ブラック・トランス・ウーマンはまだ眠らない…ドキュメンタリー映画『ココモ・シティ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本では劇場未公開:2023年に映画祭で限定公開
監督:D・スミス
性描写
ここもしてぃ
『ココモ・シティ』簡単紹介
『ココモ・シティ』感想(ネタバレなし)
差別本よりもこの声を聴け
2024年、トランスジェンダーに関する誤った情報が載った差別的な本が日本で反LGBTQな企業から出版される中、別のところでは専門家による有用な良書もでています(岩波書店の『トランスジェンダーと性別変更: これまでとこれから』や、青弓社の『トランスジェンダーQ&A: 素朴な疑問が浮かんだら』など)。適切な情報に触れ、見識を広げていきたいものです。
3月31日は「国際トランスジェンダー可視化の日(International Transgender Day of Visibility)」。デマや陰謀論に歪められていないトランスジェンダーの人々のありのままを世間に示す日です。
このサイトでも、『ジェーンと家族の物語』や『トランスジェンダーとハリウッド 過去、現在、そして』など、確かに現実に実在するトランスジェンダー当事者を主題にした作品を取り上げてきました。とくにドキュメンタリーはとても貴重です。映像記録としても価値があります。
2024年もトランスジェンダ―当事者に光をあてるドキュメンタリーを、「国際トランスジェンダー可視化の日」が近いのでお届けしたいと思います。
それが本作『ココモ・シティ』です。
本作はアメリカの作品で、先ほどから言っているようにトランスジェンダーが主題なのですが、より具体的には黒人トランス女性(black trans woman)、さらにセックスワーカーをしている当事者を取り上げています。
アメリカのトランスジェンダーの歴史において、黒人トランス女性は外せない存在です。なぜならドキュメンタリー『マーシャ・P・ジョンソンの生と死』でも映し出されていたように、トランスジェンダーの権利運動の出発点にして原動力には、これら黒人トランス女性の尽力があったからです。
ドラマ『POSE ポーズ』ではそうした1980年代の黒人トランス女性の文化や葛藤が実在感たっぷりにエンターテインメントとして映像化されていました。
本作『ココモ・シティ』は、現在である2020年代の黒人トランス女性、しかもセックスワーカーという社会の最下層で生き抜いている当事者に直接取材し、密着しながら、この当事者の生の声を送り届けています。『パリ、夜は眠らない』の最新現代版という感じです。
『ココモ・シティ』の素晴らしいところはいくつかあるのですが、まずそのひとつ目が、黒人トランス女性かつセックスワーカーという、どうしても色眼鏡で見られやすい存在を対象にしつつも、全く好奇の目で晒し者にしている空気が一切ないということ。解説的な説明をあえて排除し、本人の語りを何よりも尊重し、その言葉をダイレクトにぶつけてきます。
主題となっている黒人トランス女性は4人なのですが、みんな自分の主張が明確で、社会に対して言いたいように言いまくります。皮肉とユーモアと誠実さを織り交ぜながら…。それがこちらの心にグサグサ刺さるんですね。
また、セックスワークのビジネス上の客であるシスヘテロ黒人男性も取材しているのが面白いです。彼らも素直に胸の内を話しており、そこから黒人社会全体のジェンダー規範の構造的問題が丸裸になったりもします。
次の良さとして、演出のカッコよさです。『ココモ・シティ』を監督しているのは、“D・スミス”という人物で、もともとはシンガーソングライターでした。しかし、トランス女性であるとカミングアウトすると音楽業界から干されてしまい、ホームレス状態になったそうです(Out In Jersey)。そこでふと「こうなった人の中にはセックスワーカーで生計を立てている人もいるんだよな…」と漠然と考え、そこでそういう人たちを題材にしたドキュメンタリーを作ろうと思いついたのだとか。
そういう制作背景があるので、本作は非常に自主制作映画であり、“D・スミス”にしか映し出せないような距離感の映像もあり、そして音楽業界で培ってきたクールな演出も盛り込まれています。ところどころでミュージックビデオみたいです。
幸いなことにこの『ココモ・シティ』はとても高評価を受け、“D・スミス”はドキュメンタリー・クリエイターとして知名度を上げました。製作に名乗りでた“リナ・ウェイス”などの支持者のおかげでもありますが、“D・スミス”には間違いなく稀有な才能があると思います。今後も最高の作品を遠慮なく作ってほしい…(これだけの才能があって、黒人トランス女性という理由で仕事の機会が乏しいのは本当に理不尽ですから)。
その『ココモ・シティ』ですが、2024年3月時点では日本では「レインボー・リール東京」などの映画祭で限定公開されただけであり、鑑賞するチャンスが限られています。もっと広くいつでも見られるようにしてほしい良作ですので、勝手ながら宣伝しておきたいと思います。
もう1度繰り返しますが、不正確に歪められていないトランスジェンダーの人々のありのままを社会に認知させるのは急務です。
『ココモ・シティ』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :見逃せない良作 |
友人 | :興味ある同士で |
恋人 | :関心があるなら |
キッズ | :性描写あり |
『ココモ・シティ』予告動画
『ココモ・シティ』感想(ネタバレあり)
彼女たちはここにいる
ここから『ココモ・シティ』のネタバレありの感想本文です。
『ココモ・シティ』でカメラの前に立つのは、ダニエラ・カーター(Daniella Carter)、ドミニク・シルバー(Dominique Silver)、ココ・ダ・ドール(Koko Da Doll)、リヤ・ミッチェル(Liyah Mitchell)の4人。いずれも黒人トランス女性でセックスワーカー。
ダニエラはニューヨーク州のクイーンズで生活。ドミニクはニューヨーク州のマンハッタン。ココはジョージア州のアトランタ。リヤはジョージア州のディケーター。
黒人トランス女性でセックスワーカーをしている人は、アメリカ国内では珍しくはないですが、実際にどれくらいの人口なのか。私も文献を調べてみましたけど、あまり確定的な統計上の数字は見つかりませんでした。そもそもこの立場にいる人たちは、社会の中でシステムからこぼれ落ちていることが多いでしょうし、統計のようなものに把握されていないことが頻出するはずです。実態は曖昧でわかりにくいです。
だからこそ『ココモ・シティ』のようなドキュメンタリーに価値がでてくるのですが…。
ちなみに、ダニエラとドミニクはドラマ『POSE ポーズ』でおなじみのニューヨークのボール・カルチャーの要である「ハウス」の有名なところに所属しているそうですが、本作はその様子はあえて映されていません。
とにかくこのドキュメンタリーはこの4人に密着し、とても距離感が近いです。友達と部屋やカフェで無駄話しているような親密さですよね。監督の“D・スミス”が近い立場にいるおかげなのか、すごくフレンドリーで饒舌に喋ってくれます。信頼してくれているのがわかりますし、信頼してもらえる環境づくりを意識しているのも伝わってきます。
4人の言葉は、事務的な応答ではありません。「○○はどういう意味ですか?」「それはこういう意味です」…みたいな堅苦しい取材形式でもありません。
どの言葉もパワフルです。社会に遠慮なしに言葉をぶちまけています。この4人の言葉が本作におけるリリックみたいなものです。そうやって考えると本作は全体を通して音楽的な構成になっているんですね。
黒人トランス女性のセックスワーカーは確かにいる。フィクションではなく、イレギュラーでもない。街の構成要素として当たり前に存在しているのでした。
彼女たちに語らせろ
『ココモ・シティ』で語ってくれるエネルギッシュなブラック・トランス・ウーマンたち。楽しい話もありますが、やはりその人生にはツラさも背負っています。
私が本作を観ていて思わず感心してしまうのは、こういう悲劇性の強い人生体験を絶妙に皮肉とユーモアで中和しながら、それでいて本質を濁らせることなく、目の前で表現できるスキルです。私には全然こういう手腕もなくて、ただただ凄いなと思うのですが、文化の違いなのか、場数の違いなのか…。
たぶんセックスワーカーとして日頃から「fetishize」される身であるゆえに、主体性を最重視するという生き方が身についているのかな。
悲劇をそのまま悲劇として表現するのはある意味では誰でもできます。それは悲しい物語として消費されるだけになりかねません。
本作の黒人トランス女性はちゃんと主導権を持ったまま、他人に略奪されることなく、人生体験を語れている。私はずっとこういうスキルをどうしたら磨けるのだろうと思ってきているのですけど、結局その真髄はわからないけども、やっぱりこれって大事だなと再確認しました。
リヤは冒頭で客相手との銃&揉み合い騒ぎを気楽に語っていましたが、大きいテディベアが部屋にもあって、ギャップがあります。生活環境として危険な体験エピソードには事欠きません。家族との確執もあります。
よく反トランス側はトランスジェンダーは女性としての辛さを経験していないと主張し、トランス女性は真の女性ではないと言ってきます。そもそも辛さで決まるのは変だろうと思うのですが、今作で語られるとおり、この黒人トランス女性たちは明らかに大変な経験をしています。”大変だった話”の量で言えば、もう誰にも負けないでしょう。
そして、忘れてはいけないことですし、作中でもしっかり強調されていましたが、「女性らしさ(womanness)」と「黒人らしさ(blackness)」。この2つは切り離せないものであり、それはインターセクショナリティ(交差性)として当事者に深く絡んでいます。
「女性を守ること」からも「黒人を守ること」からも排除されてしまう立場。そんな世界でサバイブしてきた私たちを理解できるのか?…と。
加えてセックスワーカーです。本作はセックスワークというものをネガティブには映していません。それは黒人トランス女性にとっての生命線のようであり、ある人にとってはそれ自体もアイデンティティであり…。
ドキュメンタリー『ぜんぶ売女よりマシ』で描かれていたように、世間ではセックスワークは女性の搾取なので犯罪化して禁止しよう」という動きと「セックスワークを一律で禁止するのは間違っている。これは女性の自己決定権の問題だ」という犯罪化に反対する動きがあり、対立が生じています。
『ココモ・シティ』はその論争は、単なる女性の権利の問題ではなく、人種問題でもあるのだということを思い出させてくれます。
とても痛ましく残念なことに、本作に出演したココ・ダ・ドール(ラシーダ・ウィリアムズ)は、2023年にアトランタで射殺されて亡くなりました(Them)。もっと語ってほしかったです。
ジェンダー規範を解体して
『ココモ・シティ』は存在感を解き放っている黒人トランス女性に目を奪われますが、客であるシスヘテロ黒人男性にもカメラは向けられ、こちらも素直に語ってくれます。
そこでは黒人トランス女性を好んでいると本人の口から吐露されます。黒人トランス女性なんて嫌われ者という世間の印象を覆す告白です。「LO」という、P・ディディ、ビヨンセ、アッシャー、ジャネット・ジャクソンら大物と仕事してきたという黒人男性も堂々としてます。
なお、作中で「トラニー」という単語がでてくることがありますが、これはトランスジェンダーを指すスラングなのですが、主にセックスワークに従事しているトランス女性を指す言葉です。ときに蔑称になりますが、こうやって当事者が使うことはあります。日本だと「ニューハーフ」が使用感として近いですが、トラニーはもっと性風俗業界に密着している用語なのかな。
話を戻しますが、客であるシスヘテロ黒人男性の語りから明らかになってくるのは、黒人社会におけるジェンダー規範です。黒人社会はセクシュアライゼーションが働きやすく、男性はより男らしく、女性はより女らしく、そんな風潮が濃いです。
黒人シスヘテロ男性が黒人トランス女性に性的な接点を持つというのは、それ自体がこのジェンダー規範の真逆をいきます。そこに一種の居心地の良さがあるからこそ、黒人トランス女性に需要が生まれているという世界です。
これまた反トランス側は「トランスジェンダーはステレオタイプなジェンダー規範を助長している」とよく主張してきますが、こういう実情を見ると、むしろ全然正反対で、ジェンダー規範をぶち壊しているのがわかりますね。ジェンダー規範を解体しているから保守的な人たちはトランスジェンダーを脅威のように扱うのですが…。
こうして『ココモ・シティ』は、黒人トランス女性の実在性を存分に見せつけて、そのソウルフルな叫びをひとまず終えます。どんなに外野が喚こうが、彼女たちはもう存在していて、社会に溶け込んでいます。今日も、明日も、明後日も…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 99% Audience 76%
IMDb
7.1 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
LGBTQの権利運動を題材にしたドキュメンタリー作品の感想記事です。
・『私の名はパウリ・マレー』
・『エルドラド:ナチスが憎んだ自由』
・『プライド』
作品ポスター・画像 (C)Couch Potatoe Pictures, Hillman Grad Productions ココモシティ
以上、『ココモ・シティ』の感想でした。
Kokomo City (2023) [Japanese Review] 『ココモ・シティ』考察・評価レビュー
#トランスジェンダー #セックスワーカー