インターセックスを軸にしたクィアな青春学園モノ…ドラマシリーズ『XX+XY~ジェイの選択~』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2022年)
シーズン1:2022年にAbemaTVで配信
脚本:ホン・ソンヨン
LGBTQ差別描写 恋愛描写
XX+XY ジェイの選択
えっくすえっくすぷらすえっくすわい じぇいのせんたく
『XX+XY ジェイの選択』あらすじ
『XX+XY ジェイの選択』感想(ネタバレなし)
インターセックスの青春
東アジア圏はまだまだLGBTQを題材にした映像作品は業界の主流では作られづらい状況なのかもしれません。それでも少しずつ制作される動きも現れており、希望が見えます。
例えば、日本ではNHKは「夜ドラ(よるドラ)」枠で、アセクシュアル・アロマンティックを描いた『恋せぬふたり』や、レズビアンな女性2人の関係を描いた『作りたい女と食べたい女』のドラマを展開し、当事者含む視聴者を沸かせました。
韓国も似たり寄ったりなところがあり、保守的な社会が色濃い中で、一部の製作陣は頑張っています。
今回紹介する韓国のドラマシリーズはそんな既存の温情主義的な場の空気に対し、思いっきり異議を唱えるような勢いのある小さな抵抗者となる作品です。
それが本作『XX+XY ジェイの選択』。
本作は、ひとりの高校生を主役にした学園青春モノなのですが、とてもクィアな作品です。青春真っ只中の高校生が性とは何なのかについて一生懸命に向き合う物語。日本であれば『17.3 about a sex』のようなドラマに似た感じです。
『XX+XY ジェイの選択』の特徴は、インターセックスの高校生を主人公にしているということです。
まずインターセックスとは何か…知らない人もいるはず。作中ではそんなに詳細な解説はありません。
ここから少しインターセックスに関して説明しておきましょう。なお、この説明は主に「Intersex Human Rights Australia」「interACT」などの当事者団体の解説を参考にまとめたものです。
インターセックス(intersex)とは「二元論的・典型的な生理学的性の特徴を併せ持って生まれた人、もしくはどちらにも当てはまらない特徴を持つ人」のことです。一般的に人間は「男性の体」と「女性の体」のどちらかを有して生まれてくるものだという認識が定着しています。その「男性の体」というのは「ペニスがある」とか「性染色体がXYである」とかで、「女性の体」は「ヴァギナがある」とか「性染色体がXXである」とかである…そう考えがちです。しかし、世の中にはこの典型的な男女二元論の特徴ではないかたちで生まれてくる人もいます。そういう人をインターセックスと呼びます。
医学的に「DSD(disorders or differences of sex development)」と総称で呼称することもありましたが、当事者のアイデンティティ・ラベルとしてインターセックスという用語が一般的には広く用いられています(もちろんどの用語を好むかは個人で違います)。
インターセックスの人がどの性別やジェンダーとして生きるかは本人しだいです。インターセックスの人には男性の人もいれば、女性の人もいるし、ノンバイナリーの人もいます。シスジェンダーの人もトランスジェンダーの人もいます。最近は「LGBTQIA」としてセクシュアル・マイノリティの連帯に含めていく動きもありますが、インターセックスのトピックをしっかり包括しなければ大言壮語になってしまいます。
当事者の実情は『ジェンダー革命』のようなドキュメンタリーでもわかります。
そんなインターセックスがこうした映像作品で主役になることが今も滅多にないのですが、『XX+XY ジェイの選択』はインターセックスの立場だからこその「性別ってそんなに大事なのか」「性別はそんな風に決めていいのか」といった素直な問題提起に溢れており、社会の“当たり前”を揺らしてきます。
しかも、本作はインターセックスの主人公の高校生は無性愛者(アセクシュアル)の母と同性愛者(ゲイ)の父を持っており、非常にインクルーシブな家庭で育っています。ということで作品自体も包括的な視点で作られており、隙がありません。
性別やジェンダーの在り方について考えたい人に広くオススメできるドラマシリーズです。
韓国のケーブルチャンネル「tvN」の新ドラマ「O’pening(オープニング)」のシリーズとして開始された『XX+XY ジェイの選択』は全4話で1話あたり約28~43分程度なのですが、子どもでも大人でもわかりやすく、しっかり伝えたいメッセージが届くはず。
日本では「AbemaTV」での独占配信となっており、あまり目立っていませんが、気になる人はぜひどうぞ。
『XX+XY ジェイの選択』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :クィアな作品好きなら |
友人 | :オススメし合って |
恋人 | :ロマンスも見つめ直して |
キッズ | :包括的な学びに |
『XX+XY ジェイの選択』予告動画
『XX+XY ジェイの選択』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):生まれながらにして選べないもの
2004年。ハン・スヨンはしつこい男性を前に口実をつけて逃げ去ります。アセクシュアルであるスヨンは誰かと交際する気もありませんでした。そんなとき路地裏で男性同士が「なぜ結婚するんだ」と悲しそうに抱き合っているのを目撃します。2人は同性愛者のようですが、彼らの居場所はこの韓国にはありません。
スヨンと、そのゲイのひとりであるチョン・ヨンオは助け合うことにします。婚姻契約書を結び、2人は結婚して表面上は仲睦まじい夫婦となりました。自分のアイデンティティを脅かされない居場所づくりのための共生です。
スヨンは産婦人科の医者であり、職場の病院で元気な産声をあげて生まれた赤ん坊を取り上げます。看護師は「男児…」と言いかけて口ごもり、スヨンを小声で呼びます。スヨンは母親に声をかけますがその若い母は顔を背け…。
赤ちゃんの記録には、母親は未婚で氏名不明で、赤ん坊の性別の欄には男とも女とも書かれていません。その代わり、インターセックスと補足が記入されています。出生日は2006年1月8日。
20日後、あの赤ん坊はまたこの病院にいました。スヨン夫妻はその子を引き取ることにします。
こうして大切に育てられたチョン・ジェイは高校生になりました。そして今、大きな人生の転機を迎えています。友達のイ・セラがいるハンミョン高校に転校することにしたのです。フリースクールでもホームスクールでもない学校は初めてで、ビデオ日記に気持ちを打ち明けます。自分の性別を選択する道を決められるかも…。
父の恋人であるテヒョンおじさんの運転する車でセラに会いに行きます。車を降りた時にひとりの男子とぶつかり、セラとおそろいの髪飾りを落としてしまいます。それを拾った男子はジェイと見つめ合います。カフェでセラと抱き合うジェイ。あの男子はセラのクラスメイトで、ウラムというそうです。
ついに登校の日。教室では何も知らないウラムはセラにジェイの連絡先を聞こうとしていました。あの出会いから一目惚れです。そこに先生が入ってきて、転入生を紹介。それはジェイでした。でも男子の制服を着ている…。
ウラムはびっくりし、「男なのか…」と内心ではショックを隠せません。
ジェイはウラムの隣の席に座ります。ウラムは目も合わせられません。セラの女子友達たちはセラとジェイは幼馴染の関係だと説明されても、恋愛関係を疑います。
ジェイは学校らしい光景に新鮮さを感じます。これが学校というものなのか…。男子は男子同士で、女子は女子同士で集まっていることが多いけど、それはなぜなんだろう…。
ウラムとは少し距離がありましたが、少し打ち解け合い、バスケをします。けれどもその最中、ジェイのお尻あたりに血がにじみます。たまたまその場に居合わせたセラは生理だとすぐに判断し、機転を利かせて、やり過ごします。
少し遅れて二次性徴が始まりだし、ジェイも考えないといけない時期に来てしまったのか…。
性別は何で判断するのか
『XX+XY ジェイの選択』の主人公のジェイはインターセックスで、実の母親ではないですが、義理の両親の愛の中で育ち、冒頭から充実した家庭が窺えます。母親が見識のある産婦人科医ということで、インターセックス当事者には非常に理想的な環境ですね。
作中ではジェイの詳細な病名などに言及はされません(ドラマ開始前に「(このタイトルですが)クラインフェルター症候群とは無関係です」と注意文がでますが…)。おそらく病理的な着眼点にならないように、または身体面への視線ばかりを視聴者に煽らないようにする配慮なのでしょう。適切なレプリゼンテーションの姿勢だと思います。
ジェイはこれまで性別を気にせずに生きて来られましたが、そろそろ自分で決めないといけないのかなと漠然と考えています。そして学校という社会に触れることでそのヒントを探ります。
でもそこでしだいに浮き上がるのは、「性別」という概念への疑念です。
同級生含む大多数の人は性別の概念について考えたこともなく、当たり前のように「自分は男だ」「自分は女だ」と疑いもなく生きています。それはなぜなのだろうか…。
性別は何で判断するのか。ウラムはジェイとの最初の出会いでジェイが髪飾りをつけていたので「女性」とみなします。学校ではジェイはズボンの制服を着用していたので、みんなは「男性」だとみなします。でもそんなファッションで決めるものなのか。
ジェイは男子のウラムからも女子のセラからも好意を持たれます。でも「男子と付き合えば女性」「女子と付き合えば男性」…そんな異性愛規範ありきの考えでいいとも思わない…。そもそも世間の大人は10代が性的関係を持ったりすることをタブー視します。男女で子どもを分けているくせに、なぜそこだけ敏感に拒否反応を示すのか…。
インターセックスであるジェイの視点だからこそ、日常にありふれた半ば当然のような顔をして存在しているバイナリーな男女二元論の規範への違和感が持ち上がります。
『XX+XY ジェイの選択』はあくまでインターセックスの主人公を軸にした物語ですし、インターセックス特有の背景もあるのですが、こういう社会への違和感は多くのクィア当事者にも共感できる話でしょうし、クィアのみならず大多数の人も「そう言えばなぜこんな社会は性別にこだわるんだろう」という疑問を抱く始点になる…そんなドラマではないかな、と。
助けてくれる人が周りにいる
『XX+XY ジェイの選択』は主人公のジェイにその悩みを丸投げするわけではなく、わりと周りの人たちが助けてくれます。答えを押し付けることはできませんが、一緒に考える支えにはなります。
母のスヨンは医者なので健康面のサポートは丁寧です。また、アセクシュアルということで、人生の基準を恋愛に依存する必要はないという姿勢を見せてくれます。ジェイの迷いが恋愛伴侶規範に従順的にならないようになっており、作品を鑑賞していてもこのスヨンがいればそっちに傾かないだろうなとなんだか安心できます。『それでも僕らは走り続ける』といい、アセクシュアルのかっこいい中年女性がでてくるのはいいですね。
父のヨンオは同性愛者ということで、ジェイにとっては異性愛規範は無意味だという認識を身に着ける土台になっています。さらに、このヨンオの本来の恋人であるテヒョンおじさんがまたナイスなサポートをしてくれます。コンドームもくれますし、男女どちらの性別にするべきか悩むジェイに「男女どちらかじゃないとダメなのか」とも言葉をかけてくれたり…。そこにはノンバイナリーな視座があります。
なお、「Intersex Human Rights Australia」の2015年の報告によると、インターセックス当事者にジェンダーについて質問したところ、回答者の52%が女性、23%が男性と答え、残り25%が他のさまざまなオプションを選択したとのこと。2010年代後半以降のノンバイナリーという言葉の急速な普及にともない、最近のインターセックス界隈でも若い人を中心に傾向に変化が現れているのかもしれません。
支援者と言えば、同級生ですけどセラも頼りになる姉という感じです。小4のときに初潮を経験したセラは初生理のジェイを手厚くナビゲート。
そしてウラムです。ウラムは完全に前半はギャグパートと化しており、姉たちの揶揄いに堪え、こちらこちらでセクシュアリティを模索。ジェイに一目惚れしたのが余計に事態をややこしくしているのですが…。
ウラムはLGBTQ含む無知な視点で物語に介入する役割ですが(「痔なの…?」とかアホで助かった場面も少々)、終盤はそれが反転。「女でも男でもなく、ジェイが好き」というパーソナルな答えを見い出し、ジェイを受け止める最初のひとりになります。
男子トイレ個室で着替えているミョンジュンなど、クィアと察せられる他の同年代もいたりして、ジェイはそんな人に触れつつ、自分の在り方を形作ろうとします。DJファマの暴露事件はやや強引というか唐突なのですが、あそこで可視化される男女二元論の有害性は事実そこに存在するものです。
それでもジェイは性別ではない個人の特徴だってあるのだからと、そこに目を向けることの重要性を投げかける。これは学校が事実上、性別や成績で生徒を分類する施設になってしまっているという現場へのカウンターですね。
まだどの道に進むかわからないけど、ジェイであることはずっと変わらない。『XX+XY ジェイの選択』は短い話数ではありますが、ジェイのひとつの主体的な道のりに丁寧に寄り添ったドラマでした。
ROTTEN TOMATOES
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シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)STUDIO DRAGON CORPORATION XXXYジェイの選択
以上、『XX+XY ジェイの選択』の感想でした。
XX+XY (2022) [Japanese Review] 『XX+XY ジェイの選択』考察・評価レビュー