人間はいっぱい死にます…映画『クワイエット・プレイス DAY 1』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2024年)
日本公開日:2024年6月28日
監督:マイケル・サルノスキ
くわいえっとぷれいす でいわん
『クワイエット・プレイス DAY 1』物語 簡単紹介
『クワイエット・プレイス DAY 1』感想(ネタバレなし)
静かな猫と一緒に観よう
猫という生き物は犬と比べると静かな印象を持たれがちですが、実際は猫によって全然違います。全く鳴かずに挙動も物静かな猫もいれば、よく鳴いて騒がしく動く猫もいます。こればかりは個体差です。
私の知っているとある飼い猫は時間帯によって煩さが違っていて、猫のテンションにムラがあると余計に不規則になります。
基本的に室内で飼っている猫は天敵に襲われるリスクという、本来の野生であれば常に生じるものがありません。なので身を潜める必要がないですし、本能的に最初はそういう行動ができても、家の安全空間に慣れ切ってしまえば、もう警戒心は消えます。だらしなく床に寝そべって1日を過ごしてもいいわけです。
対する多くの野生動物は「物音を立てない」という行動が身に沁みついています。親からそれを学び、日常で実践します。それができない野生動物は天敵に襲われて死んでしまいます。本当に自然界では物音を立てないことが生死を分けます。
だからそれでも自然で鳴いてみせている鳥や虫なんかは、その命の危険を承知の上で、それでも音を立てることを選んでいるんですね。過酷だなぁ…。
今回紹介する映画は、そんな音を立てることのリスクを人間に思い出させる作品です。
それが本作『クワイエット・プレイス DAY 1』。
本作は『クワイエット・プレイス』シリーズの最新作。2018年に公開された『クワイエット・プレイス』は、ある理由で社会が崩壊した世界が舞台で、音をちょっとでも立てただけで即死級の恐怖が襲い、死んでしまいます。そんな危険すぎる世界でひっそりと孤独に生き抜くひとつの家族の物語でした。この極限のシチュエーションを研ぎ澄まされた緊張感の演出で描き抜き、高く評価された新しいホラー映画の顔になりました。
好評だったので2作目『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』がコロナ禍を乗り越えた2021年に公開され、世界観を伸ばしていきます。
そして今度は世界観を横に広げるスピンオフが作られることになり、それが本作『クワイエット・プレイス DAY 1』となります。スピンオフではありますが、過去作を観ないといけないことはなく、独立して楽しめるようにはなっています。あえてどの順番で観たらいいかと聞かれたら、やっぱり「1作目→2作目→スピンオフ(本作)」の順をオススメしますけども。
タイトルのとおり、世界崩壊の出来事が起きた最初の1日目を描いていますが、それは過去作でも部分的に描かれていました。今回はニューヨークの都市を舞台にしており、フィールドが変わったと思えばいいです。主人公も様変わりしており、そこは新鮮です。もちろん、今回も音を立ててはいけない恐怖は同じですが…。
『クワイエット・プレイス DAY 1』を監督するのは、“ニコラス・ケイジ”とブタを組み合わせた『PIG ピッグ』で長編映画監督デビューを果たした新鋭の”マイケル・サルノスキ”。人気ホラー映画の続編への抜擢ということで、今後は大作路線でいくのかな。またオリジナル作も作ってほしいけどな。
主演は、『ブラックパンサー』や『アス』でおなじみの”ルピタ・ニョンゴ”。”ルピタ・ニョンゴ”の演技が上手いのはじゅうぶん理解していますが、今作は別の意味でスゴイ頑張ってます。その理由は後半の感想で書くとしますが…。
共演は、『オーヴァーロード』の“ジョセフ・クイン”、『ヘレディタリー 継承』の“アレックス・ウルフ”、『REBEL MOON』シリーズの“ジャイモン・フンスー”など。
そして、人間の登場キャラクターと同じくらいに存在感を発揮する「猫」も同伴しています。もうこの感想記事のタイトルに書いてしまいましたが、猫は死にません。安心してください。猫に優しい映画です。その代わり(?)、人間はやたらといっぱい死にますが…。
映画館では猫と一緒には観られないので、そこは我慢です。
『クワイエット・プレイス DAY 1』を観る前のQ&A
A:とくにありません。
オススメ度のチェック
ひとり | :シリーズ好きなら |
友人 | :シリーズ初見でも |
恋人 | :恋愛要素は無し |
キッズ | :暴力描写あり |
『クワイエット・プレイス DAY 1』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
末期癌患者のサミラ(サム)は、ニューヨーク・シティのホスピスで暮らしていました。他に身よりとなる家族もおらず、飼い猫のフロドだけです。赤の他人の老人が多いこの施設で、元気がでるわけもなく、あまりにのんびりした空間が生気を奪います。猫くらいしか気軽に話せる相手もいません。
自室に戻り、猫をリードから解放し、パッチを肌に貼って物理的な痛みを和らげます。けれども心の痛みはそう簡単に癒せません。
ある日、ニューヨーク市内のマンハッタンへのグループ旅行に促されて参加します。乗り気ではありませんでした。しかし、バスの車窓から覗く街並みは少し心に刺激を与えてくれ、期待を持たせます。
猫と共にバスを降り、劇場へ。前方に家族連れがいて、その子どもは猫に関心をよせます。久しぶりの日常的な光景を見ました。
操り人形劇が始まり、風船を膨らまし、浮き上がる人形。その姿に心が踊ります。しかし、割れてしまい、床に落ちる人形に、現実に戻されます。
サミラは少し動揺し、劇場を出ます。介護士にも冷たい言葉をぶつけてしまい、バスに乗り込むしかできません。
窓に顔を付けて落ち込んでいると、何か違和感を感じます。みんなバスの後ろに集まって何かを見ているのです。自分も確認しようと立ち上がってみると空に隕石のようなものがいくつも降っている気がしました。そのとき、衝撃で吹き飛びます。
気づいたときはあたり一帯が煙で覆われていました。バスから降りても視界が悪いです。困惑しながら彷徨うと、無数の瓦礫と何かに引きずり込まれる人が見えます。その悲鳴から只事ではないことだけは察知できます。慌てて物陰に隠れ、様子を確かめようとしますが、よくわかりません。近くで車が衝突し、爆風に打ち付けられ…。
目を覚ました瞬間に静かにするように口を押えられます。目の前にいたのは劇場で出会ったあの家族。ここに大勢で避難している様子です。そして、みんな異様に物音を立てないようにしています。どうやら静寂でないといけないらしい…。
猫も無事で、介護士の人とも合流します。
ヘリの音がして、その後に大きな音が鳴り響きます。驚いた猫が逃げてしまい、思わず追いかけます。ところが、猫が音をたて、扉を突き破って謎の生物が出現。それは見たこともない異形の存在。直感でわかります。音をだせば感知されて襲われるのだ…と。
ちょうどヘリが通りかかり、その怪物は消えてしまいました。外の通りには無数の怪物がいっぱいいるようです。
建物の屋上に上がると、街はあちこちで燃えていました。戦闘機が橋を爆破しており、軍はあの怪物の存在を把握していて、このニューヨークを隔離して封じ込めるつもりのようです。
自分たちは逃げる術があるのか…。
あの原点の映画に回帰
ここから『クワイエット・プレイス DAY 1』のネタバレありの感想本文です。
『クワイエット・プレイス DAY 1』はニューヨーク・シティへと舞台が映ったことで、序盤の隕石落下からはずっとディザスター・パニックのようなジャンル性を感じます。埃煙が待って都会が一変してしまうあの混乱の光景は、世界貿易センタービルに旅客機が突っ込んだあの世界同時多発テロを否応なしに想起させもします。
というか、本作は舞台といい、『クローバーフィールド/HAKAISHA』にそっくりです。そもそもこの『クワイエット・プレイス』の1作目は『クローバーフィールド』シリーズの作品のひとつとして初期には企画されていたもので、そこから独立しました。なので『クワイエット・プレイス DAY 1』は『クローバーフィールド』シリーズの原点にとんぼ返りした感じですかね。
無論、『クローバーフィールド/HAKAISHA』と違ってファウンド・フッテージではありません。襲ってくる存在も、『クワイエット・プレイス』シリーズを重ねたことで謎でも何でもなくなりつつあり、観客も基本はわかっています(シリーズ初見でない限り)。
ではどう魅せるのか…というあたりが今作の腕のみせどころになってきます。
まず『クワイエット・プレイス』シリーズの1作目と2作目が、わりとアメリカの典型的な保守っぽい田舎地域を舞台にしていたので、そういう地域性を持つ人たちを描く定番のホラーとして機能していました。
一方の今作『クワイエット・プレイス DAY 1』はニューヨーク・シティ。アメリカの経済や文化の中心地で、多様な人種が入り乱れる全く異なる地域性を持ち合わせています。それは前半からずっと背景として描かれています。
当然、物理的な構造も違います。「音」の面で言えば、その音さえも膨大で多大。序盤から不吉さを滲ませるように上空を軍事航空機がさりげなく飛び交っているのですが、それさえもニューヨーカーたちは気にしません。この世界はあまりに情報量が多く、関心の範疇にも入らないのです。
そんな大都会があの出来事から一瞬にして静寂の世界へと変貌してしまいます。このギャップを映画的にみせるという点では本作は大成功しているでしょう。
その変わり果てた都会を1匹の猫が歩くという構図もいいですよね。「都会 × 猫」っていう需要はあるなと思うところ。あの猫もすっかりサイレントにサバイバルしていたし…。本作ではエリックに出会うほんのわずかなシーンだけ、猫のフロドの視点になるのですが、贅沢を言えばもっと見ていたかった…。そうなると全然別の映画になってしまうけども、そういう映画も一本くらいあっていいじゃないですか。猫の視点だけのホラー映画って斬新じゃないか?
それにしても主演の”ルピタ・ニョンゴ”、実は猫が大の嫌いという人間で、これまで猫アレルギーの俳優とかならよくありましたけど、猫嫌いな俳優はなかなか…。撮影では本物の猫が出演していますので、”ルピタ・ニョンゴ”は己の嫌悪感を封印して「猫を唯一の心の支えとしている人間」を観客に説得力を持たせて熱演しているのでした。プロフェッショナルだ…。
あれの表象は前作よりも劣るか
『クワイエット・プレイス DAY 1』にて”ルピタ・ニョンゴ”演じる主人公のサミラ。このキャラクターはニューヨーク・シティにどっぷり浸かっている身ではなく、少し距離を置いて俯瞰している立場です。それはサミラが末期の癌患者で、ホスピスに引きこもるように暮らしていたからでした。
本作はオーソドックスなキャラクター・ストーリーです。余命を意識せざるを得ない「生の実感」を得られていない主人公が、絶体絶命の窮地に陥る中で、もう一度「生死」というものを再認識、生きる意義を見い出していく。自分を見つめ直して納得してこの世を去るという過程を描いています。
こういうタイプのジャンルにおける、この属性のキャラクターの役割としてはベタなほうです。
どうしてもホラーの作品に高齢者や余命患者が登場すると、何かしらの犠牲の中で、他の生存者に託す展開が待っていますよね。
個人的には、病気や障害の表象としては前作より劣るかなとは思いました。前作の1作目と2作目は、デフ(聴覚障害者)が主要キャラクターで登場し、非常に重要な役目を果たし、それはディサビリティの世間のネガティブな印象を逆手に取ってみせるものでした。当事者起用でしたし、レプリゼンテーションとしてはかなりいい線を進んでいました。
『クワイエット・プレイス DAY 1』はそれと比べると見劣りはします。癌患者の苦悩を序盤から細かい所作も添えて丁寧に描いていましたし、”ルピタ・ニョンゴ”の演技にも支えられて迫真ではあったのですが、与えられた役回りは平凡だったな、と。
“ジョセフ・クイン”演じるエリックも、登場時の弱々しさから徐々に他者への献身をみせるくだりは良かったですし、悪くもないのですが、サミラがこういう身体の状態ゆえに気遣っている感じが濃くでてしまっていて、普通すぎたかもしれません。逆に凄い薄情で嫌な奴とかのほうが、キャラクターの関係性として予測しづらく面白かったのかも。
もうひとつ本作で個人的にイマイチだったのは、SFとしてのフランチャイズの次なる面白さをあまり見せてくれなかったこと。前作の『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』の感想でも書いたので、同じことを繰り返し指摘はしませんけど、あの怪物の知られざる生態として新しい切り口が欲しかったですね。
水が苦手なのは前作で提示されたことですし、今度は「猫を異様に怖がる」とか何でもいいから…。
『クワイエット・プレイス』シリーズがまだ続くのかはわかりませんが、コンセプトがシチュエーションに縛られるものなので、横に拡張しようとしても舞台を変えることに帰結しやすいでしょう。そうなると単純な作品としてのネタ切れ感は避けられません。怪物の倒し方も前作で編み出してしまっているので、なおさらです。
シチュエーションをより強化して挑むか、ストーリーと表象の合わせ技で勝負するか、どちらともやってみせるか。そろそろこの『クワイエット・プレイス』シリーズも方向性を考えないといけない時期になってきました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2024 PARAMOUNT PICTURES クワイエットプレイス デイ1
以上、『クワイエット・プレイス DAY 1』の感想でした。
A Quiet Place: Day One (2024) [Japanese Review] 『クワイエット・プレイス DAY 1』考察・評価レビュー
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