結末はカッコウだけが知っている…映画『ビバリウム』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アイルランド・デンマーク・ベルギー(2019年)
日本公開日:2021年3月12日
監督:ロルカン・フィネガン
ビバリウム
びばりうむ
『ビバリウム』あらすじ
ぴったりな新居を探すトムとジェマの若いカップルは、ふと足を踏み入れた不動産屋で、全く同じ家が建ち並ぶ奇妙な住宅地を紹介される。内見を終えて帰ろうとすると、すぐ近くにいたはずの不動産屋の姿が見当たらない。2人で帰路につこうと車を走らせるが、周囲の景色は一向に変わらない。住宅地から抜け出せなくなり、戸惑う2人のもとにさらなる衝撃。追い詰められた2人の精神は次第に崩壊していき…。
『ビバリウム』感想(ネタバレなし)
托卵女子という言葉は使わないで
「托卵女子」という言葉があるらしいですね。
なんでも夫以外の男性(過去の交際相手とか不倫相手など)との間にできた子どもを、今の夫の子と偽って養育させる女性のことを指すとの話。
でもこれ…「托卵」という用語の使い方を完全に間違えています。
そもそも托卵は卵のことだから人間のような哺乳類には当てはまらないだろうという初歩的なツッコミは置いておくにしても、托卵って完全に他者(仮親)に育てさせることを言います。托卵女子が示していることだと少なくとも女性は実の親なので托卵になっていないです。女性は身を削って育児するわけですから。というか、あえて托卵していると表現するなら、托卵行為に近いのはその子どもの実の父親の方であり、「托卵男子」という言葉にしないとおかしいでしょう。
まあ、きっとこの言葉の背景には、妊娠・出産は全ての女性の責任という偏見に満ちたジェンダーロールがあるのでしょうけど。
別に片親が子どもと血が繋がっていないなんて今は普通ですし、それを異常のように扱うのはさすがにいくらなんでも…という感じです。
本来は生物学の用語である「托卵」という言葉を勝手に歪曲して使わないでほしい…。
そんな生物学的な托卵は、巷ではおぞましいことのように語られがちですが、野生動物の世界ではそこまで珍しいことではありません。カッコウが有名ですが、他の鳥や魚、爬虫類、昆虫なども同様の行為が確認されています。自然界では“子どもは実の親が育てるべき”という、そんなどこぞの保守的な家庭観みたいなものは実は薄く、割とルーズだったりします。私は托卵にネガティブなイメージがつくのは人間のステレオタイプな家庭観のせいだと常々思ってます。
その托卵をあえて人間が最悪のかたちで経験することになったらという、おぞましさだけを増幅させたスリラー映画が今回紹介する作品です。それが本作『ビバリウム』。
物語はネタバレするとダメなタイプなのでこれ以上は言いません。後半の感想で。でも何かだいたいのおおよそはわかってきますよね。
監督は“ロルカン・フィネガン”という人で、2016年に『Without Name』というホラー映画で長編監督デビューしたらしいのですけど、私は『ビバリウム』でお初にお目にかかります。なのでどんな作家性なのかなとワクワク。まだ1作しか観ていないので何も断言できないですが、“ロルカン・フィネガン”監督、なかなかに悪趣味な作品を今後も作ってくれそうです。
俳優陣は、冴えないヒョロっとしたオタクをやらせたら右に出る者はいないことで定評のある“ジェシー・アイゼンバーグ”。今作は割と落ち着いているかのように見えて、崖っぷちまで焦りだすといつもの早口言葉が炸裂するのでお楽しみに。
共演は、『グリーンルーム』『バーバラと心の巨人』の“イモージェン・プーツ”。“ジェシー・アイゼンバーグ”とは2019年の『恐怖のセンセイ』(原題は「The Art of Self-Defense」)という日本劇場未公開の映画でも共演しています。
この2人が主演でほぼずっと映画内を占有しているのですが、『スターリンの葬送狂騒曲』の“ジョナサン・アリス”、ドラマ『ふつうの人々』の“エアンナ・ハードウィック”といった俳優たちの方がむしろ要所要所でインパクトを与えていくかもしれません。観ればわかります。
物語自体、非常にミニマムなシチュエーション・スリラーですし、クセも強烈なので、かなり人を選びます。起承転結のあるエンターテインメントというよりは、情報不足の不条理の中に観客ごと突き落として製作陣はほくそ笑むような造りです。好きな人は満足できるでしょうけど、趣味もわからない不特定多数の人を誘って鑑賞するタイプの映画ではないのは確か。それを踏まえたうえで来場してください。
托卵させるなら“ジェシー・アイゼンバーグ”だね!と言われるかもしれないので、「托卵ジェシー」を今後のトレンドにしていきましょう(ちょっと強引)。
オススメ度のチェック
ひとり | :不条理な展開が好きなら |
友人 | :変な映画を観たいなら |
恋人 | :デートで観る映画ではない |
キッズ | :子どもには闇が深すぎるか |
『ビバリウム』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):ようこそ!
学校で先生をしているジェマは低学年の子どもたちの前で木になって風に揺れるポーズをとり、子どもたちも無邪気にマネをします。
その学校も終わり、元気な子どもたちと建物前で別れるジェマ。ふと芝生の木の近くにある子がポツンといます。そこには地面に落ちた雛がいて、ジェマは事情を察しながら「カッコウのせいかも」と説明。その子は納得したのかしていないのかわからないですが、そのままジェマに挨拶をして離れていきました。
すると木の上からふざけている感じの声がします。それはジェマの婚約者のトムです。笑みを浮かべて答えるジェマ。トムは何でも屋のような感じで働いており、車には工具や梯子が積んであります。
トムは例の雛を見るなり、地面に埋めてあげて、バカっぽそうに祈ります。
2人は新居を探しており、今日はこれから不動産業者に行く予定でした。さっそくその不動産屋に向かうと、マーティンという男が対応してくれます。なんだか独特の喋りをする人で、挙動も違和感だらけです。
「車はありますか?」と聞かれて「ある」と答えるジェマ。すぐに内見に連れて行ってくれるそうです。とりあえず家を実際に見てみないと始まらないので従うことにします。
陽気に歌いながら車で向かった先にあるのは「ヨンダー」という住宅地。一瞬で2人はその光景に言葉を失います。緑の同じ家がズラッと並んでいるのです。明らかに不自然で、異様な雰囲気です。しかも、その住宅地には自分たち以外の人は見かけません。
「ヨンダーへようこそ」とマーティンは乏しい表情で応対。9番地のある家の前に停車し、その家の中へ。中は普通そうに見えます。家具もすでに揃っていますし、家電も動きます。子ども部屋もあり、「子どもはいますか」と聞かれ、「いいえ、まだ…」と答える2人。
庭に出ると、柵の向こうを見る限り、お隣も同じ作りのようです。
気が付くとマーティンがいません。家を探すも見当たらないです。外に出ると、マーティンの車が消えています。内見はこれで終わりで、後は自由に帰っていいのか?
とりあえず自分たちも車に乗り、出発。住宅地を走ります。相変わらず人は全然いません。しかし、いくら走っても出口がわからない…。苛立つトムはジェマから運転を変わり、自分で車を走らせます。それでもどんなに走っても同じ9番地のところに戻ってくる始末。タバコを吸って窓から捨て、ああでもないこうでもないと口論しつつ、運転を続けるもいよいよガソリンもない事態に。
太陽は沈み始め、そして真っ暗な夜に。住宅地全体に呼びかけるも返事なし。しかたなく家の中へ入り、今日はベッドで寝ることにします。
翌朝。車に積んであった梯子で屋根に登るトム。きっと出口の方向くらいはわかるだろう…。しかし、その目論見は外れました。ずっと向こうまで同じ屋根が続いている…。あり得ない光景に絶句するトム。
また夜。歩いているとライトのついている家を発見。急いで中へ。家の前に箱があり、中には生活用品が一式ありました。完全に理性を失ったトムはその箱を燃やし、家に火をつけます。
轟々と燃える家。2人は茫然と眺めて外で眠りにつき…。
朝。目が覚めると家は何事もなかったかのように元通りに建っていました。しかも、箱が置いてあり、裸の赤ん坊が中にいたのです。「この子を大人になるまで育て上げたとき、あなたたちは自由の身となります」という意味深なメッセージとともに。2人には意味がわかりません。わかりたくないものでした。
98日目後。赤ん坊は少年に急成長していました。この少年は絶叫し、食べ物をねだります。与えなければうるさいままなので、しかたなく食事を用意します。
トムは何かの進展が欲しくて、ツルハシで地面を掘る作業をしていました。けれども何かある気配は微塵もないです。
そしてこの奇妙な空間は2人の精神を疲弊させ、さらなる衝撃が追いうちをかけることになり…。
最初からすれ違っているカップル
『ビバリウム』はハッキリ言ってオチが冒頭でわかります。あれだけ露骨にカッコウの映像、それも卵を落とす・雛を落とす・餌をもらうという行為を提示されれば、「あ、この映画の主人公カップルも同じように托卵されていくことになるんだな」と合点がいきます。そういう意味ではもの凄い親切な導入をする映画です。この手のジャンル作品としては初心者サービスが行き届いている…。
一方で察しのいい観客にしてみれば、本作がああいうエンディングになることはすぐに予想がつくので、あとはどうやってその結末にたどり着くのかという答え合わせを見ているような気分。これを予定調和的で物足りないと思う人がいても無理はないでしょう。
ただ、本作は細部までよく作りこんでいるので、その細かさをマニアックに楽しむのがいいのかなとも思います。
例えば、序盤の時点からこのカップルには絶妙なすれ違いがあります。ジェマは子どもを相手に仕事していることもあって、対人コミュニケーションに秀でています。そのためか、あの明らかに胡散臭い不動産会社に対しても「車はありますか?」と聞かれて「はい」と素直に答えてしまうなど、やや警戒心が低いです。しかし、この子どもとマネごっこをするという冒頭の一幕が、後に托卵少年の正体を暴きだすテクニックとして活かされるという伏線になるのですが…。
一方で、トムは便利屋みたいな仕事をしているせいか、対人に対しても利己的に考える傾向にあります。そうでもしないと嫌な客相手に損をするかもしれないでしょうから。あの不動産会社についても建物に足を踏み入れた瞬間から「これはヤバいだろう…」と察知しており、極力、さっさと退散したいような感情が見え隠れしています。また、あの初登場時の雛の扱いを見る限り、結構、命というものに対してもドライな感覚が窺えます(まさか後に自分が地面に埋められるとはね…)。
つまり、この2人は性格もバラバラで、それでも2人で共同生活をしようと探り探りで頑張り始めた段階…という進展具合なのかな、と。おそらくまだ2人の中で、本当にマイホームに住みたいのか、子どもを持ちたいのか、そういう同意は得られていないように見えます。
でもこういうカップルの初期はよくありがちでしょう。上手くやっていけるかわからないけど、とりあえず歩調だけは合わせてみる。何か「家を持つ」など大きな変化が起きれば、また2人の仲はより強固でかけがえのないものへとステップアップするのではないかと期待をする。
しかし、現実はそう順調に事を運べない。その2人に襲い掛かるのはあまりにも理不尽な…。
現実と思わぬシンクロ
『ビバリウム』のメインの舞台はあのヨンダーという住宅地。ここから出ることができなくなり、ずっと家暮らしとなります。
なお、本作はアメリカでの公開日は2020年3月27日であり、ちょうど新型コロナウイルスのパンデミックの初期です。まさか現実でもステイホーム状態が起きるなんて…恐ろしいシンクロだったでしょうね。
日本での公開は1年遅れの2021年3月となったのですが、これもまたちょうどこの時期に「Disney+」で『ワンダヴィジョン』というドラマシリーズが話題になっており、こちらも人工的に設計されたコミュニティから出られなくなるという話だったので、謎のシンクロを見せていました。同じ世界観なんじゃないかというほどにそっくりだし…。
あの住宅地のデザインも不気味一色でした。ああいう緑色は海外では「気持ち悪い」というイメージを象徴しているそうなので、まず普通はあり得ない配色。
そして人がいないというだけでなく、鳥などの動物すらも見かけないというのは完全に説明不可能な異常空間です。あの空間ではジェマやトムは干渉できないので、与えられた使命を全うするくらいの駒です。
それだけでもキツイのに、この状況さらに怖いものにさせているのが、あの育てることになる子。こんな子ども、いるかい!…という狂気っぷりであり、あの演じた子役、凄かったなぁ…。
終盤のトムの憔悴死からのジェマ反撃による、例の托卵青年がまさかの家の地面裏に逃げ込む展開になると、これはどうなるんだという予測不可能性が増すので一気に盛り上がります。ただ、そこからそこまで広がらずしぼんでいくのはやや残念でした。本当だったらもうあとひと捻りは欲しいのだけど、それ以上の展開は考えていなかったのか…。
この点においてもやっぱり『ワンダヴィジョン』の方がアイディアで一歩抜きんでていたかな。
家庭観を押し付けられていませんか
『ビバリウム』はもし人間が托卵のターゲットになったらという恐怖を描いているのは明白ですが、私は托卵自体をおぞましいと咎めるような作品ではないと思います。
それよりも本作は私たち人間社会、もっと言えば各家庭が背負い込むことになる「家庭観の抑圧」こそが托卵よりも醜悪ではないですかと問うようなものじゃないのか。
日本でも政治家たちが全く遠慮もなくあれこれと家庭観を語り、国民に押し付けようとするものです。「結婚をすることが正しい」「家を持つことが立派である」「子どもを育てるのが夫婦というものだ」…そういう家庭観を多くの日本人はずっと浴びて生きていますし、全身で圧力を感じています。
でもそれって残酷ではないのか。
『ビバリウム』のあのジェマとトムには選択というものはなく、ただ与えられた役割を全うすることしか許されていません。
そしてあの不動産会社のマーティンさえも、ただただ次の世代のための仮親を招き入れる仕事だけをし、新世代が来たら大人しく交代するのみ。そこに人生の充実というものはなく、単にルーチンワークに従うだけの奴隷も同然です。マーティンも被害者的とも言えます。
要するにあの世界全体がもはや何のためにあるのかわからない。そこで一方的に利益を手に入れる支配者がいるわけでもない。漠然とした機械的とも言える流れに逆らえない命たち。
だからこそこの『ビバリウム』はとても見終わった後に虚無感に襲われます。真の悪役を倒して解決!とはいきませんから。
本来、「ビバリウム」というのは、人工的に構築された自然環境のことを指します。例えば、何か生き物を水槽で飼育しようとしたとき、単に水と餌さえあればいいというわけではなく、その生き物が本来暮らしていた自然環境を再現して、鑑賞目的で楽しむケースがあります。こういうのをビバリウムと言います。動物園とかはたいていはやっていますね。それが魚とかだと「アクアリウム」と表現したりしますし、もっと対象を制限せず広く自然環境を創出する場合は「ビオトープ」と言ったりも。
私たちもいつの間にかビバリウムに閉じ込められていないか、常に気を付けたいものです。
手始めに、悪質な不動産会社には気をつけようね!
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 72% Audience 39%
IMDb
5.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film ヴィバリウム
以上、『ビバリウム』の感想でした。
Vivarium (2019) [Japanese Review] 『ビバリウム』考察・評価レビュー