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『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想(ネタバレ)…創作物はときに奇跡を与える

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

フィクションとリアルが共鳴する稀有な体験…映画『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:Violet Evergarden the Movie
製作国:日本(2020年)
日本公開日:2020年9月18日
監督:石立太一

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

げきじょうばん ばいおれっとえばーがーでん
ヴァイオレット・エヴァーガーデン

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』あらすじ

戦時中に兵士として育てられ、愛を知らずにいた少女ヴァイオレット・エヴァーガーデンは「自動手記人形」と呼ばれる手紙の代筆業を通じて、さまざまな愛のかたちを知る。ヴァイオレットは大切な人であるギルベルトがどこかで生きていることを信じ、彼への思いを抱えている。そんな彼女に、ユリスという少年から代筆の依頼が入る。時を同じくして、ヴァイオレットが働くC.H郵便社に宛先不明の一通の手紙が届き…。

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想(ネタバレなし)

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京都アニメーションの次の挑戦

日本を代表するアニメーション・スタジオとして、国内外から高く評価され、人気を集めている「京都アニメーション」。その理由はもちろん作品のクオリティの高さです。

もう少し具体的な話をすれば、日本にはたくさんのアニメスタジオがあり、それぞれが個性を持っています。日本もアニメの歴史がそれなりに長くなってきましたから、こうやって持ち味を持たないとスタジオも存在感を発揮できません。

京都アニメーションの場合、私なりにその良さを語るとすれば、とにかく登場人物同士の関係性を描きだすのが上手いと思います。繊細な感情の機微を巧みに演出で表現でき、ゆえにキャラクターありきのコンテンツでは終わらせません。

例えば、『けいおん!』シリーズのように「ウーマンス」(女性同士のノンセクシャルな絆)を描くことには初期から長けており、それを得意とする山田尚子監督が2018年に贈り出した『リズと青い鳥』はウーマンス映画の極みでした。

また、『Free!』シリーズなどでは男性同士の絆(いわゆるブロマンス)を描くことにも挑戦しており、こちらはまだまだ開拓中な感じですが(たぶん男性中心のオタク界隈にあるホモフォビアのせいで勢いをつけづらい足枷を抱えているのだと思うのですけど)、それでも熱狂的なファンを獲得しています。

同性同士だけでなく、性別入り混じった関係性を扱うのも抜群に上手いです。『たまこラブストーリー』のようにシンプルに異性愛になるものもあれば、『涼宮ハルヒの消失』『氷菓』のようにもっと複雑な人間模様も見事に捉え、最近では『映画 聲の形』のように当事者視点を問われる社会性に富んだ作品も生み出しています。

そんな京都アニメーションがさらなる新しい扉を切り開いた作品、それが2018年から放送を開始したアニメシリーズ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』でした。

日本のアニメ全体がそういう傾向にありますが、人間模様を描くにしてもどうしても学園モノを土台にしがちです。『涼宮ハルヒの憂鬱』のように学園モノにちょっと不思議要素を加えるアレンジもありますけど、基本はそこ。異世界モノだって結局は学園ノリが多いです。

そうした「学園モノになってしまう」ジレンマをこの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は振り払いました。舞台は架空世界ですが、ほぼ近代西洋風。産業革命以後のようで電気も普及し始めたあたり。そこを土台にしたドラマになっており、戦争要素もSF要素もありなとてもシリアスな作品です。

設定もユニークです。主人公は「自動手記人形(ドール)」と呼ばれる少女。その名称と感情の起伏のない性格からロボットみたいに見えますが、普通に人間。この世界では代筆業をする女性をそう呼ぶということになってます。しかし、主人公はさらに過去があり、幼い頃は少女少年兵として戦場に派遣されていました。本作はそんな主人公が他者と触れ合い、感情を理解していく物語。

京都アニメーション作品の中でもかつてないスケールの大きい世界観でありつつも、やはり京都アニメーションらしく人間同士の触れ合いが主軸になっているあたりはブレません。

その『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』もまた世界観とキャラクターに夢中になる人を続出させたわけですが、映画が作られ、ひとつは2019年9月公開の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 永遠と自動手記人形』。こちらは外伝とあるだけあって、主人公の成長ストーリーとは別軸の物語でした。そしてメインストーリーの終幕を飾るのが2020年9月公開の『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』です。

以降の後半の感想では、『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を中心に、本作の世界観を「フェミニストSF」の観点から掘り下げ、私なりに語っていきたいと思います。ちょっとクィアな批評も入っているかも…。京都アニメーションがこれからどう進化していくのが、その手がかりを探りながら。

オススメ度のチェック

ひとり ◎(ひとりでじっくり堪能)
友人 ◎(紹介して誘うのも良し)
恋人 ◎(涙を流しあって鑑賞を)
キッズ ◯(シリアス濃いめの話だけど)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半);自分の想いを伝えられるのか

ひとりの少女、デイジーは祖母が亡くなったために親と葬儀に参加しました。祖母とは全然会えていなかったため、「もっと会いたかったのではないか」と後悔を感じています。ちゃんと家族に向き合わなかった両親に対しても距離ができてしまっていました。

そのとき、大事に保存してあった手紙を見つけます。それはドールの代筆による手紙だと親は説明します。かつて代筆を職業とする女性のことをそう呼びましたが、今は電話が普及し、そんな存在は社会から消えました。

祖母はその手紙はすごく大事にしていたそうで読んでみます。それは毎年誕生日ごとに祖母のアンに手紙が送られたもので、ひいおばあちゃん、つまり祖母の母からのものでした。

新聞の切り抜きも挟まっています。そこにはその手紙を書いた当時話題になっていたドールが記事になっていました。あるときはお姫様の恋文を書き、歌詞や脚本も書いた存在。そのドールの名は…ヴァイオレット・エヴァーガーデン

「お客様がお望みならどこでも駆け付けます。自動手記人形サービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」…そういつものように淡々と口にし、挨拶をするヴァイオレット。今日も重大な代筆の仕事を終え、職場であるライデンシャフトリヒ国の首都・ライデンに社屋を構える私営郵便社「C.H郵便社」の面々に評価されますが、「私は讃えられるべき人間ではありません」と冷淡。

お祭りで賑わう市場を歩いていると、ヴァイオレットはかつてギルベルトに買い与えられたエメラルドのブローチを思い出します。ひとり仕事場に戻っても頭をよぎるのはいつもあの人。ヴァイオレットは幼い頃に兵士として戦場を駆け抜け、上官のギルベルトを慕っていました。戦闘中に生き別れとなり、ヴァイオレットは両腕を失い、義手となりましたが、ギルベルト少佐の安否は不明のまま。彼の最後の言葉「愛している」の意味をずっと考える日々。

C.H郵便社ではヴァイオレットをわざわざ指名する顧客も多く、同僚のアイリスは不満そうです。クラウディア社長は呑気ですが、電波塔が完成すれば電話はもっと普及して手紙なんて廃れますよとアイリスは釘を刺します。ベテランのカトレアも「古式ゆかしき職業になって、ドールは消えるのかも」と哀愁を滲ませる発言。それでも気楽なクラウディアは配達員の青年ベネディクト・ブルーとテニスに出てしまいました。

一方のヴァイオレットはひとり少佐の母の墓地に向かいます。そこでギルベルトの兄ディートフリート・ブーゲンビリアと出会い、いまだにあの人を想う心を見透かされます。

C.H郵便社に戻ってきたヴァイオレットに電話です。子どものようで、手紙を書いてほしいと小生意気な声で要求。とりあえず向かうと、その依頼主はユリスという少年で、もう1年も入院していますが回復の気配はありませんでした。そして自分が亡くなった後に渡す家族、両親と弟の3人あての手紙、つまり遺書を書いてほしいと頼んできます。

お金は全然持ち合わせていませんでしたが、「お子様割引でやります」とヴァイオレットは明言。さらにリュカという子への手紙も書くと指切りで約束しました。

そんな中、心をざわつかせる知らせが。なんとあのギルベルトの生存の手がかりが見つかったのです。今はジルベールという名で、エカルテ島にいるのだとか。

「お目にかかったらまず何を申し上げれば…」と激しく動揺し混乱するヴァイオレット。彼女にとっていまだに戦地での主従の関係が抜けきっていません。

そして緊張のもと、その島へ足を踏み入れることに。待っていたのは思いがけない言葉で…。

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フェミニストSFの視点から

暁佳奈による小説を原作とする『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という作品は、かなりストレートな純然たる「フェミニストSF」だと思います。
「フェミニストSF」というのは、女性が社会的にどう扱われきたかを根底に描く作品群のことで、単に女性を主人公にすればいいというわけではなく、ジェンダーの視点が重視されます。当然、その世界の理想はフェミニスト的な達成にあると位置づけられます。

意識していなくてもこのジャンルの作品は誰でも読んだことがあるくらいに汎用的で、今も脈々と続いているものです。その「フェミニストSF」の元祖といえるのがメアリー・シェリーの生み出した「フランケンシュタイン」(1818年)なのはあらためて述べるまでもありません。この「フラケンシュタイン」は当時まだ少女だったメアリー・シェリーが創作し、一方で女性が作家活動をすることを社会的に許容されなかったために名前を伏せて公表された作品でした(映画『メアリーの総て』でも描かれました)。そもそもこの「少女が表に出れずとも綴った文章」という時点ですごく「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」っぽいですよね。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』と「フラケンシュタイン」の共通点は物語内にもあって、「フラケンシュタイン」は知ってのとおり感情のない「怪物」を主題に実はその存在には人間らしさがあるのではないかと問いかけるようなものです。これは後に多くの作品に影響を与えましたが、この『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』もまさにそのフォーマットどおりでしょう。

本作の世界観はヨーロッパの大戦時を連想させ、その実際の戦中・直後はドキュメンタリー『戦時下 女性たちは動いた』でも映し出されていたとおり、戦前の女性運動の躍進が大きく後退しました。本作でも直接的には説明されませんが、女性が代筆する職業を「自動手記人形」と呼ぶセンスといい、暗に女性が直面する“圧”を描き出しているとも受け取れます。

同時に本作ではギルベルトの存在もストーリーラインに重なってきます。彼はいわゆる「既存の男らしさ」が吹き荒れる戦場に疲弊し、精神を滅茶苦茶にされた男性像そのものです。

その女の鎖を解き始めたヴァイオレットと男的な劣等感から浮上しようとするギルベルトが対等に感情を吐露し、かつての主従とは違うかたちで人生が交差するというのは、これ以上ないほどにフェミニズムな着地でしょう。

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クィアの視点から

本作は「感情の欠落した存在」が感情を取り戻していくストーリーですが、この手のプロットについては私はどうしてもやや警戒して観てしまうところがあります。

なぜなら「感情を取り戻すのかそもそも正しいのか?」という論点が頭をよぎるからです。それは私がアセクシュアル&アロマンティックというセクシュアリティだからというのも大いに関係あるのですが、本作はことさら「“愛している”の意味を知る」を命題にしている以上、余計に敏感になります。別に「感情=愛」でもないでしょう…というのが私のような当事者の訴えたい部分ですからね。

結論から言えばそこまで気にするほどでもありませんでした。というのも『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は愛だと言ってはいるものの、ヴァイオレットとギルベルトの関係が少なくとも映画内では恋愛や性愛に単純帰結するわけでもないですし、そこに保守的な家庭観も介在しません。

『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』ほど明快ではないにせよ、ヴァイオレットはあの後も手紙文化の地域の発展に寄与しており、自動手記人形職ではトップクラスに有名になったようですから、キャリア的にも成功していると示されていますし。『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は感情に欠けたヒロインという点で『涼宮ハルヒの消失』にも通じますが、キャリアを描いているのでキャラクターの在り方として観客の好みでとどまらない、前進があると思います。

ただ、本作はその後をあえて直接的に描かないことで物語の着地点をフワッとさせているので、ズルいといえばズルい終わりですけどね。

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創作物がリアルと重なるとき

あれこれ書きましたが、全体の総評に話をまとめると、本作は京都アニメーションにとって新しい開拓であったと同時に、ある種の原点回帰だったのかもしれません。非常にウェットなストーリーラインは京都アニメーションの初期作『AIR』『CLANNAD』を強く連想しますし…。

あのラスト付近は、やや過度に涙腺を狙う意図が見えすぎなところもあります。しかし、あの事件、それはつまりを2019年7月18日、京都アニメーション第1スタジオの放火によって36名が亡くなる痛ましい大量殺人事件を経験してしまった多くのファンにとっては、そんな冷静でいられる話でもないのも事実。

本作は死別を描く以上、フィクションを越えたメッセージとして強く観客の心に染み入るものになっています。

創作物はときにこういう奇跡を与えてくれますよね。優しいのか残酷なのかわからない出会いをさせてくれるというか。『アナと雪の女王2』も作り手の悲劇を創作に重ねた事例ですが、『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の場合はどこまで意図したのかはわからないですけど…。

あまり大見得を切った発言はできないですが、これほどまでにフィクションとリアルが共鳴する作品は京都アニメーション作品史においても、いや世界中のどの作品においでもそうそうないのではないでしょうか。たぶんこんな稀有な体験は以降も滅多にできないはずです。少なくともリアルタイムに鑑賞した人にしか味わえないですね。

他人の想いを伝える、自分の想いを伝える、そして「愛している」の意味を知る。不誠実な言葉が飛び交う現代社会にこそ欠けているもの。もし、それがみんな実行できていれば、誰も望まない悲しい出来事はもう起こらないはずですから。

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
ROTTEN TOMATOES
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IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

以上、『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の感想でした。

Violet Evergarden the Movie (2020) [Japanese Review] 『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』考察・評価レビュー