世界中でもいらっしゃいませ…映画『若おかみは小学生!』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:日本(2018年)
日本公開日:2018年9月21日
監督:高坂希太郎
若おかみは小学生!
わかおかみはしょうがくせい
『若おかみは小学生!』あらすじ
小学6年生の女の子「おっこ」は交通事故で両親を亡くし、祖母の経営する旅館「春の屋」に引き取られる。旅館に古くから住み着いているユーレイ少年のウリ坊や、転校先の同級生でライバル旅館の跡取り娘・真月らと知り合ったおっこは、ひょんなことから春の屋の若おかみの修行を始めることになる。
『若おかみは小学生!』感想(ネタバレなし)
アメリカでもウェルカム
今、巨大IT企業(「GAFA」と呼ばれるような)がインターネットの世界を独占的に支配していることに批判が集まっています。一方でそれと同じ構図が映画業界にもあると思いますし、全く無縁ではないでしょう。映画業界の世界もまた、どうしても大企業の独壇場という空気はあります。大量のコンテンツを抱え込み、著作権料できっちり収益をあげ、巨額のマネーをごっそり投入できる方が断然有利なのは確かな事実です。
でもそんな巨人たちが闊歩する映画ビジネスの世界でも、その巨人の足の周囲を上手く歩き回り、独自の成果を上げている…そんな小さく有能なネズミがいるものです。
例えば、「A24」という企業。2012年に設立された非常に若い弱小組織ながら、良質なインディーズ映画を積極的に手がけ、それらの作品の多くがアカデミー賞にも続々とノミネートしたり、受賞したりしている…現在、最も勢いのある小粒な映画製作会社です。すでに日本の映画ファンの間でもA24の作品というだけで“ハズレなし”という高評価への期待を持つ人も増えてきました。
そして、A24が扱うのは実写映画ですが、A24のアニメーション映画版ともいうべき、洗練された良質なインディーズ系のアニメーション作品を専門に取り扱う企業も存在します。
それが「GKIDS」です。設立は2008年でキッズ向けの映画祭を運営していたエリック・ベックマンが立ち上げた企業で、主にアメリカ以外の国の作品をピックアップし、アメリカ国内で公開しています。その存在感は年々増しており、2013年から毎年アカデミー賞の長編アニメーション部門にGKIDS配給の作品がノミネートされています。アニメーション映画はただでさえ大企業が優位にいるなか、この健闘は凄いことです。
このGKIDSは私たち日本人にとっても無視できない存在。なぜなら最近の日本のオリジナルなアニメ映画の多くがGKIDSの配給によってアメリカの映画館で上映されているからです。『百日紅 〜Miss HOKUSAI〜』『夜明け告げるルーのうた』『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』…日本国内でもアニメ映画ファンを中心に注目度の高い作品をカバー。今はスタジオジブリの作品を取り扱ってもいます(以前はディズニーでした)。つい直近のことでいえば、『未来のミライ』が海外で非常に高い評価を集め、これもGKIDSの貢献あってこそだったと思います。
今は、日本国内で注目を集める ⇒ GKIDSのような有力な配給企業にバトンを渡す ⇒ アメリカでも批評家の注目を集める…こういう連携プレイが出来上がりつつあるんですね。
その目利き力のあるGKIDSの配給によってアメリカで2019年4月22日から劇場公開される、選ばれし日本アニメ映画が本作『若おかみは小学生!』です。
この『若おかみは小学生!』、作品自体がなかなかのミラクルを起こしています。まず根本的な話、日本国内でも注目度はハッキリ言えば最低レベルでした。そもそも2003年から刊行している令丈ヒロ子による児童文学シリーズの映画化ということで内容は当然キッズ向け。先行して放映されたテレビアニメ版もある(映画版とは製作スタッフも別で話もつながりなし)という初見にはわかりにくい立ち位置。9月というシーズン外れの公開であるあたり、配給側も全然期待はしていなかったのでしょう。実際公開されると案の定、想定以下の客入り。
ところがここから怒涛の展開。口コミで評価が広がり、批評家も相次いで絶賛。客がわんさか押し寄せ、上映劇場が拡大する…完全に“若おかみは小学生!”フィーバーです。この現象は『この世界の片隅に』を思い出させますが、あれは公開前から評判は良かったですからね。『若おかみは小学生!』の爆上げっぷりはちょっと昨今の映画界隈SNS事変の中でも特殊なことでした。
私も今だから書きますけど最初はこれっぽっちも関心を持っていませんでしたよ。SNSの評判も「巧みな誘導宣伝手法なんじゃないか」と疑いたくなるくらい、そんな距離感。でも映画好きとしては中身の良さで話題になっているなら観ないという選択肢はない。そして、実際に鑑賞すると、なるほどと。“おっこ”に見事お出迎えされました。
本作は「Okko’s Inn」という英題でアメリカで公開されるようですが、どんな評価になるやら。日本要素全開ですから、受け止められ方が気になりますね。
まだ観ていないという日本の皆さんは、観て損はない一作ですので、どうぞご一見あれ。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(大人こそ感動できる) |
友人 | ◯(純粋な物語に感動し合える) |
恋人 | ◯(純粋な物語に感動し合える) |
キッズ | ◎(子どもをさしおいて大人号泣案件) |
『若おかみは小学生!』感想(ネタバレあり)
よくぞ、まとめました
『若おかみは小学生!』は何度も言うようにもともとは児童文学。映画化の際も、その原作のテイストは全く改変しておらず、キャラクター造形も含めて、忠実。なので明らかに“子ども向けですよ”という絵面になっているゆえに、どうしても大人としては舐めた視線で見がち。しかし、実際の作品の中身は、そんな上から目線な視点だった自分を心底反省したくなるくらい、隅から隅まで徹底された“本気”の詰まった一作なのでした。
まず本作の素晴らしいところ、その1「原作を映画化する際の整理力」。
『若おかみは小学生!』は原作が全20巻(完結済み)。児童文学なのでそこまで複雑でないにせよ、この量は膨大です。とてもじゃないですが、映画化しようとはなりません。だからテレビアニメ版で作るという企画の方がはるかに常識的。もし映画にするにしても、普通のやり方であれば、“じゃあ、1巻~5巻までの話を集約していきましょう”みたいな、部分的な映画化にするのが妥当なところ。漫画などの実写化映画の世界ではこれは定番ですよね。
ところがこの映画版『若おかみは小学生!』、何を血迷ったのか原作全20巻を包括してひとつの作品にまとめるという、かなりのハードモードな挑戦をしています。
もちろん全てのエピソードを取り込むことはできないので、大幅にカットしながら、ここは外せないというエッセンスだけを詰め込んでいるのですが、そういう作品はどうしてもスカスカになりがち。よくあるのは名場面集みたいになって、展開が早すぎてよくもわからないまま終わってしまうというパターン。でも別にオタク的なファン目線な楽しみ方を期待されていない児童文学作品でその落とし穴にハマるのは、誰も得をしないわけで。
では実際の映画化ではどうなったのかいうと、これが完璧なくらい綺麗に整理されて一作にまとまっていました。それは全ての要素が入っているという意味ではなく、取捨選択してひとつの物語を説得力を持って成り立たせるテクニックが素晴らしいということ。90分程度なのに、よくぞここまで…。
このクオリティは当然製作スタッフの頑張りの賜物なのは言うまでもないですけど、『若おかみは小学生!』というある意味そこまで商品的に強い期待のないコンテンツだったからこそ、製作陣も思い切った自由な創作ができたのかもしれません(これが最初から会社の社運をかけた期待大の映画だとあれこれと注文も多くなりますから)。
本作の脚本の“吉田玲子”はアニメ映画界では引っ張りだこのライターですが、これまでの手がけた作品群を見ると結構作家性を全開に出すタイプというよりは、与えられた仕事の範囲内で柔軟にシナリオを練りだすのが上手いというのが私の印象。ともあれ場数をこなしているベテラン脚本家ですから、『若おかみは小学生!』の場合は王道的な一筋に物語を一本化したのが非常に的確に刺さった感じでしょうか。
最初は逃避から始まった「若女将になる」
本作の良さを象徴する、王道的な一筋に一本化された物語。それを具体的に言えば、主人公おっこが自分に巻き起こった“悲劇”とどう向き合うか…その一点に尽きます。とにかく本作の映画版はおっこの心理に集中特化したつくりです。
そしてこれが本作の素晴らしいところ、その2。
本作はこの“悲劇”に対する向き合い方がとても真摯です。不幸に見舞われた小学6年生の女の子という、いかにも意地悪な言い方をすれば“泣かせ”に使いやすい最良の設定があるのですが、そこに安易に媚びることなく、真面目に作品自体が向き合っている感じが好感を持てます。
私も観てびっくりしましたが、おっこの身に起こる“悲劇”の描き方がかなり容赦ないんですね。神社で行われた神楽を家族仲良く見物した帰り道の高速道路で、大型トラックが何の前触れもなく突然対向車線を越えてきてそのままおっこの家族の車に衝突。実写映画でもなかなかやらないハードなリアリティをともなう描き方。それと同時に車の上で倒れるおっこの“不自然な”生存というファンタジックな現象描写。
この衝撃の場面の後に、パッとシーンが切り替わると、おっこがもう“必要なくなった”住み慣れた家を出て、祖母が女将を勤める「春の屋旅館」に引っ越してくる場面に。ここが先ほどのイレギュラーなインパクト大だったシーンと真逆のように淡々としていて不気味なくらいです。
もちろんこれはおっこが親の死という喪失感を“まるで何事もなかったように毅然と振る舞う”という行為で対処しているという意味であり、決しておっこが優れた“出来過ぎな子ども”というわけではありません。ましてや聖人でもありません。
おっこの周囲に登場するキャラクターたちが結構極端な戯画化されたものが多いなか、おっこのそのキャラクター性はわざとらしい抽象化ではなく、自分で自分を抽象化して“なりきること”で悲劇を忘れているという逃避の結果なんですね。だから「若女将」になるのも最初は逃避的な動機に端を発しています(ウリ坊にそそのかされたとはいえ)。
若女将として懸命に働いていれば忘れられる。でも…。
花の湯温泉のお湯は誰も拒まない by おっこ
本作のように、親の死(もしくは別れ)という重大な喪失感と向き合う子どもの物語といえば、他のアニメーション作品でもそれほど珍しいテーマではないです。
個人的に真っ先に思いつくのは往年のディズニー初期作『ダンボ』と『バンビ』ですね。この2作はウォルト・ディズニー自身がその前に母親を不幸の事故で亡くしているという出来事があり、おそらくそのリアルな感情がそのまま作品に反映されてもいると言われています。
『ダンボ』と『バンビ』のような作品では、子どもがある種のフィクショナルな仲間の存在に出会い、その支えによって、喪失感を克服していきます。
本作のおっこも同じです。幽霊のウリ坊や美陽、鈴鬼、旅館関係者の「ピンふり」こと秋野真月、宿泊客であった占い師の水領(グローリー)など。多様な価値観を吸収していきます。
ただ、アメリカの同じテーマのアニメーション作品とは決定的に違うのはその喪失感に対する最終的な着地にいたる過程。アメリカだと、主人公の能力の発現、もしくは仲間の獲得やコミュニティの創造といった、いかにもアメリカらしい開拓精神で物語を引っ張ることが多いです。
対する『若おかみは小学生!』はどうか。おっこは別に特別な才能に目覚めるわけでもなく、大きなコミュニティの中心に立つわけでもない。本作では「働く」ということを答えを見いだす手段にしています。「働く」ことで自分の居場所を見つけるようなことではなく、手段だというのが重要。これが実に日本的であり、文化的精神を強く象徴していますよね。『千と千尋の神隠し』と同じタイプです。
しかも『若おかみは小学生!』の場合は、最初は逃避としての職業「若女将」だったのが、終盤には現実を受け入れるための職業「若女将」という反転になり、さらに加害者(正確には事故なので被害者・加害者と二分はできないのですが)さえも受け入れるという、一種の究極的な“あるべき姿”を見せるという飛躍が待っています。この加害者が旅館に宿泊してくる部分、映画オリジナル展開だそうで、ずいぶん攻めた踏み込み方でしたけど、結果、おっこの変化を決定づけることになるので良かったです。
本作の素晴らしいところ、その3ですね。
この希望を失わない子どもの姿勢というのは、ちょっと『ぼくの名前はズッキーニ』を思い出しますね。
もちろんこれでおっこが完璧な人間になったわけではないです。きっとこれからもいろんな成長を重ねていくでしょうし、その先にもっと別の喪失も待っているかもしれません。水領(グローリー)を未来のおっこをイメージして作ったと“高坂希太郎”監督もインタビューで発言していることですし、大人になってもおっこはまたも悩んで彷徨うこともあることも暗示させます。でもそのたびに“受け入れてくれる人”がいる。だから大丈夫。そんな前向きな気持ちが映画全体から伝わります。
ラストの“神楽を舞う”という締めも、実に気持ちがいいです。最初は見ていた側のおっこが、見られる側になるというのも、「輪廻」を象徴するようでした。
本作の“高坂希太郎”監督。さすがスタジオジブリで百戦錬磨の経験を積んだだけあって、本作の完成度からも手際の鮮やかさと熟練度を見せつけられました。
今後も児童文学であろうと舐めてはいけませんね。
最後はピンふり風に。
子どもは大人の父である。by ワーズワース
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)令丈ヒロ子・亜沙美・講談社/若おかみは小学生!製作委員会
以上、『若おかみは小学生!』の感想でした。
Okko’s Inn (2018) [Japanese Review] 『若おかみは小学生!』考察・評価レビュー