LGBTQ+関連で「あらためて考えてみる基本用語」のシリーズ記事。
今回は「カミングアウト」という用語をとりあげます。
性的マイノリティ(セクシュアル・マイノリティ)の文脈における「カミングアウト」の意味するものは、「自身の性的指向やジェンダー・アイデンティティ(性同一性/性自認)を公にする」という行為です。これは日本でもかなり認知されつつあるでしょう。
一方で、日本では「カミングアウト」を「個人的に自分について何か秘密にしてきたことを公にする」という範囲を広げた意味合いで、「性的マイノリティではない人」がカジュアルに使っている風景も見受けられます。
そして、「カミングアウト」という言葉をめぐって、「これは性的マイノリティの言葉なのに!」と、言葉の剥奪を嘆き怒る人もいれば、「いや、性的マイノリティだけの言葉じゃない!」と反発してくる人もいます。
どちらが正しいでしょうか?
実は歴史を紐解けば、どちらも半分正しくて、どちらも半分間違っているような…そういう複雑さが垣間みえてきます。
この「カミングアウト」という言葉について整理してみましょう。
- 「カミングアウト」という言葉は、性的マイノリティの文化の中でも歴史的に意味が変化してきている。最近は性的マイノリティ以外にも用いる傾向がある。
「カミングアウト(coming out)」という単語の歴史の始まり
「カミングアウト(coming out)」、動詞だと「come out」…は英語の言葉です。ではそもそも英語では一体いつから使われていたのでしょうか。
動詞の「come out」というフレーズは、12世紀より前から用いられていたそうで、その意味は「暗くなると星が“現れる”(As it got dark, the stars came out)」といった感じで、「隠れていた何かが現れること」でした(Merriam-Webster)。
そして昔の歴史の中ですでにこのフレーズはさまざまな意味合いを持つようになります。
具体的には、「利用可能になる」の意味(「coming soon」と並べるとわかりやすいですね)、「知られるようになる/明らかになる」の意味、「何かしらの主張をする」の意味…。
「come」と「out」のシンプルな組み合わせなので、使いやすいこともあってか、その用法は本当に幅がありました。少なくとも、そこまで小難しい、限定的な専門用語だったことはありません。
性的マイノリティの文化の中の「カミングアウト」
では、性的マイノリティの文化において「カミングアウト」は一体いつから“現れた”(文字どおり「come out」ですね)のでしょうか。
先ほども説明したように「come out」というフレーズ自体、ありふれた表現なので、性的マイノリティの当事者も普通にそれらの既存の意味で使っていたのは想像に容易いです。問題は、特別な意味として性的マイノリティの文化の中で定着したのはいつで、それはどういう意味だったのか…です。
1900年代~1950年代:ゲイ版のデビュタント文化
英語圏の性的マイノリティの文化の中の「カミングアウト」が初登場したのは20世紀初頭でした。
歴史家の“ジョージ・チャウンシー”がまとめた『Gay New York』によれば、デビュタント文化から取り入れたのが最初だと解説されています。
「デビュタント」というのは、西欧の上流階級文化において特定の年齢に達した若い女性が初めて正式に社交界にデビューするという儀式のことで、近世から現代でもみられる行事です(ドラマ『ブリジャートン家』などで描かれるあれですね)。
この「社交界にデビューすること」を「カミングアウト」とも言っていました。
そして1900年代から1940年代、英語圏では性的マイノリティの当事者の多くはアンダーグラウンドでパーティーなど社交の場を自ら作って楽しんでいました(1919年の映画『Anders als die Andern』でも描かれています)。まるで上流階級気分を満喫するように。この社交の場(多くはドラァグボールもしくはゲイバー)では性的マイノリティは異常とみなされずに快適で安全でした。
この性的マイノリティの当事者が性的マイノリティのための社交の場に初めて顔を出すことを「カミングアウト」と言ったわけです。いわば、性的マイノリティだけに伝わるスラングですね。
まだ、1920年代あたりぐらいまでは性的マイノリティの抑圧はそれほどでもなく、この性的マイノリティ版デビュタントが新聞で報じられたりしたこともあったそうですが、1930年代以降、迫害が厳しくなり、当事者はより隠れるようになってしまいます。そして「a friend of Dorothy’s」など自分たち仲間内にしかわからない暗号を使うようになり、「カミングアウト」はより秘密めいたものになっていきました。
ここで注目したいのは、この一番最初の性的マイノリティの文化の中の「カミングアウト」は、「自身の性的指向を公にする」という意味ではない点です。あくまで「自分が性的マイノリティだと認識し、同じ性的マイノリティ同士のコミュニティの中に加わる」という意味でした。そこまでオープンにする必要はないのです。事実、当時の性的マイノリティの人たちは“カミングアウト”(社交の場にでること)をしても世間一般には自分のそれを隠したままでした。
デビュタント文化をきどって「私も“カミングアウト”してやる!」と飛び出す振る舞いは、いかにもゲイらしさに溢れていて、偏見と抑圧の中で楽しさを見つけようとする当時の当事者の生き様が伝わってきます。
この「カミングアウト」の意味は、1950年代に性的マイノリティの研究で有名だった心理学者の“イヴリン・フッカー”も認知していたようで(glbtq.com)、当事者ではない学術界もこの性的マイノリティのスラング、そしてその重要性を理解していたようです。
1960年代~1980年代:カミングアウト運動、そして「Coming out of the closet」
性的マイノリティの文化の中の「カミングアウト」の意味が劇的に変化したのが1970年代です。
1969年6月28日にニューヨーク・シティのストーンウォール・インで起きた抗議が象徴的な事件となり、1960年代の散発的な抗議から一転、1970年代は「平等」を求める大規模な社会運動に性的マイノリティの当事者は流れ込んでいきます。
つまり、当事者はひっそりと街の裏に存在する社交の場に顔を出すのではなく、堂々と街の道に立って行進するようになったわけです。この瞬間から必然的に「カミングアウト」の意味は大きく変わりました。「カミングアウト」とはすなわち、「公に顔を出し、社会運動に参加する」という意味になっていきました。
思い出してほしいのが、性的マイノリティ当事者の姿勢の変化です。1900年代~1950年代というのは、もっぱら「自分が性的マイノリティであることを隠す」のが当事者にとっての当たり前の生存方法でした。1950年代は俗に「ラベンダー狩り」もしくは「ラベンダーの恐怖(Lavender Scare)」とも呼ばれる政治的な弾圧もあり、隠れるしかない状況でした。
しかし、1960年代から我慢を強いられることに堪忍袋の緒が切れ始めた当事者が続出し、「自分が性的マイノリティであることを隠す」は、権力の抑圧への従属にしかならない…「隠さない」ことこそ当事者の武器だ!…という方向へ反転したんですね。
なので1950年代以前は「こっそり隠れながらひと息の楽しみにでること」を実質的に意味していた「カミングアウト」という言葉は、1970年代から「表で闘ってやるぞ!」という真逆の意味になったことになります。どんどんカミングアウトしていけば、社会は性的マイノリティに向き合わざるを得なくなるだろうと考えたのです。
1970年代から1980年代の「カミングアウト」は社会運動と同一線上にあり、その運動の到達点とも言えるのが「ヒューマン・ライツ・キャンペーン(Human Rights Campaign)」が当時に先導した「National Coming Out Project」です。1988年にアメリカの心理学者“ロバート・アイヒバー”と活動家の“ジーン・オリアリー”によって制定された「National Coming Out Day」(後に「カミングアウト・デー」として普及;The 19th News)は、カミングアウトと社会運動の一体化を象徴していると言えるでしょう。
この1970年代から1980年代の「カミングアウト」に関連して、頻出するようになったフレーズが「Coming out of the closet」という比喩です。起源は不明ですが、「skeleton in the closet」という「世間に知られたくない恥ずかしい秘密」を意味する英語の慣用句があって、それをもじったものではないかという指摘もあります。
とにかく「クローゼットから飛び出す(カミングアウトする)」というこの比喩は性的マイノリティのコミュニティで当時に大いに流行り、結果、「クローゼット」が「性的マイノリティであると公にしていないこと、もしくはそういう当事者」を意味するようになりました。1988年の頃から「Coming out of the closet」を表現するユーモラスな絵が社会運動の現場でステッカーとして配布されたりと、当事者の間で定着していたのが資料からみてとれます(Cornell University)。1970年6月にニューヨーク市で開催された第1回ゲイ解放行進では、主催者のひとりが「私たちがクローゼットに隠れ、匿名の庇護の下に身を潜めるのをやめない限り、人間として当然享受すべき自由と市民権は決して得られないだろう」と演説しています(The Conversation)。
このカミングアウト運動は、性的マイノリティであることをオープンにすると言ってもそんな穏便なものではなく、あえて異性愛者の集まる場で同性同士でキスするとか、派手なパフォーマンスをするなど、挑発的で過激な行動を政治的アプローチとして行うものでもありました。
1960年代から1980年代は性的マイノリティ当事者が次々と自分たちの言葉をモノにし、社会運動の中で使いこなしていった時代です。「ゲイ・プライド」などと同じように「カミングアウト」という言葉もその潮流の中にありました。
1990年代~2020年代:カミングアウトの苦悩とカジュアル化
1960年代から1980年代は、前述したとおり「カミングアウト」という言葉は社会運動と一体でしたが、1990年代以降、しだいにその社会運動性が抜けていき、「性的マイノリティであることを一般に公にすること」という単にそれだけの意味合いへと変化してもいきました(1970年代からその意味で使っている人もいたでしょうが)。
それだけ聞くと、なんだか「社会運動をないがしろにしている」と不快に思うかもしれません。その気持ちもわかりますが、とくに1990年代は複雑な背景もありました。
1990年代は性的マイノリティの認知が進み始めたとは言え、自分が性的マイノリティであることを一般に公にすることはあまりにも覚悟が必要でした。簡単にできるものでありません。
ドキュメンタリー『テレビが見たLGBTQ』をぜひ観てほしいですが、当時、アメリカのテレビ界で有名だった“エレン・デジェネシス”があまりにも極端な注目の中、カミングアウトをすることになった出来事。あれはほんの一例で、当時はカミングアウトはとてもじゃないですが当事者に負担の大きい行為でもありました。
それが時代が進むにつれ、当事者の心理的負担が減って、カジュアルにカミングアウトできるようになったのは社会の変化の証でもあります。少なくともアメリカは、同性婚が法制化されるなど、平等に大きく近づきました。
今や「あの俳優がクィアであるとカミングアウト」といった感じで、ニュースの見出しになる程度。こういう扱いの軽さもまた、長年の歴史の中で当事者が勝ち取ってきた確かな実績です。
「Pew Research Center」の調査によれば、アメリカの性的マイノリティの成人の96%が少なくとも1人にはカミングアウトしており、一切カミングアウトしていないと答えたのは3%でした。
一方で、ここまでずっと英語圏の、とくにアメリカを中心に説明してきたわけですが、世界の国々では性的マイノリティをめぐる状況は違っています。異性愛やシスジェンダーを過度に当たり前のものとして捉える「カミングアウト」という概念自体に反発する人もいれば、性的マイノリティであることを公表できない人々にとって苦痛が増す概念だと考える人もいます。当事者にとっても「カミングアウト」への捉え方はさまざまです。カジュアルになったと言い切るのは早計だとも言えます。
日本にはいつ「カミングアウト」は定着したのか?
では日本の性的マイノリティの文化の中でいつ「カミングアウト」という言葉は定着したのでしょうか。
ここまで整理して、あらためて強調したいのは、性的マイノリティの歴史の中においても、英語圏の「カミングアウト」という言葉の意味することは変化している…という点です。
- 1900年代~1950年代:「社会の裏にある当事者コミュニティに加わる」という意味
- 1960年代~1980年代:「社会の表に出て当事者の社会運動に参加する」という意味
- 1990年代~2020年代:「自分が性的マイノリティであると公にする」という意味
なので「“カミングアウト”は常に“自分が性的マイノリティであるとオープンにする”という意味だった」というのは誤りですし、「“Coming out of the closet”に起源がある」というのも間違いです。
日本でこうした誤解が当事者の間でさえも流布されやすいのは、日本は英語由来の言葉が断片的に輸入され、背景や歴史をよく知らないまま使っている当事者も多いからなのだと思います。英語圏と比べてこうした言葉の歴史を解説する日本語の資料も乏しいです。
日本に「カミングアウト」という言葉が紹介された最初を特定はできませんでしたが、例えば、1986年に少年社から出版の『オトコノコのためのボーイフレンド : ゲイ・ハンドブック』にも以下にように取り上げられています。
A:カミング・アウトって、いきなり英語だけど、一体どういう意味なの?
B:ぴったりくる日本語が見当たらないんで使ってるわけ。告白、宣言なんておおげさだしね。暴露とか白状だとイメージが悪すぎるじゃない。要するに自分がゲイだって他人に言うことなんだけど。
(中略)
そのうち日本語でぴったりする言葉が見つかるかもしれないから、それに期待しとこう。『オトコノコのためのボーイフレンド : ゲイ・ハンドブック』
こうした資料を読むかぎり、上記の③の意味で日本に輸入されており、あまり社会運動の政治的側面は語られていません。そして、当時から日本の性的マイノリティ・コミュニティ内では「カミングアウト」に該当する概念を表現する日本語の言葉がなかったことも示唆されています。1994年には日本初のプライドパレードが行われたことからも察せるとおり、日本の性的マイノリティによる社会運動はアメリカと比べるとだいぶ出遅れていました。日本の場合は、③の意味から入って、②の意味へ移るような、ちょっと逆流する感じもあったのかもしれません。
さらに前だと、1983年9月発行の『助産婦雑誌 37巻9号』にて「Hawaii Report カミング・アウト」というタイトルで“池上千寿子”によって言葉が紹介されており、「特別な響きをもったスローガンになっています。それは、ホモセクシュアルのひとたちが、世の偏見に屈することなく“あるがままの自分を表現しようではないか!”ということなのです」と記述されています。
ちなみに、東ドイツの“ハイナー・カーロウ”監督が1989年に『Coming Out』という同性愛を主題にした映画を製作しているのですが(原題はこのとおり)、日本では一般公開されず、後に『カミングアウト』という邦題で限定的に観られるようになったにとどまっています。
なお、「カミングアウト」という言葉が「自分が性的マイノリティであると公にする」という意味以外で日本国内で1980年代より前に使用されていた事例は私は観察できませんでした(もし事例の証拠があるというかたはぜひ教えてください)。
「カミングアウト」は誰の言葉?
「カミングアウト」という言葉の歴史を簡単にまとめましたが、歴史は現在進行形で続いています。
前述したように、日本に限って言えば「カミングアウト」という言葉は、性的マイノリティの当事者内で普及・定着した出発点があるので、最近になって「カミングアウト」が「個人的に自分について何か秘密にしてきたことを公にする」という範囲を広げた意味合いでカジュアルに「性的マイノリティではない人たち」の間で使われている現状に、言葉の簒奪を感じるのは無理もないと思います。
それこそ「カミングアウト・デー」を「自分の失敗談を暴露する日」にするのはさすがにいかがなものかと思いますし…。言葉の意味を広げるならまだしも“軽くする”のは反発は当然です。
今回、簡単に紹介したような性的マイノリティの「カミングアウト」の歴史はもっと知られるべきです。単に言葉の定義的な意味を知るだけではなく…。
一方で、日本の性的マイノリティ当事者の人もまた、本来の英語ではもっと複雑な歴史があることにも留意が必要です。
そして、英語圏でも「カミングアウト」という言葉は、病気や障害など他のアイデンティティの自己開示の文脈で使用するかたちで、用法が拡大している光景が現在はみられます。これは単に公にするというだけでなく、あの社会運動としての意味合いを再復活させるような用い方なのが特徴です。例えば、「非正規移民(不法移民)であることをカミングアウトしよう!」といった感じです。
“アビゲイル・サギー”は著書『Come Out, Come Out, Whoever You Are』の中で、性的マイノリティの人たちが1970年代に確立した「カミングアウト」という方法は、幅広い社会運動に適用できるほど柔軟で包括的なマスターフレームであると提示しています。
これは交差性(インターセクショナリティ)の観点でも重要で、「カミングアウト」という言葉は性的マイノリティだけの言葉として独占するのは到底不可能でしょう。「プライド」という言葉も同じような流れになっていますが、今の社会運動は連帯の新たなステージに立っています。
最近はSNSでもすっかり日常になってしまいましたが、どんな政治的立場かに関係なく、大衆は「相手を言い負かす」という論破カルチャーに染まりすぎており(テクノロジーがそれを煽ってもいる)、歴史や検証というものが疎かになりがちです。自分の知っている知識や世界だけで、気に入らない相手を論破しようとがむしゃらになってしまいます。
しかし、地道に検証をしてみると、たいていは「どちらかの勝ち!」みたいなスッキリした答えは得られず、複雑で曖昧な実態だけが露わになります。でもそれが事実です。「真実」というのは、わかりにくくて、居心地の良さを与えてくれないものです。勝敗を決めるものでもありません。正誤はあれど、答えがひとつとも限らないのです。
たびたび起きる日本の「カミングアウト」論争も、まずは落ち着いて歴史と向き合うと、永遠にSNS企業が儲けるだけでない、異なる者同士が共有可能な大事な学びが得られるはずです。
「カミングアウト」は誰の言葉でもありません。「カミングアウト」という言葉の意味はこれからも変化するでしょう。
願わくば、弱い立場の誰かを傷つけない、さまざまな人に寄り添う言葉になっていってほしいです。
【ネット】
●”Coming Out”(アーカイブ). glbtq.com
●25 Years of Political Influence: The Records of the Human Rights Campaign. Cornell University.
●National Coming Out Day. Human Rights Campaign.
●2020. The history of ‘coming out,’ from secret gay code to popular political protest. The Conversation.
●2021. The history of National Coming Out Day contains both pride and pain. The 19th News.
●2025. More than 9 in 10 LGBTQ adults in the U.S. are ‘out’ to someone. Pew Research Center.
【本】
●George Chauncey. 1995. Gay New York: Gender, Urban Culture, and the Making of the Gay Male World, 1890-1940. Basic Books.
● Abigail C. Saguy. 2020. Come Out, Come Out, Whoever You Are. Oxford Univ.
●1986.『オトコノコのためのボーイフレンド : ゲイ・ハンドブック』少年社.
【論文】
●1983. 池上千寿子. Hawaii Report カミング・アウト. 助産婦雑誌 37巻9号.



