奇しくも映画業界の復活の象徴になった…映画『クワイエット・プレイス2 破られた沈黙』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2021年)
日本公開日:2021年6月18日
監督:ジョン・クラシンスキー
クワイエット・プレイス 破られた沈黙
くわいえっとぷれいす やぶられたちんもく
『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』あらすじ
我が家は燃えてしまった。音を立てることができなくなった世界になってから、そこが家族の憩いの場だった。しかし、それはもうない。エヴリンは、生まれつき耳が聞こえない娘のリーガンと、息子のマーカス、そして誕生したばかりの赤ん坊を連れて、外へと踏み出す。そこは安全地帯などではない、一瞬の気の緩みで命を奪われる空間。沈黙の中でゆっくりと前に進んでいると、思わぬ存在に出くわしてしまう。
『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』感想(ネタバレなし)
Cinema is back
コロナ禍でポストアポカリプスみたいな状態になってしまった映画館業界。しかし、世界が変わった2020年2月から実に1年4カ月を経て、ついに完全復活のときが来ました。
ワクチン接種が予定よりも早く進んだアメリカでは2021年6月、ニューヨークやカリフォルニアなど映画館の本場が相次いで規制を解除。マスクなしで自由に映画館で作品を鑑賞できるようになり、もはや懐かしいあのいつもの光景が戻ってきたのです。
長かった…本当に長かった…。
そんな感慨深いこの時期、映画館の復活を象徴するような作品が公開されました。それは「Cinema is back」というフレーズとともに祝福された一作。
それが本作『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』です。
なぜこの作品がそういう象徴になっているのか。かいつまんで説明すると…
そもそも『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』は当初の全米公開日は2020年3月でした。それに向けて宣伝もガンガン行われ、プレミアイベントも開催。さあ、公開するぞ!と意気込んでいた矢先。新型コロナウイルスのパンデミックが無視できない勢いでアメリカ全土を包み込んだのです。結果、劇場は閉鎖され、公開は急遽延期。もしちょっとでも公開が早かったとしてもパンデミックのせいで客は全然入らなかったでしょうね。
それから何度も何度も延期を繰り返し、やっと全米で公開できたのが2021年5月28日。その間、閉鎖となった映画館ではこの『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』のポスターがずっと飾られることになってしまい、ある意味、そこで時が止まったかのようになっていたのでした。
その時がまた動き出したのです。『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』の公開はだからこそ多くのアメリカの映画ファンにとって映画館が活動を再開した証になりました。
また、作品の内容もその象徴性を後押ししています。というのも本作はシリーズの2作目であり、1作目は2018年公開の『クワイエット・プレイス』です。このシリーズは(ネタバレを回避しつつ語ると)ある理由で社会が崩壊した世界が舞台。そこでは音をちょっとでもたてただけで即死級の恐怖が襲い、大勢が死亡しました。そんな危険すぎる世界でひっそりと孤独に生き抜くひとつの家族の物語です。
閉鎖的な世界観で繋がりを絶たれた家族が事態に対して立ち向かっていく…その姿はまさにコロナ禍における私たちそのもの。1作目当時は「続編を作るの?」とややもうこれでじゅうぶんじゃないかという気分だったのですが、2作目である本作は作られるべくして生まれたというか、時代とのシンクロ性がとてつもなく高く、もはや運命的ですね…。
監督は1作目から続いてドラマ『ジャック・ライアン』でも主演している俳優の“ジョン・クラシンスキー”。今回もパートナーである“エミリー・ブラント”とともに出演しています。“エミリー・ブラント”は今作でも活躍どころがいっぱい。やっぱり私は『ボーダーライン』のときのように極限状態下でサバイバルしている姿が似合うと思います。
ただ、この2作目の真の主役は子どもたちです。『ワンダーストラック』の“ミリセント・シモンズ”と『フォードvsフェラーリ』の“ノア・ジュープ”は今作では見せ場で輝くので期待してください。
他には『ダンケルク』の“キリアン・マーフィー”、『シャザム!』の“ジャイモン・フンスー”などが出演。
図らずも2021年を代表する映画になった『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』。相変わらずの無音演出が冴えわたる作品ですので、ぜひ体感没入度が桁違いの劇場で鑑賞するのをオススメします。
『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』を観る前のQ&A
A:1作目の前日譚とそのエンディング直後から物語は始まり、当然のように前作を知っている前提で物語は進みます。できれば鑑賞しておいたほうがいいでしょう。
A:ゴア要素ありの残酷描写はないです。あまり直接的なシーンがないつくりになっています。わりと子どもでも観られるかも…。
A:心理的にジリジリと恐怖が迫る系の作品です。それでもエンタメ性が強いので、そこまで直視できない恐怖はないと思います。
オススメ度のチェック
ひとり | :劇場が君を待っている |
友人 | :静かに鑑賞できる友と |
恋人 | :スリルを共有し合って |
キッズ | :怖い映画が平気なら |
『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):こうして世界は沈黙した
静かな町。人影はありません。そこに1台の車が路肩に止まり、男が降りてきます。その男、リー・アボットは店に入り、果物を手に取り、他の食料品も掴み取り、レジへ。店の人は店内テレビに釘付け。何やらあったようです。
店を出たリーは路地裏を進むと、その先は人でいっぱいでした。実は町では子ども野球の試合の真っ最中。親を含めて観客で賑わっていました。アボット一家も長男のマーカスが所属する野球チームの試合観戦です。すでに妻のエヴリンと娘のリーガン、小さい息子のボーが一緒に客席にいます。リーガンは耳が聞こえないので普段から手話で会話しています。
試合は進み、マーカスの打席です。ラジオが聞こえなくなり、何かの気配を察知した犬がしきりに吠えていましたが、周囲の観客は試合に夢中で気づきません。
緊張の3球目。マーカスは集中しますが、遠く向こうの上空に異様なものを目にし、バットを降ろします。それは巨大な火の玉のような…。
観客もみんな気づき、唖然とそれを見つめます。やがてこれは只事ではないと察した人たちはぞろぞろと立ち上がって全員が避難を始めます。
リーもリーガンと一緒にトラックに乗り込みます。エヴリンはマーカスとボーと一緒に別の車です。リーはちょうど到着した警官に話を聞こうと車から出ます。
しかし、“何か”が目にもとまらぬ速さでパトカーに追突。パトカーは吹っ飛んでしまいます。パニックです。リーは車に慌てて乗り込み、アクセル全開。エヴリンも“何か”に襲われていく町を大混乱の中、車で疾走。こうして日常は消滅しました。得体の知れない怪物のせいで…。
それから月日が経過し…。
アボット一家は生き延びていました。しかし、大きな犠牲もありました。ボーを怪物に殺され、リーもまた命を失いました。隠れ家に怪物が強襲してきてしまったのです。けれども新しい命の誕生もありました。エヴリンの手には赤ん坊が抱かれています。そしてリーガンの補聴器を活用してノイズによってあの怪物の弱点を暴くことにも成功しました。もう逃げて隠れるだけの人生ではありません。
家は炎上し、もう住めそうにないので、家の中を物色し、使えそうなものがないか見ていきます。リーガンは地図を手に、暗くなり始めると見える火の光の方角を確認。
家族は歩き出します もちろん音をたてないようにゆっくりと。自分たちが今まで足を踏み入れてこなかった地へ…。
ある工場跡地に到着。穴の開いたフェンスを慎重にくぐると足元にワイヤが。トラップです。音が鳴り、危険を察知した一同は一目散にダッシュします。しかし、マーカスの足にトラバサミがかかり、マーカスは激痛に絶叫。その口を塞ぐエヴリン。なんとか罠を外すも、背後に怪物が迫っていました。猛然と襲ってきます。
リーガンは補聴器が発するノイズをギターアンプによってその音量を底上げし、怪物の弱点が見えたところでエヴリンが撃つという連携を披露。
それを遠くからスコープで監視している誰かがいるとも知らずに…。
ビヨンド・ザ・シー
1作目の『クワイエット・プレイス』では、こんな状態で赤ん坊を産むなんておかしいというツッコミ的な感想も散見されました。しかし、この赤ん坊こそ本作の大事な主張を示すものだと思います。
コロナ禍で私たちはうんざりするほど体験したと思いますけど、人は絶望的なほどの緊急事態に直面し続けてしまうとしだいに生きる希望を失い、何もかもが惰性になってしまいます。しょうがない、我慢するしかない、どうせどうにもできない、誰かが何とかしてくれる…こんな後ろめたいネガティブな感情によって心が支配されるのです。
アボット一家もまさにそういう状況に沈んでいたわけですが、エヴリンの妊娠はひとつの希望になります。人類はこのまま滅んでいく定めではない。未来を託し、抗えるのだと…。
なので出産は同時に闘いの幕開けを意味します。そもそも生きるというのは誰でも産声という“音を発する”ことから始まる。その根源を思い出すように…。
そしてこの2作目である『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』はさすがにあの赤ん坊が活躍するにはまだちょっと生まれたてすぎるので、今回はリーガンとマーカスという2人の子に希望がバトンタッチされます。
まず分断することになり、家族は2つに分かれ、1作目で編み出した連携による打開策は安易に打ち出せなくなってしまいます。そんな中、リーガンは先に生きる希望を失ってしまったエメットに再び活力を与えることになり、新天地へ。一方のマーカスは赤ん坊を守るという育児面を担うことになります。子どもが主役ながら、しっかりジェンダーロールは逆転しているんですね。
その異なる地での激闘。それがついにリーガンがたどり着いたラジオ局を通して、例の補聴器ノイズを各ラジオに拡散することで、再び家族が接続。リーガンとマーカス、それぞれが子どもの力だけであの獰猛な怪物を倒せるまでに成長する。冒頭であんなに警察さえも太刀打ちできなかったのに、今や子どもが撃退できる存在になった。これは人類の新たな始まりです。
同時にこの補聴器ノイズは全世界に届けられたわけで…。同じ反撃の狼煙があがるでしょう。コロナ禍で言うならワクチンみたいなものですね。
このラジオではもともとボビー・ダーリンの「ビヨンド・ザ・シー」が流れていたというのも印象深いです。本来はフランスの歌手のシャルル・トレネが作詞作曲した「ラ・メール」であり、ジャック・ローレンスが英語詞をつけたことでラブソングに変化しています。海の向こうにいる大切な人を想うような曲ですが、それがそのままバラバラになった人類の団結を促すフラグになるという本作の採用は地味ながら上手いです。怪物が海を渡れないという伏線にもなっていますしね。
次回作はこうなってほしいという妄想
『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』でも前作に引き続き無音演出が冴えわたっていました。
序盤の前日譚パートでは、初見では「あれ、これっていつの時期の話?」となるような静かな町の風景でミスリードさせつつ、盛況な町が一瞬で阿鼻叫喚の地獄に変わる光景を描き、震撼させてきます。ちゃんとリーガン視点になると無音になり、無音ならではの“何が起こっているやら”な恐怖が伝わってくるのもゾクゾクします。この冒頭の惨劇が終盤の避難地でまた繰り返されるのが嫌らしい2段構え演出。
1作目直後のパートに移ると、マーカスに襲う“痛い”シーンに始まり、やっぱり反撃手段を手に入れても早々易々と倒せる相手じゃないこともわかる、不利すぎるシチュエーションをすぐに痛感。列車内でのリーガンの追い詰められる状況といい、孤立では勝てないことを伝えるかのような演出の数々。
あとは後半になればなるほど2つの場所での出来事が短いカットバックで盛んに繰り返され、緊迫感を煽っていくというかなりクセのあるスタイルになります。すっごい落ち着かないのですが、この息をする間もない緊張で一気に駆け抜けるのがいいですね。実際、起こっていることを整理するとそこまでではないのです。マーカスなんてその場から動いていないですし。でもとんでもなく大展開を経験したような気がしてくる。2作目ながら変にスケールアップせず、最小構成にしているのはスマートだなと思いました。
怪物に関しては今作で「泳げない」という弱点が判明(確かに泳げそうにない見た目をしている)。こういう生物学的な脆弱性が明らかになるのは個人的に好きですし、SF的にもリアルだなと思います。実際、ある生物が本来の生息地ではないところに定着しようとするとまず直面するのは自分の行動スキルがその環境に合致するのかという問題ですからね。
きっとまだまだこの怪物の知られざる生態をいくらでも描けそうだなぁ…。個人的には一部のオスだけ翅があって飛行します…とか、そういうやつを希望したい…。もしくはこの怪物を狩るさらなる怪物の出現とか…。私の趣味を駄々洩れさせるなら、地球上のとある野生動物が意外にもこの怪物に対抗できていて、その野生動物と人類が協力するというエコロジカルな展開が見たいです。
そうです、このシリーズ、3作目が決定済み。スピンオフなのか正当な続編なのか、それとも両方なのかはわかりませんが、どちらにせよ『クワイエット・プレイス』ワールドはまだまだ拡大します。
次の新作の公開時はパンデミックとかで現実とシンクロしなくてもいいですよ…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 91% Audience 93%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2021 Paramount Pictures. All rights reserved. クワイエットプレイス パート2
以上、『クワイエット・プレイス 破られた沈黙』の感想でした。
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