オチは言わないように…映画『ザリガニの鳴くところ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2022年)
日本公開日:2022年11月18日
監督:オリヴィア・ニューマン
性暴力描写 DV-家庭内暴力-描写 児童虐待描写 性描写 恋愛描写
ザリガニの鳴くところ
ざりがにのなくところ
『ザリガニの鳴くところ』あらすじ
『ザリガニの鳴くところ』感想(ネタバレなし)
ザリガニが主題ではないけど
ザリガニは英語で何と言うか知っていますか?
日本ではザリガニは身近な生き物として知られていますが、カニやエビと比べて英語名の知名度は低いです。たぶん商業的な利用価値は低いからなのかな…。
川にいるあのザリガニは英語では「Crayfish」と言います。私は動物学を学んでいたのでこの英名も知れたのですが、最初に知ったときは「なんでこう呼ぶの?」と思ったものです。「fish(魚)…まあ、水の中にいるからか…でもなぁ…」とイマイチ釈然としない感じだったのですが、よく調べるとこの「Crayfish」の語源は中期フランス語「crevice」で、要するに「fish」なのはこじつけみたいなものなんですね。だからそんなに意味はありません。
一方でザリガニにはもうひとつ英名があって「Crawdad」と呼んだりもします。地域特有のスラングらしいですが、こちらは愛称みたいで親しみやすい言い方ですね。
そんなザリガニの名を冠した一見するかなりヘンテコなタイトルの映画が今回紹介する作品です。
それが本作『ザリガニの鳴くところ』。
え? ザリガニって鳴くの?…とキョトンとしてしまいますが、本作は“ディーリア・オーウェンズ”が2018年に上梓した小説を原作としています。この“ディーリア・オーウェンズ”というアメリカの作家がまた一風変わったキャリアの経歴があり、もともとは動物学者だったのです。2018年になって初めて小説家として本格的にデビューし、いきなりベストセラーに。
その小説の映画化を真っ先に進めたのが、“リース・ウィザースプーン”でした。“リース・ウィザースプーン”は俳優として活躍してきましたが、最近は製作でも業界を先導しており、とくに女性に焦点をあてた作品を次々と生み出しています。『ゴーン・ガール』(2014年)、ドラマ『ビッグ・リトル・ライズ』(2017年~)、『ルーシー・イン・ザ・スカイ』(2019年)、ドラマ『ザ・モーニングショー』(2019年~)など野心的な作品をどんどん世に送り出し、最近も小説を映画化した『私は世界一幸運よ』をプロデュース。
今は「Hello Sunshine」というスタジオを率いていますが、そんな“リース・ウィザースプーン”が製作に関わっている『ザリガニの鳴くところ』。当然、この作品も女性が主題となっている物語です。
主人公はひとりの若い女性で、湿地帯の森に暮らしています。そんな女性の生活と、とある事件に巻き込まれて容疑者として追及されていく姿を描いており、ジャンルとしてはミステリーサスペンスです。ゆえに本作はネタバレ厳禁なタイプです。とくにオチが非常に重要になってくるので、余計な検索とかはしない方がいいです(もう原作小説は日本でも翻訳されているので結末はネットに流れています)。
でもこれだけはネタバレしておきます。ザリガニは別に重要ではない…。あれです、雰囲気で関心を持たせるためのタイトルですよ。
ただ、原作者が動物学者ということで、ミステリーサスペンスの仕掛けに動物学的な知識が使われていたりします。それは見てのお楽しみ。
監督は、『ファースト・マッチ』の“オリヴィア・ニューマン”。
主人公を演じるのは、ドラマ『ふつうの人々』で注目を集め、『フレッシュ』やドラマ『アンダー・ザ・ヘブン 信仰の真実』などで印象的な演技を見せている“デイジー・エドガー=ジョーンズ”。今後も伸びていく若手だと思います。
共演は、『シャドウ・イン・クラウド』の“テイラー・ジョン・スミス”、『ブルックリンの片隅で』の“ハリス・ディキンソン”、『グッドナイト&グッドラック』の“デヴィッド・ストラザーン”など。
映画『ザリガニの鳴くところ』はミステリー好きにはオススメです。ただし、本作は児童虐待、DV、性暴力の直接的な描写があるので、そのあたりは留意してください。
原作を知っている人も、映画版は自然風景などを演出に活かして、独自の綺麗な映像化になっているので新鮮に楽しめるのではないでしょうか。
『ザリガニの鳴くところ』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :ミステリー好きなら |
友人 | :謎解き系ではないけど |
恋人 | :異性愛ロマンスあり |
キッズ | :子どもへの暴力描写あり |
『ザリガニの鳴くところ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):湿地の娘の秘密
1969年10月30日。ノースカロライナ州のバークレー・コーヴ。自転車に乗った2人の子どもが森の沼地付近で死体を発見します。警官が到着し、すぐに現場検証が行われます。
死体の身元はチェイス・アンドリュースという青年。付近に足跡はありません。そばに高見台があり、登ってみると足場の一部が外れていました。ここから落ちたのか…ならば事故か…。検死の結果、死因は落下の衝撃だともわかります。しかし、チェイスの指紋もでないことから、事件の可能性も否定できません。
町のバーではこのチェイス変死事件で話題持ちきりとなり、町民の多くからは口々に「湿地の娘」を疑う声が聞かれました。
警官は森の奥深くにある古びた家に向かいます。目的はここに住むキャサリン・クラークに会うこと。木の後ろに隠れていたキャサリンは隙を見て逃げ出し、ボートで逃げるキャサリンを警察は追跡。湿地帯を走り抜け、泳いでいく彼女をなんとか取り押さえました。
町中をパトカーで運ばれると、住民が「有罪だ!」と叫びます。もう裁判前から町民は犯人と決めつけていました。
留置場で過ごすキャサリンのもとにトム・ミルトンという弁護士が訪ねてきます。「一緒に来てほしい家族はいるか?」と質問しますが、答えません。「君は“湿地の娘(Marsh Girl)”と言われているね」…それでも何も答えないキャサリン。「君を助けるにはまず知らないと」と根気よく話しかけ続けると、キャサリンは自分の生い立ちを語りだします。
1953年。キャサリンはカイアと家族には呼ばれ、大勢でこの湿地の奥にある家で暮らしていました。父は暴力的で、妻にも子どもにも手をあげることがありました。
やがて母はこの家を去り、他の家族も続々と消えていきました。最後はジョディが立ち去り、これ以上傷だらけにならないために逃避したのでした。
幼いカイアはひとり残るしかありません。ひとりでボートをだして湿地帯のど真ん中で道に迷っていると、テイトという少年に出会って一緒に帰ります。テイトとは仲よくなりますが、父は交流を許さず「誰も信用するな」と言いつけます。
父と買い物に町に出かけ、湿地帯から出たことのなかったカイアは町の風景に困惑します。素足で町を歩いていると、汚い姿ゆえに住人に白い目で見られます。
学校に通うことになりますが、読み書きができないので同年代の子に笑われ、1日で嫌になってそれっきり学校には行かなくなりました。
ある日、母からの手紙が届き、父はそれをむしり取り、ライターで燃やします。母がいつ戻るのか楽しみにしていたカイアは「戻らない」と父に言われ、涙します。
ついに父も消え、完全にひとりになったカイア。サバイバルしないとここで野垂死にです。貝を採って店に売り、ジャンピンとメイベルの店主は哀れに思って心配してくれます。
そして現在…。カイアことキャサリンは法廷に立たされていました。容疑は殺人です。警察はキャサリンはチェイスと交際関係にあり、逆恨みで犯行に及んだと主張。ミルトンは証拠不十分だと指摘し、懸命に弁護しますが、町はキャサリンのことを快く思っていません。
湿地に覆い隠されたその事件の真相とは…。
動物のあの行動がオチのアイディアに?
はい、ネタバレします。いいですか? 映画を観ましたね?
『ザリガニの鳴くところ』は法廷ドラマとなりつつ、回想として過去が描かれます。事件の直接的なシーンは映されませんが、ミルトンは警察の捜査の矛盾や不足を指摘し、なんとかカイアの無罪を勝ち取ります。
そしてカイアはテイトとあの湿地の家で仲睦まじく暮らし、仲良く老いて、先にカイアがこの世を去ります。そこであらためてカイアの身辺整理をしていたテイトは、ホタテ貝のアクセサリを見つけるなどし、カイアの真相を知ります。明確に説明されませんが、あのラスト付近では、カイアはチェイスを殺したのだということが示唆される(完全犯罪を成し遂げた)…そういうオチです。
実はこのオチは作中で何度か暗示されています。そして動物学的な知識がベースになっているのがわかります。
動物学には「代替繁殖戦略」という用語があります。一般的に、動物の繁殖は「強いものが子孫を残す」と思われがちです。とくに雄同士が争って勝ったものだけが雌と交尾できる…そういうイメージです。でも実際の自然界はもっと複雑です。その複雑さを示す一例が代替繁殖戦略です。
例えば「sneaky fucker strategy」という用語で説明されたりもするのですが、ある生物の雄の中には同じ雄とは異なる繁殖戦略をとるものがいます。単純に雄同士の競争に参加するのではなく、例を挙げるなら「こっそり雌に近寄って交尾をすまして立ち去る」など、競争せずに繁殖を達成するのです。これは繁殖競争が生物の生存に負担が大きいゆえの戦略のひとつだと言われています。つまり「強いものが子孫を残す」という前提は崩れますね。
じゃあ雌はやられっぱなしなのかというと、そうでもないです。雌の中には繁殖にやってくる雄を捕食するものもいて、一部のカマキリやホタルが有名です。繁殖に積極的な雄ほど食べられて生存できなくなるわけですね(当然子孫も残せない)。
で、映画に話を戻しますけど、『ザリガニの鳴くところ』のカイアはまさしくこの雌が雄を捕食する戦略のような行動にでます。自分に暴力を振るってくるチェイスを殺すことで生存する。自然から学んだカイアらしい手段なのでした。ちゃんと作中でもカマキリなどに関する言及があり、オチのヒントになっています。
一応、補足というか忠告しておきますけど、本来の代替繁殖戦略はあくまで動物行動学で使われる用語であって、レイプや殺人を正当化する用語ではないので、そこは勘違いしないでくださいね。
寓話的なテイストは好みが分かれる
『ザリガニの鳴くところ』は冒頭から自然風景の描写と馴染ませる撮影も素晴らしく、こうした自然と一体感のある映像は私の好みです。
でも作品全体としては私の好みに合わない部分がちょっとあるかなとも感じました。
こうなんというか、物語構造自体がディズニープリンセス的ですよね。人里離れた森の家で、動物や自然を愛して無垢に暮らしている薄幸の少女。世間からは魔女狩りみたいな軽蔑の眼差しで孤立化している、そんな少女の幸せを求めるストーリー…。
この設定はもろにクラシックなプリンセス感ありますし、違うのは現実的な暴力が主人公を襲うということ。ただこれも「純真な少女が、軽薄な男の毒牙にかかる」というかなりベタな構図ではあります。一番同情を買いやすいタイプのポジションになっている…。
また、カイアは出版社に才能が認められるなど、それなりに自立に着手するのですが、結局はあの家にいますし、理想的な男性を手に入れてハッピーエンドを迎えていくわけで、このあたりも古きプリンセスという感じです。子ども向けのアニメーションにありがちなプリンセス・ストーリーを、思いっきり大人向けにアレンジしました…という設定に思えます。
この一種の本作に一貫しているファンタジーっぽさは、人によっては感情を当てはめやすいので居心地が良いと感じるかもですが、一方で寓話的すぎてかなり非現実的に思えてしまう欠点もある気がして…。
そもそもこの舞台も社会的背景などはほぼなく、やたらとフワフワしています。動物描写にはリアリティを持たせていても、社会描写はすごく雑です。結果、なんだか白人をマイノリティな悲劇の主役にするためのおあつらえ向きのステージにしか思えなくなってきたりも…。
例えば、ジャンピンとメイベルのあの夫妻はアフリカ系であるならば絶対にあんな保守的な町では酷い扱いになるだろうに、不利になりかねないカイアを手助けするというのは、都合良すぎる親切黒人のステレオタイプそのままだし…。
裁判で勝っても町の世論における偏見は全然消えないのでは?と思うと、もっと周囲を巻き添えにした酷い人生があの後に待っていそうなんですけどね…。
家父長的な暴力から抜け出すという物語のゴールを考えると「これって抜け出せたと言えるの? 優しい男の存在ありきで、後は美麗な自然でデコレーションしてるだけでは?」という違和感は拭えなかった…。
映像自体はしっかりしているので、サプライズなオチの前の人生の顛末の描き方さえもっと工夫してくれれば私の中の評価はぐぐんと上がったかもしれません。
あと飢えに苦しんでいるときにザリガニを食べるなどやたらマニアックな描写でもあれば…(それは私の好み的なあれです)。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 34% Audience 97%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2022 Sony Pictures Entertainment (Japan) Inc. All rights reserved.
以上、『ザリガニの鳴くところ』の感想でした。
Where the Crawdads Sing (2022) [Japanese Review] 『ザリガニの鳴くところ』考察・評価レビュー