ふたりのJ・T・リロイ ベストセラー作家の裏の裏
映画『ふたりのJ・T・リロイ ベストセラー作家の裏の裏』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:JT LeRoy
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2020年2月14日
監督:ジャスティン・ケリー

ふたりのJ・T・リロイ ベストセラー作家の裏の裏

あらすじ

娼婦として生きる母と息子を描いた伝記作品「サラ、いつわりの祈り」の原作者として知られ、その才能溢れるミステリアスなカリスマ性から多くのセレブを魅了したJ. T. リロイ。しかし、驚くべき事実が判明する。それはマネージャーのように一緒にいたローラという女性が本当の執筆者であり、J. T. リロイは彼女が雇ったサヴァンナという女性で、架空の人物だった。

『ふたりのJ・T・リロイ』感想(ネタバレなし)

架空の人物でした!

自分を偽る…というのは大袈裟かもしれませんが、このインターネット時代、多くの人がリアル世界における「自分」とは異なる、ネット世界の「自分」を持っているのではないでしょうか。例えば、SNSのアカウントとかはまさにそうです。いわゆる「アバター」ですね。このブログだって私は「シネマンドレイク」というアバターを介して自分を発信しています。本名でネット上でも活動している人はごく一部でしょう。

別にそれが悪いというわけではありません。ましてやそんな存在が嘘っぱちだと言いたいわけでもありません。なぜ本名ではなくアバターとして活動するのかと言えば、普段とは違う自分になりたいという欲求もあれば、リスク回避のためにプライバシーを保護している場合だってあります。現代では匿名性を確保したアバターの仮面を被ることは、ごくごく一般的になりました。それを責める人はむしろ時代遅れな旧態依然の価値観しかないようにすら思います。

しかし、世の中にはリアル世界であってもアバターを装って活動する人がいます。「ペルソナ」と言った方が適切なのかもしれません。アイドルなどの芸能人はそうした一面を否が応でも抱えることも。

そして今回紹介する映画の題材となった人物はその極端な一例と言えるでしょう。

その映画が本作『ふたりのJ・T・リロイ ベストセラー作家の裏の裏』です。

この作品はタイトルにあるとおり「J. T. リロイ」という人物を描いています。1999年、彗星の如くデビューを飾った“少年”の小説家が「J. T. リロイ」です。その処女作「Sarah」(邦題は「サラ、神に背いた少年」)は作者の自伝だそうで、そこには暴力・薬物・性などあまりにも壮絶な若き人生が綴られており、それを呼んだ誰もが彼に同情し、それを物語として公表した勇気に称賛を送りました。

「Sarah」は一般人からセレブまで幅広い読者の心を掴み、2004年には第2作「The Heart Is Deceitful Above All Things」(邦題は「サラ、いつわりの祈り」)が出版され、そちらは映画化すらもされました(監督はアーシア・アルジェント)。

まさに新世代のカリスマが小説業界から登場したことに世間は熱狂。

ところが、2006年。衝撃の事実が明らかになります。なんと「J. T. リロイ」は実在せず、全ては「ローラ・アルバート」という人が考え出した架空の人物で、世間に姿を見せていた「J. T. リロイ」とされる少年は「サヴァンナ・クヌープ」というローラの義理の妹が演じていたのでした。

世界は驚愕と失望を露わにし、中には「それはそれ、作品の評価は別だよ」と平静を装う人もいましたが、やはりバツの悪い状況には変わりなく…。とにかく「J. T. リロイ」の偉業はあっけなく崩壊しましたとさ。The end…。

で、映画です。『ふたりのJ・T・リロイ ベストセラー作家の裏の裏』はこの騒動を「J. T. リロイ」になりきっていたサヴァンナの視点で描いています(ちょっとローラの視点も混ざるけど)。というのも本作の原作はサヴァンナが2007年に発表した自叙伝「Girl Boy Girl: How I Became JT Leroy」で、映画化の際もサヴァンナが脚本にクレジットされています

この騒動をよく知らない人には「え!こんなことがあったの!?」と新鮮に楽しめるでしょうし、知っている人も再びあの騒ぎを思いだす気持ちで振り返ることができるでしょう。

騒動の顛末を説明しちゃいましたが、そこは知っていても全然OKなので、ネタバレにならないと判断しました。インターネット上にも普通に載っているし、そこの展開をハラハラと楽しむ映画でもないので。

監督は“ジャスティン・ケリー”という人で、これまで『ストレンジャー 異界からの訪問者』(2018年)などを手がけ、そこまで有名ではない方ですね。

一方で俳優陣は有名どころが揃っており、元凶というか発端であるローラを演じるのは、『マリッジ・ストーリー』の名演で賞に輝いたばかりの“ローラ・ダーン”。そして、J. T. リロイになるサヴァンナを演じたのは、『カフェ・ソサエティ』やリメイク版『チャーリーズ・エンジェル』に出演する“クリステン・スチュワート”。さらに『女は二度決断する』で絶賛された“ダイアン・クルーガー”も登場します。

日常的にアバター慣れしている私たちも少し身につまされる映画ではないでしょうか。映画を観終わった後はちょっと自分も反省したくなりますね(と言いつつブログを書く私だった…)。

オススメ度のチェック
ひとり◯(史実を知る人も知らない人も)
友人◯(俳優ファン同士で)
恋人◯(一風変わった作品を観るなら)
キッズ△(面倒な大人のドラマです)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『ふたりのJ・T・リロイ』感想(ネタバレあり)

気持ちはわかるが…

公式のキャッチコピーでは「なぜ世界はダマされたのか」という煽り文句が書かれていますが、『ふたりのJ・T・リロイ ベストセラー作家の裏の裏』はそのおそらく観客が最も気になるであろうポイントに迫る作品ではありません。

そもそもこの騒動の全容を総括したいならば本作よりもドキュメンタリー『作家、本当のJ.T.リロイ』を観る方が整理しやすいです。さまざまな視点から当時の反応を窺い知ることができます。

とはいっても『ふたりのJ・T・リロイ ベストセラー作家の裏の裏』を観たら気にするなという方が無理なものです。とくにローラ・アルバートという問題の根源にある人物については。

彼女がなぜあんなことをしたのか。それはわかりません。本作では異様にハイテンションでサヴァンナに気軽そうにJ. T. リロイのなりきりをさせます。でも文才があるなら素直に自分の名前で発表すればいいのに…とやっぱり思う人は多いでしょう。

この騒動とローラの行動についてはさまざまな人が後に分析をしており、多様な意見が飛び出しています。また、ローラ自身も今も普通に活動していて、騒動以降もインタビューに答えています(以下に代表的なインタビュー記事のリンクを掲載)。


そのローラはJ. T. リロイを創り上げた理由を「夢の言語」「隠喩の言語」と表現し、全く異なった性の人物にした背景には自分の「流動的ジェンダー」があると説明しています(まあ、ただこのローラはインタビューでも質問に対して簡潔に答えずやたら回りくどい例えを連発するので全然本音が読めないのですが…)。

つまり、当人はこういう言い方をされたくないでしょうけど、自分の人生をそのまま他人に見せることまで自信がなかったから多少の脚色をした…ということなのか。それって、勝手に自分の中で自身のキャラクター性を妄想して膨らますような、結構な人がやった経験のあるイタイでも“気持ちはわかる”行為…なのかもしれません。ローラも昔はテレフォンセックスの仕事をしていたらしく、それをかなり盛りに盛ってああなったのか。ローラの場合は、それを事実として出版までしちゃったからこんな大事になったのですが…。

ローラを「メアリー・シェリー」(「フランケンシュタイン」を執筆するも当時の女性差別のせいで自分の名で公表できなかった女性作家)と同じだという意見もあります。

でも私もそれは違うんじゃないかなと思いますし、とくに今の時代はなおさらローラの行動は批判されるでしょうね。なにせマイノリティの同情的側面だけを利用して富と名声を得たのですから。この構図は『レイチェル 黒人と名乗った女性』にそっくりです。


なにはともあれローラに同情するかどうかは別にして、職業倫理的にも人権倫理的にもアウトなのは確かです。

J. T. リロイは現在もいる?

いろいろ書きましたが、ローラのことはそのへんにしましょう。それは『ふたりのJ・T・リロイ ベストセラー作家の裏の裏』の本題ではありません。

本作の語るべきはひとつ。「なぜサヴァンナはJ. T. リロイになったのか」です。

サヴァンナは兄ジェフリーのパートナーであるローラと出会います。本作を観ると当初はサヴァンナもローラのことを普通にクリエイターとしても尊敬していたことがわかります。対してサヴァンナ自身は自分の人生に引け目を感じていたようにも見受けられます。自分とは違う前向きな成功者に憧れるのは普通の感情です。

その隙をまさに利用されたようにローラに入れるがままにJ. T. リロイに変身するサヴァンナ。とは言っても作中ではサヴァンナの葛藤が表出するような描かれ方で、観ているこっちまで息苦しい部分もあります。自分じゃない自分との付き合い方に明らかに慣れていないというか、どんなにパーフェクトだと褒められても妙にしっくりこないというか。

パーティでセレブたちのいる前に出た時、J. T. リロイとしての振る舞いに適応しきれず、ぎこちない態度をとり、「シャイ」だと周囲に言われるサヴァンナ。絶対にこれは良い気分ではないですよ…。ローラだけは相変わらずテンション高いのがなおさら痛々しい…。

そしてせっかく仲良くなったエヴァとの関係性も、実は嘘で塗り固められた偽りの関係であるとサヴァンナ自身は感じており、その罪悪感もツラい…。

このサヴァンナの心情や立ち位置というのは、ローラとは別ベクトルで現代社会にも普通にあることですよね。要するに、自分の意思に反したアバターを周囲の期待も込みで背負わされる感覚。アイドルや、今だったらYouTuberとか。とくにVTuber(バーチャルYouTuber)は完全に偽装アバターですよね。“中の人”はどういう気持ちなんだろう…などとは世間はあえて考えないで気楽に消費します。それが暗黙のルールになっていますよね。

例えば、この感想ブログは私個人が好きで書いているものですが、もし別の誰か(個人でも企業でも)からの命令で「これをこう書け」と従わされて書いていたら、当然嫌になります。でも個人ブログは別にしてある程度のメディアサイトになるとそういうライティングを求められてしまうこともあるのも事実です。ウケを狙うというか、自分の本心を殺して商業的もしくは世間的利益をとる…。

J. T. リロイ現象は現在もあちこちに点在しているのです。そう思わずにはいられません。そう考えるとこのサヴァンナの方が相対的に最も私たちには身近な存在になってきます。

本作は非常に特殊な事件を扱っているように見えて、こういうさまざまなメディア媒体で現在進行形で行われている現象とも重なる普遍性を持っているなとも思いました。

だからこそ私はJ. T. リロイでもローラでもなくサヴァンナに同情してしまう面が大きいかもしれません。

ふたりのJ・T・リロイ

フィクションの二度漬けはNG

しかし、この『ふたりのJ・T・リロイ ベストセラー作家の裏の裏』は素直に同情できない構造上の欠陥もあるなとも感じていて…。

その理由は、本作は当事者であるサヴァンナ・クヌープが脚本に関与しているわけです。普通、当事者が製作に関わったものは真実性が担保されるので説得力は増すのですが、このJ. T. リロイの案件に限っては例外です。なにせ嘘をついた前科がある以上、こんなことを言うのもあれだけど、自業自得なのでしょうがないのですが、この映画の物語も嘘じゃないのかと疑われるのも無理はありません。

しかも、本作として映画化されてしまったら、フィクションをフィクションで上塗りしたようになってしまい、もともと何が何だかわからなかったのに余計に何が何だかわからなくなった感じも否めません。それこそセンチメンタルな同情論に話を逸らして、煙に巻いたようにも受け取れます。
 
この映画は私たちに示唆を与えるものでもなく、真実の上にフィルムの束をぶちまけただけかもしれません。

サヴァンナの容姿(彼女が演じるJ. T. リロイも含めて)を見ると顕著ですが、実際のサヴァンナ(J. T. リロイ)はもう少し丸顔で子どもっぽさもあります。でも本作では“クリステン・スチュワート”が演じていますから、あからさまにテンプレな「美少年」な雰囲気が全開。こうなってくるとこちらの印象も相当に変わってきますよね。宣伝どおりの「カミング・オブ・エイジ」ムービーにしたって綺麗です。作り物っぽさが浮き上がってしまっています。

まあ、ざっくり言ってしまえば美化したともとれ、これではサヴァンナはローラの作った「J. T. リロイ」から、映画が作った「J. T. リロイ」に鞍替えしたようにすら思えなくもない。

そう考えるとこの映画が作られた意味は何だったのかなとモヤモヤしてきます。「物語」というものの使い方の悪い例のような気もするので、なんかすんなり受け入れづらいのが私の本音。せっかく映画にするならもっと自分を曝け出す、自己批判的な内容にすべきだったし、だったら当事者は一歩下がっておくべきだったでしょうね。

文句を書きましたが、でも役者陣の名演は良かったので見ごたえはありました。“クリステン・スチュワート”はこういう内省的なキャラをやらせると本当に上手く、傷つきやすい人間性を巧みに表現してくれます。

“ローラ・ダーン”は実在のローラ・アルバートに本当にそっくりで、『マリッジ・ストーリー』に続き、異彩を放つ実在人物になりきるのが持ち味になってきていますね。まあ、実際のローラ・アルバートは本作以上に強烈さもあって、全くもって得体が知れない人なんですが…。“ローラ・ダーン”はそのへんを汲み取って自分の演技で表現するのがやはり際立って上手な役者だな、と。

ということで、結論。

自分を脚色して独自のキャラクターを作るのは、他人に迷惑をかけない範囲でやりましょう。そして、その他人の行為に安易に加担しないように。

演じるなら、仕事として堂々と“演じている”俳優にならないとね。

ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 55% Audience 41%
IMDb
5.4 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 5/10 ★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2018 Mars Town Film Limited ふたりのJTリロイ