。
他の結末もいくらでもできたでしょうし、女性のセクシュアリティを捉え直すならばそうするべきだったでしょう。最後にエレンがノスフェラトゥの亡骸を押しのけて平然と起き上がり、全裸のまま「さあ、お茶にでもしましょうか」と唖然とする男たちの前で言ってのけるとか、女性の性は何も恥じることでも罰せられることでもないと高らかに宣言するような切れ味のあるラストはあり得なかったのか?
今作の『ノスフェラトゥ』は女性を主体的に描くうえで着地を間違えている感じが否めません。“ロバート・エガース”監督の初期作の『ウィッチ』はまだ題材になっているのが魔女だったので、結末もあれで解釈を反転できる余地があったのですけど…。
ビジュアルは良質なだけに、物語の空振りが影を落としてしまった映画でした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
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以上、『ノスフェラトゥ』の感想でした。
Nosferatu (2024) [Japanese Review] 『ノスフェラトゥ』考察・評価レビュー
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