私の好きな言葉です。だけど…映画『シン・ウルトラマン』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2022年)
日本公開日:2022年5月13日
監督:樋口真嗣
セクハラ描写
シン・ウルトラマン
しんうるとらまん
『シン・ウルトラマン』あらすじ
『シン・ウルトラマン』感想(ネタバレなし)
日本特撮映画の“シン”時代
2019年から日本では新しい元号「令和」が始まったのですが、その発表の前に次は何の元号になるのかという予想が盛り上がった際、その冗談めいた予想案の中に「シン」があってそのときは私も気持ち悪くニヤニヤと笑っていただけでしたが、いよいよ日本の特撮界隈は本当に「シン」一色になるんじゃないかというくらいに空前の「シン」フィーバーになりつつあります。
何のことかと言えば、その始まりはもちろん2016年の『シン・ゴジラ』。総監督・“庵野秀明”、監督・“樋口真嗣”の座組で送りだされた久しぶりのこの特撮大作は、事前の空気はそこまででもなかったと思うのですが、いざ公開されると興収82.5億円の大熱狂の大ヒット。その年を象徴する映画になりました。
そして今度は“庵野秀明”の我が子のような「エヴァンゲリオン」シリーズの完結作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』がコロナ禍を乗り越えて2021年に公開。こちらも待ちに待ったファンに歓迎されて特大ヒット。
そんな『シン・エヴァンゲリオン劇場版』公開前に、2つの「シン」映画が発表されていました。それが『シン・ウルトラマン』と『シン・仮面ライダー』。このびっくり発表で多くの人は「え? そんなに“シン”が連発するの!?」と思ったものですし、まさか日本の特撮の顔となる代表作がここまで「シン」で塗り替えられていくことになるとは考えてもみなかった…。
一応は“庵野秀明”が主導する作品に「シン」が冠されるのですが、東宝・カラー・円谷プロダクション・東映の4社が絡むというのは異例。しかも、「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」なんてネーミングのフランチャイズ計画まで打ち出すし…。これはあくまで商品やイベント展開のためのものらしく、世界観がクロスオーバーするという意味ではないようですが…。でもだったら「ユニバース(宇宙)」という単語はそぐわないし、ゴジラはヒーローではないのでは?とか、いろいろツッコミもあるのだけど…マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)に名前だけ張り合いたかったのかな…。
ともあれ『シン・ウルトラマン』がいよいよ2022年に公開になりました。
まず「ウルトラマン」を知っているか?という話からしないといけないのだろうか…。「ウルトラマン」の歴史は長いです。そして「ゴジラ」の比ではないくらいに作品数やコンテンツ・ボリュームがデカい。
1966年にいわゆる「初代」と呼ばれる『ウルトラマン』の放映が開始。厳密に言えばその前の『ウルトラQ』という作品が「空想特撮シリーズ」の原点です。これはそもそも当時のアメリカで流行っていた超常現象を題材にするテレビドラマ『トワイライトゾーン』(1959年)や『アウター・リミッツ』(1963年)を意識して作られたのですが、それがどんどん日本色が強くなり、まさか「大きい巨人が怪獣を倒す」というプロレススタイルに固定化していくとは…(流行だったからなんだけど)。それ以降、多少の途切れはありつつも、なんだかんだで「ウルトラ」シリーズは新作に更新されて継続しつつづけ、2022年も7月から『ウルトラマンデッカー』という新作テレビシリーズがスタートします。
要するにかなり作品のリレーは続いており、休眠にあったわけでもない。そこは『シン・ゴジラ』と背景が違うわけです。そんな「ウルトラマン」をあえて2022年の今、この『シン・ウルトラマン』と銘打って送りだす意味はどこにあるのか。企画の“庵野秀明”の目的は…。それは…見てのお楽しみ。
ちなみに『シン・ゴジラ』と違って、“庵野秀明”は企画・脚本であり、監督でも総監督でもありません。どっぷり関与しているのは同じでしょうけど…。
まあ、あまり難しいことを考えずに、なんか大予算かつ豪華俳優陣で「ウルトラマン」の新作映画が作られる…くらいに思っていれば良いと思います。オタクたちはあれこれ考察に話を咲かせてざわざわしているでしょうけど気にしないで。前知識とか何も要りませんから。スペシウム光線をぶちかます迫力の映像を見るだけでもいいです。
当然、本作は「ウルトラマン」に対する熱量がどれくらいあるかで感想も全然変わってくると思います。ちなみに私は『ウルトラQ』と『ウルトラマン(初代)』が一番好きな人間で、こういう特撮で育ったタイプです。最近の「ウルトラマン」としては2020年の『ウルトラマンZ』なら観てます(セブンガーのあれね)。「初代ウルトラマン」の怪獣なら「ガヴァドン」が好きです!(別に聞いていない)
『シン・ウルトラマン』の俳優陣は、ドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』の“斎藤工”、『コンフィデンスマンJP』の“長澤まさみ”、『劇場版 コード・ブルー-ドクターヘリ緊急救命』の“有岡大貴”、『女の機嫌の直し方』の“早見あかり”、『ドライブ・マイ・カー』の“西島秀俊”、『余命10年』の“田中哲司”など。豪華ではあるけどキャストは抑えているほうですね(予算、ないのか?)。
さあ、『シン・ウルトラマン』が地球に降り立つのを目撃しにいきましょう。
『シン・ウルトラマン』を観る前のQ&A
A:特にないです。完全なオリジン・ストーリーとして楽しんでください。
オススメ度のチェック
ひとり | :ウルトラマンが好きなら |
友人 | :ファン同士で語り合って |
恋人 | :恋愛要素は無し |
キッズ | :やや硬い内容だけど |
『シン・ウルトラマン』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):禍威獣、そして巨人
日本ではある日から巨大な生物が出現するようになり、人間社会を脅かすようになりました。それはなぜか日本にしか現れません。日本に次々と出現する巨大不明生物は「禍威獣」と総称で命名され、個別の禍威獣には固有名がつけられました。
ゴメス、マンモスフラワー、ペギラ、パゴス…。続々と暴れる未知の禍威獣に既存の自衛隊も苦戦し、そこで「禍威獣特設対策室専従班」、通称「禍特対(カトクタイ)」という防災庁とともに設立された専従組織が現場の指揮を執り、禍威獣を撃退することに成功。以後、禍特対は禍威獣に対処し続けていました。
現在、禍特対の主要メンバーは5人。防衛省防衛政策局より出向した班長を務める田村君男、警察庁公安部より出向した作戦立案担当官の神永新二、非粒子物理学者の滝明久、汎用生物学者の船縁由美、室長の宗像龍彦。普段は室長を除く4人が現場の自衛隊を指揮して各政府部署と連携して対応します。
今日も禍威獣の出現の一報を受けて出動。「ネロンガ」と命名されたその禍威獣は姿は透明ですが、発電所の電気を吸収して姿を実体化させます。その強力な能力に対抗策を見いだせないでいるとき、神永は近隣の住宅地に逃げ遅れた子どもがいるのを発見し、ひとり救出に向かいます。
ところがそこへ大気圏より未知の飛翔体の降下を観測。それは凄まじい勢いで着陸し、周辺に甚大な衝撃波を与えます。その飛翔体の姿は…銀色の巨人のようで…。
ヒト型の巨大生物の出現に困惑する禍特対。その巨人はネロンガと交戦し始め、腕をクロスさせて謎の光線を放ってネロンガを撃破。悠々と空へ飛び立って消失してしまいました。
正体不明の巨人の出現で日本政府は水面下で対応にこまねく中、新たな難題を抱えた禍特対に新しいメンバーが加わります。公安調査庁より出向した分析官の浅見弘子です。同じ元公安の神永とバディを組むことになりますが、神永はそっけない態度で常識外な発言をしたりと、浅見に不安しかもたらしません。
そしてあの巨人は「ウルトラマン」と呼称されることになります。
そうこうしているうちに次の禍威獣が出現。地底を掘り進む「ガボラ」と名付けられたそれは、使用済み核燃料貯蔵施設を目指しており、自身も放射能汚染源となっていました。アメリカ軍の武器を買い取った爆撃も効果なし。
その危機の中、またしてもウルトラマンが現れ、明らかに人間側を守るような行動を見せつつ、撃破してくれました。ウルトラマンは味方なのか…。
しかし、外星人のザラブという存在が禍特対の前に現れ、日本政府に交渉を持ちかけてきます。友好的な態度のザラブは「ウルトラマン抹殺計画」を提案。そのとおり、味方だと思っていたウルトラマンが街を破壊する事件が起き…。
原点に帰ってきたウルトラマン
最初にざっくりな感想を書くと、最初は『シン・ゴジラ』で始まり、中盤に『ゴジラ FINAL WARS』的なノリになり、かと思ったら終盤は『エヴァンゲリオン』化する、なかなかに忙しい詰め込みまくった一本の映画でした。アップダウンも激しく、なんかテレビシリーズの総集編みたいなぎゅうぎゅう感ですね。
『シン・ウルトラマン』は『シン・ゴジラ』と同じ世界線ではないと思いますが、でも前提としてその作品の上に乗っかっています。というのもこの作品の最大のフィクション・ポイントは「怪獣が毎度でてくる」ということにあります。これをどう観客にリアルに感じてもらうか。その説得力を冒頭で『シン・ゴジラ』に丸投げするという荒業にでます。「“シン・ゴジラ”を観たんなら、もうわかってるよね?」という目配せ。
だから冒頭から禍威獣を平然と出して平然と禍特対が対応する姿を観客に見せる。『ウルトラQ』への地続きとして描きつつ、現代に置き換えたシミュレーションを見せてくれる。このへんは『シン・ゴジラ』で成功させたセオリーです。そこにウルトラマン」という新たなフィクションを追加しても観客はそこまで違和感を抱かないだろうという導入。このあたりはとても上手かったなと思います。
私も初期作のファンなのでこの序盤は非常に楽しかったですね。『ウルトラQ』禍威獣との戦いのエピソードをもっと見たいくらいですよ…。
描かれていることは「怪獣がでてきて、ひとりの人間がウルトラマンになる」という毎度おなじみの定番の焼き直しなんですけど。ノスタルジーありきの魅せ方では確かにあります。
ウルトラマン FINAL WARS
そして『シン・ウルトラマン』の次のパートでは、外星人である「ザラブ」と「メフィラス」との宇宙人コンタクトものになります。これもこのシリーズの恒例ですが、起きることも過去作とほぼ一緒。にせウルトラマンとの対決も、女性隊員が巨大化するくだりも、完全に初期作の再現であり、事実上のリブートです。
他にも「ウルトラマン」初期作にはいろいろな魅力的なエピソードがあるのですが、あえてこの外星人の2体をチョイスしたのは政治外交を描く目的は表向きとして、たぶん“庵野秀明”の趣味なんだろうな…。
メフィラスを演じた“山本耕史”のなりきりっぷりがハマっていることもあって、ベーターシステム奪取からの対決の勢いの良さは『ゴジラ FINAL WARS』を感じさせる…。
しかし、その対決は空気の読めないゾーフィの登場で無期限延期。この世界ではゾーフィさん、怒らせたらやべえ奴扱いなのかな…。そして星を壊滅する衛星兵器に今回はなってしまったゼットン(こんな見た目になってもあの特徴的な声だけは発するのがなんか笑ってしまった)。八つ裂き光輪も効かない相手にウルトラマンも撃沈。ここからの展開はファンタジー度が急激に跳ね上がり、よくわからん概念も連発して、ほぼ『エヴァンゲリオン』でした。「セカンドインパクト」でも引き起こすのかと思った…。
結果、オタクのための『シン・ウルトラマン』という立ち位置であり、あまり「ウルトラマン」になじみのない人がここから入るにはやや難度の高い世界観に一本の映画内で振り切ってしまった感じもあるかな。
国際政治劇や科学の描き方はちょっと…
ここからは『シン・ウルトラマン』の個人的な不満点を挙げていきます(見たくなかったら引き返してください)。
最大の「どうなんだ?」ポイントは政治社会風刺を入れている点です。『シン・ゴジラ』ならわかるのです。なぜなら「ゴジラ」は初期作はその要素が非常に濃く、その政治社会風刺をメインに据えること自体が原点回帰を意味するので。ゴジラと国が対比する意義も理解できる。ただ「ウルトラマン」でそれをやるのはどうなんだ?と。
「ウルトラマン」って多少の社会風刺要素があったエピソードは初期もありましたけど、全体としては「怪獣プロレス」に固定化したエンタメであり、とりあえず取っ組み合う作品です。取っ組み合いする以上、幼稚さは避けられないし、その幼稚さを楽しむ作品ですから。あまり社会風刺に向いている作品ではないと思います。
しかし、『シン・ウルトラマン』は序盤から政治劇、しかも今回は国際社会から視線を浴びる日本政府の立ち振る舞いを描き出します。正直、このグローバルな描き方は“庵野秀明”はすごい苦手というか単に不得意なんじゃないかと思ったり。ただでさえ『シン・ゴジラ』のときだってあの“石原さとみ”演じる米国大統領特使のキャラは海外からは「なんだこれ」と冷笑されていたのに、私も『シン・ゴジラ』内だけでひとりのキャラなら許容はできましたけど、今回の『シン・ウルトラマン』は「なんだこれ」な国際政治劇が多すぎたかな…。核兵器の件とかも無理にねじこまなくてもいいだろうし、あと日本が米国に軍事上で関心を持たれているのはあくまでロシアや中国に近いからであるのであって、禍威獣が現れる程度なら「大変ですね、ま、頑張れ」くらいにしか思われないと思う…。
また、ことさら気になるのは『名探偵コナン』とかでもこの傾向があるのですけど「公安」がやたらとかっこよく描かれがちということ。作り手の無頓着な権力美化がエンタメに混入するのはなんだか…。そもそも巨大生物の対応に公安のスキルは役に立つのか?
今作はシミュレーション的な面白さがあったのは序盤だけで、後は作り手の妄想が前に出まくっていて考証がおざなりだったのではないか…。
禍特対の、とくに研究者側の描写も雑だったなと思います。『シン・ゴジラ』はその場しのぎの招集だったのでまだわかるのですが、今回は腰を据えて設立されたはずの組織なのにあの薄っぺらい研究者編成は何なのか。いまどき鹿の研究だって5人以上の研究分野バラバラの者が結集して取り組んだりするのに…禍威獣相手に研究者2人なのか…。チーム映画の醍醐味もこれじゃああったものじゃない。
終盤の滝明久の活躍のくだりも私はリアリティのなさに冷めていた部分が大きかったです。まさかのマルチバース設定が飛び出す中で、未知の技術の解明なんて国際的な叡智を集めてもどれだけかかるか…。ここはコロナ禍の風刺ととるかもしれないですけど、ワクチン開発なんて数十年規模で懸命に取り組み続けた結果、皆がワクチン打てるようになっているんですよ。ちょっと研究者を集めて議論したらワクチンができたわけではないです(『アンソニー・ファウチ パンデミックとの闘い』を参照)。空想科学なのに、科学の描写が安易すぎる…。
“長澤まさみ”演じる浅見というキャラにいたってはそもそもこの作品に要る意味あったのかという疑問さえ感じる…。分析官のくせにあんな雑な報告書を書く奴は、大学でも企業でも論外だし、ましてやお役所仕事の政府なんて話にならないでしょうに。後述する“消費”のためにしか配置されていないんじゃないか…。
特撮におけるマッチョイズム
『シン・ウルトラマン』のもうひとつの残念な点は、特撮におけるマッチョイズムという構造への自己批判がなかったことです。
日本の特撮映画はだいたいがマッチョイズムな構造を抱えています。「ウルトラマン」でも「ゴジラ」でも「戦隊モノ」でも同じ。取っ組み合いをするので、どうしたってそうです。
今作のウルトラマンは神永新二の命を殺めたことに自責の念を感じて「そんなに人間を好きになったのか」と言われるほどに地球や人間に愛着を見せます。かといって非暴力でもない。このへんの行動心理にそんな辻褄はないです(もともと「ウルトラマン」ってそれくらいに緩い作品だと思います)。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』でも思いましたけど、“庵野秀明”シナリオはマッチョイズムに苦しむ主人公はだすけどそこから脱却はしきれないままユルっと“良い話”風に幕を閉じる傾向にある気がする…。
それだけならまだマシなのですが、今作はこのマッチョイズムをこともあろうか露悪的に増幅させた余計な行為があって…。それが本作の、とくに“長澤まさみ”演じる浅見絡みで隋所に「male gaze」ならぬ「”ossan” gaze」な消費の側面が目立っているという部分。ケツを叩くことで気合いを入れるなんて、今は日本のオッサン文化の中だけですよ(女性が女性や男性に対してそれをやってもセクハラです)。そういう描写を一切入れるなと言いたいわけではなく、その描写を作品内でどう扱うのかという問題です(例えば悪人がハラスメントをするのは描写として筋が通るけど、禍特対がそれをやったらその程度のお粗末な組織ってことにしかならないでしょう)。
ちなみに念のために言っておきますけど、初期の「ウルトラマン」にこんな側面は基本はないですから、古い作品の体質がそのままでたわけではなく、明らかに今作の作り手が加えた調味料の問題ですよ。「ウルトラマン」の原点を汚したと言われても文句言えないです。
話がやや逸れるけど、匂いによる後半の仕掛けも「匂いは数値化できない」とか言っていた気がするけど意味不明だったな…(臭いって化学物質なので数値化できるのでは?)。さらに話が逸れまくるけど、浅見が巨大化するくだりで、室長が「ガリバー旅行記」と「眠れる森の美女」を口にして「古い」とツッコまれるシーンがあったけど、あそこは『戦慄!プルトニウム人間』派生の『妖怪巨大女』を引用するのが「ウルトラマン」の源流となるSF史としてマニア的に正しいのでは?と思わなくもない…。
話題を戻して、とにかくマッチョイズム批判は作品内でもっとメタ的にやってもよかったと思いますが、まあ、日本が一番苦手にしているトピックだろうな…。マッチョイズムの解体はテレビシリーズの方がさらっとやってのけたりしている面もあるのですが、この『シン・ウルトラマン』が露骨にオッサン臭がでるのは製作陣の無意識の表れなんでしょう。
これは観客も考えないといけないことで…。一部のオタクの悪い癖として「作品を私物化する」というのがあります。『シン・ウルトラマン』だって「俺たちの愛する作品の凄さを一般人にわかってもらえる」と浮足立つ人もいる。でも「ウルトラマン」ってそもそもオタクのものじゃないし、最初から、そして今もずっと広く愛されている(だからシリーズが続いている)。『シン・ウルトラマン』への愛もマッチョイズム化しないようにしないとですね。
ROTTEN TOMATOES
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シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 (C)円谷プロ シンウルトラマン
以上、『シン・ウルトラマン』の感想でした。
Shin Ultraman (2022) [Japanese Review] 『シン・ウルトラマン』考察・評価レビュー