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『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』感想(ネタバレ)…愛は服従しない

ロニートとエスティ 彼女たちの選択

愛は服従しない…映画『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Disobedience
製作国:イギリス(2017年)
日本公開日:2020年2月7日
監督:セバスティアン・レリオ
恋愛描写

ロニートとエスティ 彼女たちの選択

ろにーととえすてぃ かのじょたちのせんたく
ロニートとエスティ 彼女たちの選択

『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』あらすじ

厳格なユダヤ教のコミュニティで生まれ育ったロニートとエスティは互いに惹かれ合うが、コミュニティの掟は女性同士の愛を許さなかった。やがてロニートはユダヤ教指導者の父と信仰を捨てて故郷を去り、残されたエスティは幼なじみと結婚して留まる。時が経ち、父の死をきっかけにロニートが帰郷し、2人は久しぶりの再会を果たすが…。

『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』感想(ネタバレなし)

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想定すらされていない人たち

日本では同性同士で結婚ができません。同性同士での結婚を禁止するとは法律には書いていないので、おかしいじゃないか!してもいいだろ!と訴訟が起こされもしましたが、国側は「想定していない」の一点張りで、どうやら日本国憲法では同性愛の存在は考慮無しで否定されているようです。そんな言い分が通用する憲法を改正しようとするのですからもう滅茶苦茶です。

そうです。想定すればいいだけのこと。それで解決するのです。莫大な予算もいりません。ほんのちょっとだけ“想定”する。これで社会に愛が増える。それのどこが問題なのか。

社会は自分たちマジョリティにとって都合の悪いもの・理解できないものは最初から見てみぬふりをします。暗黙のルールで“無かったこと”にします。それがいつもの手口です。これは紛れもない服従です。

そういう無言の圧力で服従させようとするコミュニティというのは世界中にいろいろあります。今回の紹介する映画『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』も、原題は「Disobedience」。この単語は規則などに反抗して従わないという意味です。そして本作が題材にしているコミュニティは「ユダヤ教」です。

知っているようでイマイチ日本人には馴染みが薄いことも多いユダヤ教。ホロコーストの犠牲者になったユダヤ人のイメージを真っ先に思い浮かべる人でも、普通の暮らしはどうだったのか、そういう観点では理解していないことも。そういう私もユダヤ教の生活様式や風習については『アンカット・ダイヤモンド』やドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』のようなユダヤ・コミュニティを描いた作品から知識を得ることがほとんどです。

『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』はユダヤ教の中でもとくに過激とされているのが正統派のひとつで「超正統派」のコミュニティが描かれています。この超正統派についてはドキュメンタリー『ワン・オブ・アス』を観てもらうのが一番手っ取り早いでしょう。とにかく閉鎖的で、自由を縛る規則を絶対的に順守するというコミュニティの空気が部外者にも伝わってくるはずです。

普通にそのコミュニティ内で暮らすのも息苦しいのですが、『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』の場合は主人公がさらに苦しさを感じてしまう事情があります。それはもう隠すこともないでしょう(ポスターで女性二人が思いっきりキスしているし…)、同性愛者だからです。

ヘテロセクシュアルな恋愛ですら何かと制限がある超正統派の世界。レズビアンなんて論外、それこそ“想定すらされていない”。その最悪な状況の中で愛を模索する女性たちや周囲の人を、静かに丁寧に描く一作です。

原作はフェミニズム文学の新たな旗手として紹介されている、イギリス人女性作家「ナオミ・オルダーマン」の自伝的デビュー作。2016年には「The Power」という、特殊能力によって女性が支配的なジェンダーへと逆転した世界を描くSF小説を発表し、非常に高い評価を受けています(たぶん映像化もされるでしょう)。

難しい題材の原作を映像化してみせたのは“セバスティアン・レリオ”監督です。アルゼンチン生まれ、チリ国籍のフィルムメーカーですが、ドキュメンタリー作家だった時期から評価は高く、劇映画にクリエイティブを広げてもその評判は変わらず、最近も2017年の『ナチュラルウーマン』でアカデミー賞外国語映画賞を受賞したりもしました。こちらはトランスジェンダーをテーマにした作品でしたが、今回の『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』は同性愛。でも“セバスティアン・レリオ”監督らしい題材への直球な姿勢と手際の上手さは健在です。

想定すらしてくれない愛を抱える主役二人を演じるのは、“レイチェル・ワイズ”“レイチェル・マクアダムス”のまさかのレイチェル・ペア。“レイチェル・ワイズ”は製作にもクレジットされています。この二人の演技力に関しては言うまでもなく素晴らしいに尽きるのですが、その二人が組み合わさった相乗効果はとてつもなく…。

俳優目当てで観るという人でも全然構いません。そこからセクシュアリティや宗教の問題について考える、そういう入り口になるなら良いんじゃないかなと思います。

日本でも“想定すらされていない”人たちがいるのですから。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(苦しさに負けない力を)
友人 ◯(俳優ファン同士でも)
恋人 ◯(切ない恋愛ドラマ好きなら)
キッズ △(セクシャルな描写あり)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』感想(ネタバレあり)

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もうどこにも行かないで

多くのユダヤ教信者の前に立ち、話をするラビ(ユダヤ教における宗教的指導者のことです)。全員がその話を静かに聞き入っていましたが、ラビはいきなり床に倒れてしまいます。周囲は騒然となり、呼び掛けるも返事はなく…。

ニューヨーク。カメラマンとして仕事するロニートは今日も被写体のモデルを相手にシャッターをきっていきます。すると呼ばれます。

場面は変わって、バー。ロニートはワインを飲みます。味わって飲むというよりは流し込んで感情を消すように。そしてトイレで男とセックスし、その後はスケートし、全ての過程で無心です。ベンチに座り込むと、おもむろに服を歯で引き裂きます

日常で服を歯で引き裂く人はなかなかいませんが、どうしてこうなったのか。ロニートはさっき仕事中に呼び掛けられて父が死んだことを知ったのでした。普通だったら悲しむものかもしれません。しかし、ロニートの心は複雑です。なぜなら父は敬虔なユダヤ教のラビであり、ロニート自身は信仰を捨て故郷を飛び出して親子の縁を切られていたのでした。

ロニートは飛行機に乗り、久々に故郷のノース・ロンドンの町に足をつけました。葬儀で集まっているであろう家の前につき、玄関から出迎えてきたドヴィッドと遭遇します。彼は昔からの知り合いで、今ではラビの候補として名前が挙がるほどに尊敬されている存在です。

ドヴィッドはロニートを見て驚きます。来るのは完全に想定外だったようです。家に入り、家に集まった人に一応挨拶するものの会話は無し。冷たい視線とよそよそしい態度を全身で感じます。

するとエスティという同年代の女性が現れました。一瞬のぎこちなさ。彼女もまたロニートの…知り合いです。エスティは町で教師をしており、ドヴィッドと夫婦になったようです。

自分の部屋を用意してもらい、新聞記事を見るとその父の死亡欄には「子どもはいない」と書かれていました。病気だったことも知らなかった自分は完全に“存在しない者”でした。当然のように父の遺産も全てシナゴーグ(ユダヤ教会)に寄付されています。

懐かしい故郷を散策するように歩いていたロニートは町でエスティとまた出会います。家で二人で音楽を聴くとかつての記憶が蘇ってきました。そしてあの封印していたはずの感情も…。

ロニートとエスティはキスをします。しだいに激しく、抑えられていたものが発散されていくように。エスティの名を呼び、ロニートはやめさせますが、またも口づけ。それは止まりません。

まだこの地にいた頃のロニートとエスティは恋愛関係にありました。しかし、ユダヤ教の戒律が厳しいこの町ではそれは許されません。結果、ロニートは去り、エスティは残ることに。それでもその愛は朽ちることも捨てることもなく、ずっと二人の心の中でまた燃え上がる日を待っていたのでした。

「もうどこにも行かないで…」一度再燃した二人の愛は抑えることはできず、夜には外でキスをします。しかし、エスティは罪悪感も感じていました。これはいけないことではないのか…信仰を裏切っているのか…と。

そんなエスティをロニートはロンドンの中心部に連れていきます。そこにはコミュニティの監視社会はありません。解放された二人の愛はどこまでも深く、密接に絡み合っていき、味わえなかった刺激に身を浸していきます。

一方で故郷ではあるひとつの変化の兆しが意外なところから生まれだし…。

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ただの濡れ場ではない

『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』は、まず前半ではロニートとエスティという二人の女性の対比が際立ちます。当初は対等に愛し合っていた存在だったであろう二人ですが、袂を分かつ(半ば強制的にそうさせられたのですが)ことで、二人は全く異なる存在になってしまいました。

作中で最初に二人が遭遇するシーンでそれがハッキリ鮮明に描かれます。

ユダヤ・コミュニティから離れたロニートは、まず格好自体がラフですし、長い髪もそのままというユダヤ教としてはご法度な女性のスタイルをしています。もともとそういう服装の好みなのか、典型的な女性らしさを出した見た目もしていません。そして誰に対してもまずは挨拶をしてみますが、おそらくこういうのもこのコミュニティではあまりない行為なのかもしれません。誰と話すか、それさえも空気を読む必要があるのでしょう。外でお構いなしにタバコを吸うロニートは完全にユダヤの世界に縛られようがない人間になっていました。

対するエスティはどっぷりユダヤ・コミュニティに浸かりきっています。それは見た目からして丸わかり。服装も謙虚で目立たないものですし、一番印象的なのはエスティが常に外ではつけているウィッグですね。あれは「シーテル(sheitel)」という正統派の女性が用いる“かつら”で、髪を覆わなければいけないという決まりに従うためのもの…だそうです。そのシーテルをしっかり身に着け、常にコミュニティ内では作り笑いを浮かべるように大人しく愛想よく振る舞うエスティ。一方でプライベートな家でも夫に身を捧げ、事務的に裸になってベッドに横たわり、男が好むように喘ぐ。外でも家でも従属的な生活です。

そんな二人が出会うとどうなるか。最初、ロニートはシーテルを付けてみるのですが、すぐにエスティに言われて外します。

そして一気にキスで求めあう二人。このシーンはロマンチックではあるのですが、それ以上に抑圧に我慢できなくなり、どっと溢れる感情が全面に出るシーンです。最初はエスティの方からグイグイ求めるんですよね。で、もう一度キスするシーンでは今度はロニートの方からいく。さらにロンドンでの二人のセックスシーンではエスティのオーガズムをあえて描いています。つまり、官能的な場面ながらもそれで終わりにせず、誰がどんな服従から解放されたいと思っているのか、そういう本能的な欲求までもを静かに反映したとても深みのあるシーンだったと思います。

どうしてもこういうシーンは、濡れ場さえあればいいという安直な発想や、女優が脱いでいればOK!みたいな極めて女性蔑視的な視点しかないことも他ではありますから。ただでさえレズビアンはポルノ的にしか見ようとしない人もいます。

この二人が絡み合うシーンで何を伝えたいのか、それが明確にわかる本作はそうした軽視を跳ね除けて、彼女たちを“実在感ある葛藤”とともに描く。とても真摯な映画でした。

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人間には反抗する力がある

『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』における主人公は紛れもなくこのロニートとエスティの女性二人なのですが、彼女たちが能動的にできるのは“愛し合う”ことだけであり、社会を変えることはできません。というのも、そう簡単に覆せるようなものではないからです、このユダヤ・コミュニティは。声をあげることもできない。

もちろん逃避行するというオチもあり得たでしょうし、おそらくそういう案も昔は思いついていたのではないかと、あの二人を見ていると思います。でもそれができないのは、二人に課せられた服従という鎖の重さの証明。逆らえない、逆らえたとしてもほんのわずかな抵抗だけ。そういうリアリティも本作は逃げずに描いています。

そしてここが個人的には良いなと思うのですが、本作はそんな閉鎖的コミュニティを漫然と放置して終わるのかと思ったら、ちゃんとそうはさせません。その場所で最も責任のある男、ラビとなったドヴィッド自身が決断に迫られる物語が展開されるんですね。

そもそもロニートは完全に縁が切られた父を失ったことで、関係性を回復するかもしれない(すなわち自分の秘めた愛を認めてもらえるかもしれない)という可能性が絶たれてしまいます。もうどうしようもないのです。その手遅れな怒りがまさに冒頭のロニートの姿で表現されるわけですが、その責任を継ぐのがドヴィッドです。だから手遅れでもない。

そうは言ってもドヴィッドにはドヴィッドなりのとてつもない葛藤があったのでしょう。ここで下手なことを言えば自分の人生全てを棒に振ることになる、いや、それだけでなくロニートとエスティをさらに追い詰めることになるかも…。ましてやエスティのお腹には命が宿っており、彼に圧し掛かる責任は重大です。

それでも大衆を前に、ドヴィッドは「私たちには選択する自由がある」「あなたは自由だ(You are free!)」と言い切った。そのセリフの前に溜息をつきながら一気に言い放つのですが、あそこに彼の覚悟が詰まっていました。きっとこのたった一言のセリフを言うのにとてつもない壁があって、今、彼はそれを飛び越えたわけです。その先に明るい未来があるかはわからないけど、そうしないとダメだという使命感が上回る。

昨今、良いリーダーなんて全然見かけない気もしますが、今の社会に求められる指導者はまさに自分のキャリアを犠牲にする覚悟で民に寄り添える存在である。自論で説教する奴じゃない、他者に権利を与える導き手。そういうロールモデルを本作は真っすぐ示す、その姿勢はとても頷けるものです。

想定してくれるリーダー…ずっと求めていますよ。

『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 84% Audience 76%
IMDb
6.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2018 Channel Four Television Corporation and Candlelight Productions, LLC. All Rights Reserved.

以上、『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』の感想でした。

Disobedience (2017) [Japanese Review] 『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』考察・評価レビュー