おっぱいを卒業します…映画『ペンギン・ハイウェイ』(ペンギンハイウェイ)の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:日本(2018年)
日本公開日:2018年8月17日
監督:石田祐康
ペンギン・ハイウェイ
ぺんぎんはいうぇい
『ペンギン・ハイウェイ』あらすじ
毎日学んだことをノートに記録している勉強家の小学4年生アオヤマ君は、通っている歯医者のお姉さんと仲良し。お姉さんも、ちょっと生意気で大人びたアオヤマ君をかわいがっていた。ある日、彼らの暮らす街に突然ペンギンが現れる。海もないただの住宅地になぜペンギンが現れたのか。アオヤマ君は謎を解くべく研究を始めるが…。
『ペンギン・ハイウェイ』感想(ネタバレなし)
新しい才能がここにも
動物園や水族館で最も人気の「鳥」といえば「ペンギン」でしょう。
マスコットキャラクター的な風貌(というか着ぐるみみたいな歩き方をするのですけど)で子どもから大人まで人間を虜にするこの飛べない鳥。たぶん世界で一番人間にキャラとして愛されている鳥ですよね。
そんなペンギンはなぜ「ペンギン」という名前なのか、知っていますか? 語源は諸説あるそうですが、そのひとつがラテン語で「太った」を意味する「pinguis」に由来している説です。ということは、私たちは愛を込めて「お~い、ペンギン」と呼びかけていましたけど、実質「お~い、デブ」って言っているのと等しかったのか…。なんか悪いことしたかもしれない、心なしかペンギンたちが人間を見る目つきが怒っているように見える気がしないでもなくなってきた…。
まあ、それはともかくその可愛いペンギン(体型をバカにしてないよ)がいっぱい出てくるアニメ映画『ペンギン・ハイウェイ』は、ペンギン好きはもちろんのこと、普段アニメ映画を観ない人にもオススメする良質な作品です。
アニメの国際的な映画賞である「アニー賞」にて、2018年の長編インディペンデント作品賞に細田守監督の『未来のミライ』が選ばれたのは、日本のアニメ映画クリエイターの才能が高く評価されていることを示す嬉しいニュースでした。
細田守監督は日本人を代表する世界のアニメ映画界のトップランナーなのは間違いありませんが、後続には若手の新しいランナーが実はいっぱい続いています。
そのひとりが本作『ペンギン・ハイウェイ』の監督である“石田祐康”。「スタジオコロリド」という2011年に設立されたこれまた若い現場で作られた本作ですが、“石田祐康”監督の長編デビュー作でもあります。この人は、2009年に発表した学生の自主制作作品『フミコの告白』で高く評価され、注目を集めた人物。『フミコの告白』はYouTubeで公式にアップロードされているので、ぜひ視聴してみてください。
『フミコの告白』を観ると一目瞭然ですが、とにかく疾走感に全フリしたようなアニメーションの気持ちよさが魅力的です。
その“石田祐康”監督の長編デビュー作『ペンギン・ハイウェイ』は、どんなスタートダッシュをきるか、おそらく当人も不安だったでしょうが、評価という意味では大成功だったのではないでしょうか。少なくとも既存の映画ファンを惹きつけるだけの存在感を発揮していました。
本作はまだ監督自身が本格デビュー仕立てということもあり、世界的知名度はこれからという感じですが、希望の持てる才能の登場だと私も思います。一応、カナダ・モントリオールで開催されたファンタジア国際映画祭にて、最優秀アニメーション賞にあたる今敏賞(長編部門)を受賞しましたが…まあ、このファンタジア国際映画祭というのはもともとアジア映画祭だっただけあって、相当にアジア贔屓(とくに異様に日本映画の受賞が多い)ので、あんまり客観的な評価の高さを示すものとしてあてにならない部分もあるので…。
それは置いといても、日本のアニメ映画界にはまだまだこんなフレッシュな才能も育ってきているんだということを知ってもらうためにも、視野に入れていなかった人には本作を鑑賞してみてほしいですね。
『ペンギン・ハイウェイ』感想(ネタバレあり)
ファンタスティック・ビーストとアオヤマ君
子どもを主人公にした作品というのは、その子どもの成長ステージを反映した内容になるのが基本です。
同年公開の『未来のミライ』は「4歳の子どもを主役にしたSF」でしたが、本作『ペンギン・ハイウェイ』は「9~10歳(ティーンになる直前)の子どもを主役にしたSF」といえます。
4歳の子どもはまだ「コミュニティの中の自分」を認識することも難しいですが、9~10歳の子どもともなれば自我も個性もコミュニティの中で確立しています。一方で、自分はその中でどう生きるべきかを選択し始める時期でもあります。
本作はまさにそんな成長のステップをSFを駆使した世界観とともに表現した物語です。とはいってもこの年齢の子は個性がありますから、主人公がどんな価値観を持つかで物語もガラリと変容するもの。
では本作の主人公「アオヤマ君」はどんな子かというと最初のモノローグで全て丸わかり。「僕はいろんなことを知っている」と断言し、自分の着眼点で身の回りの現象や出来事を分析し、それを書き記した研究ノートを持っている男の子なのでした。
こんな子、いるわけないよ…そう思った、そこのあなた。すみません、私もこんな子どもでした…。
さすがにあそこまでの「おっぱい」に対する執着はありませんでしたけども(必死に強調)、でもああいう風にあふれ出る自分の好奇心をノートにまとめる気持ちはよ~く身に染みてわかります。子ども時代にはインターネットも普及していませんでしたから。自分のノートが自分の知識の証なんですよね。
まあ、その、今もこうして映画を観てその考察もどきな感想をつらつらと書いている私は、大人になったアオヤマ君ですよ。きっとアオヤマ君に映画の楽しさを教え込んだら、さぞメンドクサイ“シネフィル”になっていることでしょう。
アオヤマ君の人物像は、わかる人には(恥ずかしいけど)わかる、リアリティがあります。
そういえば話は逸れますが、不思議な動物の謎を追うという意味では、アオヤマ君は『ファンタスティック・ビースト』シリーズの主人公っぽい立ち位置でしたね。
イマジナリーフレンドおっぱい
そしてもうひとつ、アオヤマ君を象徴する要素が先ほどチラっと話題にしましたが「おっぱい」への関心です。
そうは言ってもこの少年は淫らな情念に染まっているわけじゃないというところが重要。「クレヨンしんちゃん」ではないのです。なぜならアオヤマ君はまだ思春期には突入しておらず、そもそも性という概念を欲情的に認識していません(じゃあ、幼稚園児であんな状態のクレヨンしんちゃんはなんなんだという話ですけど、あれは…特殊ですよ、うん)。
なので「僕はおっぱいというのは謎だと思う」という言葉どおり、そこに裏も何もなく、純粋に不思議がっています。研究対象として見ているだけでなく、「怒りそうになったらおっぱいのことを考えるといいよ」という発言から、すでに信仰化してさえいるレベル。まさかこのまま性に目覚めることなく、大人になったアオヤマ君は世界統一元帥として「おっぱい」によって地球上の全国家を統治することになるとはこの時は想像もできませんでしたね(嘘です)。
おふざけ話はそれくらいにして「おっぱい」ですよ(まだふざけているように見える文章だ…)。
この「おっぱい」要素は前述した「9~10歳(ティーンになる直前)の子ども」を表現するうえでぴったりな題材。ちょうどこの時期が性の目覚めのスイッチポイントなのですから。もちろん個人差はあって、作中でもアオヤマ君の同級生のウチダ君はすでに性を自覚している様子でした。
そして、肝心なのが、アオヤマ君の「おっぱい」への知的好奇心はこの世の全ての男女の乳房に及ぶわけではありません。女性だけでもありません。アオヤマ君が通う(本人いわく“僕がお付き合いしている”)歯科医院のお姉さんに限定されます。
ペンギンやコウモリ、さらには得体のしれない生き物ジャバウォックを出現させる能力を持つこのお姉さん。一緒に過ごしていくうちに最終的にはお姉さんは“人類じゃない”ことが判明します。ラスト、謎の球体「海」の中に入り、ペンギンパワーで拡大していた「海」を破壊。するとお姉さんは役目を終えたように消えたのでした。
解釈は人それぞれですが、私はこのお姉さんはアオヤマ君にとっての「イマジナリーフレンド(いや、“イマジナリーおっぱい”と呼ぶべきか)」で、一種の成長にともなう卒業なのだと思って納得。もしかしたらいつかあのおっぱいを備えたお姉さんにまた会う日もくるかもしれません。でもその時は以前のように「おっぱい with お姉さん」とは向き合えないでしょう。それが大人になるということです。
次に探求するものは…
『ペンギン・ハイウェイ』はアニメ映画ですからアニメーション部分も当然語りがいのある魅力でいっぱい。
やはり本作のアニメーションの華は、おっぱい…じゃなかった、ペンギンです。
本作のペンギンはリアルで地上を歩くペンギンでは絶対に不可能な“爽快さ”全開のアクションを展開。「太った」なんて言葉に由来する名称で呼んではいけない、俊敏な動きです。お姉さんの投げた缶がペンギンになるシーンからそれは披露されていますが、白眉は終盤の巨大化し続けて世界をヘンテコに変えていく「海」に向かって、アオヤマ君とお姉さんが大挙するペンギンとともに激流のように突っ込んでいく一連のシーン。
“石田祐康”監督の疾走感の持ち味が最大限に活かされた場面で、それまでのフラストレーションを一気に爆発させる楽しさです。「ペンギン・ハイウェイ」というタイトルを気持ちよく回収するのも嬉しいですね。
個人的にはこれ以外にももっとアニメーションの勢いを見せるシーンがいろいろな形であれば良かったのですが、そこはマンパワー的な限界もあったのでしょうか。基本的にこのシーンに集約されていました。ハマモトさんやスズキ君に関してもアニメーション的なカタルシスを与える場面を用意してほしかったのもありますけど。
本作を観てあらためて思いましたけど、日本のアニメ映画界は各監督の個性がハッキリでるせいか、十人十色で実に面白いです。もしかしたら実写映画と違ってクリエイター側がコントロールできる範囲が広く、大人の事情な“制約”が少なめだったりするためなのかな? だとしたらいいのですが。少なくともアニメ映画は実写映画とは全く文脈も創作の土壌も違うので、全然異なる面白さがあって、そこがアニメ映画にハマる人の魅了されるポイントなんですよね。
ただ、まだ“石田祐康”監督の作家性を濃厚に語れるほどの材料は乏しいので、今後も個性をフルに発揮して新しい作品を作っていってほしいところ。ここまでの実績を残せば、さらにステップアップするのは難しくないでしょうし、観客としてはワクワクして待ってます。映画配給もぜひ世界レベルでしっかり展開していってほしいですね。きっとまだ生まれたばかりのペンギンのヒナみたいなものです。これから大冒険して大海原に出ていくことでしょう。
知識だけでは理解できない「何か」に気づくことができ、ひとつの成長を経験して、物語の最後には「海」に消えたはずの探査船を見つけたアオヤマ君。彼は次に何を探求し、大人になった時、どんな人間になっていくのでしょうか。
大丈夫、おっぱいの他にも魅力的なものはあるからね(意味深)。
エウレカ!
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience 40%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 6/10 ★★★★★★
(C)2018 森見登美彦・KADOKAWA/「ペンギン・ハイウェイ」製作委員会
以上、『ペンギン・ハイウェイ』の感想でした。
Penguin Highway (2018) [Japanese Review] 『ペンギン・ハイウェイ』考察・評価レビュー