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『泣きたい私は猫をかぶる』感想(ネタバレ)…Netflix;猫被りするのはやめる?

泣きたい私は猫をかぶる

猫被りするのはやめる?…Netflix映画『泣きたい私は猫をかぶる』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

英題:A Whisker Away
製作国:日本(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:佐藤順一、柴山智隆

泣きたい私は猫をかぶる

なきたいわたしはねこをかぶる
泣きたい私は猫をかぶる

『泣きたい私は猫をかぶる』あらすじ

自由奔放な笹木美代は、クラスメイトからも変な女子扱いされつつも、いつも明るく元気いっぱいな中学2年生。思いを寄せる日之出賢人には毎日のようにアタックするが、全く相手にされていない。それでもめげずにアピールを続ける彼女には、ある秘密があった。それは夏祭りで出会った不思議な人生の転機。笹木美代は猫になることができるようになった。

『泣きたい私は猫をかぶる』感想(ネタバレなし)

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スタジオコロリドは世界に羽ばたけるか?

新型コロナウイルスは映画業界に広域的かつ致命的なダメージを与えましたが、実際にその災禍を経験してわかったことですが、作品タイプによってその影響の度合いも変わっています。

ことさらパンデミックにとくに脆弱であることが浮き彫りになったのが「アニメ映画」です。

もともとアニメ映画は日本の映画館を支える大事なコンテンツ。主に小さい子どもに支持される「ファミリーアニメ」、幅広い世代に支持される「大衆アニメ」、コアなマニア層に支持される「オタクアニメ」の3種類に大別されますが、どれもが局所的もしくは爆発的な観客動員力を持っています。アニメ映画がなければ経営が立ち行かない劇場もあるでしょう。

しかしその強みが逆に仇になりました。感染症予防の観点から集客力のあるアニメ映画は上映しづらい作品になってしまいます。アニメ映画によくみられる入場者特典や付随イベントもソーシャルディスタンス的には完全にアウト。さらにアニメ制作はただでさえ密集したスタジオで行われますし、今では中国などのスタッフの力も欠かせず、そもそも映画を作れないという障害まで発生。

5月・6月と日本でも新作映画公開が一気に再開されたのにアニメ映画だけはすぐに見通しが立っていないか公開が数月は出遅れているのは、そうした特有の事情があってこそ。6月18日時点ですら公開延期を発表するアニメ映画があるくらいですからね。こればっかりはしょうがないのですが、アニメ映画大国の日本にこんな弱点があるとは…

そんな状態ですから劇場公開をやめてネット配信にするという大きな決断をしたアニメ映画も登場しました。それが本作『泣きたい私は猫をかぶる』です(通称「泣き猫」)。

本作は、2018年に『ペンギン・ハイウェイ』という長編アニメ映画でこの世界に軽やかにデビューした、若々しさのあるアニメ制作会社「スタジオコロリド」の長編アニメ映画第2弾です。

日本のアニメ映画業界は戦国時代状態ですが、その中でも初陣で個性をアピールするのに成功したスタジオコロリドの行く末には注目していましたが、まさかこんな2歩目になるとは…。

でも私はこれは躓きではないと思います。むしろチャンスなのではないか、と。というのも、『泣きたい私は猫をかぶる』は劇場公開からNetflix配信へと大胆に転身したわけであり、その決定の裏には関係者の葛藤もあったと思いますが、結果的に世界中の人に作品を知ってもらう機会を獲得しました。日本のアニメ映画は今は海外の専門配給会社のおかげで諸外国のシアターでも公開されることも増えましたが、それでもしょせんは限定上映。日の目を浴びているとは言え、校庭の片隅で座っている程度でした。

それがNetflixとなると話が違います。世界に膨大なユーザーを抱えるサービス上で、オリジナル作品として積極的にレコメンドしてくれる効果は想像以上です。本作も中国語、韓国語、英語、ポルトガル語の字幕完備で一気に展開され、ここまでの拡散性は桁違いです。世界の賞レースにだって上がりやすくなるでしょうし、そうでなくともスタジオの知名度が世界的にグッと広がっていろいろな足掛かりになります。

ただでさえ固定観念から脱却しきれない日本のアニメ業界。『泣きたい私は猫をかぶる』の決断は、これからの日本のアニメ映画の戦略のひとつとして今後も検討されるべきことなのかもしれませんし、おそらく各関係者も注視しているはずです。

そんな『泣きたい私は猫をかぶる』の監督は多数のアニメ作品で功績のある“佐藤順一”と、共同監督に“柴山智隆”。脚本は『さよならの朝に約束の花をかざろう』で長編アニメ映画監督デビューもした“岡田麿里”。ヒロインの声は“志田未来”が担当しています。

物語は「青春」「猫」「ファンタジー」という割と王道なものですので万人に親しみやすい作品でしょう。世界中に知ってほしいですが、もちろん日本人にも知ってほしいところ。これを機にスタジオコロリドの生み出す創作に触れてみませんか?

オススメ度のチェック

ひとり ◯(興味あるなら気軽に)
友人 ◯(日本アニメ好き同士で)
恋人 ◯(互いに猫が好きなら)
キッズ ◯(子どもでも見やすい)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『泣きたい私は猫をかぶる』感想(ネタバレあり)

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猫かぶり依存症

夏祭りの日。出店が並び、賑やかなお祭りの空気が流れる中、中学2年生の笹木美代はやや憂鬱でした。隣にいるのは、現在は別居中の母。「美代からお父さんに話してくれない?」「お父さん、再婚するって?」などと、今はという他の女性との3人暮らしをしている自分たちの家庭環境に探りを入れようとしてきます。

そんなしつこい母にうんざりした美代は怒って祭り会場からひとり離れていき、小雨降る中、静かな夜の森をずんずん歩いていました。「こんな世界嫌いだ、滅びちゃえばいいんだ」…そう苛立ちを募らせて…。
すると人っ子ひとりもいない森の夜道で、目の前に変な奴がいます。猫? 人間? その怪しい奴は、お面を売っているような感じで、「いらっしゃい、つけてみるかい?」と語りかけてきました。

それから月日が経ち、学校に登校する美代。小学校から親友の深瀬頼子にいつものように話しかけると、ふと少し先を歩くひとりの男子を発見。近づくと「日之出・サンライズ・アタック!」と自分の尻で小突きます。それからもその男子、日之出賢人が美代を追い払うために言った「待てない」という言葉を勝手にエロボイス扱いで興奮したり、スマホで声を録音させてと図々しく頼み込んだり、人目もはばからずやりたい放題。日之出は心底ウザそうです。

頼子はそんな美代を見ながら「あんなに拒否られてるのに…完全にストーカー思考だわ…」と呆れ顔。美代は空気の読めなさを理由に同級生から「ムゲ(無限大謎人間)」と呼ばれているほど。

誰から見ても美代は日之出に熱中していることが丸わかりですが、昔からずっとこうだったわけではありません。それはあの祭りの日から始まったのです。美代しか真実を知らない出来事が…。

それを知るわけもない頼子は「哀れすぎるよ」と友達の恥ずかしい姿に無力さを感じていますが、美代は気にしません。すると近くを1匹の猫が通り過ぎ、美代は微妙な反応をします。「あれ、猫、嫌いだっけ?」「時と場合と猫による」

美代は帰宅。父の今のお相手である「薫さん」が家にいて、きなこという薫の猫もいます。美代は自室の二段ベッドの上のベッド布団の下からお面を取り出します。

一方、日之出賢人も家に帰宅。母に怒られ、姉にバカにされつつ、父の仏壇に手を合わせ、外で「太郎」という猫を探します。すると上から青い目の白い子猫が降ってきます。「お前は太陽の匂いがするなぁ」…と、日之出はその子猫を可愛がります。

子猫は時計の鐘の音を聞くと、そそくさと外へ出ていってしまいました。屋根の上を歩き、誰も見ていない中、子猫は飛びあがるとその姿は美代に

実は美代は、神出鬼没の猫店主から不思議なお面をもらい、猫になれるようになっていたのでした。これで憧れの日之出と近づける、ゆくゆくは結婚だ…。妄想が壮大に膨らむ美代でしたが、そう人生(猫生?)は上手くいきません。

思わぬトラブルが起きることになるとは、この有頂天女子には考えもおよばず…。

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日本的な猫らしい物語

『泣きたい私は猫をかぶる』は観てのとおり王道なストーリーであり、そこまで特異なオリジナリティがある作品ではありません。

なぜか知らないですけど日本人は青春学園モノのティーン作品と猫を混ぜ合わせたがります。アニメ映画なら『猫の恩返し』が『泣きたい私は猫をかぶる』とほぼ同系統の作品です。私の意見ですがおそらく猫の可愛さはもちろん、「猫はまったりマイペースで生きている存在」という認識がいつも忙しく生きる日本人的スタイルの真逆で憧れやすいのでしょうかね。大人の作品ですらも猫と組み合わせるとそういうムードになりますから。猫は日本人にはないものを持っている生き物なのかな。

逆に海外ではあまりそういう印象で猫を語ることはしないです。それよりも「姑息でずる賢い」とか「しぶとい」とか「捕食者」とか、そんな描かれ方をすることが目立つような…。文化的な違いなんでしょうか。

本作のタイトルにもなっている「猫をかぶる」という慣用句も、英語圏にはない日本特有のものであり、それも確かにそのはずです。この慣用句自体が、日本人的な性質と猫的な性質は別物ですよという価値観を前提にしていますから。

そういう意味では『泣きたい私は猫をかぶる』は日本だからこそ生み出される作品です。思春期は本音と建て前の使い分けを覚える時期。そんな年頃に「猫をかぶる」ことにハマってしまうと人生がダメになっていくというのは、大人も図星経験がいっぱいあることですし、素直な自分でいてほしいというシンプルなメッセージに行き着く。ゴールは平凡、まあそうなるよねという後味。

ただ、本作はそのゴールに至るまで過程が絵的に楽しいものになっています。猫であることがバレるかバレないかサスペンスというよりは、「私、実は猫なんですよ」という口外できない秘密を抱えたうえでの自慢行動のあれこれが楽しいコミカルさになるのが前半のポイント。

本作の主人公である笹木美代は、人によっては共感しづらいかなり特殊なキャラクター性になっているのですが、演じる“志田未来”の声の上手さも相まって、比較的受け入れられやすいバランスに味付けされていたと思います。まあ、ちょっとあれくらいの女子中学生にしては言動が子どもっぽすぎる部分は否めないですけど、複雑な家庭事情で大人の愛を受け入れられないゆえに「子ども化」していると考えれば理解できなくもないのかな。

深瀬頼子という友達の存在が良いツッコミになってくれているので、安心できるというのもありますね。あの子がいなかったら本当にただイタイだけになっていたし…。

そしてそのクセの強い人間キャラを上回る存在感を放つ猫店主がまた物語にスパイスを与えてくれます。“山寺宏一”の名演あってこそのトリッキーさで、本作はこうした各キャラのリアルとフィクションの配合が意外に上手いなと思いました。

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もっと無限大謎人間でいてほしい

その『泣きたい私は猫をかぶる』の後半から終盤のラストスパートにかけて、ここに関しては私は少し勢いが失速するというか、強引に風呂敷を畳んだ感じがして若干残念ではありました。

まず絵的な躍動感がもう1歩な物足りなさがあります。『ペンギン・ハイウェイ』のときは、街にペンギンが大量出没するという、なかなかお目にかかれない珍光景だからこその勢いの良さがありましたけど、今回の『泣きたい私は猫をかぶる』は終盤の舞台の「猫島」の見せ方が出し惜しみして終わったな、と。ダイナミックな映像をもっとたらふく見たかったけど、いろいろ厳しかったのかな…。物語自体にタイムリミット感もなく、あまりハラハラしないですよね。

本作は愛知県常滑市を舞台にしており、ここは猫の町としても有名みたいですが(「とこなめ招き猫通り」には陶器製の猫が飾ってある)、そういう地域風土を活かした世界観は良いのですけど。個人的な趣味を言わせてもらうなら、『スペースキャット』信者としては宇宙ベースの猫&青春作品もたまにはいいんじゃないか、誰か作ってくれと思ってます。

その戯言はさておき、一番気になるのは大人側とのエピソード。美代と日之出の和解は、まあ、あんなフワっとしたものでもいいのですが(中学生だしね)、大人はそうはいかないだろう、と。あそこまでギクシャクした家庭環境とどう折り合いをつけるのか。そこに関してはかなりぶん投げたエンディングでした。

どうも日本のアニメ映画のティーンを題材にした作品はそういう大人描写が苦手ですよね。そのせいか妙に大人を排除したストーリーになってしまうこともあるし…。

ああいう美代みたいな家庭は普通にいるし、それとどう向き合うかは主人公の同世代の観客だって気になることのはず。それに対して製作陣は明確な答えを結局は逃げつつ、良い話っぽく終わるのはズルいような…。せめて猫島の元人間の猫たちからの意味あるアドバイスが欲しかったですし、願わくばあの父や母、薫にも猫絡みの成長につながる互いに交差するドラマがあるとよかったな…。一番説明責任があるのは父親だろうし、もう少しこう、大人を示してほしかった…。

あと、本作における猫化ですが、設定上は毛づくろいも爪とぎもしない、毛玉も吐かない、排泄もしない…という、猫特有の生々しい現実問題は意図的に排除されています。ピュアな物語にしたかったのでしょうが、でもこの要素は上手く生かせばギャグになるし、絵的にも面白いです。せっかくならそうやって猫になることのジレンマを描いても良かったのではないか。ましてや思春期ですから体の変化だってあるわけで、なんか無限大に物語が広がる可能性はあるのにもったいなかったですね。

実はあの人間は元猫だった!とか、そういう予想外展開を連発して後半は物語を引っ掻き回すのでも良かったし、発展の仕方は無数にあったのに、全体的に無難に着地しすぎた感じは否めません(『ドクター・モローの島』みたいになってほしいわけではないですけど…)。美代もおとなしめな終わりだったので、もっと無限大謎人間で良かったのですよ? 世の中には踊り狂う猫人間とかいるんだから…(『キャッツ』の話ね…)。

オーソドックスなジャンル映画としての定番はあるので一定の需要は満たせますけどね。あと猫も可愛いし。そう、猫。猫は可愛い。でも猫だって大変なんです。あいつら繁殖期になると野良猫たちはうるさいったらないですからね。

あの私が昔見た繁殖期に盛り上がる猫たちが元人間だったら、なんか幻滅だなぁ…。

『泣きたい私は猫をかぶる』
ROTTEN TOMATOES
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IMDb
?.? / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 5/10 ★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2020 「泣きたい私は猫をかぶる」製作委員会

以上、『泣きたい私は猫をかぶる』の感想でした。

A Whisker Away (2020) [Japanese Review] 『泣きたい私は猫をかぶる』考察・評価レビュー