トランス女性たちの心の中に…「HBO」ドキュメンタリー映画『ザ・ストロール』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本では劇場未公開:U-NEXTで配信
監督:クリステン・ラベル、ザッカリー・ドラッカー
LGBTQ差別描写
ざすとろーる
『ザ・ストロール』簡単紹介
『ザ・ストロール』感想(ネタバレなし)
孤立の時代の記憶
イギリスやアメリカではトランスジェンダーに対する差別的なバックラッシュが吹き荒れています。2025年もそれはそれは酷いありさまです。
そんな中、心強い連帯の動きもありました。イギリスの約1万人のシスジェンダー女性が「トランスジェンダー女性を女性の脅威とみなす言説」に反対する請願書に署名。トランスフォビアな考えを推進する人々は「私たちの代わりに発言していない」とメッセージを示し、「権力を乱用するシスジェンダーの男性こそが真の脅威であり、この共通の真実によってすべての女性が団結するべき」と添え、「トランス女性のスケープゴート化はもうたくさんだ」と訴えました(PinkNews)。
トランスジェンダーへの差別を取り巻く現状で今と昔で大きく違っているのは、この連帯の輪の大きさです。現在はトランスジェンダー当事者ではない人も積極的に平等の権利を支持してくれます。しかし、20~30年前は全く違っていました。
トランスジェンダーにとっての孤立の時代。誰も助けてくれず、近しい仲間同士でなんとか生存のために灯を絶やさないように身を寄せ合うしかない…そんな世界があって…。
今回紹介するドキュメンタリー映画は、イギリスではなくアメリカ、それもニューヨーク・シティのあるほんの一角の通りに焦点をあてる…とてもミニマムな作品です。それでもそこには確かにトランスジェンダーの歴史がありました。
それが本作『ザ・ストロール』。
本作が具体的に舞台にしているのは、ニューヨーク・シティのマンハッタンのミートパッキング地区です。現在はこの14丁目を境とする地区はファッションからIT、カフェまで立ち並ぶオシャレなビル街となっており、誰でも足を運びやすいカジュアルなエリアとなっています。
しかし、このミートパッキング地区はかつて「ストロール」と呼ばれ、多くのトランスジェンダー女性たちが体を売る場でした。家から追い出され、就職の道も絶たれたトランス女性たちは、セックスワーカーになるほかなかったのです。
本作は、その「ストロール」で生活していたトランスジェンダー女性のセックスワーカーがさまざまな苦難に直面しながらも絆を強めていたという記憶を当事者たちの取材で振り返っていくオーラル・ヒストリー型のドキュメンタリーとなっています。
トランスジェンダー女性のセックスワーカーを主題にしたドキュメンタリーと言えば、2023年は『ココモ・シティ』もありましたが、『ザ・ストロール』はひとつの場所に絞っているのが特徴です。
そのうえ、この『ザ・ストロール』を監督するひとりは、実際に「ストロール」でトランスジェンダー女性のセックスワーカーとして生活していた当事者である“クリステン・ラベル”であるというのも注目ポイントですね。当事者主体の作品の重要性が指摘され、まだまだ不十分な昨今、これほど当事者性が色濃いドキュメンタリーは珍しいです。
これはこの題材においては本当に大切なことで、トランスジェンダー女性のセックスワーカーというのはただでさえ偏見の眼差しを向けられやすく、ゆえに他者に心を打ち明けるのだって難しいものでした。
本作は当事者としての体験を共有する“クリステン・ラベル”こそ、心を開いてあの当時の記憶を素直に話してくれているのがよく伝わり、信頼と支え合いの力がこのドキュメンタリー自体に溢れています。それがまさしくあの「ストロール」を生き抜いたトランスジェンダー女性のセックスワーカーたちのかけがえのない宝物であり、その繋がりの証明を映像に残すのがこのドキュメンタリーなのでしょう。
なお、共同監督の“ザッカリー・ドラッカー”もトランスジェンダー女性です。
プライベートでメモリアルなドキュメンタリーではありますが、あの地を知らない人にも心に響く一作だと思います。
『ザ・ストロール』は日本では「U-NEXT」で独占配信中です。
『ザ・ストロール』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | トランスジェンダー差別に言及するシーンがあります。 |
キッズ | 性的な話題が多いです。 |
『ザ・ストロール』感想/考察(ネタバレあり)

ここから『ザ・ストロール』のネタバレありの感想本文です。
ミートパッキング地区の歴史
『ザ・ストロール』の舞台となるミートパッキング地区(MPD)。
その歴史を作中で語られていないところも補足して説明すると…
このエリアは急速に発達するマンハッタン全体と同じように変動的で風景が常に変化してきました。最初は工業地帯で、1800年代後半には食肉加工を主とする地域になります。昔の食肉加工というのは今と全然違っていて、牛などの家畜をその建物内で屠殺し、その建物の路上から見える外で殺したばかりの家畜を吊るして解体し、肉にして、トラックに乗せて近くの店に出荷するという…現場完結型の流通スタイルです。
1900年代前半にはこの地区だけで100を超えるそうした食肉施設があったそうで、あちらこちらで牛などがさばかれていたのが想像できます。
ところが1900年代後半になると、流通のシステムが変わり始め、もっと長距離でも新鮮に肉製品を運べるようになったので、わざわざここで解体・加工する必要がなくなります。そうなってくるとこの地区で食肉加工業を続ける事業者はどうしたって減り始めます。
そうしてミートパッキング地区の一部が廃れた合間に根付いた新しい産業がクィアなサービスでした。近くのクリストファー通りはゲイの聖地となり、セックスクラブも大繁盛。そしてそこからもこぼれ落ちる、もっと弱い立場の人たちが息づくことになったのが「ストロール」で、トランスジェンダー女性のセックスワーカーが路上で客引きする通りとなったのでした。
こうした経緯があって、精肉業者とトランスジェンダー女性のセックスワーカーが並んで働いている…なんとも奇妙な光景になったんですね。
生臭い血と肉の匂いが充満する通りなんて基本的に人は寄り付かないでしょうが、ここはひと目を避けて欲望を満たしたい人が集まるにはうってつけ。作中にて、肉を積んでいたトラックの荷台に客を連れ込んてサービスしたと思い出話に耽る当事者の姿が、この「ストロール」らしさなんだなと伝わってきます。
一緒に生きる仲間がいてくれた
『ザ・ストロール』には、このエリアでセックスワーカーとして働いていた多くの当事者が取材に答えています。
エジプト(1983年~2001年)、イジー・カシミヤ(1994年~2000年;この人は今はノンバイナリー)、カイアン(1980年~2005年)、タビサ(1993年~1997年)、ステファニー(1999年~2001年)、エリザベス(1998年~2001年)、レディー・P(1985年~2005年)、キャリー(1996年~2009年)などと、名前に添えて「ストロール」での活動年も併記されているのが、この作品らしいプロフィールになっています。
もちろん監督の“クリステン・ラベル”も「ストロール」の生き証人であり、15歳で家を出てトランジションするとコーヒー店をクビになったのでやむなくセックスワーカーになるしかなかったという個人の人生が語られます。
本当はあの取材に答えてくれた人たち全員に独自の人生があり、それぞれで一本ずつドキュメンタリーになるくらいのボリュームがあるはずです。
そして忘れてはいけないのは、本作に出演するのはあくまで今まで「生き抜いてこれた」当事者だけだということ。もっと大勢のトランスジェンダー女性のセックスワーカーがあのエリアで働いていたけども、今はこの世にいない…。
本作の出演者はそんな亡き仲間のぶんまで語っています。
当事者の口からまずこぼれでるのは「仲間がいること」の嬉しさでした。トランスジェンダー女性として社会で爪弾きにされ、「自分は独りなんだ…」と失望していた瞬間、ふと顔を上げれば同じような境遇の人たちが集まって、「一緒に生きよう」と言ってくれる。家族よりも強い絆を築けることに救われた人たち。そういう世界がある…それだけでも大事ですよね。
「辛いことも幸せなことも悲しいこともあった、全てがひとつの体験」とある当事者は口にしていましたが、この体験を共有できる仲間がいたことは間違いなく最高だったのでしょう。
記憶と歴史を継承して…
しかし、かけがえのない仲間と出会えた一方で、世間はトランスジェンダー女性のセックスワーカーを迫害する方向へと突き進みます。
暴力(性暴力を含む)や強盗の被害を受けることもあり、しかし、警察は助けないどころか加害をしてくる側だったので、仲間同士で助け合うしかありません。
また、NYPD(ニューヨーク市警)の敵対的な態度はここでも浮き彫りになります。『ラスト・コール 性的マイノリティを狙う殺人鬼』でも問題視されていましたけど、ほんと、酷い組織だ…。ニューヨークのプライド・パレードで、今もめちゃくちゃNYPDが嫌われている理由がよくわかる…。
『ザ・ストロール』にとくにトランスジェンダー女性のセックスワーカーの居場所を失わせる脅威として取り上げられるのが「ウォーキング・ワイル・トランス法(’Walking While Trans’ Law)」です。
この法律は要するに公序良俗違反を取り締まるものですが、反自然的な行為を取り締まるという飛躍した大義名分を掲げ、同性愛的な行為も対象とします。さらに、実際に行為をしていたかどうかはどうでもよく、とりあえずそれっぽい雰囲気であれば「出歩いているだけ」でも捕まえられるという、あまりに支離滅裂な運用でした。
前述したとおり、実際の暴力の被害を受けているのはセックスワーカーなのに、その被害者のセックスワーカーのほうを取り締まっているのですから、全く筋違いです。
作中ではみんなで「マグ」を合図に隠れましたと語っていたのが印象的(「マグ」は当時流行っていた『私立探偵マグナム』に由来するとのこと)。
そして追い打ちをかけたのが、1994年の“ルドルフ・ジュリアーニ”市長の誕生(後の“ドナルド・トランプ”の顧問弁護士で、不正行為で弁護士資格が停止となった人です)。「割れ窓理論」を根拠に、秩序を乱すものは犯罪を招くとして、セックスワーカーを敵視。地域の浄化が行われました。
作中ではその中で、クリストファー通りの住民に憎まれ、スケープゴートにされていくトランスジェンダーの苦しさも映し出されます。“シルビア・リベラ”や“マーシャ・P・ジョンソン”といった当時のトランスジェンダー権利運動のアイコンとなった偉人が直面した「ゲイから排除されるトランスジェンダー」という苦悩。「ストロール」でも例外ではなかったんですね。
2000年6月20日にはポート・オーソリティ・バスターミナル近くの路上で、2人の男が25歳のトランスジェンダー女性の“アマンダ・ミラン”を殺害した事件が起きるのですが、「マシュー・シェパートの事件はみんな注目してニューヨークでも抗議の声があがったのに、アマンダ・ミランには関心が低かった」という指摘も…(マシュー・シェパートは1998年10月12日に同性愛者であるということを理由で21歳でワイオミング州ララミーで殺害された人物です)。
そこへ2001年の世界貿易センタービルへのテロ。「ストロール」は立ち入り禁止になり、禁止が溶けても客足は減り、セックスワーカーはネットで活動(性的な出会い系サイト「myRedBook」とか)に軸足を移すしかなく…。
さらにさらにジェントリフィケーションがトドメを刺しました。もう何も残りません。
刑務所の中でも悪名高いニューヨークのライカーズ刑務所(マーベルのアメコミの世界にも同名の刑務所が登場しますね。由来はこの実在の刑務所です)に14年も服役した当事者が(同性愛者用施設があった)、釈放されて戻ると「ストロール」は様変わりし、仲間の大勢は死んでいると知った…という話が辛い…。
何もかも無くなってしまいましたけど、ウォーキング・ワイル・トランス法はやっと廃止され、トランスジェンダーの権利運動は堂々と展開できるようになりました。もう一部のエリアに隠れ住む必要はないです。
けれども「ストロールは私たちの中からは消えない」と語るように、あの記憶は埋もれさせたくはない。今を生きる私たちは権利運動の中で、記憶や歴史を継承するという役目も担っていることを覚えておきたいなとあらためて実感しました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
◎(充実)
作品ポスター・画像 (C)HBO
以上、『ザ・ストロール』の感想でした。
The Stroll (2023) [Japanese Review] 『ザ・ストロール』考察・評価レビュー
#アメリカ映画2023年 #ニューヨーク #セックスワーカー #LGBTQ歴史 #トランスジェンダー