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『PUI PUI モルカー』感想(ネタバレ)…ジェンダー視点で「プイプイモルカー」を語る

PUI PUI モルカー

車が嫌いな私がモルカーを好きになれる理由…アニメシリーズ『PUI PUI モルカー』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:Pui Pui Molcar
製作国:日本(2021年)
シーズン1:2021年に各サービスで配信
シーズン2:2022年に各サービスで配信
監督:見里朝希

PUI PUI モルカー

ぷいぷいもるかー
PUI PUI モルカー

『PUI PUI モルカー』あらすじ

ここはモルモットが車になった世界。そんな車「モルカー」はいたるところで走っている。くりっくりな目と大きな丸いお尻、トコトコ走る短い手足。常にとぼけた顔で走り回るモルカーたちにはいろいろなドラマが巻き起こる。渋滞で止まる道路、駐車場、はたまたレース会場…。どんな場所でもモルカーがいれば大丈夫。ときどきトラブルを呼び寄せてしまうのはちょっと困るけど、それでもモフモフと走り続ける。

『PUI PUI モルカー』感想(ネタバレなし)

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モルカーがいれば今年も頑張れる

2021年、その始まりを迎える感情は世界中の人々にとって明るいものだったとは言えないでしょう。「はあ、きっと今年もずっと新型コロナウイルスの話題ばっかりだろうなぁ…」と溜息交じりの憂鬱な気分。現実逃避したいけど、最近はテレビドラマの中でさえも登場人物がマスクをつけていますから、フィクションですらも現実を突きつけてきます。

コロナ禍だけではありません。世間は酷いものです。ネットでもリアルでも差別や誹謗中傷が溢れかえり、政治は腐敗するし、相変わらず大企業や権力者は金儲けに血眼。

私もあまり感情を表に出すタイプではないのですが、なるべく平常心でいようと普段から気を付けています。ただ、そんなマイペースのつもりでも心はじわじわとストレスを蓄積しているんですよね。

そんな暗い気持ちに包まれた2021年の早々。その負のオーラを気持ちよく吹き飛ばして癒してくれる存在が現れました。「エヴァンゲリオン」よりも私が乗りたいやつ…。

それが本作『PUI PUI モルカー』です。

本作はテレビ東京系列『きんだーてれび』という子ども向けバラエティ番組の1コーナーで放送されたショート・アニメで、1話あたり3分程度しかありません。本当にただのキッズ対象のアニメです。

ところが放送されるや瞬く間にSNSで話題沸騰に。口コミでどんどん拡散し、このタイプの作品としては異例の大注目を集めました。

どんな作品かと言うと、モルモットが合体したような「モルカー」という存在が日常化した世界を描いており、この時点でツッコミどころ満載。けれどもこのモルカーたちがとにかく可愛く、そして羊毛フェルトで作られたモルカーがストップモーション・アニメで動き回るさまが一度観るとハマるという…。すごい中毒性のある作品なのです。

そうやって聞くと単にネット上でのネタとしての一時の流行りでしかないように思えますが、『PUI PUI モルカー』はストップモーション・アニメというジャンルとして非常にクオリティが高いです。私は全然世界に通用するレベルだと思いますし、ちゃんと上手く展開すれば普通にアニー賞とかで受賞できるくらいの良作だと確信しています。現状は12話の1シーズンどまりですけど、これはもう100エピソードくらい一気に発注して作ってもらうべきですよ(お願いします)。

この奇跡の名車『PUI PUI モルカー』を爆誕させたのが、“見里朝希”という1992年生まれの若手クリエイター。大学院の修了制作発表作品『マイリトルゴート』が「SHORT SHORTS FILM FESTIVAL & ASIA2019」ジャパン部門優秀賞、「パリ国際ファンタスティック映画祭(PIFFF)」でグランプリを受賞するなど称賛され、アニメ業界期待の新鋭として注目が高まっていたのだとか。そんなキャリアも始まったばかりでの、初の商業作品にしてテレビシリーズ監督作となった『PUI PUI モルカー』が大当たり。これは運だけじゃない、完全に持って生まれた才能への当然の評価ですね。

“見里朝希”監督は「WIT STUDIO」と協力してストップモーションアニメ・スタジオを発足させたそうなので、今後の活躍が楽しみです。いや、というかもっとこういう才能あるクリエイターにお金をどんどんつぎ込んでほしい…。

『PUI PUI モルカー』ムーブメントに乗り遅れた!と思っている方、ご安心ください。以下のとおり、全12話、合わせて30分もないような時間で完全鑑賞できます。

第1話「渋滞は誰のせい?」
第2話「銀行強盗をつかまえろ!」
第3話「ネコ救出大作戦」
第4話「むしゃむしゃおそうじ」
第5話「プイプイレーシング」
第6話「ゾンビとランチ」
第7話「どっきり?スッキリ!」
第8話「モルミッション」
第9話「すべってサプライズ」
第10話「ヒーローになりたい」
第11話「タイムモルカー」
第12話「Let’s!モルカーパーティー!」

こんなに敷居の低い作品もイマドキないじゃないですか。たった30分を『PUI PUI モルカー』に捧げるだけで人生の疲れを緩和できるんですよ(怪しい勧誘みたい)。

で、私は『PUI PUI モルカー』を最高に笑顔で堪能したわけですが、感想を書くとなるとどうしたものか、と。もう2021年の話題作ですからあちこちで記事もありますし、今さら面白さを語っても…という感じです。

なのでここは私なりになぜ『PUI PUI モルカー』を私は面白いと思ったのか、個人的な理由を掘り下げたいと思います。しかも、ジェンダーの視点で…というたぶん他にそうそうない切り口で。

気になる人は後半の感想も読んでみてください。まずは『PUI PUI モルカー』を観てね。

オススメ度のチェック

ひとり 5.0:ぷいぷいぷいぷい
友人 5.0:もきゅ?もきゅ?
恋人 5.0:ぷいぷい!ぷい!
キッズ 5.0:ぷい!もきゅ~!
↓ここからネタバレが含まれます↓

『PUI PUI モルカー』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(ざっくり):PUIPUI いくよ

車は大事な交通手段。昨日も今日も明日もみんな車に乗っています。でもこの世界では普通の車はあなたにとっての「普通」ではないかもしれません。なぜなら「モルカー」なのですから。

あっちこっちでモルカーは人間を中に乗せて走り回っています。

ある日は、渋滞に詰まったり。のんびり屋なモルカーの「ポテト」は長い渋滞の最後尾で立ち往生。前方の迷惑モルカーのせいで一向に進まない中、後ろから救急車モルカーが。このままでは病院に運ばなければいけない人が危険。焦ったモルカーはモルカーにしかできない手段に打って出ることに…。

ある日は、銀行強盗に巻き込まれたり。レタス大好きなモルカーの「シロモ」は路上駐車して運転手を待っている間、近くの銀行から出てきた強盗グループに自分を乗っ取られます。追いかけてくるパトモルカーに右往左往しながら、強盗犯になってしまったモルカー。どうしたらいいのか…。

ある日は、炎天下の駐車場でパニックになったり。レストランで駐車していたモルカーの「アビー」は自分の車内に猫がいることに気づき、猫が苦手なので大慌て。しかし、暑さで車内の温度が急上昇し、このままでは中の猫がマズいことに。モルカーたちは日陰を探すも、それでも暑さは解消できず…。

ある日は、道端のゴミに反応したり。モルカーの「テディ」はゴミが落ちていればつい食べてしまうほどの食いしん坊。中のドライバーは調子に乗ってマナー違反なのにゴミをポイポイ、モルカーはパクパク。ところが、食欲を刺激されたモルカーはゴミ袋の山に突っ込み、車内はゴミだらけに…。

ある日は、ゾンビに襲われたり。なぜかゾンビ化してしまった人間の集団に追い詰められるモルカーたち。そこに大きなハンバーガーがコロコロ。肉を食べたいゾンビ人間、レタスとトマトが食べたいモルカー。共存の機会が訪れました。でもうっかりゾンビがモルカーの耳をかじってしまい…。

ある日は、囚われた仲間を助け出したり。「冒険モルカー」を助けるためにモルカーの「チョコ」たちは果敢にビルに潜入。無事脱出できたと思ったら、まさかの刺客。それはビームを放射するロボットサメでした。しかし、モルカーの「テディ」には奇策があります。それは体内で生成した小型糞爆弾!

ある日は、過去に時間移動したり。「タイムモルカー」は原始時代にタイムスリップ。そこには昔の人類がおり、追いかけられることになってしまいます。ところが、そこに現れたのはモルカーに進化する前の太古のモルモットでした。寒そうだったので服をあげたり、先祖との出会いに大満足。

モルカーの日常はまだまだ続く…。

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私が車を嫌いなワケ

いきなりの個人的な話からしちゃいますが、私は「車」がそんなに好きじゃない、というか嫌いです。運転免許を持っているし、移動に使うこともありますが、心の本音としては苦手なのです。運転が得意ではないとかではなく、その存在として。

その理由は、車は往々にして「男らしさ」の象徴になることが多いからです。

私は子どもの頃から「男っぽい」もの、「女っぽい」ものという、露骨に固定的なジェンダーのイメージが強いものに対して内心では避けたい気持ちがありました。今では私はノンバイナリーを自認しており、その背景にあった謎の嫌悪感の正体もストンと腑に落ちるものがあるのですが、とにかくずっとそういう気持ちを抱えており、今もそうなのです。

そんな中、車というものは単に乗り物というだけではない、男らしさを示すアイテムとして社会も企業も利用してきた歴史があります。今の日本では女性も車を当然のように運転できますが、今なお車は男が運転するもので、女は運転が苦手…という偏見が蔓延っています。車を買うということ自体も、男が家庭を持つということと同義のように扱われ、車内の空間は家父長制と無縁でもないと思います。なぜ昨今大問題になっている煽り運転をするのは男性ばかりなのか、それは車が自分の男らしさを体現する剣であり、もっと言えばペニスだからです。他者に自分の男らしさ(車)を見せつけたい…そんな自己顕示欲がときに愚かな危険運転を引き起こします。

それは幼少時から教育されます。車のオモチャを与えられるのはもっぱら男の子。幼い脳の中に「車=男のモノだ」という先入観がしっかり熟成されてしまう…。

こんなふうにモノにジェンダーを背負わせることは世の中では車に限らずあちこちでいとも簡単に行われています。

とにかくこれが私が車を嫌いな理由です。

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モノからジェンダーを取り除く

そんな私がなぜ『PUI PUI モルカー』は好きになったのか。

もう答えはおわかりだと思います。「モルカー」に「男らしさ」含めたジェンダーのイメージがないからです。

一般的にモノをキャラクター化するとき、2通りの定番のパターンがあります。

ひとつは、モノを擬人化するということ。つまり、モノにジェンダーを与えることになります。例えば、日本のオタク界隈ではもはやよくみる光景となった「美少女擬人化」とか。ちなみに『PUI PUI モルカー』の“見里朝希”監督は次作『Candy Caries』で虫歯菌を“女の子”に擬人化しています。

これはこれで一部でカルト的な人気をもたらすだけの効果を期待できます。一方でモノにジェンダーを与えるというのは「セクシュアル・オブジェクティフィケーション」のような弊害もありますし、モノ自体の歴史や本来の尊厳を歪めてしまってただの消費物に変えるリスクもある行為です。ここ最近の日本はそういう問題性を考慮せず、「ヒットすればラッキー」程度の下心でむやみやたらに乱発している傾向があると思いますが…。

それとは違ってもうひとつのパターン。それが既に対象物にあるジェンダーのイメージを除去して、ジェンダーニュートラルな存在に作り変えてしまうということ。

『PUI PUI モルカー』の「モルカー」は車に対してそのアプローチを実践しています。モルカーにオス・メスの概念はほぼありません(実際はあるのかもだけど、表面上は強調されない)。極めてノンバイナリーな存在感でトコトコ走っているだけです。

面白いのは第10話で、1匹(1台?)のモルカーがヒーローに憧れて、内心では「バット・モービル」のようないかにもカッコいい、つまり男的なデザインの車を妄想するも、オタクな運転手によって可愛い女の子キャラがプリントされた「痛車」に変えられてしまうというエピソード。

このストーリーは、車に与えられるジェンダー観、もとい「消費」という側面をあえて風刺しており、とてもメタ的なくすぐりのある仕掛けだと思います。痛車にされて車自体が恥ずかしい思いをするなんて視点はなかなかないです。最終的にはそのモルカーは、見た目のデザインではない、ヒーローとして行動することが大事だという着地で終わっており、自立の芽生えになっています。

こういう風刺性をともなったジェンダーニュートラルな車のキャラクター化というのは珍しいなと思います。たいてい車というのはキャラクター化するにしても「トランスフォーマー」などのように男の子向けな扱いどまりです。ピクサーの『カーズ』でさえ、車が持つ男臭さというものから全然振り切れていません。

『PUI PUI モルカー』はピクサー以上に凄いことをやってのけていると思うのです。

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モルモット化はジェンダー最先端

その男でも女でもないジェンダー・ノンコンフォーミングを達成できている『PUI PUI モルカー』。どうやってそれを成し遂げたのかと言えば、なんてことはない「モルモット」に頼る…という方法でした。

このモルカーたちは生き物なのかモノなのかわからない絶妙な立ち位置で存在しています。確かに中に人が乗れて操縦できるっぽいですけど、モルカー自身で自律的に行動もできるらしく、たまに運転手の指示にない行動をとっています(そもそも運転手なしで動き回れるんですけど)。

モルカーたちの動きは完全にモルモットそのものです。“見里朝希”監督自身もモルモットを飼っているそうで、その行動観察の賜物ですね。第5話のレーシング・エピソードが私のお気に入りなのですが、あそこでのモルカーたちの表情がまたいいです。全然表情をつけずに単に顔をアップを映すだけ。それがモルモットが時折見せる「無」の表情そのまんまなんですよね。

とにかくこのモルモット化が功を奏しています。擬人化の延長にある動物化ではなく、完全に動物化。そうすることでモルカーたちが人間の意に介さない自立性を持っていることに繋がり、そこがまた愛嬌になる。こっちの思い通りに動いてくれないのも、ペットを愛でるときの人間の楽しみポイントだったりするし。

アイディアとしては『となりのトトロ』のネコバスと同じです。キャラクターデザインとしては「星のカービィ」に近いものがあり、監督も参考にしているとか。「星のカービィ」も結構ジェンダー・ノンコンフォーミングなキャラクター化を実践できていて、私は大好きなんですよね。

『PUI PUI モルカー』の場合は、作中で起こっていることはパロディを除けば実際の私たちの車社会で起きる問題です。迷惑な運転手、うんざりする渋滞、駐車場での車内閉じ込めによる熱中症、強盗の逃走車両…。そういう車の社会問題をあえてモルカーというフィクションで包み込むことで癒しのエピソードに変える。これを不快感なくやってのけるのはやっぱりモルカーがジェンダーニュートラルだからでしょう。もし“男性”性が強調されれば「男の力支配」の色が濃くなりますし、“女性”性が強調されれば「女のケア」の色が濃くなってしまいますからね。

モルモット化はジェンダー最先端なんです(断言)。

そこに風刺をちょっぴり加えられるのは『PUI PUI モルカー』の一歩進んだところではないでしょうか。

ということで結論。日本の車メーカーさん、モルカー、作りません?

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シーズン2:DRIVING SCHOOL

※シーズン2に関する以下の感想は2022年12月26日に追記されたものです。

第2期『PUI PUI モルカー DRIVING SCHOOL』が発進です。

しかも今回は第2期第1話「ビル倒しちゃった!」のタイトルどおり、モルカーたちが街中のビルをドミノ倒しで倒壊させる大事件を引き起こし、教習所送りになるという衝撃の展開で始まります。

いや、モルカーの落ち度というより、ビルが欠陥建築すぎるだろう…。

とにかく続編の開幕のしかたとしては他ではそうそう見られない事態なんですが(『ワイルド・スピード』だってやってないよ)、モルカーたちは純真なので、教習所(ドライビングスクール)で大人しくイチから学習することになったのです。

でもモルカーが交通ルールや運転技術を学ぶのか? それでいいのか?

今作では教習所が一瞬は軍隊式のスパルタトレーニングになりかけますが、さすがステレオタイプなジェンダーを綺麗に洗い落とすことに定評のあるモルカー。すぐにその“男らしさ”は吹き飛びます。

海でサメに飲まれたり、月に行ったりしても、平常運転(文字どおり)。

こんな教習所ならずっと滞在していたいですけどね。

『PUI PUI モルカー』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
8.0
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関連作品紹介

ストップモーション・アニメーション作品の感想記事の一覧です。

・『ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒』

・『ひつじのショーン UFOフィーバー!』

・『ぼくの名前はズッキーニ』

作品ポスター・画像 (C)見里朝希JGH・シンエイ動画/モルカーズ PUIPUIモルカー

以上、『PUI PUI モルカー』の感想でした。

Pui Pui Molcar (2021) [Japanese Review] 『PUI PUI モルカー』考察・評価レビュー