レベッカ
Netflix映画『レベッカ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Rebecca
製作国:イギリス(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:ベン・ウィートリー

レベッカ

あらすじ

刺激も何もない退屈な生活。そこに現れたのは素敵な男性だった。妻を亡くした富豪と結婚し、彼の大邸宅に移り住んだ新妻。その順風満帆な新生活は、そう簡単に手に入るものではない、他の誰もが羨む日常。しかし、家政婦から向けられる敵意や色濃く残る前妻の影に、彼女は次第に追い詰められていく。このレベッカという名の前妻は一体どういう人だったのか…。

『レベッカ』感想(ネタバレなし)

あの名作がまたリメイクして蘇る

2019年、BBCが「100 most inspiring novels(最も刺激的な100の小説)」というリストを発表しました。そこには名だたる有名な小説がたくさん並んでいるのですが、J・R・R・トールキンの「指輪物語」、フランク・ハーバートの「デューン」、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」、C・S・ルイスの「ナルニア国物語」、カズオ・イシグロの「日の名残り」など、当然のように映画化された小説もいっぱいあります。

でも今回、取り上げる重要な作品はそれらではなく、その中に掲載されている別の一作。イギリスの作家ダフニ・デュ・モーリエが執筆した「レベッカ」です。

「レベッカ」は1938年に発表された作品ですが、ダフニ・デュ・モーリエの代表作であり、今でも非常に人気が高いです。

それだけ人気が高ければ、当たり前のように映像化も散々されており、一番有名なのはアルフレッド・ヒッチコック監督の『レベッカ』(1940年)でしょう。当時、イギリスで活躍していたヒッチコックのアメリカでの活動開始となる記念すべき第一作であり、イギリスの話題作を引っ提げての監督作でもありました。結果、アカデミー賞を総なめにするノミネートを記録し、作品賞と撮影賞(白黒部門)を受賞し、ヒッチコックの才能をアメリカに轟かせました。

物語はざっくり言うとこんな感じ。ある若い女性が主人公で、その女性が偶然にも裕福で素敵な男性との結婚の機会に恵まれます。それだけだと理想的なラブストーリーなのですが、そこに不穏な影が。その結婚した男性には亡くなった妻がいて、そのもういないはずの存在がどうしてもちらついてきます。しだいに追い詰められていく主人公はどうなってしまうのか…。

「ジェーン・エア」のような身分の低い女性が自分より圧倒的に上の男性との愛を手に入れるという典型的な“玉の輿”ラブストーリーです。しかし、そこに嫉妬なのか、考えすぎなのか、なんだか得体の知れない不安が増幅してくるサスペンスフルな展開は、ちょっとした屋敷オカルトスリラーのような恐怖もあり、ジャンル・ミックスな楽しさがあります。

今の時代でも愛されるのはこの現代でも古さを感じることはない、色褪せない普遍的なジャンルの面白さがあるからなのでしょうね。確かにグイグイ引き込まれるストーリーテリングです。

そんな名作が2020年にまたしても映画化されました。それが本作『レベッカ』です。タイトルは全く同じなので2020年版『レベッカ』と呼びましょうか。

正直、「また映画化? ヒッチコックのでじゅうぶんでは?」と思わなくもないのですが、まあ、名作と言えども若い人なんかは知らない人もいるでしょうし、こうやって新しく知ってもらう良い機会とポジティブに受け止めることにしましょう。

俳優陣も今の話題性を掴める人ばかり。

まず主役の女性を演じるのが、実写映画『シンデレラ』でブレイクし、『ベイビー・ドライバー』や『ガーンジー島の読書会の秘密』など多才な映画で魅力を振りまく“リリー・ジェームズ”です。そのヒロインのお相手となる富豪男性を演じるのは、『コードネーム U.N.C.L.E.』や『君の名前で僕を呼んで』などハンサムな役でおなじみの“アーミー・ハマー”。彼は女性相手であろうが男性相手であろうが常にモテまくる存在ですよね。

そして物語を知っている人なら一番気になるであろうキーパーソンのダンヴァーズ夫人を演じるのは、『フォー・ウェディング』『イングリッシュ・ペイシェント』の“クリスティン・スコット・トーマス”です。

他にもドラマ『ハンドメイズ・テイル 侍女の物語』で凄まじく印象に残る演技を見せた“アン・ダウド”、『マレフィセント』の“サム・ライリー”などが出演しています。

監督は『ハイ・ライズ』や『フリー・ファイヤー』の“ベン・ウィートリー”。この人が『レベッカ』をリメイクするのかという意外な人選だと思います。でも人間の疑心暗鬼や心の闇を物語に仕込んでいく作品ばかり手がけてきましたからね。そこを買われたのかな。

ヒッチコック監督版を知っている人も知らない人も、この2020年版『レベッカ』をいろいろな視点で楽しめるのではないでしょうか。

本作、2020年版『レベッカ』はNetflixオリジナル作品として2020年10月21日から配信中です。

オススメ度のチェック
ひとり◯(俳優ファンは見逃せない)
友人◯(シネフィル同士でも)
恋人◯(恋愛要素はたっぷり)
キッズ△(大人のドラマです)

『レベッカ』予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『レベッカ』感想(ネタバレあり)

レベッカはまだ消えていない

「またマンダレーへ行く夢を見た」

モンテカルロ。このリゾート地では富裕層が好んで羽を伸ばしにやってきます。ヴァン・ホッパー夫人の付き人としてやってきた「私」は、自由気ままな夫人からあれこれ指示が飛ぶ中、必死に仕事をこなしていました。無知な子だと嫌みが添えられますが、ただひたすらに従順にするしかありません。

ヴァン・ホッパー夫人は「マキシム・ド・ウィンターを見た」と上機嫌です。「ご友人ですか」と訊ねると、「あのマンダレーの持ち主よ」とそんなことも知らないかという口調で答えます。どうやら英国一のお屋敷を持つ人らしく、夫人くらいの裕福な人間の世界では知らぬ者はいないようです。なんでも去年レベッカという名の妻を亡くして傷心しているとか。

ド・ウィンターと一緒の席で食事をとりたいと我儘を言ってのける夫人のために、スタッフにお願いに行く「私」。もちろん断わられます。すると偶然、ド・ウィンター本人が居合わせ、「私」はその人を初めて目にしたのでした。

食事に降りてきたヴァン・ホッパー夫人は遠慮なくド・ウィンターに話しかます。そばにいた私を見てド・ウィンターは何気なく「家族ですか?」と聞きますが、夫人は「使用人です」とピシャリ。

夜、友人の前で夫人はド・ウィンターを前にドキマギした態度しかとれなかった私をバカにしていました。ハメを外し過ぎた夫人は具合を悪くし、しょうがないのでひとりで食事を取りに行った「私」でしたが、使用人だからという理由でホテルのスタッフはテラスに入れてくれません。

すると近くで見ていたド・ウィンターが席を一緒にさせてくれました。「なぜ彼女と?」と訊ねられ、「世界が旅できて給料がいい」と素直に答えます。素敵な食事の時間を過ごせた「私」はすっかり立ち去るド・ウィンターの後ろ姿を目で追い、うっとりしていました。

その後、自分にメッセージが届きます。ド・ウィンターからでドライブに行こうというお誘いでした。「私」はテニスのレッスンがあると夫人に嘘をついて出ていきます。ド・ウィンターは車で待っており、開放的な時間を2人で満喫します。「私の両親は亡くなって…」と自分の人生もちゃんと聞いてくれるド・ウィンター。しかし、植物園へ来たとき、何年も前にハネムーンで来たらしく、妻の話は嫌がるのでした。

ド・ウィンターは語ります。「マンダレーの屋敷は僕の人生だ、ずっと受け継がれてきた」

こうして2人の密かな交流は続きました。散策、海岸、水遊び…やがれ2人は愛を育んでいくことになります。

しかし、事態は唐突に動きました。ある日、ド・ウィンターとの秘密のくつろぎを終えて部屋に戻るとオシャレしているヴァン・ホッパー夫人がいて「荷造りして」と命令してきます。明朝にニューヨーク行きの船に乗るそうで、「同じ身分の男がいっぱいいるでしょう」と言ってきました。

そうです、関係はバレていました。夫人は続けます。「つけ込んだのね、本気で愛されているわけないでしょ、ただの気晴らしよ」と辛辣です。

パニックになった「私」はド・ウィンターに知らせに行きます。すると少し考えた彼は「一緒にマンダレーに来て」と言いました。つまりプロポーズです。

それを聞いたヴァン・ホッパー夫人はド・ウィンターのいる前では祝福してくれます。しかし、彼がいなくなると「私」に向かって「あなたの手には負えない」「色仕掛けで捕まえた男は長続きしない」と厳しく言い放つのでした。

「私」はド・ウィンターに連れられ、彼のマンダレーの屋敷へと到着します。使用人がズラッと並んで迎え、執事のクリス、家政婦長のダンヴァーズ夫人、屋敷管理のフランクなどを紹介されます。ダンヴァーズに屋敷を案内され、こういうお屋敷に立ち入ったこと自体が初めてで浮足立つ「私」。

「私」は「ド・ウィンター夫人」になったのです。

しかし、そこには今は亡き、過去の「ド・ウィンター夫人」の痕跡がたくさん散在し、徐々に今の「ド・ウィンター夫人」を苦しめていくことに…。

レベッカ

ヒッチコック監督版との比較

2020年版の『レベッカ』は、どうしたってヒッチコック監督版の『レベッカ』と比較されるでしょう。

ただ今作は全体のあらすじも同じですし、ほとんど変えてきていません。変えてきている展開を探す方が早いかもしれません。

例えば、前半のモンテカルロでのシーン。ここでのヴァン・ホッパー夫人の振る舞いは、ヒッチコック監督版よりも最初からかなり辛辣だったように見えます。冒頭から「私」に対して嫌みが全開ですし、人前で平然と陰口も言いますし、意地悪さが増していました。とくにニューヨークへ行く動機が明確に「私」がド・ウィンターとイチャイチャしているのを許せなかったから…という嫉妬感情があるようになっています。

個人的には『ハンドメイズ・テイル 侍女の物語』のせいで“アン・ダウド”への恐怖心が植え付けられているせいか、余計にヴァン・ホッパー夫人が怖かったのですけど…。

屋敷についてからは徐々に不気味さが上乗せしていくのですが、ヒッチコック監督版の方は、モノクロも確かに怖い雰囲気がありましたし、あのダンヴァース夫人がどこからともなくスッと現れる演出といい、すっかりホラー映画みたいになっていました。

対する2020年版はカラーになり、屋敷の豪華絢爛がより印象に残るようになっています。これはこれで「私」への高圧的なプレッシャーになっている感じで、地味に怖いです。ここにマキシムの夢遊病とか、不吉な群れの描写などが視覚的にどんどん追加され、恐怖を煽ってきます。

仮装舞踏会での「私」の大失敗シーンは、深紅のドレスに変わり、インパクトも大に。とくに本作では“リリー・ジェームズ”が演じていることがさらに皮肉になっています。なぜなら彼女は実写映画『シンデレラ』ではドレスアップしたことで大衆をアッと言わせたのですから。今度は同じ手を使ったのにドン引きされてしまう。魔法が通用しない世界線です。なんか全体的に『シンデレラ』でずっといじめられているターンが続いていく苦しさのある物語ですけどね。

その後のマキシムの罪が明らかになった後の裁判シーンは割とあっさりめ。もともとヒッチコック監督版のこの一連のシーンとレベッカの死の真相は、当時のヘイズ・コードの影響があるそうで、若干の暴力性が弱められています。2020年版ではもっとハッキリ描くのかなと思ったのですが、そうでもなかったですね。

ラストはかなり違います。ヒッチコック監督版は燃える屋敷で不気味に佇むダンヴァーズ夫人の姿で終わりますが、2020年版は海に身投げするダンヴァース夫人で終わります。結果、本作では今度はダンヴァーズ夫人が海に消えることになり、なんとなく死の連鎖のループが起きている印象も受ける後味です。個人的には屋敷炎上でエンディングを迎える方が、レベッカへの想いが際立っていいのかなとも思うのですが。ちなみに原作小説ではレベッカは死んだのかよくわかりません。

「あなたにマンダレーは渡せない」「あの男のそばにいたって幸せにはなれない」と言い放って海に飛び込む本作のダンヴァーズ夫人は序盤のヴァン・ホッパー夫人ともちょっと重なりますね。

私の好みとしてはヒッチコック監督版の方がサスペンス・テクニックはやっぱり上手いかなと思ってしまうところです。そもそも原作自体が面白く、あらためて王道の魅力があるなと思いますね。本作は順風満帆に見える夫婦が秘密の過去のせいで崩壊しかけるというドラマであり、これ以降の多くの作品に参考にされています。それだけのエキサイティングなストーリーであることがあらためて痛感できました。

私なりの解釈

2020年版の『レベッカ』はどうせならもっと大胆に改変しても良かったかなとも思います。それこそ『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』が名作を上手く現代的に適応できるようにアレンジしてみせたように。


実を言えば、この『レベッカ』は一部の界隈でとある解釈が話題になってきた歴史がある作品です。

本作では中年女性に良い印象を持つことはないです。とくにダンヴァーズ夫人は怖すぎます。おそらく今も流布する「怖い中年女性」のステレオタイプな土台になっているひとりでしょう。

そのダンヴァーズ夫人に関してこんな解釈があるのです。それは「彼女はレズビアンで、レベッカを愛していた」という考察です。作中でもレベッカへの従順さはちょっと家政婦だからという次元を超えている雰囲気がガンガンに伝わってきます。もはやこれは陶酔に近いもので、もしかしたら愛なのではないか…と。だからこそマキシムを厳しく恨んでおり、その後の狂気による犯行も、孤独な愛ゆえである…。

もちろんこれには何の根拠もないですし、公式設定というわけでもないのですが、ひとつだけそれを後押ししているのが原作者の存在です。実は原作者であるダフニ・デュ・モーリエはバイセクシュアルだったのではないかという噂があります。これも結局は真相は藪の中なのですが、そんなこんなで推察が膨らむ作品ではあるんですね。

これらはいわゆる「クィア・リーディング」というものです。作品の物語やキャラクターに対して「ここには「クィア(LGBTQ)の要素が込められているのではないか」と探っていく考察のことです。

これに関して、私は自論があって、別にダンヴァーズ夫人を同性愛と推察するばかりではない、アセクシュアルであるとクィア・リーディングすることもできるだろうと思っています。むしろそっちの方がしっくりくるとさえ思ったり(お話の辻褄の問題ではないですよ)。

ダンヴァーズ夫人は実はアセクシュアルで、それをレベッカにだけ伝えており、ちゃんとそのセクシュアリティを受け止めてくれたのがレベッカだけだった…みたいな。だからレベッカと恋仲になろうというような意図はなく、ただその信頼を胸に秘めているだけ。けれど、マキシムはそんな2人を同性愛ではないかと疑い、レベッカを殺害。レベッカを失った今、ダンヴァーズ夫人にはよりどころもない。もちろん結婚なんてしない(年齢の問題ではなく)。

(異性と)結婚しないまま年をとった女性を同性愛と決めつけるクィア・リーディングには前からちょっと疑問があったんですよね。こういうアセクシュアルなクィア・リーディングは一部の当事者間だけでしか盛り上がってないけど。

私はダンヴァーズ夫人をこんなふうに見てしまっているせいで、本作の彼女が可哀想で仕方がないです…。妄想なのですけど…。

いつかダンヴァーズ夫人が救済される『レベッカ』が誕生するといいなぁ…。

『レベッカ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 54% Audience --%
IMDb
5.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 5/10 ★★★★★

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↑『レベッカ』…アルフレッド・ヒッチコック監督の1940年の映画化作。見比べると興味深いです。
作品ポスター・画像 (C)Working Title Films

以上、『レベッカ』の感想でした。