あの夜を思い出す…映画『罪人たち』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2025年)
日本公開日:2025年6月20日
監督:ライアン・クーグラー
人種差別描写 性描写 恋愛描写
つみびとたち
『罪人たち』物語 簡単紹介
『罪人たち』感想(ネタバレなし)
信頼が厚いライアン・クーグラー
2025年の世界の映画興行収入ランキングはやっぱり原作モノやフランチャイズの続編などIPが強力な作品がほとんどを占めています。これは毎年のことです。
そんな中、あるオリジナルの映画が上位に食い込む異例の大健闘をみせました。とくにアメリカで大ヒットし、2025年6月時点でアメリカの興収ランキングの3位につけるほど。この現象は多くのメディアは予想しておらず(The Mary Sue)、なぜこんなヒットしたのかとあれこれ分析されていましたが…。
まあ、「面白かった」のひと言に尽きるのかもしれません。
その映画が『罪人たち』です。
本作は監督から紹介すると、あの2014年の『フルートベール駅で』で一躍名を上げ、『クリード チャンプを継ぐ男』(2015年)、そして『ブラックパンサー』シリーズと、大作映画でも大成功をおさめた“ライアン・クーグラー”…その人です。
ここ最近はずっとフランチャイズを手がけてきましたが、ここにきてオリジナルへと回帰。見事にそれでも実力を発揮し、やはりこの監督の才能は本物だと証明してくれました。
この『罪人たち』(原題は「Sinners」)は、これ、別に隠すことでもないですし、明かしても全然面白さが損なわれることもないので書いてしまいますけど、本作は早い話が吸血鬼ホラーなんですね。吸血鬼ホラーといっても、いろいろなタイプの作品がありますけど、『罪人たち』は『フロム・ダスク・ティル・ドーン』の系譜のホラーとアクションが合体したやつです。
そう言えば、『ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー』もホラーっぽいパートがありましたね。
ただ、『罪人たち』は単に吸血鬼ホラーであるという一面性だけでない、実に多彩な顔をみせてくれる作品でもあります。そこがいろいろ奥深くもあって評価を底上げしているのでしょう。
どちらにせよ、表面上はかなりコッテコテのジャンル映画ですけど、“ライアン・クーグラー”監督、本当に上手い具合に料理していて、既存のジャンル作品を一段階ステージアップさせてくれるフィルムメーカーとしての信頼が厚すぎる…。
“ジョーダン・ピール”に続くブラック・ホラーの担い手の黒人監督として活躍も期待したくなりますが、今後は何をみせてくれるのだろうか…。でも“ライアン・クーグラー”監督いわくホラーには苦手意識があったそうで、これでこんな映画を生み出すんですから、ズルいですよ…。
『罪人たち』の主演は、もはや“ライアン・クーグラー”監督のクリエイティブ・パートナーになっている“マイケル・B・ジョーダン”です。今作では双子を演じて一人二役やってるので、“マイケル・B・ジョーダン”をいっぱい堪能できます。相変わらずセクシーすぎます。“ライアン・クーグラー”監督、絶対、“マイケル・B・ジョーダン”をセクシーに撮ろうとしている…。
共演は、ドラマ『ホークアイ』の“ヘイリー・スタインフェルド”、『フェラーリ』の“ジャック・オコンネル”、『獣の棲む家』の“ウンミ・モサク”、『ザ・ハーダー・ゼイ・フォール: 報復の荒野』の“デルロイ・リンドー”、『ティル』の“ジェイミー・ローソン”、ドラマ『トレミー・グレイ 最期の日々』の“オマー・ベンソン・ミラー”、『バビロン』の“リー・ジュン・リー”…そして若手として今後も羽ばたくことが大いに期待される“マイルズ・ケイトン”。
登場人物はわりと多いですけど、みんなそれぞれの活躍どころがあって、そこもいいですよ。
2025年のオリジナル・エンターテインメントとして屈指の『罪人たち』をどうぞ満喫してください。
『罪人たち』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 殺人や性行為の描写があります。 |
『罪人たち』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1932年10月16日、アメリカの南部のミシシッピ州クラークスデール。1台の車が教会の前に止まり、ひとりの若い黒人青年がふらふらと降りてきます。顔には真新しい長い数本の線の傷跡があり、手にはギターが握りしめられていて、決して離そうとしません。教会の中では黒人たちが讃美歌を歌って祈りを捧げていましたが、その若者が中に入ってきて一同は静まります。
サミュエル(サミー)と呼ばれたその若者を父である牧師ジェディディアは抱きしめますが、サミーの脳裏には戦慄の出来事が刻まれていました。
1日前、早朝から綿摘みをしておたサミーは、作業が終わって家族のもとへ戻ります。サミーはギタリストになることを志望していましたが、厳格な牧師の父はそれを許していません。
ところかわって第一次世界大戦の退役軍人である一卵性双生児の双子のスモークとスタックのムーア兄弟は、ある野望のためにこの故郷に帰ってきていました。白人の地主ホグウッドから広々とした製材所だった建物を購入します。2人はシカゴ・アウトフィットというギャングで長年働いた経験があり、人種差別的な態度に怖気づくような人間ではなく、ビジネスでもやり手でした。
スモークとスタックは今回は地元で酒や音楽を振る舞う黒人向けのダンスホールを開店するつもりだったのです。ノウハウを活かし、地域の仲間の生活を彩ることに精を出したいと考えていました。
双子はいとこのサミーを演奏者のひとりとして雇います。2人の車に乗せられ、サミーはやりたいことができる道が開けたことにワクワクしていました。
青い帽子を被るスモークは町へ。若いシェルビーにトラックの番をさせ、地元の中国人店主で顔なじみのボー・チョウとその妻グレースに声をかけます。グレースも互角のビジネス上手で、仕事を手伝ってくれることになります。
スモークは人当たりはいいですが、たてつく相手には容赦なく、銃を取り出して撃ち抜くくらいは平気でする男です。しかし、仲間は見捨てません。
赤い帽子のスタックはサミーと車で別の場所へ。駅で座り込んで地味にハーモニカ演奏するデルタ・スリムに声をかけます。飲んだくれではありますが、実は素晴らしいピアニストです。酒を交渉材料に上手く仲間に取り入れます。
そこでスタックは黒人のルーツがあるものの肌の色は白人のように見える元恋人のメアリーに偶然出会います。メアリーはスタックが自分を捨てたことを恨んでいますが、スタックは言い訳がこぼれるだけ。ギクシャクしたままその場を去ります。
帰り道で畑作業をしていた体格のいいコーンブレッドを用心棒に雇い、準備のための人員は揃ってきました。
スモークは別居中の妻アニーにも協力してもらおうと赴きます。アニーは民族宗教のフードゥーに精通しており、幼い娘の死を亡くしたことで2人には亀裂が入っていましたが、愛が冷めきったわけではありません。
ちょうどその頃、この地に日光に焼かれつつひとりの人物が逃げるように現れ、ある白人夫婦の家に駆けこんできます。
その人物は吸血鬼でした…。
犠牲者にはならないぞという精神

ここから『罪人たち』のネタバレありの感想本文です。
『罪人たち』、どこから感想を語ればいいだろうか…。語りがいがありすぎて困る…。
ざっくり言うなら、既存のジャンル映画を黒人表象とマッシュアップさせる手捌きが非常に良質でした。その華麗なセンスあってこそ、“ライアン・クーグラー”監督の過去作があったのですけど、今回の『罪人たち』はひときわ抜群です。
まず前半は、スモークとスタックのムーア双子兄弟がいわゆる「ジューク・ジョイント」と黒人文化の中では呼ばれる、黒人たちがリラックスして楽しめるお店を開店しようと動き出すところから始まります。このひとりひとり仲間を集めていく過程はそれこそ『七人の侍』っぽくもあり、実際にやろうとしているのは「権力側による排除から地域の自由を守ろうとする名もなき庶民の結集」なので、魂はまさに一緒です。
そしてつかの間の自由を謳歌していたのに、レミックという吸血鬼が空気読まずに出没し、あっという間に軍団を従え、双子含めた仲間たちは夜に籠城戦をするハメになってしまいます。
ここのパートは吸血鬼ホラーというよりはゾンビホラーで、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を彷彿とさせます。あらためて考えれば、“ジョージ・A・ロメロ”の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』はゾンビという黒人文化に起源がある概念を見事にジャンル化させた原点ですし、その映画自体も黒人を主役に、人種差別の犠牲者として黒人を描くものでもありました。
対する『罪人たち』は黒人たちが集って「もう犠牲者になるものか」と足掻く根性をみせる一作であり、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』に対するアンサーの映画とも言えると思います。
ひとりひとりやられていく緊張感(吸血鬼は招かれないと入れないという設定を巧みに活かしている)も良くて、侵入を許すきっかけになってしまうのが白人としてパスできてしまうメアリーだというのも切ないです。メアリーもメアリーなりに差別に苦しみ、なんとか黒人コミュニティに馴染んでいたのに…。
一方で、全員があからさまに黒人である中、みんなでニンニクを食べて誰が吸血鬼かを炙り出すくだりは、ちょっとユーモア満載で息抜き感覚で笑えますけどね(本人たちは必死ですが)。
そして、籠城をやめるぞとなってからの総力戦(開戦のしかたがまたアツい)、アクションもたっぷりで見ごたえ抜群なのですが、ここがラストスパートかと思ったら、この後にまだあります。
生き残ったスモークがKKKを強襲していくというギャング抗争さながらの派手なドンパチです。ここまでやってくれるのか!という大サービス。“マイケル・B・ジョーダン”でやれることは全部やっておきたいという欲張りなボリューム(そしてしっかりカッコいい)。
約138分の映画にこんなに詰まっていて、一気に楽しめる…。贅沢なエンターテインメントですよ。
音楽は楽しければいいわけじゃない
しかし、映画『罪人たち』は驚いたことにまだ語り切れません。上記にさらに上乗せがあります。
『罪人たち』は1930年代の南部黒人コミュニティを吸血鬼ホラーのレンズで映し出す作品ですが、似たようなものには最近もドラマ『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』がありました。
セクシャルな表現はそちらのドラマに軍配が上がりますが、地域の歴史の文化的多様性の掘り下げかたはこの『罪人たち』のほうが丁寧だったと思います。
例えば、作中では中国系のグレースの家族が登場して大きな役割を果たしますが、実際、ミシシッピ州のデルタという地域には中国系の人たちが昔に定着して小さなコミュニティを築いていました。その始まりは、黒人奴隷の労働者の補充要員だったそうで、当時は中国系の人も「colored」として扱われたそうです。
“ライアン・クーグラー”監督の親しい人の中には黒人でありながらDNA検査をすると漢民族の遺伝子が見つかる人もいたとのことで、黒人と中国人の知られざる交差性の歴史を実感させるものであり、そういう事情も意識して今作の設定にしたようですね。
そして吸血鬼のレミックはアイルランド系の白人で、その彼を追う吸血鬼ハンターがネイティブアメリカンのチョクトー族となっているのも、この両者が歴史的に深く接点を持っているからです。
こういう歴史を土台にファンタジーな世界観にリアリティをもたらしていく技は『ブラックパンサー』でも発揮されていましたが、『罪人たち』も同様に作りこまれています。
そして本作はその歴史性を最大限に爆発させるのが「音楽」の要素で、本作は実質的に音楽映画でもありました。ここがとくに個性を放ってましたね。
サミーはブルースの源流を思わせるミュージシャンの初心な才児で、超自然的に音楽の力で過去と未来の時代を繋げる力を持ち合わせています。サミーがあのバレルハウスで音楽を奏でると、本当にいろいろな時代のいろいろな音楽の形式をともなった人物の魂が召喚され、混ざりあってあの場を共有します。あの演出はまさに「自分たちは時代の一部だ!」という肯定感です。音楽の多様性の賛歌です。
一方で吸血鬼のレミックもアイルランド音楽で張り合ってくるのですが、彼は黒人であろうが何だろうが眷属にして、半ば強制的に音楽の輪に加えます。それをレミックは「これこそ迫害を避ける究極の方法であり、差別のない平和な世界だ」と言い切るわけです。確かに表面的にはみんな“楽しく”、“わいわい”と歌って踊っています。でもこんなのは言ってみれば「同化」であり、個人の主体性の喪失という点では再奴隷化と変わりないもので…。
本作はその二者の音楽対決です。「音楽っていうのは単に楽しければいいものじゃない、歴史の上に個人の尊厳が織り合わさることで初めて成り立つんだ!」という音楽の誇りが、生存者のサミーに受け継がれていきます。そしてサミーはあの体験も糧にして音楽という表現の道に生きる…。
それにしても60年後のスタックとメアリー…すっごい世俗にまみれて染まりまくっているじゃないか…。あれはあれで楽しそうな人生だな…。
ということで“ライアン・クーグラー”監督にまんまとやられた2025年のハリウッド。これ、マーベルは『Blade』のMCU映画化のハードル、上がりまくりじゃないですか。“ライアン・クーグラー”監督に頼むしかないな、もう…。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
–(未評価)
作品ポスター・画像 (C)2025 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
以上、『罪人たち』の感想でした。
Sinners (2025) [Japanese Review] 『罪人たち』考察・評価レビュー
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