イタリアの名匠パオロ・ソレンティーノが故郷を描く…Netflix映画『The Hand of God(Hand of God -神の手が触れた日-)』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:イタリア(2021年)
日本:2021年にNetflixで配信、12月3日に劇場公開
監督:パオロ・ソレンティーノ
DV-家庭内暴力-描写 性暴力描写
The Hand of God
ざはんどおぶごっど
『The Hand of God』あらすじ
1980年代。ファビエット・スキーザという少年が暮らすナポリの街。広大な海と歴史ある街並みに囲まれ、住民はこの地で根付いている。そこに伝説のサッカー選手であるディエゴ・マラドーナがやって来るという噂が舞い込んでくる。思わぬ出来事に喜ぶファビエットだったが、予想外の悲劇が彼を襲う。激動の時代の中で数奇な運命に導かれ、ファビエットはもがき苦しみながらも人々との交流を通して成長していく。
『The Hand of God』感想(ネタバレなし)
パオロ・ソレンティーノが故郷に戻る
「ナポリ」と言えば…はい、日本人の答えはきっとこう…「ナポリタン」です。
ナポリタンは洋食という名の日本発祥料理。日本で戦後に広まった料理だと言われています。海外から持ち込まれたわけではありません。ではなぜそんな名前なのか。名称の語源はイタリアのナポリという街。ナポリはパスタに使われる硬質小麦の産地で、トマトをソースとして和えるパスタは以前からフランスなどではナポリ風のスパゲッティと呼んでいたそうですが、その料理が日本にも伝わり、日本独自の料理として確立したのではないかと言われています。一説によれば、横浜にある1927年開業の「ホテルニューグランド」で誕生したというのが有名ですが、実際のところはよくわかりません。
ともかく日本ではすっかりナポリタンとして料理名で身近になってしまっているのですが、イタリアのナポリの街も日本では身近ではないかもしれないですけど、こちらもステキな魅力たっぷりです。
南イタリア最大の都市「ナポリ」。「ナポリを見て死ね」というなんとも直球すぎるイタリアの格言もあるらしいほどに観光の代表格。旧市街地は「ナポリ歴史地区」として世界遺産に登録され、見どころは無数にあります。
映画絡みだとナポリにゆかりのある人物もたくさんいます。
例えば、世界三大映画祭の全てで受賞を成し遂げたイタリアの伝説的監督“フランチェスコ・ロージ”はナポリ出身。“ラウラ・アントネッリ”や“ソフィア・ローレン”といった当時の美の象徴であったイタリアの女優たちもナポリやその近郊で育ちました。
そんな中、今回は“パオロ・ソレンティーノ”に焦点をあてましょう。
“パオロ・ソレンティーノ”は映画監督。キャリア初期からカンヌで注目を集め、2008年の『イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男』ではカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞。2013年の『グレート・ビューティー 追憶のローマ』ではアカデミー外国語映画賞を受賞し、2015年の『グランドフィナーレ』ではヨーロッパ映画賞で作品賞と監督賞を受賞。もはやイタリアを代表する巨匠になるのは確定事項のようなものです。最近は悪名高きイタリアの元首相ベルルスコーニをモデルに描いた意欲作『LORO 欲望のイタリア』(2018年)やドラマ『ニュー・ポープ 悩める新教皇』を手がけたばかり。
その“パオロ・ソレンティーノ”監督も実はナポリ出身。1970年にナポリで生まれ、37年間も住んでいたそうです。なのでナポリは故郷として人生に染み込んでいます。
そして“パオロ・ソレンティーノ”監督は自身のふるさとであるナポリでの青春を題材に自伝的映画として作ることに決め、この新作が生まれました。それが本作『The Hand of God』です。
なお、当初の邦題は『Hand of God 神の手が触れた日』とされて、東京国際映画祭や独占配信するNetflixでの宣伝でもそのタイトルで扱われていたのですが、いざ一部での劇場公開、そしてNetflixでの一斉配信が始まると邦題は『The Hand of God』と原題そのままになっていました(2021年12月16日時点でNetflixの作品ページのタイトルも「The Hand of God」になっている)。でも「神の手が触れた日」で検索しても表示されます。どっちなんだろう…。
一応ここでは『The Hand of God』として感想を書いていきますが、この本作。毎度のことながら“パオロ・ソレンティーノ”監督作らしく国際的に高く評価され、今作ではヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門で上映され、審査員大賞とマルチェロ・マストロヤンニ賞(新人俳優賞)を受賞しました。
作風はいつも通りなのですが、今作では“パオロ・ソレンティーノ”監督の自伝要素が濃いこともあってノスタルジーを強く感じさせます。そしてナポリの情景が本当に綺麗に撮られていて…。
俳優陣は“パオロ・ソレンティーノ”監督作の常連として、『グレート・ビューティー 追憶のローマ』と『LORO 欲望のイタリア』の“トニ・セルヴィッロ”が主人公の父親役で登場。『In the Beginning There Was Underwear』の“テレーザ・サポナンジェロ”が主人公の母親役、そして主人公を惑わせる大人の女性として『愛の神、エロス』の“ルイーザ・ラニエリ”も出演。他にも多数です。とにかく主人公の家族周りで登場人物が多いです。
で、肝心の主人公を演じるのは、新鋭の若手俳優“フィリッポ・スコッティ”。今作で大抜擢。新たな“パオロ・ソレンティーノ”監督作の常連になるのでしょうか。
『The Hand of God』が初めての“パオロ・ソレンティーノ”監督作鑑賞という人でも馴染みやすい一作だと思います。ノスタルジックで切ない望郷の映像を味わってください。
『The Hand of God』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2021年12月15日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :監督作好きの人は注目 |
友人 | :シネフィル同士で |
恋人 | :異性愛ロマンスあり |
キッズ | :ヌード描写多め |
『The Hand of God』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):故郷の物語
ナポリの夜。大量の車の渋滞とバスを待つ人。1台の車がスっと止まり、バス待ちの女性のひとりを「パトリツィア」と呼びかけます。車に乗るタキシードの男に「私だけどあなたは誰?」と聞くパトリツィア。「守護聖人だ」「なぜ私の名前を?」「聖ジェンナーロだから」… バスは来ないと言う男は「乗るか」と聞いてきますが、パトリツィアは「いいえ、バスで帰ります」と拒否。しかし、「子ができないんだろう? 授かる方法を説明しよう」と言われて、その言葉にしがみつくように誘いに乗ります。
パトリツィアはその男の家へ招かれ、そこには小さな修道士がいて、「モナシエロ」と呼ばれていました。その子はパトリツィアのバックに何かを入れます。その小さな修道士の頭にキスをすると後ろから男はパトリツィアのお尻を掴み…。
パトリツィアは帰宅。夫のフランクにはバスが遅れたと言い訳しますが、身体を売ったと勘違いされて「売女が!」と夫は暴力をふるってきたので、部屋に避難し、電話。「フランコに殺される」
駆け付けたのは姉のマリアの家族3人。夫のサヴェリオと息子のファビエット。聖ジェンナーロの件を説明し、なんとかその場を収めます。
そんなこともありつつ、ファビエットの家の1日。マリアは上に住む男爵夫人に天井を箒で小突いて合図。夫と息子が出ていくのを口笛で見送ります。俳優志望のマッキーノは部屋に籠っています。
天気のいい日。家族親戚みんなで外で食事です。とにかく家族が多いです。ナポリ一番の意地悪だというジェンティーレ婦人は一緒の席にはつきません。マリアは果物でお手玉し、みんなを盛り上げます。ダイエット中のネネは嫌味を言われ、調子のいいジェッピーノは相変わらず気さく。アルおじさんはマラドーナが来たら自殺するとのたまり、「マラドーナが来るなんてデタラメだ」とみんなもその話題で持ちきりに。
すると双眼鏡で来訪者を見張っていたアントとリカルディーノが人が来たと知らせます。ルイセラが婚約者を連れて来たのです。しかもその婚約者は70歳のアルドという男で、足を引きずっており、電気式人工喉頭で喋るという姿。なんとも新しい人が家族の仲間入りを果たしました。
みんなで海に。パトリツィアはひとめも気にせず全裸で船で日光浴。一同は気まずく座ります。タオルをとってと言われるファビエット。パトリツィアは「大きくなったわね」と艶めかしくコメント。
そんなことがあった日の終わり、ファビエットは兄のマッキーノと話します。兄は「選ぶなら、マラドーナのナポリ加入かパトリツィアとのセックスか」と下世話な質問をぶつけてきますが、ファビエットは「マラドーナ」と呟きます。
別の日、マッキーノの俳優オーディションについていったファビエット。中を覗くと女優の写真がいっぱい張ってあり、その光景に魅了されます。
その帰りになんとあのマラドーナを見かけました。車を運転しています。家族に伝えてもあまり信用してくれませんでしたが…。
高校卒業後は哲学をしたいと漠然と考えるファビエット。でも本当は映画監督になりたいのでした。
しかし、その青春に悲劇が起きます。ファビエットの両親は一酸化炭素中毒でこの世を去ってしまい…。
イタズラ好きな家族の時間
『The Hand of God』は“パオロ・ソレンティーノ”監督作『グレート・ビューティー 追憶のローマ』と対になるような映画で、あちらはローマを主な舞台にその社交界の享楽と哀愁を同時に映し出すタッチでした。一方のこの『The Hand of God』はナポリを舞台に刺激の少ない静かな時間が流れる中でのひとときを描いています。
冒頭の映像からぐっと引き込まれます。海の全景から一気にカメラは道路を走る1台の車に移り、そしてまた街並みを映し、海へと向ける。このダイナミックなオープニングだけでもう最高で、「ああ、いい映画を観た」とこの時点で満腹感に満たされるような…。“パオロ・ソレンティーノ”監督はいっつもこういう映像センスが好きですね。今作の撮影の“ダリア・ダントニオ”も良い仕事をしている…。
以降の前半は賑やか家族の喜劇という感じです。あの家族での食事の収拾のつかないガチャガチャした感じといい、いかにも大家族です。個性もみんな強すぎる…。それにしても老若男女問わず躊躇いもなく海に飛び込んで泳ぐんだな…。
しかも、ファビエットの家族はイタズラ好きで、毎度あまりにもしょうもない悪ふざけをしてきます。グラツィエッラがゼフィレッリの新作に採用されたというイタズラ電話も酷い話で、その後に正直に4人で罪を告白して大激怒されるくだりとか、熊の着ぐるみで驚かせるエピソードとか…。
パトリツィアがあのルイセラの婚約者である70歳のアルドという男の電気式人工喉頭の電池を海に投げ捨てるのも普通に非道なんですけど、あのアルドも電気式人工喉頭であることをものともせず喋りに喋りまくっている(しかもわりとどうでもいい小話)ので、まあ、確かにうざいだろうけど…。
そんな他愛もない日常の前半パート。ノスタルジーに浸っていればいいだけの時間。それは両親の死という悲劇で終わりを告げます。
悲劇から発車するまで
“パオロ・ソレンティーノ”監督本人は16歳で両親を亡くしました。両親の突然の死亡によってファビエットののんびりした時間は変わってしまい、この愛すべき故郷にも影が投げかけられます。つまり、親の死とかつての楽しい時間をフラッシュバックさせてしまう地に変貌するわけです。
葬儀でそれまであんなに不機嫌で無愛想だった親族さえも悲しみに暮れて自分を慰めてくれるのがまた辛くて…。
忘れてはならないのは『The Hand of God』では序盤からこの地の闇も描いていました。それはパトリツィアの経験。守護聖人による性暴力を描くあの冒頭は、不正が暴露されたカトリックへの“パオロ・ソレンティーノ”監督のケジメなんでしょうけど、同時に女性の性が搾取されている現実社会そのものへの警句にも見えます。
“パオロ・ソレンティーノ”監督は過去作でも女性のヌードを遠慮なく作品で描いてきましたが、あくまでそれは女性が女性の自発的意思で性を表現するべきであって、搾取であってはいけないという、監督なりの意思の提示なのだとも思います。
ファビエットは悩み、人生を彷徨います。煙草の密輸業者のボートを操舵していた男のアルマと知り合って暴力的な世界へと足を踏み入れそうになることもある。でも映画監督になるという一筋の光が自分を繋ぎとめます。それは映画の中でなら現実社会で苦しんでいる女性を救えるからなのか、はたまた家族を失った悲しみをこの映画の世界で払拭したいからなのか、本人もよくわかっていない感じです。
けれども出会った監督の言葉が背中を押します。
「これからはファビオだ、壊れるな、何としてでも壊れるんじゃない」
そして故郷を出ていくファビエット。ローマ行きの列車からとある駅で懐かしい口笛を耳にして、ふと目をあげると小さな修道士が手を振っている(あの小さい修道士はナポリ伝統の妖精だそうです)。
あれだけの悲劇があればきっと故郷を出るという行為の意味合いもまるで変わってくると思うのですが、この『The Hand of God』はそこまで悲嘆に沈むのでもなく、ゆったりと人生の列車がまた進んでいく。このあたりのテイストは最近だと『あの夏のルカ』でも観たのですが、“パオロ・ソレンティーノ”監督の映画文化への敬愛と社会に苦しむ者への救済心も相まってとても厳かで力強い推進力のあるストーリーになっていたと思います。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 81% Audience 97%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Netflix ザ・ハンド・オブ・ゴッド
以上、『The Hand of God』の感想でした。
The Hand of God (2021) [Japanese Review] 『The Hand of God』考察・評価レビュー