シャミ子と学ぶ物語論の「Exposition」…アニメシリーズ『まちカドまぞく』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:日本(2019年~2022年)
シーズン1:2019年に各サービスで放送・配信
シーズン2:2022年に各サービスで放送・配信
シリーズ構成:大知慶一郎
まちカドまぞく
まちかどまぞく
『まちカドまぞく』あらすじ
『まちカドまぞく』感想(ネタバレなし)
「exposition」とは?
私はクリエイターではないので「作品」を作る側には立っていないのですが、作品を生み出すノウハウなどにはとても興味があります。それを理解していると、作品を見て楽しむうえでも視点が広がりますから。
そんな中で今回は物語論におけるこの要素に注目します。「exposition」です。
エクスポ…なに?…っていう感じだと思いますが、単純な和訳だと「説明」という意味の単語です。しかし、ナラティブな分野だとこれはもっと別の具体的なものを指しています。
映画にせよドラマにせよ小説にせよ漫画にせよ、どんな「物語」にも「これがどういう舞台で、どんなキャラクターがでてきて、どんな背景があるのか」というおおまかな説明が欠かせません。それ抜きで物語を始めてしまうと「一体これどうなってんの?」と物語を見る側・読む側はチンプンカンプンです。なのでたいていの「物語」はそれを説明する要素が一般的には冒頭あたりにあります。これが「exposition」と呼ばれるものです。
例えば、わかりやすいのは『スター・ウォーズ』。冒頭で派手な音楽とともにデーン!と物語の背景が文章で流れてくる演出は有名です。そんな派手でなくとも、静かに最初に背景を簡単にテキスト表示して説明する演出は映画では珍しくありません。
または舞台となる最初の街並みのシーンがでてきたとき、「2010年 ニューヨーク」といった感じで時期と場所がスっと表示される。これも「exposition」です。
もっと別のやり方もあります。ナレーションやモノローグで説明するという方法です。キャラクター同士の会話内で説明することも可能です。もしくは言葉を使わずに、映像に映るニュース番組、新聞、手紙などで説明してしまうテクニックもありますよね。さらにはフラッシュバックで始まる作品も見られます。
こんなふうに「exposition」は多種多様で、いかにして楽しく創造的な方法で読者・視聴者に伝えるかというのがクリエイターの腕の見せ所です。そしてこの作品はどんなふうに「exposition」を組み込んでいるかに着目するのも面白いものです。
というわけで今回はこのアニメシリーズを「exposition」の視点で見ていきます。分析ってほどのことはしてないけど、私の感想としての「exposition」語りですね。でも「exposition」をこの作品で取り上げる人は滅多にいないと思う…。
それが本作『まちカドまぞく』です。
本作は「まんがタイムきららキャラット」にて2014年から連載されている“伊藤いづも”による4コマ漫画が原作。2019年に第1期(シーズン1)としてアニメ化され、2022年に第2期(シーズン2)が続いています。
内容は、あるひとりの女子高校生が突然ひょんなことから自分は「魔族」(作中では「まぞく」とひらがなで表記)であると告げられ、「魔法少女」を倒す使命を与えられるのですが、当人は精一杯頑張るものの、地元の魔法少女となんだかんだで仲良くなっていくという、ほのぼの日常ギャグコメディです。
本当にシリアス要素が皆無で、ず~っと他愛もないボケとツッコミが繰り広げられる、早いテンポのコミカルな作風となっています。絵柄も「まんがタイムきらら」系列なだけあって可愛さ重視ですが、中身としては可愛さを売りにするよりもシュールなトーク漫才で押し通している感じです。恋愛とかも何もないですからね(百合的な受け取り方はできるけど)。
どうしても過激でセンセーショナルな設定や映像でバズらせるのが主流になっている昨今、こんなノー“ストレス”・ノー“ショック”な作品は天然記念物として大事にしていきたいものだなとつくづく思ったりもする、今日この頃…。
アニメーション制作は『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』などの「J.C.STAFF」。
このアニメ『まちカドまぞく』を「exposition」の視点で見ても、とくに衝撃の考察とかには全くならないのですが、時間あればゆるりとお付き合いください。
『まちカドまぞく』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :疲れたときに |
友人 | :気楽にぼんやりと |
恋人 | :他愛もなく一緒に |
キッズ | :比較的見せやすい |
『まちカドまぞく』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):家庭の事情です
「ゆうこ、ゆうこよ、目覚めなさい」
女子高校生の吉田優子が布団の中から目を開けると、金髪の角が生えた奇妙な格好の存在がふわふわと宙を漂っていました。
「汝は闇の血をひくもの。この町にいる魔法少女を倒し、一族の復興を遂げるのです」
しかし、優子は「無理、眠い」と布団の中にまた潜り込みます。
日曜日の朝。再び目を覚ますといつもの自分の部屋。先ほどのは変な夢だったのか。起き上がり、妹の良子に「おはよう」と寝ぼけまなこで挨拶して、鏡の前に立つと、自分の異変に気づきます。
頭に巻き角みたいなのが生えている。それになにやら悪魔的な尻尾までついてもいる…。
パニックになりながら台所にいる母に報告しに行くと、「ついにこの日が来てしまったのね」と母はやけに冷静です。
「吉田家の秘密を話すときが来たようです。あなたたちは普通の人間の子ではないのです。吉田家は古来より闇を糧とする者、封印されし闇の一族の末裔なのです。この貧乏生活、実は私たち一族の宿敵、光の一族のせいなのです。長年の戦いの中、あらゆるパワーや運を封印され、ついでに古代の姿も失っていったのです。あげく家族4人で月4万円生活という呪いまで…」
封印が解けると金回りが良くなると言われ、優子はやる気を出します。
そのためには光の一族の巫女、魔法少女を倒し、その生き血を始祖の邪神像に捧げる…。ドアストッパーに使っていたアレが邪神像なのだとか。
母は活動開始届を暗黒役所に提出し、活動名は「シャドウミストレス優子」になりました。
こうして設定が呑み込めていないまま、町に繰り出す優子。頭が重くてふらふらしていた優子は邪神像を落としてしまい、それを道路で拾ったところ、目の前に大型トラックが…。
その車両を片手で受け止めて停止させたのはひとりの同年代くらいの少女でした。ピンク色のいかにも魔法少女みたいな姿の…。
「あの…コスプレですか?」と聞くと、「違う、魔法少女」とあっさり返答するその少女。しかも菓子パンまでくれて「これで勝ったと思うなよ」とスタコラ逃げ帰るしかできません。
月曜日の朝。登校するとクラスメイトの佐田杏里が駆け寄ってきて、角と尻尾に言及。教室でもすっかりみんな適応して受け入れてくれます。
加えて魔法少女はA組にひとりいるとのこと。名前は千代田桃。昨日助けてくれたあの魔法少女でした。杏里の情報によれば、6年くらい前に世界を救ったそうです。
いよいよ対面。噛み噛みで宣戦布告すると、「シャミ子」というあだ名をつけられ、すっかり相手のペースに乗せられ、全く勝負になりません。
そして桃は優子の腕を掴み、拳の握り方を指導。センスの無さを指摘され、優子は涙目でまたも逃げ去るのみです。
シャミ…優子の戦いはこうして始まりました。たぶん果敢に立ち向かっていくはず…。
えくすぽじしょ~ん!
アニメ『まちカドまぞく』、前述した「exposition」の要素が最もふんだんに盛り込まれているのは当然ながら第1話です。
まず開口一番、冒頭の夢の中、主人公の優子(シャミ子)はメソポタミア文明時代のご先祖と自称するリリスに語られます。ここでのリリスの短いセリフが本作のファースト「exposition」なわけですが、それを優子は睡魔に勝てずに華麗にスルー。説明は全くの無意味に終わります。
その後、起床してから自分の容姿の変化に気づき、ここで今度は母が「exposition」を担当。長めのセリフで家系の事情を解説してくれます。しかし、これも要点を押さえているようで実は結構説明不十分なところも多いです。
ただ、この主人公の優子はバカなので(明言)、わりとそのへんをスルーして話半分でホイホイと町に繰り出してしまいます。
次に出会うのがいよいよ魔法少女である千代田桃なのですが、この桃は口数が少ない性格ゆえにあまり「exposition」の役割を果たしてくれません。
そして翌日、同級生の佐田杏里が自分の知っている範囲で千代田桃の紹介をしてくれるという「exposition」サポートをしてくれます。この杏里はほんと、「exposition」補佐のためのエキストラという役割しか与えられていない、ベタなキャラクターですね。
なお、本作のナレーションは作中から推察するに優子の父親(ヨシュア)なのですが、「がんばれ、優子」と温かくコメントをくれるだけで全然「exposition」しません。ミカン箱だからな…。
こんな感じで本作は何かと「exposition」が不十分なまま物語がポンポンと進んでしまいます。
ではそのせいでつまらないのかというとむしろその逆で、この「exposition」が不十分であることがこの作品のひとつの個性であり、ユーモアを引き出す技になっています。
「それってどういうこと!?」というツッコミの余地が常に発生するので、不十分な説明状態を維持する方がテンポを保てます。
加えて本作の世界観の舞台である「せいいき桜ヶ丘」は魔法少女絡みの歴史がある町という設定なので、ここの住人はやけに魔法少女や“まぞく”に対して寛容というか受容力があって、なんもツッコんでくれませんし、説明すらしません。これがこの『まちカドまぞく』の未熟「exposition」スパイラルを加速させています。
これで物語が成り立ってしまうのはもちろん『まちカドまぞく』が「魔法少女もの」…とくに光とか闇とかの対立構図がある『魔法少女まどか☆マギカ』的なタイプのパロディになっているからであり、視聴者に「当然このお約束の設定はわかってますよね」という暗黙の了解を求めてきています。
逆にそういう「魔法少女もの」を人生で一度も目にしたこともなく、知識も1ミリもない人がこの本作を観たら、どれくらい理解してどんなふうに受け止めるんだろうか…ちょっと気になるな…。
ききかんり~!
アニメ『まちカドまぞく』は映像化してなおかつ声がついたことで掛け合いの面白さが倍増し、「exposition」のギャグ活性化作用も大活躍するのですが、本作の「exposition」の仕事は何もそれだけでは終わりません。
本作は優子と桃の親密なリレーションシップを育んでいく過程を見守る楽しさが主軸にありますが、そこでも「exposition」が意味を持ちます。
つまり、優子は自分がかつては病弱であまり社会と関われなく過ごしてきたという過去があり、一方の桃は姉(千代田桜)のこともあって魔法少女時代にあまりよい思い出がなく過去を封じ込めてきました。それを互いに少しずつ打ち明け合っていく…「exposition」し合っていくことが、本作における鍵になります。
だから本作は展開が進んで「exposition」がなされても、ギャグとしてつまらなくなるわけでもない。別の楽しさ…優子と桃の親密な関係性の育みを愛でることができる…そういう変換を提供してくれるんですね。
ジャンルの設定上は対立するのがセオリーな者同士の深い繋がりを多幸感を詰め込んで描く作品は他にもいっぱいありますけど、『まちカドまぞく』はそのへんをすごく上手く扱っていました。
第2期になると、もうひとりの魔法少女である陽夏木ミカンのエピソードが本格的に投入されたり、純喫茶あすらで働く白澤やリコといった“まぞく”の存在も加わったり、関係性の軸がどんどん枝葉で分かれて増えていき、わりと定番な面白さの成長を見せます。
長期のシリーズだと新キャラや新設定がでてくるたびにまた「exposition」が必要になってしまうというのはやや面倒なことだったりするのですけど、『まちカドまぞく』の場合は「またギャグの素材になるぞ!」とむしろご褒美な要素なので、作品が再活性化します。
良い「exposition」の循環。これが本作の心地よさの秘訣なのかもしれません。
作中で登場した優子が手にする「ナントカの杖」のように、自由自在に物語論の構成物さえもネタとして組み替えてしまい、好き勝手に弄び尽くす。こうなってしまうと無敵ですよ。まあ、肝心の優子が“まぞく”として肉体的に強くなっているわけではまるでないのですが…。
優子たちはこれからも「exposition」の技を無自覚に駆使して眷属を増やしていくことでしょう。説明なき世界が平和になりますように…。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer –% Audience –%
IMDb
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シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
日本のアニメシリーズの感想記事です。
・『デリシャスパーティ プリキュア』
・『機動戦士ガンダム 水星の魔女』
・『SPY×FAMILY』
作品ポスター・画像 (C)伊藤いづも・芳文社/まちカドまぞく 2丁目製作委員会
以上、『まちカドまぞく』の感想でした。
Machikado Mazoku (2019) [Japanese Review] 『まちカドまぞく』考察・評価レビュー