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『燃ゆる女の肖像』感想(ネタバレ)…レズビアン・ロマンスの傑作は厳かに燃える

燃ゆる女の肖像

レズビアン・ロマンスの傑作が新たに誕生…映画『燃ゆる女の肖像』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Portrait de la jeune fille en feu(Portrait of a Lady on Fire)
製作国:フランス(2019年)
日本公開日:2020年12月4日
監督:セリーヌ・シアマ
恋愛描写

燃ゆる女の肖像

もゆるおんなのしょうじょう
燃ゆる女の肖像

『燃ゆる女の肖像』あらすじ

画家のマリアンヌはブルターニュの貴婦人から娘エロイーズの見合いのための肖像画を依頼され、孤島に建つ屋敷を訪れる。エロイーズは結婚を嫌がっているため、マリアンヌは正体を隠して彼女に近づき密かに肖像画を完成させるが、真実を知ったエロイーズから絵の出来栄えを率直に批判されてしまう。やがて2人の間には公にはできない愛が燃え上がっていくが…。

『燃ゆる女の肖像』感想(ネタバレなし)

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2020年観たかった映画ナンバーワン

映画の数は無限大。その中からどの映画を観るか、あなたはどうやって決めますか?

私はひとつの目安として有名な映画祭に出品したり、賞にノミネートされた映画はとりあえず全部鑑賞することにしています。もちろん日本で公開されないままの作品もあって、観れずに歯ぎしりするしかない状況も多々あるのですが…。

例えば、カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された映画はいつも必見リストに追加します。ありがたいことに最近は日本でも公開される映画が増えました。自分に合うか合わないかは問わず、とりあえずがむしゃらに観る。そうやって自分の知らない映画の世界が意外に開けるものです。

でも中にはこれは絶対に観たいなと思って今か今かと待ちわびる映画もあります。2019年のカンヌ国際映画祭においてズラッと並んで映画の中でひときわ私の目を引いたのが本作でした。それが『燃ゆる女の肖像』

本作はフランス映画で、英題は「Portrait of a Lady on Fire」。まずこのタイトルが最高に良い響きじゃないですか。バカみたいな感想ですけど、映画の第一印象は大事です。

このカンヌ国際映画祭発表時点では私は本作がどんな映画かさっぱりよくわかっていません。そして情報をチラホラ目にしていくと、なにやらレズビアン・ロマンスを描いたものらしいと把握できます。しかも、現地では高評価(結局、脚本賞を受賞しました)。この時点で私の中では「これは必見リストのトップに記さないとな」と決定済みです。

本作の監督は“セリーヌ・シアマ”という人。実のところ私はこの人のことを全然知りませんでした。そこでフィルモグラフィーを可能な限り予習しておくことに。監督デビューは2007年の『水の中のつぼみ』。こちらもレズビアン映画であり、そもそも“セリーヌ・シアマ”監督自身もレズビアンです。2011年の『トムボーイ』など監督作を続けて観ていくと、2016年の『ぼくの名前はズッキーニ』というストップモーションアニメ映画に脚本として参加していたことに気づきます。この作品、私も鑑賞済みで心にグサっときた大切な一本でした。あの素晴らしいシナリオを生みだしたひとりなのか、と。

もう察しがついていると思いますが、私は“セリーヌ・シアマ”監督のことがすでに大好きになってしまっていたのでした。『燃ゆる女の肖像』の期待値はガン上がりです。

ところが日本でなかなか公開されません。2019年が過ぎ、2020年はまさかの疫病大混乱。厳しい状況の中、なんとか2020年12月にやっと公開してくれました。良かった…。

そんな『燃ゆる女の肖像』、私の観たうえでの感想を最初に総括しておくならば…傑作だった…。前評判どおりの素晴らしさ。見事すぎて文句のつけようもないです。

同性愛ロマンスとしては『君の名前で僕を呼んで』に近いアート映画なポジションを持っていますが、中身は恋愛以外の要素も内包しており、多層的に色が塗られているような作品です。なので目を凝らせば凝らすほど「こんなところにこんなものが!」という巧みの技に気づけます。パーソナルな映画に見えて実は大局的な視点での社会批判もあるのです。

『燃ゆる女の肖像』で“セリーヌ・シアマ”監督は長編4作目なのですけど、ついに高みに到達してしまった感がありますね。逆にこれほどまでの傑作を叩きだしてしまうと今後が心配になるくらいです。

実際に本作は“セリーヌ・シアマ”監督にとっても特別な一作なのではないでしょうか。というのも本作に重要な役で出演する“アデル・エネル”は監督1作目の『水の中のつぼみ』でも抜擢した女優であり、同時に監督の元パートナーなんですね。円満に別れたそうですが、それをあえてもう1度一緒に仕事する選択をし、しかも“アデル・エネル”を想定してシナリオを作っていったそうで、きっと彼女をプライベートまで知り尽くした相手だからこその想いの詰まった作品なのだろうなと思います。ゆえに奇跡的な1本となったのかな、と。

主人公を演じるのは『不実な女と官能詩人』『英雄は嘘がお好き』の“ノエミ・メルラン”。女中として作中で印象的に活躍するキャラクターを演じるのはコソボ出身の“ルアナ・バイラミ”

基本的にはこのたった3人の女性で織りなす物語です。それが抜群な演技の融合で炎色反応を起こすように色鮮やかに変わっていく様はなんだか見惚れてしまいます。

2020年最後のマストで観るべき一作なのは間違いありません。世間の状況が状況だけに映画館へ気軽に行こうと誘えないのが本当に残念でなりませんが…。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(2020年の一級品の注目作)
友人 ◎(シネフィル同士で)
恋人 ◎(濃厚なドラマを共有して)
キッズ ◯(セクシャルな描写あり)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『燃ゆる女の肖像』感想(ネタバレあり)

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その絵はいかにして生まれたのか

18世紀末のフランス。画家のマリアンヌは複数の女性を前に絵画を教えていました。授業中、ふと後ろの絵が気になったひとりが、マリアンヌに「タイトルは?」と質問をしてきます。その絵はだだっ広い風景を背にひとりの女性が立っていて足元に火が燃えているという、なんとも意味深なもの。マリアンヌはこう答えます。「燃ゆる女の肖像」と…。

マリアンヌは昔を思い出します。

海の上、激しく揺れる小舟。マリアンヌは右に左にと翻弄されながらなんとかしがみついていました。しかし、荷物が落ちてしまい、マリアンヌは躊躇なく海に飛び込み、その木箱のようなものを回収します。

濡れた体を震わしているとやっと陸地が見えました。疲れ切った体で海岸へ。濡れた服で、重い荷物を抱え、斜面を登るマリアンヌ。到着したのは屋敷です。

マリアンヌはここである仕事を任せられたのではるばるやってきました。この孤島に住むブルターニュの貴婦人から娘・エロイーズの見合いのための肖像画を依頼されたのです。

「マリアンヌです」と玄関の戸を叩き、中へ迎え入れてくれたのが女中のソフィ。部屋に案内され、暖炉に火をつけてくれました。マリアンヌは真っ先に海に落ちた木箱を開け、中には濡れた白いキャンパスが入っており、それを暖炉の前で自分の体と一緒に乾かします。

お腹が空いたので食事をガツガツと食べ、その後に絵を描くことになる一室へ。その壁の片隅には裏返された1枚のキャンパスが。表をひっくり返してみると緑のドレスの女性が描かれていましたが、顔は消されています

翌日、マリアンヌはエロイーズの母親から詳細な説明を受けます。そこで初めて事情を知ります。なんでもエロイーズは自殺した姉の代わりに結婚するべく、暮らしていた修道院から戻されたようで、本人は結婚を望んでいないとのこと。そのせいか、今までも肖像画を描こうと他の画家がトライしたものの、エロイーズはポーズを取ることさえも拒否している、と。

そのため、マリアンヌは本人にバレないように肖像画を完成させないといけません。そこで画家という身分を隠して、毎日のようにエロイーズの散歩に同行する付添として近づき、ひっそり観察した後、ひとりで部屋で絵を描く…というかなり大変な仕事をする必要がありました。

そしていよいよエロイーズと対面。といっても後ろからついていくだけです。どういう意味があるのかわかりませんが急に走るエロイーズを、こっちも走って追いかけます。その後、紙にエロイーズの顔を描き、そのアウトラインを掴んでいこうとします。

ときには散歩の途中で岩陰に隠れて紙に見た姿を記録することもありました。顔と腕は描けたので、あとは服です。自分が緑のドレスを着てポーズをとり、鏡で確認してみます。しかし、そこへエロイーズがふいに部屋に入ってきたので急いでドレスを脱ぐマリアンヌ。

2人は会話を交わすようになります。「結婚している?」とエロイーズ。「いいえ」とマリアンヌ。

また、マリアンヌはふとそばにあったチェンバロを見つけ、自分の好きな曲だとして「ヴィヴァルディ協奏曲第2番ト短調 RV315“夏”」をたどたどしく弾きます。でも上手く弾けず、少し照れ臭そうにするマリアンヌ。その横顔をエロイーズは隣に座ってじっと見つめていました。

しだいに隠れながらの描く作業に後ろめたさを感じるようになり、マリアンヌはついに自分のやっていることをエロイーズに教えてしまいます。

そしてエロイーズから思わぬ反応が…。

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女が女を描くという行為の意味

『燃ゆる女の肖像』はまず「18世紀の女性画家」を題材にしたことが素晴らしいチョイスだと思います。これが「昔はこうだったんですよ」という歴史モノにとどまることなく、物語全体を描くそれこそキャンパスとして見事に活かされています。

この時代に女性画家はいたそうですが、歴史的に名の残っている人はほとんどいません。つまり不可視な存在にされています。それをつまびらかにすると同時に、「女が女を描く」という行為が一種の男性中心社会への従属と抵抗のせめぎ合いになっているのが興味深いです。

そもそもこの時代には肖像画はとても大事なものでした。今でいうSNSなんてない時代です。人間のプロフィールを表すのがこの肖像画。なのでこの絵の出来次第で人生は左右されてしまいます。単なる飾っておくだけのインテリアではないんですね。

一方で、女性はこの時代は男性中心の家系における「所有物」にすぎませんでした。つまり、女性の肖像画はまさに女性がモノ化されることそのものを表しているようなものです。

マリアンヌはエロイーズの絵を本人に内緒で描いていきます。ここは実にまどろっこしいプロセスで、人によっては退屈に思えるかもしれませんが、一応はバレるかバレないかのサスペンスになっています。

でも見方を変えると、ここはそういう単純なサスペンス以上のものがあると思うのです。それは先ほども書いたように「女を描く」という行為が「女をモノ化する」という男社会のシステムの一端を担うことになるからです。

マリアンヌはしだいに後ろめたさを感じるようになりますが、それは単に隠し事をしているからだけでなく、こうやってエロイーズの人間性をモノ化して傷つけているからです。これは男性画家が男や女の肖像画を描いても何も思わないでしょうけど、女性画家が女を描くからこそ生じる苦悩ではないでしょうか。

で、こういう「差別的な男社会に加担しちゃっているなぁ、私…」というモヤモヤは現代の女性たちもあちこちで感じていると思います。実際問題、そんな簡単に縁を切れないですからね。

そういう意味で『燃ゆる女の肖像』は18世紀が舞台だけど、私たち現代にもグサリと刺さる内容です。

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“所有”されるしかない女たち

『燃ゆる女の肖像』はレズビアン・ロマンスではありますが、そもそものメインは男社会に所有される女たちの物語です。

物語の中盤、エロイーズの母親が一時退場すると、この孤島の屋敷はエロイーズとマリアンヌとソフィだけになり、ちょっとした気の緩んだ世界になります。3人でトランプしたり、なんだか青春!って感じで楽しそうです。

ちなみにこの女中のソフィの存在がまたいい味を出していました。普通、こういうレズビアンものだと、2人の間に割って入る女キャラクターは邪魔でしかなかったりするのですが(だからゲイフレンドなんかが好まれて使われる)、本作のソフィはなんか当然のように馴染んでいて面白いです。

ソフィは実は中絶をしようとしており、作中でも砂浜で往復ランとか、ぶらさがり法とか、妙にユーモラスに溶け込んでドタバタしています。

しかし、このソフィもまた本作の「男社会に所有される女たちの物語」に効果的に活きてくるわけです。出産であろうが中絶であろうが、それは女性に強制的に課される負担でしかない。その動かぬ事実を示す代表例として。ソフィが中絶する場面で顔の横に赤ん坊がいるシーンが印象的でしたね。

また、夜に焚火を囲んで女性たちが歌を歌う集いに参加する場面があります。あそこもなんだかあったかい雰囲気に思えますが、実はそうでもないです。あそこで歌われている曲は「LaJeune Fille en Feu(Fugere Non Possum)」というラテン語のオリジナル曲で、歌詞の内容は「私たちは所有から逃げられない」という意味になっているそうです。つまり、ものすごく悲しい女性の現状の宿命を嘆き、怒り、声を上げる合唱だったんですね。

本作でそんな悲劇性を象徴する最も不可視な女性、それはおそらくはエロイーズの姉だと思います。自殺したとのことですが、その詳細はわかりません。でもその背景は以上のことを踏まえれば察せられます。

『燃ゆる女の肖像』は男性キャラクターが不自然なほどに登場しません。全てはこの孤島で生きるしかない女性たちの視点になっています。同性愛だけが特別に禁忌なのではない、自由恋愛もできないし、欲望を素直にさらけだすこともできないし、対等な人間ですらない。そんな“所有”されるしかない女たちの生々しい姿がこの映画には肖像のように記録されていました。

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絵になるラストと彼女のその後

『燃ゆる女の肖像』は誰もが言及するであろう、ラストのインパクトはやはり凄いです。

あれだけ効果的に使われたら「ヴィヴァルディ協奏曲第2番ト短調 RV315“夏”」を作曲したアントニオ・ヴィヴァルディも天国でご満悦なんじゃないか。

あのラストのシーンは「見つめる」という絵を描く構図に立ち返っているわけですが、そこには先ほど説明した「女をモノ化する」という作用がありません。純粋に見ていられます。でも見つめるしかできないという切なさもあって…。

気になるのは結局のところ、あの冒頭の「燃ゆる女の肖像」の絵は何をどういう過程で生まれたのかということです。

いろいろ推測できますが、ひとつは冒頭時点でエロイーズは亡くなってしまったという可能性。まさに姉の後を追うように…です。マリアンヌとの別れ際、振り返るとエロイーズは純白のウェディングドレスを見せてくれるのですが、それもなんだか幽霊のようで不吉でもありましたし。

それは生命としての死ではなく、本当の愛(マリアンヌとの愛)は強制的に終わりを迎えたということを意味するものとも受け取れます。

同時に“所有”されるしかない女の絶望も感じられます。最後に子どもと一緒に描かれたエロイーズの肖像画を見ます。そこには28ページ目が指で開かれている本が映っており、彼女の密かな抵抗を感じますが、それでもエロイーズは“絵になってしまった”…その終末的な行き止まり。

一方で、監督と“アデル・エネル”の関連性を考えればポジティブな別れを意味するとも受け取れ、あの過去を思い出に2人はそれぞれの道を歩んで頑張っているのかもしれません。

なによりあの「燃ゆる女の肖像」の絵は全体的に暗めの感じなのですが、空の雲の奥から光が見え始めているところを描いています。それは未来への希望なのか。

なんにせよ絶妙なラストです。レズビアンにありがちな悲劇のエンドとは言い切れない、でも苦しさも忘れていない、このバランスで幕を閉じる。

あと本作の撮影も忘れてはいけない素晴らしさのポイント。撮影を手がけた“クレア・マトン”『アトランティックス』でも息を呑む絶景ショットを連発していましたが、今作でも言葉を失うほどに心を奪わされました。“クレア・マトン”、控えめに言って今の映画界のシネマトグラフィーのトップランナーですよね。

観た後はしばらく余韻に浸っていたい、そんな映画体験でした。

『燃ゆる女の肖像』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 98% Audience 92%
IMDb
8.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★
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・『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』

・『ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから』

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作品ポスター・画像 (C)Lilies Films. ポートレイト・オブ・ア・レディ・オン・ファイア

以上、『燃ゆる女の肖像』の感想でした。

Portrait of a Lady on Fire (2019) [Japanese Review] 『燃ゆる女の肖像』考察・評価レビュー