今ならもっと闘えるはず…映画『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:韓国(2023年)
日本公開日:2025年3月14日
監督:ハン・ジェイ
性暴力描写 イジメ描写 自死・自傷描写 児童虐待描写 LGBTQ差別描写 恋愛描写
わたしたちはてんごくにはいけないけどあいすることはできる
『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』物語 簡単紹介
『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』感想(ネタバレなし)
韓国のレズビアン映画史にまたひとつ
世界各国のLGBTQIの権利の進み具合の尺度を提供・整理している「Franklin & Marshall Global Barometer」によれば、「A」から「F」のランクのうち、現時点で最新の2022年のデータでは、韓国は「F」となっています(日本も「F」です)。
同性愛についてみていくと、日本と同じく韓国は同性同士の結婚が法制化されておらず、韓国ではとくに大衆の受容も低く、2021年の世論調査では国民のわずか38%しか同性婚を支持していません(NBC)。保守的な政治家やキリスト教ロビー団体がその最大の障壁です。
そのうえ、同性愛者の中でもレズビアンやバイセクシャル女性など女性同士の恋愛をアイデンティティとする当事者は、同性愛差別に加えて女性差別も受けるわけで、抑圧は過酷です。
そんな韓国では、女性同士の愛を描くサフィックな映画やドラマなど映像作品の歴史はどうなってきたのでしょうか。
韓国初のレズビアン映画とされているのは“キム・スヒョン”監督の『Ascetic』(1976年)ですが、エロティックなジャンルのいち形態でした。そこから『少女たちの遺言』(1999年)、『Bongja』(2000年)、『恥ずかしくて』(2010年)と少しずつ増えていきました。2010年代以降は、『私の少女』(2014年)、『お嬢さん』(2016年)、『ユンヒへ』(2019年)など当事者からも支持される映画も目立ち始めました。『キル・ボクスン』(2023年)などジャンルの中で当事者の苦悩が盛り込まれるエピソードも観察できたり…。

2020年代はドラマシリーズの業界でも盛り上がりをみせました。2021年のドラマ『わかっていても』やドラマ『Mine』(2021年)は当事者の間でも愛されました。最近は2024年のドラマ『照明店の客人たち』でもレプリゼンテーションが確認できました。
ざっと作品タイトルを並べただけですが、ここ20~30年間だけでも、女性同士の恋愛はいかに非当事者向けの「消費」から当事者のリアルな「現実の表象」へと変わっていったか(もしくは変わろうともがているか)がありありと伝わってきます。
その歴史を踏まえつつ、今回紹介する映画は、韓国のレズビアン映画史に加わる大切な一作となるのではないでしょうか。
それが本作『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』。
本作はインディーズの韓国映画ということで、2023年に映画祭でお披露目となりつつ、韓国本国での劇場公開は2024年10月になってからと遅めでした。
物語は1999年の韓国を舞台にしており、ひとりの女子高校生がある別の少女と出会い、恋愛関係に発展していく姿を描いています。それだけだと青春学園ラブストーリーですが、本作では学校内における体罰やイジメなどの問題、さらには未成年への性暴力など、フェミニズムなトピックを網羅的に取り上げており、同性愛への抑圧も含め、当時は蹂躙されるしかなかった若者たちの苦悩が詰まっています。
『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』を監督するのは、2020年に同じく女性同士の恋愛関係を描いた『Take Me Home』を手がけた“ハン・ジェイ”です。
下記でも警告しているとおり、辛いシーンが多いので鑑賞の際は留意が必要ですが、人によっては心に刻まれる一作になると思います。
それにしても邦題がちょっと長いので言及しづらいのが難点ですね…。英題は「No Heaven, But Love」と短いのに…。なんか良い略称、あるのかな…。
『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | 同性愛への抑圧が描かれるほか、未成年への体罰、イジメ、性暴力、誘拐、自殺未遂などの描写があります。 |
キッズ | 上記の子どもへの暴力行為の生々しいシーンが多いので、子どもには鑑賞は不向きです。 |
『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
1999年の韓国。ある学校の体育館ではテコンドー部の女子生徒が汗水流して練習に励んでいました。そこにコーチの男性が入ってきて、女子生徒たちは手を止め、礼儀正しくお辞儀をします。コーチは淡々と練習を続けるように指示します。
続いて、女子生徒が代わる代わる体重計に立って計測する中、コーチは個々で厳しく指導していきます。女子生徒たちはただ従順にその言葉を受け止めます。
ジュヨンもそのひとりでした。しかし、彼女だけが体重が足りずに期待に応えられず、連帯責任で他の部員も腕立て伏せの姿勢で棒で叩かれて罰を受けます。
その部活後は、不甲斐ないジュヨンに恨みを溜め込んだ部員たちがジュヨンを校舎裏で取り囲んでイジメます。ジュヨンはなんとか逃げ出すしかありません。
帰宅。ジュヨンの母は未成年犯罪者専門のカウンセラーで、日夜懸命に働きづめとなっていました。ある日、更生や社会復帰のための家庭体験計画の流れで、このジュヨンの家にその対象の子がひとり来て、しばらく泊まると聞かされます。
その資料にあった写真には、ジュヨンがよく行くファストフード店で働いていた少女の顔が掲載されていました。男子の友人ミヌが片想いしている子で、以前にミヌに頼まれてレジで働いているその子に連絡先を紙で渡したこともありました。名前はイェジというそうです。
別の日、ジュヨンは試合でコーチから負けるように指示されますが、思わず勝ってしまい、ロッカールームでコーチに踏みつけられる暴力を受けます。誰にもその苦しさを打ち明けることができず、耐えるしかできません。
ジュヨンはまた他の部員から暴力を受けていましたが、路地裏でのその現場をアルバイト中のイェジがたまたま目撃。そのとき、警察のサイレンのような音が聞こえてきて、部員たとは逃げ出します。それはイェジがオモチャで警察のサイレンを偽装したものでした。
その助けてくれたイェジがついに家に来ます。寝室を共有することに少し気まずさを感じてたジュヨンは、自分だけリビングで寝ると申し出ます。
そんなぎこちない出会いの2人でしたが…。
誰が何と言おうとそれは恋愛

ここから『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』のネタバレありの感想本文です。
『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』の主人公であるジュヨンを演じるのは、『はちどり』で素晴らしい名演をみせていた“パク・スヨン”。そしてそのジュヨンが惹かれていくことになる少女イェジを演じるのは、ドラマ『イカゲーム』やドラマ『今、私たちの学校は…』でも話題沸騰となった”イ・ユミ”。
2人の出会い、そして馴れ初めから恋愛感情を自覚し、徐々に関係を深めていく過程の描き方は、とてもみずみずしくセンチメンタルなものでした。この2人の俳優の相性も抜群で、両者ともに繊細な演技が卓越しているので、ずっと見ていられます。
この2人の親密さを過度に「理想化された少女像」の中における「女の子たちの戯れ」という「可愛らしさ」のタイプとして消費することなく、しっかり「同性愛」なのだということを意識した作りにもなっていたと思います。
最初の意識的な出会いがあくまで男子の友人(本作のコメディリリーフ)であるミヌの片想いのアシストから…というのも良くて、あの他人の告白めいたアプローチが結果的にジュヨンからイェジへの好意の間接表明になってしまい、家でのドキドキな同居になって…と、こそばゆい女子2人の関係性の構築は、観ていて微笑ましいです。
ミヌとソンヒも連れての4人での田舎休暇を過ごすパートは、非常に心地よい空気に包まれていて、2人の初めてのキスといい、余計な邪魔もなくホっとできます。
この青春クィア・ロマンスだけであれば、なんて幸せにこの映画を観終えることができたのだろうと思うのですが、本作は残酷な現実も直視させます。
ジュヨンとイェジの恋を阻む存在…まずその身近な障壁はジュヨンの母です。この母はクリスチャンということで、韓国におけるキリスト教の保守的な圧力を体現しています。同時に非行の未成年を更生させるカウンセラーということで、同性愛を矯正しようとする社会規範も象徴しています。
「恋愛じゃなくて友情でしょ?」とか「依存しているだけだよね?」とかそういう思春期のレズビアン当事者に真っ先に向けられやすい周囲の反応に対して、この映画はタイトルのとおり(エンディング・クレジットの歌詞でも)明白に「これは愛です」と言い切っている。でもそれがこの異性愛規範の社会には目障りとみなされる…。
ジュヨンとイェジは本当に何も無害でただこの世にいるだけなのに、あの母の目にはその関係が犯罪行為並みに映る。母が抱き合って寝る2人に不審な目を向けるシーンがその嫌悪感を静かに物語っていました。
本作はそんな露骨な同性愛差別的罵詈雑言が飛び出しまくるような映画ではないですけど、この社会に平然と巣くっているレズボフォビア(レズビアン嫌悪)が、センチメンタルな映像の中に不意に浮かぶからこそのおぞましさが強調されていたと思います。
連帯して闘うということを知り始めた
日本の作品でも近年はとても目立つのですが、LGBTQに限らない社会における多様な犠牲者を描き、それらの被害者性を背負う者たちが寄り添う姿を映し出し、社会的抑圧を描いているものの、表面上は非政治的で、事を荒立てない静かな共助を描くにとどまる…というトーンの映像作。これは「大人しく礼儀正しくあれ」という同調圧力の強い東アジア圏ならではかもしれません。
この『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』もそういうタイプなのかなと思いましたが、案外ともうひと踏ん張りで、わずかな抵抗をみせていました。
本作はかなり明快な悪者が用意されていて、それはあのテコンドー部の男性コーチです。あの男は部活を家父長的に支配しており、女子部員間で罰をさせることで、女子部員たちが連携して抵抗できないようにさせるという、なんとも陰湿な(そして残念ながら現実でよく用いられる)手段を使っています。
その裏でソンヒに性的加害行為を行い、あげくにはイェジやソンヒまで誘拐と、極悪非道な暴走を最後はみせますが…。
本作を観ていると、1999年の設定がとても活かされていて、つまりこれは次の時代のフェミニズムを予感させる、もっと言えばその未来の活動に繋がる屈辱となる若き体験を描いているのだな、と。
あの男性コーチが八百長で女子部員に「負ける」ことを強要しているのもそうです。負けさせられること、それを我慢すること…その状態が普通だった社会の異常性。
でも当時のあの女子生徒たちには対抗する術がほとんどありません。イェジがオモチャのサイレンを使うシーンも、あの彼女が持つほんのささやかな正義を暗示させるような演出です(現実の警察は無能なのでね)。それくらいしかできなかった私たち…。
しかし、後半になるにつれ、女子部員たちが屈せずに少しずつ連帯をしだします。男性コーチが入れないようにみんなの体でバリケードを作る展開なんて、小さい規模ですが紛れもなくアクティビズムですよね。
『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』は『82年生まれ、キム・ジヨン』とかと並ぶようなフェミニズム映画であり、そのフェミニズムにしっかり同性愛も包括しているのが良さだと思いました。
あの時代の屈辱が2000年代以降の韓国のオンライン・フェミニズムの土壌となり、あらゆる女性の連帯が現実のものとなる。本作のラストはそんな少し闘えるようになった未来で、今度こそ好きな人と一緒になれるという、そんな社会変化を切に願う後味がありました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
作品ポスター・画像 (C)2024 SW Content, All Rights Reserved. 私たちは天国には行けないけど愛することはできる
以上、『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』の感想でした。
No Heaven, But Love (2023) [Japanese Review] 『私たちは天国には行けないけど、愛することはできる』考察・評価レビュー
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