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『希望のカタマリ』感想(ネタバレ)…Netflix;好意を受け入れられない人へ

希望のカタマリ

好意を受け入れられない人へ…Netflix映画『希望のカタマリ』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:All Together Now
製作国:アメリカ(2020年)
日本では劇場未公開:2020年にNetflixで配信
監督:ブレット・ヘイリー

希望のカタマリ

きぼうのかたまり
希望のカタマリ

『希望のカタマリ』あらすじ

高校生のアンバー・アップルトンは、どんなに生活が大変でも、苦労は表に出さずに希望を持ち続ける明るさで老若男女問わず好かれていた。厳しい家庭環境に生まれながらも、いつも笑顔でアルバイトと学校生活をこなすアンバーは、音楽の才能を活かしてカーネギーメロン大学演劇学院への入学を志す。ところがそんな彼女の前に、夢を脅かす問題が立ちはだかる。

『希望のカタマリ』感想(ネタバレなし)

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良いことをする?される?

映画を観た後に他人に対して“良いこと”をしたいと思えるようならば、それはきっと素晴らしい作品に出会ったことの証かもしれません(まあ、映画鑑賞後に他者に嫌がらせしたい気持ちが増す人はだいぶ心が歪んでいますけど…)。

“良いこと”、つまり善行をすることを後押ししてくれるものは世の中にいっぱいあるはず。いや、そう思いたいです。

一方でその逆はどうでしょうか。要するにその逆とは「善行を受け入れること」です。人間は他人の善行を素直に受け止められないときもあります。こんな私に申し訳ないという遠慮とか、ここで甘えるわけにはいかないというプライドとか…。その背景にある事情は個人でいろいろあるはず。

ただ、私の主観的な印象も含めた話ですが、そういう「善行を受け入れること」に苦悩する人は社会的弱者の人たちによく見られる現象だと思うのです。例えば、生活が困窮しているのに生活保護を受けないとか、支援サービスや相談窓口があるのに気軽に頼れないだとか。その手の職業に従事している方々はこの問題をよく熟知しているのではないでしょうか。

助けたい。どうしたら善行を素直に受け取ってもらえるのだろうか。安易に責めるわけにいかず、押し付けることもできず、悶々と悩むことにもなりかねません。また、それは善行を受け止める側の当事者も同じように悩んでいます。双方は歩み寄れるのか。答えはすぐに見つからないでしょうからね。

そんなジレンマに100点の解答は出せないけど、今回の紹介する映画は答え探しの感情的ハードルをほんの少し下げてくれるかもしれません。それが本作『希望のカタマリ』です。

本作は“マシュー・クイック”というアメリカの作家が2010年に発表した小説「Sorta Like a Rockstar」が原作になっています。“マシュー・クイック”の作品はこれまでも『世界にひとつのプレイブック』(2012年)として映画化されており、こちらの映画はその年のアカデミー賞では作品賞を含む8部門にズラッとノミネートされ、主演女優賞を受賞するなど、大評判でした。なので本作『希望のカタマリ』も業界の関心が薄いわけはありません。今回は“マシュー・クイック”自身も脚本に参加しています。

物語は、ある貧しい境遇にあるひとりのアメリカの女子高生を主軸にした“善行”を描くもの。斬新なアイディアや仕掛けといった要素はまるでない、とてもシンプルで、それこそ透明感一色のストーリーですが、それゆえに誰の心も揺れ動かせる力を感じさせてくれます。

『世界にひとつのプレイブック』と同じく自分の力ではどうしようもできない状況に追い込まれた人間がもがき苦しむ物語なので心も痛むシーンもあるのですけど、『希望のカタマリ』はもっとミニマムで見やすいですから、さらに万人に受け入れられるタイプではないでしょうか。

監督は“ブレット・ヘイリー”『ザ・ヒーロー』(2017年)、『ハーツ・ビート・ラウド たびだちのうた』(2018年)、『最高に素晴らしいこと』(2020年)と堅実な良作を連発しており、2020年はこれで2本目。『最高に素晴らしいこと』に続いてまたもNetflixとのコラボレーションであり、良いパートナーを見つけたようです。

そして俳優陣、とくに主演もぜひ注目してほしいです。主人公の女子高生を演じるのは“アウリイ・クラヴァーリョ”。知っているでしょうか。あの2016年のディズニーアニメーション映画『モアナと伝説の海』で主役のモアナの声に大抜擢され、存在感を発揮した、ハワイ出身の若手女優です。『モアナと伝説の海』以降、やはり人種的マイノリティゆえに壁も多いのか、キャリアは順調とは言えない感じでしたが、今回『希望のカタマリ』の主演ということで、良かった、良かった。

『希望のカタマリ』では“アウリイ・クラヴァーリョ”演じる主人公が歌を披露するシーンもいくつかあり、彼女の美声がまた聴けます。

ちなみに『希望のカタマリ』での“アウリイ・クラヴァーリョ”演じる主人公の日本語吹き替えを担当した“屋比久知奈”は、『モアナと伝説の海』でも主役のモアナの声をあてています。ナイスな起用ですね。

こんなご時勢ですから落ち込むこと、失望すること、将来が見えなくなること…それらに直面する人も少なくないと思います。そんなときに本作を観れば、不安な気持ちが和らぐ。そうだなといいなと願いたいです。

『希望のカタマリ』はNetflixオリジナル映画として2020年8月28日から配信されています。

オススメ度のチェック

ひとり ◯(辛いときに前向きになれる)
友人 ◯(一緒にスッキリ感動できる)
恋人 ◯(気持ちいい映画を観るなら)
キッズ ◯(子どもでも爽やかな感動を)
↓ここからネタバレが含まれます↓

『希望のカタマリ』感想(ネタバレあり)

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ドーナツはいかがですか

「今日の曲はシャリー・エリスです。歌詞は1語1語ハッキリ歌ってね」

そう言いながら、女子高校生のアンバー・アップルトンが先に歌いだします。彼女の前には数人の中高年女性(アジア系と思われる人ばかり)が並んでおり、手拍子とともにリズムを合わせていきます。そして近くで音楽をかけてくれたチー神父も一緒にと仲間に入れ、愉快にハーモニーを奏でるのでした。

英語教室代と書かれた容器のおカネを回収し、自転車でその歌の響いた建物を出ます。あたりはすっかり夜です。そのまま今度は近くのドーナツ屋で短時間働くアンバー。

それが終わると、さすがに帰宅です。着いたのはバスがたくさん駐車されている場所。その1台に忍び込み、それが当たり前であるかのように、席に座り、スナックを食べ、飼い犬のボビーと戯れます。ここがアンバーの今の居場所。彼女はホームレスなのでした。

家探しのために賃貸情報をチェックしつつ、ふとカーネギーメロン大学演劇学院の資料に目がいきます。そこから楽譜を出し、鼻歌交じりに歌うアンバー。彼女はこの演劇学院に行きたいと夢を持っていましたが、その道のりは未知数。

そこに誰かがバスに乗り込んできます。女性です。「ママ、遅かったね」と声をかけるアンバー。その母、ベッキーは晩御飯だと言ってケーキを渡してきました。アンバーは怪訝な顔をします。「バーのでしょ。飲んじゃだめなのに」…そんな娘の心配をよそに母は「一杯だけだから」と平然。「元カレのオリバーからもらったの? アパートを探しに行く予定でしょ」と娘の追求は続き、少し気まずい空気が流れます。それを察して、アンバーは母に一口ぶんケーキを食べさせ、「ありがとう」と言葉をかけるのでした。母は「何とかなるって」と言います。娘も「最高に上手くいく、大成功するから」と励まします。それが親子の会話…。

時計のアラームが鳴り、まだ暗い中、アンバーは出かけていきました。まずはバイト先の施設でドーナツを持っていき、みんなに配り歩きます。そして、機嫌の悪いジョーンという老齢女性のいる部屋に行き、なんとなくその場にいながら時間を共有。

その後は、学校の同級生であるリッキーの家へ。リッキーの母は夜に仕事しているので、リッキーを起こす人がいません。「学校に遅れるよ」とアンバーが声をかけ、そうこうしているうちにリッキーの母のドナが夜勤から帰ってきました。

そしてタイが来たと教えられます。アンバーは洗面所の鏡の前で少しだけ身だしなみを整えます。リッキーと一緒に家を出て、タイの車に。そこにはジョーダンチャドという他の仲間も乗っています。タイにサンドイッチを渡すアンバー。リッキーは空気も読まず、「アンバーはタイのことが好きだからいつもサンドイッチを作ってるんだ」と説明モード。

学校に到着。チューバが盗まれたらしく、さっそくアンバーはチャリティーしてあげようと提案。

タイは「メール送ってたけど届かなかった」とアンバーに言いますが、アンバーは「スマホなくして…スマホ持ってないなんてカッコよくない?」とおどけてみせます。

教室ではフランクス先生のもとに集まり、まずアンバーはパソコンで自分のメールアカウントを確認。すると驚きます。なんとあの憧れのカーネギーメロン大学演劇学院の入学審査(オーディション)のお誘いメールがきているではありませんか。みんなに祝われるアンバー。

しかし、問題がひとつ。アパートのための貯金目標をコツコツ溜めていました、ここにオーディションに向かうべくピッツバーグまでの旅費を考えないといけなくなります。

さらに心配事が増える事態も。母はオリバーと暮らさないかと提案してきたのです。バス生活は限界だという言い分もわかりますが、アンバーは「あの人の家よりも凍える方がマシ」と頑なに拒否。実は過去に父を亡くして以降、オリバーは母をアルコール依存に陥らせ、家庭をダメにした根源だとアンバーは考えているのでした。

そして母と喧嘩したアンバーはバスを飛び出してしまいます。かろうじてあった家庭も消え、アンバーは真の孤独を味わうことに。そこへもっと取り返しのつかない追い打ちが…。

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貧しさ描写の心理のリアル

『希望のカタマリ』は序盤は見かけ上は青春学園モノの王道に見えます。主人公のアンバーのハツラツとした性格もあって、とてもフレッシュで、ストンと入りやすい導入です。

しかし、その序盤の何気ない物語の中にも少しずつ違和感というか、アンバーという品行方正な女子高生が笑顔の裏に隠すものがこぼれ出ているわけです。

例えば、メールなんて若者はスマホでパパっと確認するものなのに、アンバーは学校のパソコンでわざわざ自分のアカウントの受信をチェックしています。また、好きな男子に会う前に化粧品を使って自由にオシャレもできない。そもそも服も全然変えられず、シャワーだって他人に借りるしかない。

なぜならばアンバーはホームレスだから。けれども彼女はいかにもホームレスです!という状況を見せることなく、世間の前では努めて明るく振る舞っており、言ってしまえば優等生の印象で上手くカモフラージュしているんですね。

しかもアンバーは親友だけでなく、不特定多数の人に善意を常に振りまいています。ドーナツを配る、サンドイッチを渡す、朝に起こしに行ってあげる、高齢者の話し相手になってあげる、チューバを失くした人がいればすぐさまチャリティーを企画する…。自分の貧しさを棚に上げて、徹底して他者に尽くす。

どうしてそうするのか。きっと自分が“持たざる者”だからこそ、せめて持っているモノだけが共有してお返ししたいと思うのかな、と。

一方でアンバーは他者からの善意を受け取ることはしません。先生に援助があると言われても「困ってません」、ドナに化粧品セットをあげると言われても「必要ない」、あげくには母を交通事故で失い、愛犬さえもピンチで、音楽の夢すら絶たれそうな状況においてもタイの助けようとする手を厳しい拒絶の言葉で振りほどく

人によってはアンバーの気持ちが理解できないと本作を観ていても思うかもしれません。でも彼女が“持たざる者”だからゆえに、人からの善意を抱えきれない恐怖というのがあるんだと思います。一般だったら友達に1000円借りたら1000円返せばいいと思うはず。おカネでなくとも親切されたら親切で恩返しするのはすぐできること。でもこの“すぐそれができる”というのは、実はある種の裕福な特権であり、本当に貧しい状況になるとそれさえも確証がない世界で生きるしかない。その事実を自覚すると余計に惨めな気持ちになり、自尊心が傷つく

『わたしは、ダニエル・ブレイク』でも描かれたこの貧しさというものがもたらす、根底的な不平等。それはこの『希望のカタマリ』でも静かにさりげなく描かれていました。なので本作の貧しさ描写も心理的なリアルがあって良かったですね。

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キャスティングの説得力

『希望のカタマリ』はその貧しさの閉塞感をずっと描くわけでもなく、そこに現代らしい希望を描いてくれます。

まずこのアンバーには希望になる支えがありました。それは芸術です。

冒頭でアンバーは「シャリー・エリス」の歌を歌います。この人は黒人女性シンガーで活動時期が1950年代~1960年代なのでどう考えてもアンバーの世代が親しむとは思えません。そもそもアンバーはスマホもないので同年代の流行りについていけてないはずです。その代わり、自分が家から持ってきたであろう、そして音楽に詳しかった父の所有していた名残を持ち歩き、それを大切にしているんですね。

音楽以外にもエミリー・ディキンソンの詩集を手にしたりと、アンバーは芸術になんとか支えられている側面が強いです。

そんなアンバーを支える大人たちも心強い味方です。先生もドナも他の人も、露骨に援助を押し付けることはなく、未成年の他者を優しく見守ってくれます。そして最後に多額の支援をこっそりしてくれるジョーン。ここで彼女を演じるのが“キャロル・バーネット”だというのがグッドなキャスティングですよね。“キャロル・バーネット”は自身も両親が共にアルコール中毒であったために子ども時代に親元を離れ、その後に演劇に専攻して進んだという経験があります。つまり、作中のアンバーに似ているんですね。その“キャロル・バーネット”だからこその説得力があるじゃないですか。

もちろん若者たちも良い働きをしています。とくにああいうインターネットやSNSの拡散性を利用してすぐさまにチャリティーを企画できるのは、今の若い世代の最高の武器のひとつですよね。

『希望のカタマリ』はこういう大人と若者の善意が掛け合わさると最高に素晴らしいことができるじゃないかという理想を見せてくれるものです。それはまさに現代に求められていることであり、今この瞬間にも輝きを放っていること。

その流れの中で支援が届かず犠牲になるものもいます。『希望のカタマリ』は過度の理想化に依存することなく、その残酷で現実的な犠牲も描いています。アンバーの母親がシェルターなどの支援に頼ろうとしないのは本人も言っていましたが、母として失格だという烙印を押されるのが怖いから。ゆえに男性の支配下の中で過ごすしかないという、選択の不自由に生きるしかありませんでした。これは現代の社会で貧しい女性という立場が経験する過酷さです。もし世界がもっとジェンダーに関して平等であれば、あのアンバーの母も重圧を感じずに済んだだろうし、死ぬこともなかった。

その大事な部分に関しては『希望のカタマリ』の未来を期待させるエンディングの中でも忘れるわけにもいかないので、あらためて強調しておこうと思います。

20万ドル以上を手にしてもアンバーはドーナツをまた配り歩きます。善意に善意を投資すればさらなる善意が拡散する。やがて世界は幸せで満腹になる。

私もドーナツを配っていきたいです。

『希望のカタマリ』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 75% Audience –%
IMDb
6.3 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)Temple Hill Entertainment, Gotham Group

以上、『希望のカタマリ』の感想でした。

All Together Now (2020) [Japanese Review] 『希望のカタマリ』考察・評価レビュー