宮本から君へ
映画『宮本から君へ』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

英題:From Miyamoto To You
製作国:日本(2019年)
日本公開日:2019年9月27日
監督:真利子哲也

宮本から君へ

あらすじ

不器用人間ながら誰よりも正義感の強い宮本浩は、文具メーカーで営業マンとして地道に働いていた。会社の先輩である神保の仕事仲間、中野靖子と恋に落ちた宮本は、靖子との結婚を考えて猪突猛進で行動していくが、ある出来事をきっかけに「この女は俺が守る」と言い放ったことで、その堅物な正義は見境なく暴走をし始める。

『宮本から君へ』感想(ネタバレなし)

真利子哲也監督、エスカレート中!

「日本男児」という言葉は長らく日本の男性を象徴する概念として、文化や社会の中で使われ続けていました。その言葉には、日本人としての「男はこうあるべき」という理想のモデルが背負わされています。男性に生まれた日本人は有無を言わせずその「日本男児」になるべく幼い頃から親や親戚に誘導され、学校でもそう教育され、社会人になってもその路線から外れることなく歩むことが求められます。

なぜかって? それが正しいことだから。「日本男児」になるべし。男に二言はない。

しかし、その「日本男児」信仰が男性を苦しめ、周囲の男性以外の人間にも巻き添えのように悪影響を与えてしまうという現状もまた動かぬ事実。そのことに関して知りたいのならばぜひジェンダー研究に目を通してほしいです。

ただ、それでもいまだに「日本男児」信仰はこの日本社会からは消えていません。本当に消えるなんてことはあるのか、それすらも疑わしいです。

そんな中、日本社会に土着的に深く根付いている「日本男児」という存在をその歪さ・狂気さ含めて映画で映し出すのが上手いなと私が思う監督がいます。それが“真利子哲也”監督です。

この監督と言えば商業監督としてのデビュー作『ディストラクション・ベイビーズ』(2016年)がコアな映画ファンの間でも話題になりました。街に解き離れた猛獣がひたすらにエスカレートしながら暴れまくるように、主人公の男が強い奴を求めて暴虐の限りを尽くす…かなりとんでもなくぶっとんだ一作。その主人公の男は結局のところ、「日本男児」を極端化させてしまった存在だったのだろうなと今は私は解釈しています。“真利子哲也”監督はそういうのを一切オブラートに包まず描き、そこが異才なんですよね。


“真利子哲也”監督は2011年に『NINIFUNI』という中編映画で前から一部で話題を集めており、私もこの作品が監督のフィルモグラフィーでは一番好きかもしれません。こちらはそれ以降の作品の過剰な暴力性の発露とは打って変わって、ひたすらに消耗・疲弊して、命を終えようとする主人公が淡々と描かれており、こちらはこちらで「日本男児」の死の姿を表現するようでした。

その「日本男児」を忖度なしで描かせたら右に出る者がいない“真利子哲也”監督が2019年に送り出した映画もこれまた異常な快作であり、映画ファンの股間にドスドスと蹴りを入れてくる作品でした。

それが本作『宮本から君へ』です。

公開当時から話題性が高く(あくまで映画マニアの間ではですけど)、その年の邦画ベストに入れる人も続出し、ブルーリボン賞で監督賞、ヨコハマ映画祭で主演男優賞、TAMA映画賞で最優秀女優賞と称賛を受けまくった一作となった『宮本から君へ』。日本アカデミー賞ではスルーでしたけど、まあ、あれはこういうインディーズ映画はそもそも相手にされないからね…。

原作は新井英樹による漫画。この原作者は以前に映画にもなった「愛しのアイリーン」も手がけていますね。あれもなかなかに問題児な男が主人公だった…。

『宮本から君へ』は実は映画だけでなく、それよりも前の2018年にドラマシリーズ化されており、映画とは別の物語を描いています。映画はヒロインとの関係が中心なので雰囲気はガラッと変わりますね。なおこのブログでは感想は映画のみを基本は言及していますのであしからず。

主演は“池松壮亮”“蒼井優”。兎にも角にもこの二人のエネルギーにやられた!という鑑賞者が大量発生するのも無理はない圧倒的な演技力。他にも『光(2017年、大森立嗣監督)』の“井浦新”、『キングダム』の“一ノ瀬ワタル”、さらには“柄本時生”“佐藤二朗”“ピエール瀧”と脇役勢もタダものじゃないメンツ。でもやっぱり主演二人ですね、本作は。

また『宮本から君へ』はエグゼクティブプロデューサーにクレジットされている“河村光庸”の名も覚えておきたいところ。手がけた作品は『新聞記者』『愛しのアイリーン』『あゝ、荒野』と、ここ最近のインパクト作にはこの人ありの状況なので、今後も注目したくなります。

“真利子哲也”監督作はまだノーマークだった…なんていう人は今からでも遅くはないです。異才の進化を観察しましょう。

オススメ度のチェック
ひとり◯(話題作として一見を)
友人◯(映画ファン同士で)
恋人◯(かなりバイオレンスだけど)
キッズ✖(暴力的すぎてアウトです)

予告動画






↓ここからネタバレが含まれます↓





『宮本から君へ』感想(ネタバレあり)

「この女は俺が守る」

顔面血まみれの男が日中の公園を歩いています。明らかに不自然で異様。その男はトイレに入り、洗面所で折れた歯を吐き出し、おもむろに鏡で自分の無残な顔を見つめると、自分の頬にビンタを繰り返します。泣きじゃくりながら、何度も何度も…。

宮本浩は勤めている文具メーカーに出社。同僚の田島薫が急かすように宮本を呼びます。そして上司に説教を受けることに。「相手さんの容体は?」「全治2か月とか3か月とか」「宮本、お前どないする気なんや」「家族のためにカネ稼ぎます」…どうやら喧嘩騒ぎを起こしたらしい宮本は、片腕を吊り、歯抜けの顔でバカ正直に答えるのでした。

そう、こういう男なのです、宮本は。

同僚にフォローされているのも知ってか知らずか「いつだって敵に回せますよ」と調子に乗る宮本。常に口だけは能弁(語彙力はない)、後先考えずに手を出す(強いわけではない)。溢れ出るエネルギーの使い方を知らずに人生をがむしゃらに生きる、不器用な男。

そんな宮本は両親の実家に女性を連れていきます。その女性は中野靖子という名前で、仕事関係で知り合った人。ぎこちなく挨拶を交わす中野靖子と両親を前に無言でムスッと座っていた宮本は「俺、この人と結婚するから」とぼそり呟くのでした。

その後の食事では中野靖子と母は賑やかに会話していましたが、途中で体調が悪そうになる中野靖子。母は彼女が妊娠していることに気づきます。母は息子に「あんたのやり方には納得いかない」と口を出し、質問攻めにしますが、宮本は詳細を語りませんでした。

その夜「あのこと黙ってていいのかな」と中野靖子は言葉を投げかけますが、宮本はひとり涙をみせるしかできません。

それはある日の話。宮本は中野靖子の家に招かれ、晩御飯をご馳走になって楽しい時間を過ごしていたのですが、突然誰か来ます。「靖子ちゃ~ん」とドンドンうるさい男。静かになったと思ったらベランダから入ってくる男は「ゆうじだよ~」と堂々とあがりこみ、勝手に冷蔵庫を開けます。

状況がわからず茫然とする宮本でしたが「私あの子と寝たよ あんたと同じことしただけだから文句ないよね」とその男、風間裕二に言う中野靖子を見て、なんとなく察しがつきます。中野靖子を殴る男を見てカッとなった宮本はまたもいつもの性格を発動し、後先考えずにこう言葉をぶつけます。

「この女は俺が守る」「中野康子は俺が守る」

男は帰り、中野康子は「あんたを利用しただけだから」と吐き捨てるも、宮本は目の前の女性を抱きしめ、体を交えるのでした。「お前は俺の女だ」と。

中野康子の実家への挨拶を済まし、二人の共同人生が始まりました。

しかし、それは唐突に引き裂かれます。

ある日のこと、宮本は中野康子を連れて飛び込み営業で知り合った泉谷建設資材部部長の真淵敬三大野平八郎と一緒に飲みに行くことに。居酒屋で煽られるがままに一気飲みをしてしまった宮本は泥酔。すっかりダウンしている宮本のためを思い、真淵敬三は自分の息子である拓馬を呼び寄せ、車で送るように指示します。

中野康子の家で拓馬も招き、少し会話をする3人。宮本はベッドで動けずダウン。そしてその部屋で事件は起こるのでした。拓馬から性的暴行を受ける中野康子。そのすぐそばで宮本は寝息をたてて気持ちよさそうに寝ています。

「俺が守る」と豪語した男は、スヤスヤと寝ていただけ…。

とにかく頑張った俳優陣

『宮本から君へ』は前述したとおり、俳優陣、とくに宮本浩を演じる“池松壮亮”、中野康子を演じる“蒼井優”の熱量といいますか、なんというか…。凄まじいとしか言いようがない。

今回の主役は“真利子哲也”監督作品の中でも群を抜いて「陽」のオーラを全開にしているのだけど、その真逆のようにリアルで起きることは痛々しいです。その悲劇をひたすらに“やせ我慢”だけで吹き飛ばせると思っている二人のなんとまあギリギリ感。それを体現する演技力のオーバーフロー。このふり幅の乱高下が鑑賞者の印象をぐるんぐるんに振り回しますね。

“池松壮亮”は冒頭のあのボロボロ状態でビンタしているシーンからして一気に引き込まれますし、以降も歯抜け状態でフガフガ言いながらの会話とか、ほんと、これぞ体当たりという演技で、人生を俳優業に注ぎ込んでいるなと、その覚悟はじゅうぶんすぎるくらいに伝わります。あんなの見せられたら「よし、頑張った、わかった、もういい!」って思いますよ。血管、切れないのかな…。

“蒼井優”に関しては以前から上手すぎるのでもう何も言うことはないのですけど、今回もあのバーサーカー(狂戦士)状態の“池松壮亮”に対抗できるのは“蒼井優”をおいて他にいなかった。ここ最近ずっと思うのですけど、日本の俳優の中には明らかに邦画の世界だけでは役不足になっちゃってる人いますよね。“蒼井優”もその一人で、完全に才能が窮屈そうな感じ。上手いこと世界に飛びたたないものか…。

役者を引き立てる撮影も良かったです。とくに本作の白眉である宮本vs拓馬の非常階段での乱闘シーン。あのこじんまりした場所ながら、思わず固唾を飲んでしまう喧嘩は歴代ベスト級の取っ組み合いなんじゃないか。たぶん安全性の問題でできることには限りあるのでしょうけど、その範囲でやっているのが逆に緊迫感を増していますね。これがハリウッドだったらスタントマンをガンガン使っちゃってどんどん派手になってしまっただろうし…。

宮本から君へ

愛ではなく承認欲求の物語

『宮本から君へ』は、大切な家族を傷つけた者に復讐をするという、言ってしまえばヴィジランテものだと言えなくもありません。ハリウッドならそれは「ヒーロー」という枠組みで捉えるわけです。

でも日本の場合はそれはヒーローじゃない。少なくとも日本の考えるヒーローは献身的だけど復讐や暴力を軸にしません。

じゃあ何なのかと言えばやっぱりそれは「日本男児」なんだと思うのです。

女は俺が守る。俺の女に手を出したやつは容赦しない。こういう価値観は典型的な「日本男児」の思考。作中の宮本はとにかく「日本男児」になりたかったんだと思います。能力なんてろくにないけど、ひたすらに「日本男児」として一人前になりない。そうなれば全てが認められる。そう妄信している。

宮本は序盤の実家シーンで母に「そんなんで子どもの父親になれるの」と言われているところを見るに、たぶん子どもの頃からそういう「日本男児」信仰を植え付けられてきた少年だったのでしょう。それは会社というホモ・ソーシャルな世界に身を浸すようになってさらに深刻化している。そうして生まれたのがあの狂信者です。

ちょっと過激な言い回しですが、私は宮本みたいな存在は、宗教的なベースを持つテロリストとたいして変わらない精神構造を持っていると思います。自分の信仰(それは往々にして他者にそそのかされたもの)のためなら何をしてでもいいと思い込む。信仰を達成できれば神が祝福してくれると思うように。

本人は信仰する以外に思考する能力を持ちすらしない。レイプされた女性に「頑張れ」とか言っちゃったり、行動が「殺す」に直結したり…。

つまるところ本作は表面上は不器用な男女の愛の話に見えるけど、実際は男の一方的な「承認欲求」の話でしかない。宮本にとって中野康子はそういう存在。最後に宿敵を文字どおり“潰した”宮本が中野康子に全部を吐露してしまっています。「結婚してちょうだいよ、ちまちま考えてないでとっと結婚しろよ、クソッタレ」「お前なんかむしろ敵だったぜ」「康子に褒めてもらいたい」「この凄い俺が幸せにしてやる、俺こそがすげえ父親だ」…。

本作の宮本は相当に極端な描かれ方ですが、でもこういう男は日本社会にいるというか、まさにこういう男が正しいという前提で社会が存在しているのですよね。

だからこそ本作はゾッとする部分を持った映画として受け止めたい作品でした。

日本男児を支える女からは逸脱しない

一方でこの『宮本から君へ』、あまりにも宮本が臨界点を突破して存在感を見せつけてしまったがために、逆に「日本男児」信仰を強化する象徴になりかねない危険性も孕んでいるなとも思ったり。それこそ『ジョーカー』と同じリスクですかね。

もちろん『宮本から君へ』は宮本の存在そのものを無邪気に全肯定している映画ではないでしょう。それは随所にその注釈があって、例えば序盤で印象的に示される2匹の金魚の死とか、はたまた終盤の中野康子の職場にあがりこんで「結婚だ、結婚しよう」とプロポーズする宮本の光景に空気も読まずに拍手する同僚がいたり。これはハッピーなんかじゃない、そんな単純ではないと映画はしきりに訴えています。

でもそれらエクスキューズがあまりにも役者の怪演にかき消されてしまい、宮本があまりにも完全無欠に見える(実際はボロボロの弱点だらけなのだけど)ので次の信仰者が出てもおかしくないかな、と。それに日本の「日本男児」信仰者はこんな映画で自省するほど自己批判に長けてもいないでしょうし…。

あと、やはりこれは本作に限らず邦画によくありがちな問題点ですが、登場する女性が相も変わらず男性に都合のいい女でしかない部分。

本作の中野康子だって作中で宮本に対して反論しまくるので自立した“強い女性”に見えますが、それはあくまで男性の考える“強い女性”像ですよね。

なんだかんだで中野康子は最後まで「ダメな男を呆れつつも叱ってくれる母性」を持った「日本男児を支える女」から逸脱することはなく、言ってしまえば何度も繰り返し邦画で見てきた「昭和の女」そのもの。

しかも、結局は最後まで「子を産む」くらいしかない存在(原作では10人以上の子を産む!)。

また、本作の物語のドラマの起点になるレイプ事件も、その内容が極めて画一的なレイプシーンでしかなく(つまり“強引に犯される”というやつ)、これもまた男性が好みそうな性被害(つまり可哀想な女性=救ってあげるべき女性という図式が成り立つ)という紋切り型になっているのも、なんだかなと思うところです。

まあ、このへんは原作自体が抱えている問題なのでしょうけど、それを修正できる力を持った監督は今の日本映画界に全然いないのも「日本男児」信仰が蔓延るゆえだというのも皮肉な話。

しかし、“真利子哲也”監督の恐ろしさを堪能するには余りある一作でした。監督は本作公開後に1年間海外に留学して学んでいるらしいので、海外の見識(とくにジェンダー)をたっぷり吸収して、さらなる進化を見せていってほしいですね。

いつか日本男児映画のキンタマを完全粉砕してほしいです。

ROTTEN TOMATOES
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IMDb
7.2 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2019「宮本から君へ」製作委員会