体験したくはない…「Disney+」ドラマシリーズ『アマンダ ねじれた真実』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
シーズン1:2025年にDisney+で配信
原案:K・J・スタインバーグ
セクハラ描写 恋愛描写
あまんだ ねじれたしんじつ
『アマンダ ねじれた真実』物語 簡単紹介
『アマンダ ねじれた真実』感想(ネタバレなし)
冤罪は身近に突然に
「冤罪」というのは一般的に「無実であるのに有罪として社会的にみなされ、何らかの刑罰を受けることになる」という状況を指します。とくに有罪判決を受けたわけではないものの、疑いを向けられたり、起訴されたりしただけでも、冤罪の範疇に入れる考えの人もいますが(ならこの世のだいたいの人が冤罪を経験していることになると思うけど…)、基本的には司法の用語なので、司法上の判決が大きな分岐点と言えるでしょう。
司法は「犯罪を犯した人と、犯していない人を適切に区別できる」ことを前提としています。そうであるべく司法のシステムがあり、ゆえに司法は「正義」を掲げています。冤罪がいわゆる「miscarriage of justice(正義の失敗)」と称されるのは、まさにそのためです。司法において起きてしまってはいけないこと…最も起きてはいけない過ちだからです。
日本でも2025年は「大川原化工機」事件(朝日新聞)や、佐賀県警で発覚した科学捜査研究所職員によるDNA鑑定不正事件(東京新聞)など、冤罪もしくは冤罪に直結する問題の話題が挙がっており、今も起きていることです。
しかし、どうしても自分事には考えにくいところも確かです。やっぱり「まさか自分が逮捕されて裁判で罪に問われる目に遭うはずがない」と誰しも思ってしまいますから。
でも今回紹介するドラマシリーズを観ると、冤罪の恐怖がより身近に感じるかもしれません。
それが本作『アマンダ ねじれた真実』。原題は「The Twisted Tale of Amanda Knox」。
本作は、2000年代に世界で起きた冤罪事件の中では最もセンセーショナルに世間をざわめかせたと評せるであろう「アマンダ・ノックス」をめぐる出来事を映像化した、実話の伝記ドラマです。
「アマンダ・ノックス」事件は非常に有名なのですが、知らない人のために簡単に紹介すると、2007年にイタリアのとある街でひとりの若い女性が惨殺される事件が起きたのですが、その容疑者の筆頭として現地警察に逮捕されたのが当時イタリアに留学していて被害者とルームメイトだった20歳のアメリカ人のアマンダ・ノックスだったのでした。
しかも、アマンダ・ノックスは検察の発表だけを鵜呑みにするマスコミによって「狂ったサイコパスの殺人鬼女」という過激な人物像として報じられ、すっかり世間は大騒ぎ。2009年に殺人の罪で懲役26年の有罪判決を受けたのですが、2011年に無罪の逆転判決がでて、最終的に2015年3月の最高裁判所で無罪が確定し、長い闘いが終わりを迎えます。
この件については2016年に『アマンダ・ノックス』というドキュメンタリーで整理されており、日本でも「Netflix」で観れるのですが、今回は2025年に伝記ドラマになったということです。
本作『アマンダ ねじれた真実』は“アマンダ・ノックス”本人もエグゼクティブ・プロデューサーとなっており、一部エピソードでは脚本にもクレジットされているなど、がっつり監修で参加していることが窺えます。
物語は、例の事件から最初の無罪判決までを主にアマンダ・ノックスの視点で描いたものです。当人直々にプロデュースですし、体験そのままを投影したリアリティはかなりあるのでしょうかね。
ショーランナーを務めるのは、ドラマ『THIS IS US/ディス・イズ・アス』の“K・J・スタインバーグ”。
アマンダ・ノックスを演じるのは、2017年の『浮き草たち』で長編映画デビューし、ドラマ『テル・ミー・ライズ』で主演もした“グレイス・ヴァン・パタン”。ちなみに、“グレイス・ヴァン・パタン”の父親は、あのドラマ『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』で有名な“ティモシー・ヴァン・パタン”です。
共演は、ドラマ『ZeroZeroZero 宿命の麻薬航路』の“ジュゼッペ・デ・ドメニコ”、『ドッグマン』の“フランチェスコ・アクアローリ”、ドラマ『バッド・シスターズ』の“シャロン・ホーガン”など。
『アマンダ ねじれた真実』は全6話。日本では「Disney+(ディズニープラス)」で独占配信中です。
『アマンダ ねじれた真実』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 圧迫的な尋問や性的な嫌がらせを描くシーンがあります。殺害の瞬間や死体を直接的に映すことはありません。 |
キッズ | 殺人を扱っているので注意。 |
『アマンダ ねじれた真実』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(序盤)
アマンダ・ノックスは1987年7月9日にワシントン州シアトルでエッダとカートの両親の間に生まれた長女でした。親は1986年のパーティーで出会い、すぐさま意気投合。温かい家庭でしたが、離婚し、母エッダはクリスという新しい夫と再婚しました。
それでもアマンダはすくすくと成長し、周囲から変人呼ばわりされても気にしません。「foxy noxy」というあだ名も慣れたものです。
19歳の頃に海外に興味を持ち、とくにイタリアに行くことに憧れていました。おカネをため、両親の承諾も得て、ついに20歳の大学3年生の時にイタリアへの交換留学プログラムに参加が決定。お見送りパーティーをしてもらいつつ、単身で異国へ向かったのでした。
住む場所に選んだのはイタリアのペルージャ。古い街並みが残る歴史ある地です。
ここでアマンダは、3人のルームメイトとシェアハウスしていました。ローラ、フィロメーナ、そしてメレディス・カーチャーです。ふざけあったり、男子を連れ込んだり、よくある学生らしいライフスタイルを送っていました。
2007年11月2日午前10時13分。アマンダは一夜を共にしたボーイフレンドのラファエレ・ソッレチートの部屋で起床します。まだたどたどしいイタリア語で話しかけ、2人は親密です。ラファエレは名残惜しそうにしていたものの、アマンダはキスをして部屋を出て、意気揚々と歩いて家に戻ります。
家のドアはなぜか開きっぱなしでした。声をかけても返事はないです。アマンダはシャワーに浴び、髪をドライヤーで乾かしているとトイレに排泄物がそのままなのに気づき驚きます。そう言えば浴室にも蛇口やバスマットなどに赤い跡が…あれはまさか血で、何か事件があったのか…。
慌てて家を飛び出し、メレディスに電話をかけます。家にはメレディスがいたはずで、部屋は施錠されていました。しかし、電話は留守メッセージしか流れません。何かおかしい…。
正午過ぎ、怖くなってボーイフレンドのラファエレに来てもらい、一緒に家を調べることに。フィロメーナの部屋の窓が割れており、侵入の痕跡がありました。急いでフィロメーナにも電話をかけます。
メレディスの部屋のドアを叩きますが、やはり反応はありません。アマンダは何とか入れないかと焦ります。
そうこうしているうちに警察官2人が到着しますが、どうやら発見した携帯電話について調べるために来たテクノロジー専門の担当のようです。話が合いません。ラファエレに通訳してもらいながら、必死に説明。
やがてフィロメーナが他の2人の友人と共に到着し、イタリア語が流暢に聞き取れないアマンダは、状況が不穏になっていく現場で、理解が追い付きません。そのとき、メレディスの部屋のドアを蹴破って突破。中の状況を目にして他の人たちが騒然とし…。
警察が本格的に急行し、現場の調査が行われ始めます。外でアマンダは茫然自失。まだ何が起きたのかよくわかっていません。ラファエレがメレディスの遺体が発見されたらしいと説明し、それでもアマンダはにわかに信じられません。不安になり、外でラファエレとキスしますが、その姿はメディアと刑事に目撃されていました。
午後3時。警察はアマンダを取り調べに連行し、そこで通訳の人から初めて「メレディスが殺された」と知り…。
言葉の通じない恐怖

ここから『アマンダ ねじれた真実』のネタバレありの感想本文です。
誰しもがきっと疑問に感じるところは「なぜアマンダ・ノックスはあれほどまでに疑われたのか?」だと思うのです。「きっとアマンダに落ち度があったに違いない…」となおも批判的に追及する人もいるかもしれません。実際、無罪が確定した後も、今もアマンダ本人への非難は続いているようで、一度でも悪評がこびりつくといつまでも好き勝手に蒸し返される、今のポスト真実の世相だと逃げ場なしなのでしょうか…。
それでも本作は言い訳を述べるわけでもなく、冤罪というのはこうやって起きていくというありのままの実態を映し出していたと思います。これはアマンダ個人の弁論というよりは、世間に対する「気を付けて」という警句みたいな作品と言えるのかな。
まず今回の事件。ものすっごくフィクションのクライム・ミステリーみたいですよね。イタリアの古風な街並みを舞台に若い女性が殺されるんですよ。実話だと知らなければ、「うわ、ベタなシナリオ書くな~」とか思っちゃいそうです。
このフィクションっぽさが世間による事件に対する大衆化された反応を刺激している面も否めないな、と。みんな推理小説でも読んでいる気分で、自由気ままに考察をぶつけて、当事者を弄んでしまいやすい土壌がすでにあった感じです。
これをドラマ化すると、本当にわざとらしい設定のドラマに見えてしまいますけどもね…。
そのうえで本作で強調されるのは、外国語翻訳におけるミスコミュニケーションです。
これはフィクションでは無かったことにされがちな現実で、よく異国を舞台にした作品でも登場人物は英語を話していたりして、意思疎通に困るような描き方にはしません。しかし、本作はちゃんとイタリア語がずっと話され、言語間の通じなさが嫌というほどに描かれます。
たぶん本作を観ていて既視感があった人もいたと思います。異国での「言葉の通じない恐怖」というやつ。「See you later」とか、ささやかな会話すらもとんでもない解釈に逸れていく…。それにしたって、アマンダは隣にいるのが弁護士だと気づかないほどに情報が遮断されており、あまりに可哀想な状況でしたけどね。
この通じなさは警察&検察にはむしろ都合がよく、圧迫的な尋問の中で情報がチェリーピッキングされていくさまが生々しく描かれていました。
結局、この一件の背景にあるのは外国人差別(ゼノフォビア)ですよね。事件と関係ないのに執拗に「アメリカ人」を強調されるし、余所者に対する疑心暗鬼に他なりません。こういう翻訳を警察が有利にコントロールしてしまう事案は日本でも起きています(ハフポスト)。
ただ、アメリカの白人は自分たちがマジョリティだと無自覚で思っているので、こういう外国人差別の対象にされるのは予想外なのかもしれませんが…。
さらにアマンダは女性差別のターゲットにもなっています。「性に奔放でふしだら」というレッテルを貼られていく様子は典型的な女性蔑視ですし、それこそ魔女狩りと同じです。
偏見が入り乱れ、錯綜し…
『アマンダ ねじれた真実』では、アマンダだけでなく、ボーイフレンドのラファエレ・ソッレチートの視点も少し描かれます。
彼はイタリア人で、イタリア語も堪能ですが、やはり容疑者となり、有罪判決を受けてしまいます。ラファエレの冤罪に繋がった背景として本作で描かれているのが、異文化への偏見です。
イタリアの検察側は、メレディス・カーチャー殺害事件は、日本サブカルオタク(作中にも子どもの頃にアニメを観ている描写がある)だったラファエレの持っていた吸血鬼を描いた“暴力的で性的な”日本の漫画(具体的には『BLOOD THE LAST VAMPIRE』らしいです)にヒントを得たと推察しています。無論、因果関係を示す証拠は何ひとつありません。しかし、「デイリー・テレグラフ」などのメディアは、漫画に影響を受けてアマンダとセックスカルトを興じていたと好き放題に書きたてました。
一方、パトリック・ルムンバも同時に逮捕され、彼はあからさまに「黒人」というだけの理由で容疑者にさせられた人種差別的な冤罪です。きっかけはアマンダの発言ですが、本作では圧迫的な尋問の中で、人種差別的な先入観を誘導される姿が描かれていました。
本当はパトリックの視点もあるといいのですが、彼は体験を詳細に語っていないようなので、ちょっと本作に入れ込みづらかったのは、まあ、しょうがないかな、と。
逆にジュリアーノ・ミニーニ検事の視点は余計だったのはとは思いましたが…。幼い頃から逮捕された女性を眺めるのが趣味みたいな描かれ方でしたけど、今回の問題は個人よりもどうしたってシステムにあるでしょうし…。
全体的にボリューム不足は否めず、そこは残念なところです。とくに第6話は駆け足で、もうちょっと有罪判決後のアマンダの心境をゆっくり見たかったかな。
でも服役する中でイタリア語が上手くなり、ちゃんと自分の言葉で潔白を伝えるシーンは良かったですね。「通じなさ」を「通じる」で上書きする…転換として綺麗な着地です。
冤罪を防ぎたいなら、まず自分が他者を安易に悪魔化しないこと、見えざる偏見を意識すること、そして権力が正義の責任を果たすように問い続けること。
それを思い出させてくれるドラマでした。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)20th Television
以上、『アマンダ ねじれた真実』の感想でした。
The Twisted Tale of Amanda Knox (2025) [Japanese Review] 『アマンダ ねじれた真実』考察・評価レビュー
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