オフサイドは無視してスポーツ界のダメなところを蹴り飛ばせ!…「Apple TV+」ドラマシリーズ『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2020年~)
シーズン1:2020年にApple TV+で配信
シーズン2:2021年にApple TV+で配信
シーズン3:2023年にApple TV+で配信
製作総指揮:ジェイソン・サダイキス ほか
セクハラ描写 DV-家庭内暴力-描写 動物虐待描写(ペット) LGBTQ差別描写 人種差別描写 性描写 恋愛描写
テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく
てっどらっそ はてんこうこーちがゆく
『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』あらすじ
結果を残せず降格の危機が近づいているイギリスのサッカーチームに新しい監督がやってくる。それは誰もが目を疑うような人物だった。なんとその新監督はアメリカからやってきたテッド・ラッソという男。しかもそのテッドがアメリカで指導していたのはアメフト。あまりにも場違いな存在にファンは激怒し、選手も困惑する。しかし、テッドはやけに陽気でハイテンションなまま自己流のやりかたを実践していく。
『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』感想(ネタバレなし)
五輪でうやむやになったスポーツの意義を取り戻す
運動がイマイチ得意ではない人はスポーツが苦手でしょう。ただそういう運動能力以前の話として、スポーツの世界にありがちな雰囲気や“ノリ”が好きじゃないという人もいるのではないでしょうか。かくいう私も実はそういう人間です。なので基本はスポーツに全然興味がありません。するのも見るのも関心なし。極力は自分の人生とは縁遠いものとしてスルーしていきたいくらいです。
しかし、2021年は過去最悪でスポーツに対するネガティブな感情が世間では渦巻いている気もします。その原因は無論あのイベント…そう、オリンピックです。詳細は語るまでもないと思いますが、あれほどまでに強行突破で「開催!開催!開催だ!」と推し進められてしまうと…。なんというかこの「シン・東京オリンピック」はそれまでにも確かにあったスポーツ界の闇深い部分をあらためて濃縮して噴出させてしまったと思います。ハラスメント、イジメ体質、有害な男らしさの強化、多様性の欺瞞、ショービジネス化、感動ポルノ、負担の格差、スポンサー利権、組織の権力支配…。
こうした問題は日本だけではありません。世界的に問題視されています。例えば、渦中の国際オリンピック委員会でもハラスメントや暴力などを解決すべき論点として取り上げています。
そのはずなんですけどね…。全然自覚のない人たちもいる…。こんなありさまを見せつけられてスポーツに夢を抱けと言われても…厳しいもんです。もちろんスポーツに情熱を注いでいる人の生き様を否定はできません。ただ、その熱意さえもああも利用される現実を目撃するとね…。スポーツの意義って何なんだろう…と。
五輪でうやむやになったスポーツの意義を取り戻すことができるかはわかりませんが、オリンピックの競技番組を見て五輪利権にカネを差し出すくらいなら、このドラマシリーズを鑑賞してスポーツを堪能する方が何百倍もマシだと思います。
それが本作『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』です。
本作は「Apple TV+」で独占配信されたオリジナル・ドラマシリーズで、イギリスのプレミア・リーグのサッカーチームの監督としてアメリカのアメフトを指導していた男がやってくる…というコメディになっています。それだけでもユーモアたっぷりな設定ですが、この新監督の男が妙にハイテンションで陽気なやつで、とにかくクセがあり、毎度毎度シュールな笑いを提供してくれます。
しかもそれだけではありません。『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』は先ほども言ったようにスポーツ界にある諸々の“悪い部分”を、このサッカーもイギリスもよく知らない厚顔無恥な男がズカズカと痛快に破壊していくストーリーでもあるのです。
なのでスポーツもののドラマにありがちな“嫌な感じ”がかなり脱臭されており、観ていると不思議とニコニコしてきます。どのスポーツ業界もみんなこんなふうになればいいのにと思いたくなるほどに。
そんな奇跡の多幸感に溢れるスポーツドラマ『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』を生み出したのが、企画・製作総指揮・主演を担った“ジェイソン・サダイキス”です。『サタデー・ナイト・ライブ』の常連メンバーであり、最近であれば『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』にも出演したコメディアン俳優ですが、この『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』は“ジェイソン・サダイキス”の持ち味がフルタイムで全力疾走しており、もうパワーが凄い。知らなかった人も一発で好きになるんじゃないかな。
他の出演陣は、“ハンナ・ワディンガム”、“ブレット・ゴールドスタイン”、“フィル・ダンスター”、“ジェレミー・スウィフト”、“ニック・モハメッド”、“ジュノー・テンプル”など。なお、とても歌唱力が高いことで知られる“ハンナ・ワディンガム”ですが、今作でもあるエピソードであの有名曲を熱唱するのでお楽しみに。
スポーツの意義を取り戻すとか仰々しいこと書きましたけど、もうどうでもいいです。とにかく一発元気を注入されたい、ポジティブシンキングになれる栄養剤が欲しい、嫌な気分を吹き飛ばす快感に浸りたい…そんなときにこの『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』は激推しできます。
シーズン1は全10話、シーズン2は全12話、シーズン3は全12話。1話あたり約30~60分。サッカーの試合よりも短いですしね。
オススメ度のチェック
ひとり | :元気をもらえる |
友人 | :互いを褒め合おう |
恋人 | :ポジティブな関係を |
キッズ | :やや性的なネタがあるけど |
『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):監督就任、試合開始!
イギリスのプレミア・リーグのサッカーチームである「AFCリッチモンド」の選手たちがコートでトレーニングに汗を流しています。その光景を上から見渡せるすぐそばの部屋。チームにとっても最も偉い存在であるオーナー室では…模様替えが行われていました。机には「AFCリッチモンド 元妻が新オーナー」という記事が…。
「マニオン夫人…じゃなくてウェルトンさん、監督が面会に来ました」と広報運営責任者(という名の雑用)であるヒギンズが説明します。新オーナーとなったのはレベッカ・ウェルトン。実は前オーナーで裕福なルパート・マニオンとは離婚し、今や自らがこのチームをまとめることになっていました。
監督がやってきます。ジョージという陽気な髭もじゃ男。そいつに対してレベッカはきっぱり「クビよ」と宣告。監督は「なんで?」と抗議しますが、「理由はいくらでもある、女性蔑視とか、業績も酷い、あと私はあなたが嫌い」と言い放たれ、立ち去るしかありません。「監督候補をリストアップしましょうか」と言うヒギンズに「必要ない」とやけに意味ありげに口にするレベッカ。
そしてテッド・ラッソが起用されました。アメリカのウィチタ州立大学のフットボール・チームを牽引し、底辺から頂点に導いたという男であり、その人柄が何よりも特筆されます。サッカーは未経験ですが…。
飛行機でロンドンに向かうテッド。コーチで親しいビアードと一緒です。到着するとスタジアムに赴き、芝を触ります。すると「触らないで」とパニック気味で走ってくる男がひとり。ネイサン(ネイト)は用務係で臆病でチームの何人かにイジメられています。テッドに名前を聞かれて、今まで尋ねられたこともなかったのでびっくりするネイサン。
レベッカに挨拶するテッドは、美味しくもない紅茶を出され、努めて明るく味のマズさをアピールした後、あちこち案内されます。そして何も聞いていませんでしたが、そのまま記者会見に突入。
「サッカークラブを指導した経験はありません」と軽快に語るも、サッカー用語はおろかイギリス英語もあやふやな姿に、インディペンデント紙のトレント・クリム含む百戦錬磨の記者たちから厳しい指摘が飛んできます。しまいには「アメリカへ帰れ!」とてんやわんやの騒ぎに。その中継を見ていたファンも選手も当然不満。SNSは大炎上。それでもレベッカは「やりかたを一新します。ラッソ流です」と自信ありげ。
しかし、レベッカは期待していませんでした。この憎き元夫が残したチームを破滅させたいだけの一心でサッカー素人のテッドを採用したのです。
そんなことも知らなずテッドはコートでトレーニングするチームを眺めます。キャプテンのロイ・ケントは年長者であり、最近は体力低下が顕著に。得点王として勝利の要になっているジェイミー・タートは、やや協調性がなく自信過剰。ナイジェリア出身のサム・オビサニアは悩みを抱えているのか実力が出せず…。
ロッカールームにいると選手が入ってきます。冷たい目つきです。テッドは話し出そうとしますが、キーリーという女性が何の躊躇いもなくやってきます。ジェイミーの恋人のようです。
こうしてテッドのあわただしい初日が終わり、イギリスでの新居に帰宅。テッドはおもむろに家族に電話し、妻のミシェルに言葉を残します。
さあ、テッド・ラッソの未知の相手との試合がキックオフしました。
テッド・ラッソという指導者のお手本
『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』という物語の中心にいるのは当然ながらテッドです。このキャラクターの存在こそが本作の肝であり、そしてサッカーのみならずスポーツという世界に対する新時代に適応したリニューアルされた指導者のモデルケースとなっていきます。
その性格は一言で言えば“明るい”。意気揚々と喋り倒し、いちいちオーバーリアクションで、ちょっと厚かましいくらいに前のめり。これだけだと普通にウザいだけになってしまいます。しかもテッドはサッカーの知識がないですからね。ハンバーガーの国の素人と呼ばれていましたけど、無知で口だけの奴なんて鬱陶しいと思われても仕方ありません。
しかし、このテッド。とにかく善良なのでした。いい人すぎます。喋りが上手いと言っても、相手を嫌がらせ的におちょくったり、マウントをとったり、暴力的な発言を浴びせたり、そういうことはしません。ひたすらに他者をフォローし、励まし、味方し、場を盛り上げることに徹している。
ストーリーもいかにもスポーツにありがちな陰湿な闇めいた部分が現れ始めたと思ったら、すぐにテッド流の軌道修正が入って、なんかハッピーに着地する。この信頼感。
インディペンデント紙の辛口のトレント・クリムが「冷笑はできない、思わず応援したくなる人間だ」と的確に評していましたけど、まさにそのとおり。最初はテッドを嫌っていた選手やオーナー、記者、熱心なファンも、いつしかみんなほだされて、最終的には好きになっている。このマジカルな手腕。これぞテッドの最大最高の得意技なのでした。これを意図的ではなく無意識的にやってのけるところにまた嫌味がなくていいですよね。
でもこういう指導者こそスポーツには理想的なのでしょう。スポーツというのはどうも支配的で抑圧的な指導スタイルがまかりとおりやすいですからね。だから指導のためなら仕方がないとパワハラも正当化される。本作は見事にそんな思考停止を木端微塵にしていました。
スポーツに限らず今の社会全体にはこういう人間こそ求められているんでしょうね。
シーズン1:男は退き方を、女は攻め方を学ぶ
『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』のシーズン1はジェンダー的に見ていってもわかりやすいです。
まず“男らしさ”を誇示する男性たちは“退き方”を覚えていきます。勝ちが全てじゃない、ときには負けを認め、弱さを素直に表に出し、互いを慰める…そういうことが男たちには必要なのだ、と。
結果、怒れる年長者のロイは自分の限界を受け入れ、主将の座をアイザックに譲る決心がつきます。スポーツをする男性にとってはスポーツ人生の最後の瞬間とどう向き合うかは“男らしさ”のジレンマとも複雑に絡み合うものでしょう。
調子に乗っているジェイミーはやっとチームとの協調性を学んだかと思ったら、契約の都合で別チームへ。最終話で戦うことになりますが、そこで勝利を決めるシュートで仲間選手にゴール得点を譲ることを見せます。あそこはテッドのチームにとっては敗北なのですが、テッド流の指導にとっては勝利でしたね。
また、“退き方”を身につけるのはテッド自身もそうです。あれだけ人間関係構築が上手いテッドでも妻との間柄は静かに壊れてしまっていました。それは陽気なトークで修繕できるものではなく…。離婚のサインに踏み切れないテッドの苦悩もまた男性にとっての“退く”ことの難しさを象徴していました。
一方で、ネイサンやヒギンズのような男社会で底辺に位置することになる男性に関しては、その劣等感と向きわせるストーリーが用意されていました。
歪んだホモ・ソーシャルを改善するための理想形を見せられたようなものです。
そんな男性たちに対して本作では女性たちもしっかり描かれています。
例えば、キーリーは世間的にはいかにも尻軽と言われそうなタイプの女性ですが、作中ではその生き方を全く恥じることなく、堂々と貫いていきます。
そしてレベッカ。彼女のストーリーが私も一番好きですね。レベッカが置かれている状況はスキャンダラスな離婚に直面した著名女性が経験しやすい典型的な女性差別構造です。トロフィーワイフを手に入れて楽しそうにしている男よりもキャリアに挑む女が批判され、性的な注目のされ方しかされないし、陰湿な「女の採点」をメディアは興じる。ルパートによる離婚後も続くガスライティング的な支配状態も恐ろしく…。
そのレベッカが第7話で『アナと雪の女王』の「Let It Go」を熱唱するという印象的すぎるシーンがあるのですが、本家でもそこまでやらなかった「こういう使い方を待っていた!」というベスト「Let It Go」だったと思います。最終的にはレベッカはテッドとキーリーの助けもあって、ルパートを始めとする男性重圧を吹っ切り、その楔から解き放たれて、復讐の松葉杖を捨ててやっと自分で立てるようになったレベッカの姿。彼女もモデルケースになれる逸材です。
リーグからは降格して敗北したエンディングなのにこんなにも負けた感じがしない。現実でもスポーツがジェンダーに肯定感をこうやって与えられるならいいのですけどね。
シーズン2:メンタルヘルスにチームで向き合う
『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』のシーズン2、あのチームにまた会えるというだけでこっちも笑顔になってしまいますね。ほんと、良い空気感です。試合の勝ち負けじゃない、正しくあれ…という姿勢、もっと言えば短絡的なスポーツ賛歌に陥らずに個人の自己実現を喜び合うことが今回も清々しく提示されています。
そんなシーズン2は前シーズン以上にハッキリとメンタルヘルスをテーマにさせています。
ペナルティキックでマスコット犬をボール殺ししてしまったダニ・ロハスの「イップス(yips)」に始まり、 敗北というスポーツの世界で生きる人間にとって最も心を苦しめる壁をどう乗り越えるかということまで、はたまたスポンサー企業が母国で不正をしていたら?なんてタブーな題材さえも取り入れ、スポーツ界のメンタルヘルスを扱うサブエピソードが手際よく盛り込まれていました。
男泣き記者会見で引退を表明したロイのセカンドキャリア模索の不器用な旅路、そしてジェイミーのイジメ加害者の反省への道のり…今回もマスキュリニティに向き合わせる話運びが上手いです。この男2人、良い奴になったなぁ…。
一方で女性陣のストーリーも今回も素晴らしく、広告責任者としてキャリアを開始したキーリーが階段を駆け上がり、それを先輩のレベッカが支えるという関係性にもグっときますし、片やレベッカ側は以前の手痛い男性経験から臆病になってしまった自分をキーリーに後押ししてもらい、マッチングアプリでサムと付き合いだすという、あの可愛らしい恋に浮かれる姿も良くて…。クリスマス回では歌も歌ってくれたので満足。こういうキーリーとレベッカみたいに年齢差のあるシスターフッドっていいな。
そんな中、愉快で善良で人に好かれるテッドの抱える心の問題がいよいよメインに。ここで描かれるテッドのセラピー&カウンセリング嫌悪。自分の心の弱さを他人に見せたくないという意地。あのテッドさえもそんな男らしさの毒に自分で苦しんでいる…。この描写は本当に大切だなと思います。一見すると悩みなんてなさそうな人間でもそこにはメンタルケアが必要で、それを受け入れるまでのハードルはすごく高いという観点。私もつくづく実感する、大事だけど難しいこと。
結果、それでもなんとかチームに参加したカウンセラーのシャロンに父の自殺のトラウマを打ち明け、少し前に進むことができ、ほんと、良かった良かった…。そこでシャロンの心のケアにも寄り添えるのがいいですね。
と思ったらネイトですよ。今回のネイトはすっかりホモソーシャルの上位に立ちたいという欲に溺れ、にもかかわらず自分が世間に認められないという劣等感をくすぶらせ、用具係のウィルに当たり散らしていたかと思ったら、ついにはテッドの弱みを利用してパニック発作の件をマスコミに垂れ流す…。なかなかの闇堕ちっぷりを見せてくれました。でもこういう劣等感によって憎悪に染まる男社会下層男性を描くという点では、本作は逃げずにしっかりよくぞ描いてくれたと思います。スポーツに限らず、今の男性社会の重大な問題ですからね。
キーリーはマッチングアプリのPR会社のボスになったり、サムはガーナのウザい企業の誘いを断って残留したり、それぞれの道が示されるも、ラストはルパートが買ったウェストハムのコーチに就任したネイトの姿が…。
みんなに幸せを与えるテッドの魔法のシュートはあの人の心にも届くのかな…。
シーズン3:最後まで多幸感でゴールする
『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』はシーズン3にて「テッド・ラッソ」の物語としては終わりを告げます。こんなにメンタルケアにちょうどいいドラマが終わるなんて寂しいです。
シーズン3でもそんな急転直下は起きません。現実で起きうる問題に対して、クスっと笑えるユーモアでアレンジしつつ、さりげない小技でアシストしていきます。
難民問題に排外主義的な政治家の「選手は政治に口を出すな」の暴力に苦しむサム・オビサニアに対してチームが一丸となって支えたり、著名女性ヌード画像流出事件への男性としての対応の在り方であったり、スター選手のザヴァの加入に熱狂するチームがもう一度自分たちの絆を再確認したり…。
ザヴァの件といい、スーパーリーグ構想を一笑するレベッカといい、今回は明確なFIFAの特権批判がありましたね(その問題性は『FIFAを暴く』を参照)。「情熱を生み出すこの美しいゲームを取り上げたくない」という言葉はどこぞの連中にも言ってやりたい…。
アムステルダムでのみんなで枕投げもいいですが、とくにロイとジェイミーは互いの男らしさをケアし合える仲にまで深まっており、微笑ましい関係性です。
そして男らしさと言えば、前シーズンで闇堕ちしてしまったネイト。そんな彼をまたスっと受け入れるリッチモンドのチーム。あっさりしすぎかもしれないですが、このあっさりであることが大事なんだと思います。過ちを犯したことをいつまでも咎めないという…。最終話でついにダイヤモンド・ドッグズに相談するロイのエピソードでもありましたが、完璧な人間はいないのですから。
また、シーズン3ではクィア表象にも踏み込むようになり、チームメンバーでゲイであることを隠しているコリン・ヒューズと、ファンからの同性愛嫌悪な言葉に激昂したアイザック・マカドゥの件はしっかり「スポーツ界におけるホモフォビア」と「スポーツ規則の遵守を尊重しつつも人間としての正義を語ることの重要性」を両立した良いストーリーでした。
キーリーは投資会社社長ジャック・ダンバースと関係を持ち、バイセクシュアルな自覚が芽生えるのですが、このエピソードは「元の鞘に納まる」的なトピックにも受け取れるのでややバイ表象としてはステレオタイプな感じもしましたけどね。
最後はテッドのチームからの離脱。その直前の最高のトータル・フットボールが見れただけに、名残惜しさもひとしおです。少年サッカーを教えるテッドはきっとどこでもテッド流でいてくれるでしょう。
リッチモンドはロイが監督になり、ビアードも残り、ネイトも復帰して、テッドがいなくても満ち足りています。トレント・クリムの残した本がテッドの実績の世間的な証ですが、チームには目に見えなくても「BELIEVE」の文字が刻まれています。
テッド・ラッソの物語は終わりですが、スピンオフの企画には製作陣も前向きな様子。キーリーとレベッカも相変わらずのシスターフッドで、キーリーはリッチモンド女子チームを提案していましたし、レベッカはチームを売ろうとしましたが株式の半分近くを売るだけに留めていたので、まだあのチームは私たちに幸せをキックで届けてくれるのではないでしょうか。
ROTTEN TOMATOES
S1: Tomatometer 91% Audience 97%
S2: Tomatometer 97% Audience 82%
S3: Tomatometer 79% Audience 76%
IMDb
8.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Apple テッドラッソ
以上、『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』の感想でした。
Ted Lasso (2020) [Japanese Review] 『テッド・ラッソ 破天荒コーチがゆく』考察・評価レビュー