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ドラマ『セックス・エデュケーション』感想(ネタバレ)…誰でも性のドラマがある

セックス・エデュケーション

誰にでも性のドラマがある…ドラマシリーズ『セックス・エデュケーション』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:Sex Education
製作国:イギリス(2019年~2023年)
シーズン1:2019年にNetflixで配信
シーズン2:2020年にNetflixで配信
シーズン3:2021年にNetflixで配信
シーズン4:2023年にNetflixで配信
原案:ローリー・ナン
製作総指揮:ジェイミー・キャンベル・バウアー、ベネディクト・テイラー ほか
性暴力描写 セクハラ描写 イジメ描写 動物虐待描写(ペット) LGBTQ差別描写 性描写 恋愛描写

セックス・エデュケーション

せっくすえでゅけーしょん
セックス・エデュケーション

『セックス・エデュケーション』あらすじ

友達すらもほぼいない高校生のオーティス・ミルバーンは、当然のように性体験も全くなかった。しかし、実は彼の母親はセックス・セラピストであり、オーティス自身も性に関する知識だけはどの同年代の子よりも詳しかった。ある日、学校のはみ出し者であるメイヴに誘われるかたちで、生徒たちの性の悩みを聞くセックス・クリニックを密かに始めることになってしまい…。

『セックス・エデュケーション』感想(ネタバレなし)

性教育を学べる画期的ドラマ

突然ですが、皆さんは学校時代にどんな性教育を受けましたか?

いきなり何を聞いているんだと訝しげに思ったかもしれませんが、今回はこれがテーマです。

たぶん世代によってその答えは全然違うものになるでしょう。私は小学校高学年に性教育(そう大々的に掲げられていなかったと思いますが)の授業がありました。男女別で分けられて、異様にソワソワした通常授業とは明らかに違う空気の中、いつもの先生から性の話を聞いたものです。

そして大人になった今なら断言できます。あの時の性教育は全然役に立たなかった…と。そもそも当時の性教育という肩書で行われた内容は、それこそ例えるならば性に関する用語を辞書で引いてその説明を読んでいるだけのような、極めて表層的なものでした。「ふ~ん、で?」で終わってしまう、全然現実問題に直結しない知識。今ならWikipediaの方がまだ詳しいです。

おそらく現在の子どもやティーンたちはもう少しマシな性教育を受けている…と信じたいところですが、残念ながら日本の性教育は海外と比べても絶望的に低レベルだと専門家からも指摘されています。

でも教員を責める気にもなれません。なぜならその教員や親である大人でさえもろくな性教育を受けていないのですから。つまり根本的に欠けているわけです。

こうなってくると「逆に高水準な性教育って何?」と疑問に思うものです。そもそも性教育とは何を教えるものなのか。子どもの作り方? 避妊の方法? 性感染症の恐ろしさ?

性教育とは何かを教育してください!という初歩に立つ私たち日本社会にとって、とてもぴったりなドラマシリーズが登場しました。それが本作、その名もズバリ『セックス・エデュケーション』です。

物語は、とある男子高校生が学校で性のお悩み相談を始めるというもの。この主人公は童貞(しかもマスターベーションの経験すらないという次元)ですが、母親がセックス・セラピストという性の専門家であるゆえに、性の学術的な知識だけは豊富にあります。そんな偏った性リテラシーを持つ少年が、なんだそれという悩みから、人生に関わる深刻な悩みまで、あらゆる性の疑問を解決すべく奮闘する。この設定を聞いただけでも面白そうと思うのではないでしょうか。

学校を舞台する作品ならば性の話題は避けられないものですが、ここまで王道な青春学園ドラマと「性」というトピックを巧みに合体させた作品はないような…。

「性教育」という意味の直球なタイトルですが、説教臭さは全くなく、ほぼドタバタ青春コメディです。悩んでいる本人には悪いですが、爆笑してしまうシーンも多々ありますし、一方でスカッとする場面やハッとさせられる場面もあって、本当に多才な色を持っています。性と言ってもドラマシリーズ『ユーフォリア』のような“シリアスなヘビーさ”はないと思ってください。

そして何よりもあらゆる観客層にオススメできます。ジェンダーもセクシャリティも年齢も人種も学校での立ち位置も関係ありません。みんな“性の悩み”を持っているということ。性は普遍的だ…ということがハッキリ伝わる作品です。

『セックス・エデュケーション』はイギリスのオリジナルドラマで、その原案者となる創造主は“ローリー・ナン”という女性で、キャリア自体はまだ浅い方みたいですが(本作で名が知れた)、素晴らしい才能の持ち主だなと私も関心しっぱなし。これは伸びますよ、今後。

主人公を演じるのは『僕と世界の方程式』『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』『キミとボクの距離』など無垢な少年役でおなじみの“エイサ・バターフィールド”。『セックス・エデュケーション』の彼は文字どおり赤裸々に大奮闘しており、キャリアを更新する魅力です。

他にも若手俳優の顔ぶれは多彩で、必ず好きな俳優が見つかるはずです。大人陣で言えば、『X-ファイル』でおなじみの“ジリアン・アンダーソン”が主人公の母親役で登場。彼女もまた印象的な存在を全開にしています。

『セックス・エデュケーション』というストレートすぎるタイトルに視聴を気後れしている人は、性というものに抵抗感がある証拠。まさにその性への心理を描く作品ですし、観ればきっと「なんでそんな気にしてたんだろう」と肩の荷が降りるでしょう。

性は恥ずかしいけど恥ずかしくないです。それは笑いと感動のドラマの出発点ですから。

性教育の一環として上映したくらいの作品です。

オススメ度のチェック

ひとり 5.0:ひとりで悩むことはない
友人 5.0:友達同士で性を語ろう
恋人 5.0:恋人同士で性を語ろう
キッズ 5.0:ティーンになってから必見
↓ここからネタバレが含まれます↓

『セックス・エデュケーション』感想(ネタバレあり)

良い意味で性が乱れ舞う登場人物たち

『セックス・エデュケーション』の登場人物は本当に多様です。舞台はイギリスの田舎町らしく(撮影はウェールズらしい)、人口はそこまで多くなさそうです。主人公たちが通うムーアデール高校もおそらくあの地域唯一の学校で、周辺に住む子どもたちが集まってきます。結果、とてもバラエティに富んだ生徒たちがいます。

生徒の人種や経済状況もバラバラで、一見するとすごくリベラルな学校ですが(日本人からだと余計にそう見える)、そうとも限りません。こういう学校環境がリアルのイギリスの田舎にあるのは私は知りません。ただ、ここまで多様なのはダイバーシティ時代に配慮したからというよりは、本作が“教育として全方位に有用でない”といけないからなんだろうなと思います。あと、特定の地域に設定してリアリティを重視すると、性やLGBTQに関する国や州の規制、実在の団体などを気にしないといけないので何かと不都合なんでしょうね。

そしてどのキャラクターもみんな個性があり、多少誇張されつつも、リアルな長所と短所を抱えており、親近感が沸きます。鑑賞者は「自分はこの人に重なるな~」と共感相手を見つけるのもそんなに難しくないはずです。

オーティス;童貞、陰キャ、性博士?

主人公のオーティス・ミルバーンは、言ってしまえば“陰キャ”タイプ(ただこの目立たない性格が相談しやすさにつながっているのが皮肉)。友達は幼馴染のエリックだけ。家は割と裕福そうに見え、街から少し離れたところに大きな家があります(あんなところに住んでみたい)。そんな彼はセックス経験はないどころかマスターベーションができないという心理的な悩みを抱えています。その理由のひとつは両親の離婚の原因となったのが“性”だから。父レミはアメリカで暮らし、今は母親でセックス・セラピストのジーンと母子家庭。オーティス自身のセクシャリティは、ストレートでシスジェンダーのようです。

エリック;陽気の裏で恋に悩むゲイ

そのオーティスの昔からの友人がエリック。陽気で明るくムードメーカーですが、学校ではどちらかといえばオーティス側(トロンボーンというあだ名でバカにされる)。彼はオープンリーなゲイですが、恋人はおらず、積極的ながらもその一歩を踏み出せずにソワソワ。信仰深い大家族で育ち、ゲイであることも許容していますが、とくに父は息子がゲイとして生きる未来に不安を抱えているようです。そのエリックに二人の男子がアプローチしてくることに…。三角関係に純粋に葛藤するゲイをここまで素直に描写してくれたのも嬉しいところ。

メイヴ;性と家族の足枷に苦しむ優等生

オーティスにセックス・クリニックをさせて小銭を稼ごうとするのがメイヴ・ワイリー。彼女は校内では“ビッチ”扱いで性の噂が絶えませんが、実は真面目な文学秀才少女で、フェミニストでもあります。しかし、家はトレーラーハウスで貧乏。母エリンは薬物依存症、兄ショーンも非行に手を染めています。性と家族が人生のネックになっているのはオーティスと同じですが、メイヴの孤独さはまた別次元ですね。

エイミー;バカ女だからって…

そのメイヴの数少ない親友となるのがエイミー。女性的な発育がよく、性的な魅力に溢れる彼女はカレシ不足になることなし。ただ、のほほんとしている性格もあってあらゆる意味で流されがち。勉強も得意ではないですし、性知識もたいしてない。メイヴと正反対ですが、素直な言動が彼女の心を開きます。そしてスティーブという、身体ではなく内面を見てくれる素敵な恋人に出会いますが、彼女の純真さを弄ぶ別の悪意が襲い、エイミーの心に傷が…。

リリー;ファイナル処女ファンタジー

本作の中でも一際インパクト大なキャラクター性を持つリリーは、いわゆるメルヘン腐女子。マニアックなSFセックス漫画を描いたり、「ロミオとジュリエット」のセックスバージョンを作ったり、クリエイターとして大暴れ。そんなリリーは性経験がなく、創作のためにセックスをしようと猪突猛進。オーティスとは真逆なヴァージン・ティーンです。

オーラ;絆が思わぬ愛を繋げる

オーティスの家に修繕としてやってきやヤコブがジーンと良い関係になる中、そのヤコブの娘で、ムーアデール高校に転入してくるオーラステレオタイプなジェンダーをあまり感じない、落ち着いて自分らしさを自然に放つオーラは、独特な存在感。そして彼女にも自覚していなかったセクシャリティがあり…。

アダム;全てがヘタクソなアホ犬

いじめっ子的な存在に見えつつ、実は学校で孤立していたアダム。グロフ校長の息子でありながら、成績もダメ、行動も注意散漫、対人関係も衝突しがちと、劣等生扱い(なぜか犬に好かれる)。作中では言及されませんが、彼はADHDの傾向があります。そんなアダムがバイセクシュアルという自分のセクシャリティと不器用に向き合う過程は心を打ちます。私は一番好きなキャラかも…。

ジャクソン;泳がされる人生ではなく

学校で最も文武両道な優等生として評判のいいジャクソン。しかし、彼はその表向きの期待がプレッシャーになっており、加えて両親(レズビアン)の仲の悪さも相まって、自分らしさを喪失。恋に逃げますが、そこでも自分を優等生に見せるしかできないのが悲しい。学級委員長タイプの生徒が本当にしてみたい学生生活は送れるのか…。

他にも個性豊かな面々が多数

これ以外にも魅力的な登場人物はいっぱい。生徒ならば、学校一番のお嬢様型“上から目線”ガールのルビー、そのルビーの二番手として若干こき使われているオリヴィア、これまた“上から目線”なボーイでありながら影で性への不安を抱えるゲイなアンワルなどなど。

シーズン1:コミュニケーションの大切さを描く

『セックス・エデュケーション』シーズン1は、お約束のキャラクター紹介要素多めながら、その紹介が性の悩みを主軸に描かれ、オーティスによって解決されていく姿が気持ちいいです。

しかし、単純な「Q&A」では終わりません

例えば、ペニスがデカイことが不安になり、本番で上手く勃起しないゆえに、バイアグラを誤って服用し大変なことになったアダム。だからといって彼に正しいバイアグラの使い方を教えるわけではなく、彼の心の奥底にある重圧(主に家族)と向き合わせるきっかけをつくる(まあ、最初は完全にそれが暴走して大失態になるのですが)。

フェラチオの際に嘔吐するというオリヴィアには、なぜそこまでフェラにこだわるのかという心を整理させる。

セックスのときに電気を付けるか付けないかですれ違うケイトとサムのカップルには、性行為はひとまずさておき互いの好きな部分を確認させて気持ちを共有する

要するに回答ではなく、ちゃんとセラピーをしています。そしてなにかと特殊扱いされがちな「セックス」ですが、実際は人間関係を繋げる「コミュニケーション」の一種に過ぎないと教えてくれます。食事をするとか、買い物に行くとか、映画を観るとかと同じ。親交を深めるひとつの方法です。

スティーブとセックス中に「本当はどうしてほしい?」と聞かれ困り果てるエイミーのように、セックスが一方的なモノだと勘違いする人は男女ともに多いもの。でもそうじゃない。セックスは対話で成り立つ行為であり、だから同意が要ります。それがないと不満足になったり、ストーカーになったり、最悪の場合はレイプです(友達と遊びに行くときも同意を得るように、何も特異な話ではなくコミュニケーションでは普通のことです)。

一方、性とはなかなか縁がない人もいます。コミュニケーションが苦手な人ですね。リリーのように処女卒業を焦るあまりの膣痙攣にぶちあたるとか(「ヴァギナが私を裏切る」のセリフがシュール)、童貞と思われたくなくてセラピーを受けたふりをする生徒も出てくる。

でも、そうだとしても恥じることではない。それはコミュ障(障害)ではない。愛する相手に出会うのに早いも遅いもない。

「セックス・エデュケーション」ならぬ「セックス・コミュニケーション」な本作ですが、それこそ性の本質に迫ることでした。

シーズン2:逆転が突き刺さる

『セックス・エデュケーション』シーズン2はシーズン1から想定されるストーリーを結構華麗に裏切る物語でありつつ、テンプレからの脱却を図り、さらなるテーマの深掘りをする素晴らしい展開でした。正直、そうきたかと舌を巻くことだらけ。やられた…。

まずシーズン1で、あれだけオナニーの達成というオーティスのカタルシスを描き切ったのですから、これはシーズン2は順当に考えれば童貞卒業がゴールなのかなと普通は推測します。実際、それはよくある童貞卒業モノ作品の定番です。ところが本作のシーズン2では、オーティスが初セックスするにはするのですが、マスターベーションのときと違ってそこに感動を用意しません。

どっちつかずな態度でメイヴともオーラとも破局したオーティスは自暴自棄になり、自宅で開催した“ささやかな祝いの会”で泥酔して大失態。しかも、なりゆきでルビーとセックスしたらしく、自分では全く覚えていないままに童貞を卒業。翌日、アフターピル購入に奔走し、ただただ惨めな後悔の感情に沈む…。

この展開も上手いなと思うのが、これによって「童貞卒業=男らしい」みたいな既存のマスキュリニティに迎合しない作品になっているということ。

シーズン2はこの「男らしさ」との向き合いがひとつのテーマです。シーズン1の1話で「エディプス・コンプレックス」という言葉がオーティスの口から母のセフレ相手に偉そうに飛びだすのですが、まさにシーズン2のオーティスはそれがブーメランになって自分に刺さります。「エディプス・コンプレックス」というのは「母親を手に入れようとし、父親に対して強い対抗心を抱く」というフロイトが提示した概念のこと。オーティスは母と父に(母の恋人ヤコブとも)向き合うことを要求されます。

また、従来の“教える側”が“教えられる側”に逆転しているのも印象的です。例えば、ラヒームはアンワルにアナル洗浄の方法を解説し、ウォーキング・デッドなクラジミア騒動を解決する情報を提供するのはメイヴでした。そもそもシーズン1の従来形式だと、オーティスなら下手すればマンスプレイニングになりかねませんし、ジーンなら学者特有の上から目線に陥る側面がありました。

これはすなわち性教育に限らない「教育」の在り方への問いかけですよね。一方通行の押しつけでは教育にならないよ、と。最終話の劇に怒りで介入したグロフ校長の失態は、まさに間違った教育の醜さの象徴です。とにかくシーズン2は“教える側”が間違える展開が多いです。

そんな既存の“教える側”勢の退場の中、女子たちのシスターフッドが輝くシーズン2第7話は特別な感動があります。シーズン1の5話でのルビーの性器画像流出事件における「私のヴァギナです」展開も心を打つシスターフッドでしたが。ちなみにあのエイミーのバスでの精液をかけられる事件。原案のローリー・ナンの実体験を基にしているそうです(バスに乗れなくなるトラウマも含めて)。またエイミーを演じた“エイミー・ルー・ウッド”も、電車で同様のセクハラを経験したとか。というか、作中でも言っていますが女性ならこのような性被害を大小問わず直面しているわけで。“同意なきペニス”に学術的知識なんて知ったことかと連帯で解決と抵抗を示す女子たちの姿は、痴漢大国日本にとっても痛烈なエデュケーションになったのではないでしょうか(なるべきです)。

個人的にはお気に入りのアダムの結末にウルっときます。ずっと孤独に仲間外れとなってきたアダムの最初の友達。それがパンセクシュアル(全性愛)のオーラというのも気が利いているなぁ。シーズン1の1話の「I’m owning my narrative!」(俺の物語だ)のセリフはまさかシーズン2ラストで結実するとは…。

ジャクソンとヴィヴの友情とか、シーズン2では性関係ありきではないフレンドシップが描かれるのがまたいいですね。

上手くいったコミュニティもあれば、ディスコミュニケーションが不吉な後味を残した人もいる。これからどうなることやら…。

シーズン3:人は“性”でも助け合える

※シーズン3に関する以下の感想は2021年9月20日に追記されたものです。

『セックス・エデュケーション』シーズン3はこれまで以上に「性」をテーマに恥も外聞も捨ててフルヌードで突き進んでいっていました。各キャラクターもどんどん掘り下げられ、これまでにない一面が見えたり、新しい関係が生まれたり…。

個人的に良かったところをピックアップしていくと、やはりまずはシーズン3で初登場のノンバイナリーキャルですね(演じている“デュア・サレー”もノンバイナリー)。クィアの居場所であったトイレが取り壊され、学校がますます規範化していく中で、ジェンダー二元論に向き合う「they」なキャル。ジャクソンと良い関係になるも踏み込めない。自分でも自分を理解している最中でまだわからない。この曖昧な姿勢、当事者には痛いほどよくわかる。そんな中で同じくトランジションに悩むレイラに最後はアドバイスしてあげる。本作の肝である「人は性でも助け合える」ということを体現していましたね。

次に、エイミー。エイミーは前シーズンで性暴力を受けてひとまず女子の連帯でその場は済んだのですが、本作はしっかりサバイバーのその後のケアについて描いているのが良くて。被害者は何も悪くないということを認識し、持ち前の受容力で少しずつ進んでいく姿は勇気をもらえます。母との確執に悩むメイヴとの関係も最後は上手くまとまって涙がウルウルきます。メイヴと言えばアイザックとの身体障がい者のセックスがちゃんと描かれていましたね。

そして私が大好きなアダム。彼は男らしさに固執しているというよりは(それは父グロフの方なのですが)、やはりADHD的な言動が見られ、ゆえにコミュニケーションも学業も苦手なのですが、アダムもまた自分なりのペースを見つける。エリックとの別れはツライですが、大好きな犬と一緒に達成感を見い出すアダムに私は保護者気分で拍手です。

エリックはナイジェリアでルーツを見い出すのですが、まさか本作でそんな舞台が描かれるとは…。でも大事ですね。LGBTQは欧米白人文化だと思われやすいので。

それにしてもルビーとかラヒームとか、魅力や醜態が掘り出されていったキャラクターたちも面白かったです。

あとは新校長のホープ。「セックス高校」の汚名を返上すべく禁欲教育・制服・校則・ヴィヴィアンの利用などの強硬手段に出るわけですが、こういうインターセクショナリティをないがしろにする白人女性フェミニストをZ世代の「敵」と設定する作品、『The Wilds(ザ・ワイルズ 孤島に残された少女たち)』でもそうでしたけど、これもまたトレンドかな。

それでも最終話ではホープの不妊治療に取り組む苦悩…「私は出来損ないだ」という劣等感が見えていき、そしてそれをセラピーするのがオーティスという、素晴らしい着地を見せました。オーティスは本当にシーズン3でも不甲斐ない場面の連続でしたが、やっとセラピストとしての誇りを取り戻しましたね。立場がまるで違っても、人は性でも助け合えるのです。

最後に廃校の危機という最大の問題が残りましたけど…。これもLGBTQ題材の作品はスポンサーを集めにくいというクリエイティブ事情に対するメタ的な風刺になっているようですけどね。よし、エイミーの外陰部ケーキと、リリーのSF(セクシー・ファンタジー)のフランチャイズで儲けよう。

シーズン4:性に卒業はない

※シーズン4に関する以下の感想は2023年9月29日に追記されたものです。

『セックス・エデュケーション』はシーズン4でついにフィナーレ。だからなのかかつてない大盤振る舞いです。

まずこれまでの舞台のムーアデール高校が廃校になってしまい、生徒はバラバラになり、一部の生徒はドラマから離脱(まあ、これは俳優のスケジュール調整の難しさなど大人の事情もあるんだろうけど)。

そこで新しい舞台となったのが、キャベンディッシュ・カレッジという学校で、これがまためちゃくちゃクィアフレンドリーで先駆的な教育空間なんですね。レインボーフラッグとトランスジェンダー・フラッグがたなびき、生徒の自主性が何よりも尊重されています。どれだけ予算あるんだよってくらい…(なお、外観はウェールズにあるセント・フェイガンズ国立歴史博物館の一部建物だそうです)。

ここでも群像劇がひしめき合います。

エリックはクィアなアイデンティティと信仰の狭間で揺れ動き悩みます。エイミーは性被害の克服を芸術で達成し、アイザックと付き合うことに。車椅子のアイザックはこの先駆的な学校でも障がい者が排除されているという偽善に声をあげます。ヴィヴはボーという理想の恋人を見つけたと思ったらそいつは支配欲丸出しで、そこから飛び出します。ジャクソンは遺伝病気疑惑をきっかけに父の存在に向き合います。ルビーは一転して新学校で孤立し、過去のトラウマの相手に直面します。

この学校にいない人もいます。メイヴはアメリカのウォレス大学に留学するも、依存症の母の死という出来事に追い詰められ…。退学したアダムは性的指向を両親にカミングアウトするもまだ公にする勇気がでず、牧場で馬と生活する中、かつての恋人エリックから励まされます。

産後うつに苦しむジーンの、幼い頃に母のカレシに性的虐待を受けた経験を引きずる妹ジョアンナとの和解。臨時教員となったグロフ元校長の家庭復帰など、大人勢も味わい深いです。

今回のシーズン4で印象的なのは、トランスジェンダーアセクシュアルの表象ですね。

シーズン4はトランスジェンダー、とくに性別移行(トランジション)の重要性が描かれます。アビーローマンという2人のトランス・カップルがいる中、前シーズンから登場したトランスマスキュリンでノンバイナリーなキャルはなかなか思うようにいかないトランジションに不安を蓄積。でも現在のイギリスは反トランスジェンダーが吹き荒れているわけですから、その情勢でこんなドラマを作る価値は本当に大切です。ちなみに今回のシーズン4でライターに参加した“クリシュナ・イスタ”もトランスマスキュリンでノンバイナリーな人物だそうですPinkNews

そしてアセクシュアル表象。アセクシュアルのキャラ(フローレンス)は以前にもほんのわずかに登場していたのですが、やはりあの一瞬では不評でしたから、今回はガッツリ新キャラで描かれます。それがオー(O)です。

セックス・セラピストを目指すオーティスのライバルとして立ちはだかるオー。名前が似ているだけでなく、実は裏表の存在。セックス恐怖症であるオーティスに対して、オーはアセクシュアルですからね。これはつまりアセクシュアルはセックス恐怖症とは違いますよ…という提示でもあります。

後半、オーは自分がアセクシュアルとしてプレッシャーを感じていたので性について自主的に学んだと孤独を打ち明けます。これほどクィアフレンドリーな学校でもアセクシュアルは孤立している…これはこれでエースらしい体験のエピソードだと思います。

このオーの表象については、クィアの人々や有色人種が不釣り合いに悪者であるというステレオタイプではないかという批判的指摘もありますがVulture、主人公オーティスにとってメイヴが抜けた今、新しいセラピスト・パートナーとなりうるのがオーであり、オーは単なる嫌な生徒というよりは本作のテーマである「性教育」の未来を象徴するキーパーソンなんじゃないかな…とも考えられますね。

欲を言えば、オーの物語をもっと掘り下げて欲しかったですし、Aスペクトラムの仲間を見つけるシーンもあると良かったです。

ということで『セックス・エデュケーション』を総括すると、性を描く青春学園ドラマのジャンルのマイルストーンになるようなエポックメイキングな作品として堂々と記録に残ったと言えるでしょう。包括性を重視するゆえにキャラを乱立してごちゃごちゃするという性質的欠点もチラ見えしましたが、新しく開拓した成果のほうが断然大きいです。

これからの同ジャンル作品は『セックス・エデュケーション』と比較されるのは避けられないですね。

性教育に卒業はありません。永遠に学び続けましょう。

『セックス・エデュケーション』
ROTTEN TOMATOES
S1: Tomatometer 91% Audience 94%
S2: Tomatometer 98% Audience 92%
S3: Tomatometer 98% Audience 88%
S4: Tomatometer 92% Audience 35%
IMDb
8.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 9/10 ★★★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Eleven Film, Netflix セックスエデュケーション

以上、『セックス・エデュケーション』の感想でした。

Sex Education (2019) [Japanese Review] 『セックス・エデュケーション』考察・評価レビュー