TSジャンルは古臭い性科学の知識が“ついて”いる…アニメシリーズ『お兄ちゃんはおしまい!』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2023年)
シーズン1:2023年に各サービスで放送・配信
監督:藤井慎吾
セクハラ描写 LGBTQ差別描写
お兄ちゃんはおしまい!
おにいちゃんはおしまい
『お兄ちゃんはおしまい!』あらすじ
『お兄ちゃんはおしまい!』感想(ネタバレなし)
「TS」は意外に人気の高いジャンル
日本には「TS」というジャンルがあります。これは「transsexual fiction / fantasy」の頭文字で、「男」から「女」へ、もしくは「女」から「男」へ、いわゆる性転換をメインに描くものです。
別に日本独自のジャンルではなく、歴史をたどれば古代ローマの詩人“オウィディウス”による文学『変身物語(Metamorphoses)』まで遡ることができ、古来から人々は「変身」に魅了されてきたことがわかります。
ただ、日本では「TS」はオタク・カルチャーでも一定の人気を集め、かなりフェティッシュなジャンルとして扱われることもしばしばです。
なお、「トランスセクシュアル」という用語は、医学的には、出生時に割り当てられた性別と性同一性(ジェンダー・アイデンティティ)の不一致に苦しみ、性別適合手術を望む人々を指していた歴史もありますが、今はその意味としても「トランスジェンダー」という言葉が当事者コミュニティで主流となり、「トランスセクシュアル」も過去の名残として部分的に用いる人が見られる程度となっています。
ジャンルとしての「TS」の話に戻りますが、一見するととっつきにくそうなジャンルに思えますけど、日本ではあの特大ヒットを記録したアニメ映画『君の名は。』だって実質は「TS」ですし、やっぱり今の時代でも「TS」は普遍的にウケるポテンシャルを持っていますよね。
今回紹介するアニメシリーズも「TS」のジャンルで、2023年の冬アニメの中では人気の高かった作品のひとつです。
それが本作『お兄ちゃんはおしまい!』。
『お兄ちゃんはおしまい!』は、愛称は「おにまい」。“ねことうふ”による漫画で、もともと「TS」好きで始めた同人誌が原点のようですが、「月刊ComicREX」において2019年より連載。このたび2023年にアニメ化されることになりました。
物語は「TS」のジャンルとして直球なものになっており、家に引きこもっていた成人男性(作中では姿の描写は明確にはされない)が、科学に秀でた妹の開発した薬を飲まされたことで、「中学生くらいの女子」の身体に変身してしまうという…そんな話。単に性別が変わるだけでなく、身体も子どもになっているのがミソです。たぶんその薬を開発した妹、「黒ずくめの組織」の一味だったんだろうな…(テキトーな発言)。
「中学生くらいの女子」の体になった成人男性が、これに便乗して、淫らな欲望を満たしていく…みたいなセクシャルな方向に物語の舵を切っているわけではなく、その体になったことで自己肯定感を得ていく…というのがこの『お兄ちゃんはおしまい!』のメイン・ストーリーになっています。
とは言え、アニメ『お兄ちゃんはおしまい!』はフェミニンなセクシャライゼーションが非常に濃くて、なおかつ未成年を性的に扱う目線が盛り盛りであり、加えてジェンダー・バイナリーも極端に組み込まれているため、正直、見る人を選ぶ作品ではあると思います。BLや百合といったジャンル・コンテンツをちょっと不当に評価するように受け取られかねないセリフとかもあるし…。
この作品をどう楽しむのか(もしくはどう楽しまないのか)は人それぞれだと思うのですが、私の後半の感想では、アニメ『お兄ちゃんはおしまい!』を「トランスジェンダーの論点とどう重なるのか、重ならないのか」を切り口に、この作品におそらく無意識に染み込んでいるであろう「古い性科学の知見」を掘り起こしていきたいと考えています。
別にアニメを肯定するか否定するかみたいな評価軸ではなく、「こういう見方もあるよね」というアプローチの新機軸の提示です。まあ、別に斬新なことを書くつもりはないけど…。
個人的にはこういう作品こそもっともっとジェンダー視点で論じられないといけないと思っていますし、第一、作品自体が思いっきりジェンダーを扱っていますからね…。
アニメ『お兄ちゃんはおしまい!』は全12話です。
『お兄ちゃんはおしまい!』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :ジャンル好きなら |
友人 | :オタク仲間と |
恋人 | :趣味が合うなら |
キッズ | :未成年への性的視線あり |
セクシュアライゼーション:過度に多い |
『お兄ちゃんはおしまい!』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):女の子デビュー
朝…ではありません。アラームの鳴る時計は11時半を過ぎています。それをのんびりと布団から腕を伸ばして止めるひとりの人物。
「もう昼か…」と声を出すも、自分の声に違和感を感じて「風邪でもひいたかな」と咳払いします。体もだるい気がするような…。タブレットに手を伸ばすとその手は自分が記憶をしているものよりもだいぶスリムになった感じも…。「俺の手、こんなに小さかったっけ?」
そしてタブレットに映った自分の姿にびっくり。女の子に見える…。「俺、緒山真尋はエロゲを愛する孤高の自宅警備員。立派な成人男性のはず…」と内心で自分を落ち着かせます。でもやっぱり女の子、まぎれもなくこれは女性的な身体…。
そこに元気よく扉を開けて入って来たのは白衣の妹の“みはり”。兄(?)をじっくり観察しだす妹。股間も冷静に確認し、「まずは成功ね」と納得の様子。実は妹は飲み物に自分が発明した薬を盛って兄を実験台に使ったようです。「2年も引きこもりなので働いてもらう」と言い切り、これは治験で薬が抜ければ元に戻るからとお気楽。
こうなってはどうしようもないので、緒山“まひろ”は気分を変えて、女の子の体で性的な娯楽を楽しんでやろうとエロゲをさっそく起動し始めます。しかし、妹は「女の子の快感ってね。男子の100倍くらいすごいんだって。もし今のお兄ちゃんが急にそんなの体験しちゃったらショックで頭が壊れるからね」と意地悪に囁き、小心者なまひろは何もできなくなり、部屋で呻くのみ…。
部屋で普通のゲームをしていると、トイレをしたくなり、一瞬立ってしようとしてしまいますが「そういえば女だった」と思い直して座ることにします。
次に妹に臭いので風呂に入れと言われ、風呂場で鏡に映った自分の体を意を決して見ようとします。しかし、なんだか恥ずかしい。とは言え、「見てしまえばどうってことはなかった」と自分に情けなくなりつつ、風呂からあがるのでした。傍には妹が女性ものの下着を用意してくれており、慣れないスカートを着るハメに。妹は可愛いとテンション高く、これからは毎回服を用意してくれると言います。
今や姉のような立場になった本来の妹みはりは、今やこっちこそ妹のようになってしまったましろを外に運動のために連れ出します。久しぶりの外。まさかこんな見た目で外出するとは…。
みはりはできすぎなくらいの妹で、文武両道、大学も飛び級でした。あんな妹にいつしか劣等感を感じて家に閉じこもってしまったましろ。でも今はそうも言ってられません。
ランニングでぐだぐだになりながら走っていると乳首が痛いと嘆くましろ。ブラジャーだけは身に着ける勇気がなかったのでした。そこでみはりに誘われて、初めてのブラジャーを買いにランジェリーショップへ。スポブラを購入し、ましろはまた一歩、女の子としての道を踏み出しましたが…。
ジェンダー・アファーミング・ケア?
ここから『お兄ちゃんはおしまい!』のネタバレありの感想本文です。
『お兄ちゃんはおしまい!』では、主人公の緒山まひろは自分の意思に反して女の子の体になってしまいます。女の子の体になるきっかけの強引さには目をつぶるとして、第2話で生理も起きていることから、しっかり内性器も含めて一般的に言われる女性的な性的特徴を有するようになったことが推察できます。
まひろは最初はあからさまに戸惑いますが(でもすぐゲームに興じているし、結構冷静な方だと思う)、しだいに女の子のライフスタイルのノウハウを学んでいくことになり、その結果、引きこもり生活から脱することができるようになります。
服装、ヘアスタイル、メイク、他の女の子との友達関係…。
このように性表現(ジェンダー表現)で肯定感を得るという描写は、いわゆるジェンダー・アファーミング・ケアに通じるものがあります。
「性表現」とは、性別やジェンダーを自分がどう表現するかということ。「ジェンダー・アファーミング・ケア」は、主に性同一性と一致した肯定感を得るために行う一連の取り組みのことで、トランスジェンダーの人であれば性別適合手術なども含みます。
ただ、まひろの場合、少なくとも作中で描かれる範囲で見ると、本質的にあったのは性的違和ではなく、男らしさの劣等感です。ここがトランスジェンダーとは違うポイント。まひろは、おそらくインセル的な思考の持ち主で、世間一般で言う男らしさを獲得できず、半ば自己嫌悪の中で引きこもりとなってしまっていたと思われます。
そんなまひろが、女の子になることで偶発的に「男らしさの重圧」から解放される。むしろアイデンティティ・クライシスが消えるのです。
別の見方をすれば、まひろは女らしさの中であれば、劣等感に沈まずにアイデンティティを見い出せているとも言えます。まひろにとっては女の子のコミュニティの方が自分に合っているのでした。温泉旅行ではついに自分の意思で「女の子になる」という道を選びますし…。その“合っている”ものを見つけられた…という自己発見は、やはりトランスジェンダー的な感覚に近いものがあります。
本作は出発点はトランスジェンダーっぽくないのですが、過程とゴールがすごくトランスジェンダーっぽいという、何とも言えない混ぜ混ぜの作品だなと私は感じました(この捉え方はトランスでも当事者によってかなり違うでしょうけど)。
女の子たち側の世界は楽園?
しかし、この『お兄ちゃんはおしまい!』は結構ズルい作品で、その一見する理想的なストーリーラインのために、かなり美化が行われています。とくに女の子たち側の世界です。
まず、まひろは成人男性から女の子になるわけですけど、その新たな体の「女の子」の姿は、どうやら周囲の反応を見る限り、可愛い美少女という評価らしく、まあ、ぞんざいに言えば「モテる」んですね。この変化はなんかチートですよね。単に「女の子」になっただけでなく、「世間から評価の高い見た目の女の子」になったのですから。
もしこれが「世間から評価の高くない見た目の女の子」になったのだとしたら、今度は「女らしさの劣等感」に沈むだろうし、本作はそこを都合よく回避しています。
そしてさらにここが問題で、本作はまひろが加わる「女の子たち側の世界」を、言ってしまえば「女の花園」的なステレオタイプ全開の楽園として描写しています。
この「女の子たち側の世界」の描写はいかにも日本の男性オタク・カルチャーにありがちな、コテコテの夢想的なファンタジー空間。「外で遊ぶ男子、群れる女子」「女の子はゲームに疎い」「女子には羞恥心」「女子は占い好き」「お菓子作り」「女の子同士一緒に風呂に入る」…なんだかもう女性リテラシーの低い男子生徒の考える女性像そのもので、観ていて痛々しく恥ずかしい…。
また、本作では、同性愛もファンタジー化されていて、女の子たちの無邪気なじゃれ合いを「見ることを専門」と発言する室崎美夜が満足そうに眺めるというのは、かなりホモフォビアな領域だと思います。
「男はこういうもので、女はこういうもの」というジェンダー・バイナリーの規範が極端な本作ですが、中には穂月もみじのようにジェンダー・ノンコンフォーミングな雰囲気の女の子もいます。しかし、その子にさえも、一緒にいるとカップルに見えかねないからと言って女の格好をさせようとしたり(そしてそれを可愛さとして扱う)、このあたりもやっぱりこういうアイデンティティの人への無自覚な侮辱的描写だなとも思いますし…。
作中に滲む性科学の古臭い知識
また、『お兄ちゃんはおしまい!』では、性科学の古臭い知識がところどころ見え隠れします。
例えば、本作は「性別は体と心にある」という古典的な概念を前提にしており、初期の性科学そのものです。そして、まひろが第1話で「BLで少し興奮できる」とボヤくシーンからもわかるように、その性別は体と心にあり、分離したときの食い違いが性的指向に作用する…という扱いを匂わせます。
これは1800年代に活躍したドイツの性科学者である“カール・ハインリッヒ・ウルリッヒス”が提唱したこともある、「男性の精神を有していて女性に性的な魅力を感じる女性の身体の人」(もしくはその逆)という概念に類似していて、当時はこうした考え方で同性愛などを捉えようとしていました。
みはりもたぶん専門分野は性科学であろうに、妙にその知識は浅そうだったな…。
他にも現在ではトランスジェンダーの代表的偏見や誤解とも言えるようなものを助長するシーンも多いです。
それこそ「男らしさに苦しんで女性になっているだけ」というイメージは、定番なトランスジェンダー差別言説を補強するものですし、最終話の展開と言い、過度に股間が強調されるのもあれですし…。
また、現実の今の日本社会では、「手術によって生殖能力を失わなければ、戸籍上の性別を変えることができない」という法的な要件が定まっており、これは国連などからも人権侵害として非難されていますが、つまり、作中のましろは身体が変わったからといって「女性」として普通に対等に生きるのは不可能です。
ということで、『お兄ちゃんはおしまい!』はビジュアル面ではクィアなのです。ただ、アニメを楽しむぶんにはいいですが、これを観た人がいざ現実でリアルなクィアのトピックに直面したとき、無自覚な齟齬が生じるだろうなと想像できる、そんな中途半端さが否めないアニメだったかなというのが私の印象でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『Buddy Daddies』
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作品ポスター・画像 (C)ねことうふ・一迅社/「おにまい」製作委員会
以上、『お兄ちゃんはおしまい!』の感想でした。
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