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『ウィリー ナンバー1』感想(ネタバレ)…英語が話せるミートボールと色々

ウィリー ナンバー1

英語が話せるミートボールと色々…映画『ウィリー ナンバー1』の感想&レビューです。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Willy 1er
製作国:フランス (2016年)
日本では劇場未公開:2018年にオンラインで配信
監督:リュドヴィック・ブケルマ、ゾラン・ブケルマ、マリエル・ゴティエール、ユーゴ・P・トマ
LGBTQ差別描写

ウィリー ナンバー1

うぃりーなんばーわん
ウィリー ナンバー1

『ウィリー ナンバー1』あらすじ

ウィリー、50歳。双子の弟ミシェルの死をきっかけに、それまで一度も離れたことのなかった実家を出て、近くの町で生活を始める。「コドゥベックに行く。アパートを借りる。友だちだって作ってやる。こんな生活クソくらえだ!」そう言い放ったウィリーが、知らない世界で自分の居場所を見つけようと奮闘する。

『ウィリー ナンバー1』感想(ネタバレなし)

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愛おしい映画に出会いました

2018年1月19日~2月19日の期間限定で開催された「マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル(myFFF)」。オンラインでいつでもどこでも最新のフランス映画を鑑賞できる、とても嬉しいイベントです。ぜひ色んな国ごとに同様の企画をしてほしいですね。

そんな企画で公開された10数本のフランス映画の中で、個人的にベストであり、まだ早計ではありますが、“2018年の個人的ベスト10”の一作に入れてもいいのではと思うぐらいにビビッと来た映画に出会えました。

それが本作『ウィリー ナンバー1』です。

内容はあらすじのとおり。それ以上でもそれ以下でもありません。50歳の“中年”…と呼ぶには少しあどけない顔を持つウィリーが、双子の弟のミシェルの死をきっかけに、初めて実家を飛び出して、あんなことやこんなことをする。ただそれだけ。特別な事件も何も起こりません。あえて言うのなら、ウィリーが家を出たことが事件です。

ジャンルとしては「オフビートなブラック・コメディ」として紹介されていますが、確かにそういう演出はたくさん挟まれます。でも、実は心が温かくなる成長ドラマでもあって、そこがあまり押しつけがましくなく良い味を引き出すことで、最後にはなんともいえない余韻を残します。観れば前向きになれると思います。

雰囲気としては、40代中年の独身男の恋を描く『好きにならずにいられない』や、Netflixで配信されたダメ男の恋愛模様を描いた『マスタング・アイランド』に似ています。

とくに『ウィリー ナンバー1』に恋愛要素はないのですが、社会的にも周囲からも、そして最も近しい人からも“下”に見られている男の物語という意味では共通しています。この2作の雰囲気が好きな人はハマるでしょうね。

何より主人公を演じた“ダニエル・ヴァネ”がもう素晴らしいのですよ。ちなみに本作は冒頭で「ダニエル・ヴァネの人生に着想を得た」とテロップが入ります。彼は作中でウィリーとミシェルを二役で演じているので、これは本人出演のフィクション半分ノンフィクション半分の映画…ということになるのかな。じゃあ、上手いとか以前に役にぴったりなのは当然ですね。

また、本作の監督は、あのリュック・ベッソンが2012年に立ち上げた映画学校の卒業生だそうで、リュック・ベッソン、映画界にガンガン貢献してますね。

すっかり「愛おしい」と思うくらい魅了されてしまった一作。好きになってくれる人が増えるといいなと思います。

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『ウィリー ナンバー1』予告動画

↓ここからネタバレが含まれます↓

『ウィリー ナンバー1』感想(ネタバレあり)

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英語が話せるミートボールとホモ野郎

いきなりパンツ一丁の男ふたりが窓からダブル放尿している、見たくもないシーンからスタートする本作。映画の大事なファーストインプレッションとしてこれほど最低なものを観客に見せつけるとは、いい度胸しているじゃないですか。

物語としては非常に単純な構成。プロローグとエピローグの間に「ウィリー、コドゥベックに行く」の巻、「ウィリー、家を持つ」の巻、「ウィリー、スクーターを買う」の巻、「ウィリー、友達を作る」の巻というエピソードが挟まれる。「サザエさん」みたいなほのぼの感です。

ここで混乱を防ぐために説明する必要があるので書いておきますが、本作、ウィリーという名前の人間が二人登場します。主人公の50歳・肥満体形・ハゲ気味のウィリー。そして、このウィリーが働くことになるスーパーマーケットで先に働いていた若者・ヤセ体形のもう一人のウィリー。区別するために前者を“ウィリー1”、後者を“ウィリー2”としておきます。

本作の基本はウィリー1があんなことやこんなことをする過程のシュールな笑いを楽しむものです。そもそものきっかけは双子の弟のミシェルの自殺。ある日、ミシェルの墓に行くと、自分の写真が墓に使われている! 親は「他になかった。双子だろう」と冷めた回答。さすがにこれは笑うどころか、怒って当然のレベルだと思いますが、ウィリー1も大激怒。「クソくらえ」と家を出ていきます。

ここからのウィリー1、「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめての一人暮らし」の開始。随所に笑いを盛り込んできます。

例えば、個人的に好きなのはスーパーマーケットで働こうと受けた面接。ノートPCでソリティアをしながらという全くやる気のない面接官の質問に答えるウィリー1。「ディスカウントって知ってる?」には知らないと回答し、「英語、しゃべれるの?」の質問の答えが「Oui(はい)」なのがシュール。その後の英語練習シーンの全然ダメダメな英語力も合わさって、もう可笑しいのなんのって。そもそもこんな田舎町で英語スキル、いるのですかね?

そして、念願のスクーターを手に入れてからの、BGMガン盛りな発進シーンのカッコよさですよ。ベタだけど大好きです。基本、音楽とスローモーションを加えとけば、どんな素材でもだいたいカッコよくなるというお遊び。

あとはやっぱりウィリー2との掛け合い。「ホモ野郎」「ミートボール」という罵り合いから、ウィリー2の絶妙な嫌がらせ。もっぱらウィリー1の方が酷いことを言ったりして過失があるのですが、しっかり反撃にあうので観客としては全然嫌な気持ちにならない。ウィリー1もウィリー1で、素直に謝るのがまた可愛い。リフトアップされたうえでの「ホモ発言は撤回するよ」の謝罪とか、ウィリー2も結構楽しんでる気がします。

そんな二人は共通の抱える問題を共有し、大切な関係性を築いていくとは…。最初は予想もしていませんでした。

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人間は皆、醜い

日本の公式のあらすじを読むと、ウィリー1は「適応障害」と説明されています。しかし、映画内での言及はありません。もしかしたら「ADHD」や「うつ病」的なものかもしれないし、単に怠惰な性格なだけかもしれません。でもそんなことはどうでもいいのです。

『ウィリー ナンバー1』では、仮にウィリー1が「障がい」を抱える人間であったとしても、いかにもそれらしく描くことはしないし、ましてや感動ポルノになんてしません。

自閉症の子どもの成長を描いたドラマ『僕と世界の方程式』という映画がありましたが、これはこれで素晴らしい作品なのですが、「子ども」を主役にするのは少しズルいなとも思ったりします。私たちはどうしても「子ども」に対して純粋無垢な印象を持ってしまうじゃないですか。だから綺麗な話になりがちです。

対して、本作のウィリー1。ハッキリ言ってすごく醜いわけです。それは見た目だけでなく、性格も言ってしまえば歪んでいます。最初に家を出て近所に駆け込むのですが、そこでどうやったら女と近づけるんだという話になり、方法を伝授してやると豪語する男の自慢話を聞くシーンがあります。女を連れ込んだ話を聞いていたウィリー1はナチュラルに「レイプしたの?」と尋ねます。また、明らかにLGBTQであるウィリー2に対しては平然と差別発言をしまくったり、とにかく暴力性が素でポロっと出ます。だからこそ仲間に焚きつけられて、ウィリー2に暴力をふるうのですが。

その一方で、ウィリー1の周囲からの扱いもまた酷いものです。その醜悪さが一番こぼれでるのがバイク仲間から「おごれよ」と押しつけられる場面。あれなんて完全に相手を格下、しかも知能的に下だと見ているときのイジメ、というか暴力であり、非常に下劣で腹立つシーンでした。「女におごらせる気?」とか言ってたババア含め、全員『スリー・ビルボード』のミルドレッドに股間蹴りされればいいのに…。

『スリー・ビルボード』関連でいえば、復讐をあっさりやめちゃうのが対比的に可笑しかったですね。

とにかくウィリー1を美化せず、汚い部分もハッキリ描く姿勢が素晴らしいと思います。人間なんて、皆、醜いものです。それでもいいじゃないですか。

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人生のスタートはいつでもいい

もうひとつ、私がこの映画で素晴らしいと思うのは、映画に対するアンチテーゼになるようなメッセージです。それは具体的に言えば「人生は映画のようにはいかない」ということ。

私もそうですが、よく映画を観る人でその内容をとことん考察して解釈することがあります。この出来事の意味はとか、この登場人物の心情はとか。

でも実際、現実の世界での出来事や人間にそんな考察は意味ないんですよね。

例えば、本作。結局、双子の弟ミシェルはなぜ自殺したのでしょうか。それはわかりません。ウィリー1いわく弟は幸せに見えたそうです。でも、ウィリー1だって、傍から見れば何も考えていないアホそうな奴としか思われていないでしょう。しかし、実際は大切な人の死によって心が押しつぶれそうなくらい悩んでいます。

ミシェルももしかしたらウィリー1が劇中で経験したようなイジメにあったのかもしれないし、親に施設に行けと言われたのかもしれない。きっかけはいくらでもあったでしょう。ミシェルの得意技で序盤で見せた、グルグルと後輪を軸に車体を旋回させるアレは、人生が前にも後ろにも進めなくなってどうしようもできなくなった状態を暗示させるものでもありました。

また、ウィリー2はパートナーを亡くしていました。いわく殺されたかと思ったら、居眠り運転による単なる事故だったとのこと。ウィリー2の言葉を借りるなら「事実はクソだ、その事実を受け入れるしかない」のです。

映画みたいなドラマチックな人生なんてないし、悲劇の主人公にもなれない。他人が他人を正しく評価するなんてこともできない。それが現実。そういう意味では本作は、ロバート・ゼメキス監督の『フォレスト・ガンプ 一期一会』とは真逆の映画ですよね。「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない」じゃないんです。「人生は腐ったチョコレート」なんです。

それでも本作はひとつだけ肯定的な後押しをしてくれます。そんなクソな人間だらけの現実でも、人生のスタートはいつしてもよいのだということ。50歳から始まったウィリー1の人生のように、時間切れなんてことはないのです。

『ウィリー ナンバー1』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
6.5 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

以上、『ウィリー ナンバー1』の感想でした。

Willy 1er (2016) [Japanese Review] 『ウィリー ナンバー1』考察・評価レビュー