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『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』感想(ネタバレ)…評価なんて次元じゃない

サマー・オブ・ソウル

評価してほしいんじゃない!…映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Summer of Soul (…Or, When the Revolution Could Not Be Televised)
製作国:アメリカ(2021年)
日本公開日:2021年8月27日
監督:アミール・“クエストラブ”・トンプソン

サマー・オブ・ソウル

さまーおぶそうる
サマー・オブ・ソウル

『サマー・オブ・ソウル』あらすじ

1969年の夏。大規模な野外コンサートのウッドストック・フェスティバルが開催されて、アメリカの音楽史に刻まれたとき。その160キロ離れた場所でもうひとつの歴史的音楽フェスティバル「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」が行われていた。ブラックミュージックのスターが集結し、30万人以上が参加しながらも、その様子を記録した映像は約50年間も地下室に埋もれたままになっていた。今、それが解放される。

『サマー・オブ・ソウル』感想(ネタバレなし)

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Black Woodstock !

普通、コンサートを開催すれば記録が残ります。記憶にも残るでしょう。そもそもコンサートというのはアーティストにとってもファンにとってもメモリアルなイベントであり、そのキャリアの歴史に刻まれるのは当然。中には音楽史に残るようなビッグなインパクトを与えたコンサートだってあります。

ところが全然記録に残らなかったコンサートもある…。それは参加者数が少なくて小規模だったから? いいえ。有名なアーティストが参加しなかったから? いいえ。

じゅうぶんに音楽史に名を残すポテンシャルを持っていながら歴史から抹消されていた“とあるコンサート”。それが2021年にコンサート・フィルムとしてついに広く一般に公開されることになりました。

それが本作『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』です。

ヘンテコな邦題に思えるかもしれませんが、原題も「Summer of Soul (…Or, When the Revolution Could Not Be Televised)」です。

このコンサート・フィルムは1969年の夏にハーレムで開催された、その名も「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル(Harlem Cultural Festival)」を題材にしています。

1969年と言えば8月にニューヨーク州サリバン郡ベセルで「ウッドストック・フェスティバル」という大規模な野外コンサートが行われ、こちらは音楽史に堂々とその名を刻んでいます。当時のカウンターカルチャーを象徴するような音楽イベントで、会場には大勢のヒッピーたち含む40万人以上が集まり、“リッチー・ヘブンス”や“ジミ・ヘンドリックス”など30組以上のフォーク歌手やロック・グループなどが出演し、熱狂しました。この「ウッドストック・フェスティバル」の様子は『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(1970年)というドキュメンタリーでまとめられ、アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞しています。

その「ウッドストック・フェスティバル」と同時期に開催された同規模の凄い音楽イベントが「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」だったのですが、なぜかこちらはその様子をおさめた映像が50年以上も封印されてしまっていました

なぜ歴史から消されてしまったのか。それは「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」が黒人の黒人による黒人のためのイベントであり、当時の人種対立が激化する中で、マジョリティである白人社会にしてみれば“価値のなさそうな”祭りに思えたから

でもそれは当然大きな間違いであり、この「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」は現在の音楽史にとっても影響を無視できないとんでもないミラクルが起きた瞬間なのでした。

今回、この埋没した「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」の映像を掘り起こして、ドキュメンタリーとしてまとめあげたのが、多彩な活動をしているミュージシャンの“クエストラブ”。『ソウルフル・ワールド』でも声を担当したりしていましたが、今回の『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』で長編映画監督デビューです。“クエストラブ”がブラック・ミュージックの埋もれた歴史的イベントを日の当たる世界に最高のかたちで贈り込む…という経緯がもうアツいですね。

実際、この「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」の映像は全部で40時間以上あったらしいですけど、それを118分に絶妙に集約しており、編集センスも見事です。

2021年に日本でも話題になったコンサート・フィルム『アメリカン・ユートピア』とは違って、この『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』はパフォーマンス・ステージがそのまま映し出されるだけでなく、当時の関係者のインタビューも入ったり、歴史的背景の映像が挿入されたりして、前知識のない人にもわかりやすい構成になっています。

音楽に興味があるならもちろん必見だと思うのですが、黒人差別にさらされていたアフリカ系アメリカ人のの歴史を知るうえでも欠かせない作品だと思います。何かと陰惨で暗い語り口が多くなってしまうその歴史において、これほどまでにピュアでパワフルなムーブメントが起こっていたこと。50年の時を超えて蘇ったことにすら意味を感じるシンクロ性が今はあるわけで、心に刻まないわけにはいきません。

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』を観始めれば、そこはもう会場。「Black Woodstock」へようこそ。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:音楽史に興味あるなら
友人 4.0:一緒に盛り上がれる人と
恋人 3.5:熱狂するも良し
キッズ 3.5:音楽好きなら
↓ここからネタバレが含まれます↓

『サマー・オブ・ソウル』感想(ネタバレあり)

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革命に集うミュージシャン

「財布の落とし物です」…そんなアナウンスが流れますが、マウント・モリス・パークの会場に集った大勢の人の賑わいにかき消されます(この落とし物アナウンスで本作が始まるのが私はなんか好き。黒人が集まったら危険なんだという当時の白人認識を茶化すかのような、黒人コミュニティの規律正しい姿を映す演出にもなっているし)。そのほとんどが黒人です。年齢も性別もさまざま。木に登って見ている人もいます。会場を埋め尽くす黒人たちですが、入場料は無料であり、みんながいまかいまかとアーティストの登場を待っています。

そしてポップな文字でデカデカと「FESTIVAL」と描かれたステージに現れるアーティストたち。

後に史上最も偉大なシンガーとなる“スティーヴィー・ワンダー”。まだこのときは交通事故に遭う前ですね。相変わらずのお茶目です。

サイケデリック・ソウルが持ち味の“チェンバース・ブラザーズ”。1967年の「Time Has Come Today」の大ヒットでこの時点でも人気は絶好調です。

コーラス・グループの“フィフス・ディメンション”。1966年のデビューから一気に駆け上がってきた逸材で、前年にはミュージカル『ヘアー』の挿入歌でも大注目。

こんなふうに有名なアーティストが参加していたというだけでなく、当の黒人たちさえも知らなかったようなブラック・ミュージックの多様性を提示する場になっていたのも印象的です。

“ポップス・ステイプルズ”&“ザ・ステイプル・シンガーズ”“クララ・ウォーカー”&“ザ・ゴスペル・リディーマーズ”がゴスペルの可能性を引きだす多彩さを見せたり、“スライ”&“ザ・ファミリー・スト-ン”が黒人と白人の混合グループという存在感で音楽に人種の壁はないことを見せつけ、“レイ・バレット”はソウルとラテンの融合でジャンルの垣根を超えていく。

他にも“B.B.キング”、“エドウィン・ホーキンス”、“マヘリア・ジャクソン”、“ベン・ブランチ”、“デイヴィッド・ラフィン”、“グラディス・ナイト&ザ・ピップス”、“エヴリデイ・ピープル”、“モンゴ・サンタマリア”、“ソニー・シャーロック”、“マックス・ローチ”、“アビー・リンカーン”…。

この「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」、開催できたことだけでもスゴイと思うのですが、単に著名アーティストが揃っているだけが価値なのではない、これ自体が黒人文化の多様性を映す象徴になっているのが素晴らしいです。

作中でラストを飾るのは“ニーナ・シモン”。公民権運動の真っただ中で誰よりも活動していた“ニーナ・シモン”を本作の監督である“クエストラブ”が最後に持ってきているのは当然言わずもがなですね。

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1969年の奇跡

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』で映し出される「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」。これは時代性と切っても切り離せないもので、作中でもそれはハッキリ示されていました。“クエストラブ”監督としてもそこはスルーされないように突きつけておこうと思ったのかな。

1969年。ジョン・F・ケネディ大統領が1963年に暗殺され、マルコムXが1965年に暗殺され、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが1968年に暗殺され…。公民権運動のリーダーを失い、コミュニティ全体が方向性を見失った時期。黒人は兵士としてベトナム戦争に駆り出され、大金は月に行くことに費やされ、このままでは白人のためのアメリカになってしまうのではないかという危機感。ブラックパンサー党が勢力をつけつつも黒人たちは分断され(映画『ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償』を参照)、暴力という最終手段に頼るべきか悩むまでに追い込まれ、暴動は各地で勃発(映画『デトロイト』を参照)。

そんな中でのこの「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」。ブラックパンサー党が警備するなど緊張感はあります。

でも当時の陰惨な絶望感とは異なる場になっている。自分たちには音楽というものがあるじゃないか。誇りと自信を取り戻し、人種としての存在意義をまた確立する。黒人以外の人にはわからない、当事者だからこそのエンパワーメントが確かにそこにあったのだと思います。主催者の“トニー・ローレンス”、ほんとに素晴らしい仕事をしたんだなぁ…。

共和党だったけどリベラルで黒人にも人気だったニューヨークの“ジョン・リンゼイ”市長も会場に駆けつけたり、黒人オンリーではない(でも黒人主体の)空間がそこにあったことは未来の理想図だったのかもしれません。

この映像を眺めつつ「あれが本当に現実だったのが信じられない…」と呟く姿は感慨深いものがあります。

きっと1969年だから意味が生まれたイベントなんだろうな…。

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音楽と政治はソウルで繋がる

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』は昔を懐古するだけの作品ではなくて、やっぱり音楽と政治は密接なんだと教えてくれるものでもありました。

日本ではいまだに「音楽とか映画とかに政治を持ち込むな」と言い張る人が後を絶たないのですが、そもそもそういう創作の世界というのは政治と戦うための道具として発展してきたのではないか。『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』はその当たり前の事実をあらためてごく自然に見せてくれます。

みんな音楽で政治権力と闘っている。差別と闘っている。暴力と闘っている。本作のタイトルどおり、これは革命だった。そう言い切れる音楽イベントがどれほどあるだろうか、と。

だからあらためてあのアーティストたちを評価をしろと言っているのではない。革命の声を聴けということなんですね。

同時に2021年とのシンクロ性を強く考えさせられるものでもあって…。警察による暴力に端を発する「ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)」の叫びがかつてないほどに高まり、人種対立はインターネットが煽る憎悪によって全く別次元のものに悪化し…。正直言って時代は良くなったとは言い切れない、本当に手が付けられない領域に踏み入ってしまったような…。

それでも音楽は時代が変わってもパワーになってくるはず。『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』はそう信じたくなる一作でした。

まあ、この映画の最大の欠点は、短すぎることですよ。約2時間は物足りない。なんだったら40時間の撮影済みの映像を全部放出して見せてほしい。『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』は「サーチライト・ピクチャーズ」の配給なので、日本では「Disney+」で配信しているのですが、この動画配信サービスという最新媒体を用いれば40時間だって配信できるはずですし…。

この「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」が実写映画化されたらどんなことになるのかなとか考えるのも楽しいです。あのアーティストは誰が演じるのかと妄想もできますし、絶対に会場内ではいくつもドラマがあっただろうし…。これをコンサート・フィルムだけで終わらせるのはもったいない。

この音楽革命を余すことなく活かしていきたいものです。無駄にしないためにも。

『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 99% Audience 98%
IMDb
8.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0

作品ポスター・画像 (C)2021 20th Century Studios. All rights reserved. サマーオブソウル

以上、『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』の感想でした。

Summer of Soul (2021) [Japanese Review] 『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』考察・評価レビュー