真打ちは遅れてやってくる…映画『ボトムス ~最底で最強?な私たち~』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2023年)
日本では劇場未公開:2023年に配信スルー
監督:エマ・セリグマン
LGBTQ差別描写 恋愛描写
ボトムス 最底で最強?な私たち
ぼとむす さいていでさいきょうなわたしたち
『ボトムス 最底で最強?な私たち』あらすじ
『ボトムス 最底で最強?な私たち』感想(ネタバレなし)
セックス・コメディの最前線
映画における「セックス・コメディ」のジャンルの歴史は深いです。
映画の黎明期からセックス・コメディ映画はあったと思いますが、50年代・60年代と数を増やし始め、やはりヘイズ・コードが廃止された1968年以降となる70年代・80年代はこのジャンルの最盛期。『アニマル・ハウス』(1978年)や『ポーキーズ』(1982年)などの代表作により、下品さに拍車がかかります。
一度は低迷したかに見えましたが、1999年からの『アメリカン・パイ』シリーズでまた人気をみせ、2000年代は“ジャド・アパトー”がそのジャンルを受け継ぐなど、セックス・コメディはなんだかんだで不滅です。
とは言え、中身については問題もありました。まず基本的に男性目線で作られていたので、非常に女性差別的で、女性の性化はもちろんのこと、普通に性犯罪を楽しむようなノリになっていました。
加えてかなり同性愛差別的なノリも濃く、露骨な同性愛嫌悪と嘲笑に溢れている展開も多かったです。
しかし、時代は変わります。今のセックス・コメディのジャンルの主流は変わりました。下品さは変わりません。でもアニメ『ビッグマウス』やドラマ『セックス・エデュケーション』のように性教育的なリテラシーはちゃんとしていたりします。
さらに女性主体のセックス・コメディ映画も増えました。『ブロッカーズ』や『ストレンジ・フィーリング アリスのエッチな青春白書』などですね。
さらにさらにクィア女性を主体とするセックス・コメディも着実に頭角を現しています。『クラッシュ 真実の愛』や『リベンジ・スワップ』など、むしろZ世代にはこっちのほうがウケるくらいです。
そんな中、ついに飛びぬけた一作が登場しました。どういう意味で飛びぬけているのかと言えば、まあ、アホな方向で…。
それが本作『ボトムス 最底で最強?な私たち』です。
何よりも本作の主人公2人は女子高校生のレズビアンで、ただのレズビアンじゃないです。モテないレズビアン。どんくさくバカなレズビアン。そんな2人が奮闘する話です。
『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』みたいなノリに見えますが、それよりも数倍はアホだと思ってください。倫理観とかだいぶ消えてます。
なにせこの『ボトムス 最底で最強?な私たち』の主人公は、憧れのチアリーダーの気を引きたいがために、学校でファイト・クラブを始めるのです。ちょっと意味不明だと思いますが、ええ、そういう話です。
当然これだって大切な表象。品行方正なレズビアンだけが描かれるのもどうかっていうことですし…。にしたって本作のそれはアホに突っ切ってますけども…。
この『ボトムス 最底で最強?な私たち』を監督したのは、“エマ・セリグマン”というまだキャリアも浅い人で、しかし、監督デビュー作『Shiva Baby』(2020年)が非常に高く評価されており、勢いは絶好調。女性でクィアな若い監督がこれほど注目されているのも嬉しいかぎり。
そんな“エマ・セリグマン”とタッグを組んで脚本も手がけ、主演をしているのが、『ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ』の“レイチェル・セノット”。さらに共演するのは、ドラマ『一流シェフのファミリーレストラン』で注目を集めた“アヨ・エデビリ”。
ちなみにこの監督と主演2人の計3人は大学時代の友人らしいです。
製作は『コカイン・ベア』でも大暴れだった“エリザベス・バンクス”。“エリザベス・バンクス”のプロダクションは、Z世代とのマッチ具合がいいので、今後も伸びそうだな…。
『ボトムス 最底で最強?な私たち』は日本では残念ながら劇場未公開で、配信スルーとなりましたが、アホなクィア映画を望んでいた人には一足早いクリスマスプレゼントです。
『ボトムス 最底で最強?な私たち』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :気楽に頭をからっぽに |
友人 | :バカ同士で |
恋人 | :同性ロマンス濃密 |
キッズ | :すごいアホだけど |
『ボトムス 最底で最強?な私たち』感想(ネタバレあり)
あらすじ(前半):チアリーダーとヤりたいだけの2人
「いよいよ今夜、アソコをモノにする初体験のときが来た…」
そうオタク部屋で息巻いている女子高校生、PJ。「私とヤりたい子なんかいない」と後ろ向きな親友のジョシーは怪我で腕をつっており、見るからに自信無さげ。でもPJは「今年はブリタニーに話しかける。あんたもイザベルに話しかければ」と張り切っています。
そう言い続けて何年も経っているのですが、憧れのチアリーダーであるブリタニーとイザベルはこの最底辺なPJとジョシーには高嶺の花。
ジョシーは同窓会くらいの時期でアタックすると随分と遅れた計画を考えているようです。それに対し、PJは「ずっと処女のままでいる気? ネガティブはやめよう」と気合を入れます。
お祭りの会場へやってきた2人はなおも無駄話が止まりません。
そこに同級生のヘイゼルが話しかけてきます。そのとき通っている高校の花形アメフトチームである「ゴーバイキングス」のトップ選手のジェフが派手に登場。モテモテです。今はイザベルといちゃついており、ジョシーは目を背けます。
ブリタニーが近づいてきたので、PJはかっこつけて会話を仕掛けます。ブリタニーの隣にいたイザベルにジョシーも動揺。けれども努力虚しく2人とも会話がすべりっぱなしでした。
車の中で自己嫌悪で当たり散らしをしていると、イザベルがジェフと喧嘩しているのを目撃。困っているようなのでイザベルを車に乗せてあげます。
しかし、ジェフは車の前に立ちはだかります。パニックになったジョシーは車をちょこっと発進させ、ジェフは大袈裟に倒れました。2人はその場を退散です。
ロックブリッジフォールズ高校に登校すると、教室にやたらと重傷っぽいジェフが松葉杖でやってきました。明らかに嘘の演技です。ところが変な噂にまでなっており、PJとジョシーは少年院にいたヤバい奴と誤情報が拡散しています。
校長室に呼び出された2人。ハンティントン高校との20年ぶりの対抗試合まで1カ月で、校長は激怒。「誤解です」とジョシーは弁明し、とっさの思いつきで、護身術のためのファイト・クラブをやると言ってしまいます。
その後、ファイト・クラブを本気でやってみようとPJは言い出し、「本能でテキトーにできるでしょ」と余裕。あわよくば汚名返上で、あのブリタニーにも接近できるかも…。
「この学校には女子の連帯が必要だと思うんだよね」と知ったかぶりであちこちを誘ってみます。
結局、体育館に集まったのはヘイゼルやシルヴィ含めてイケてない女子たちだけ。それでもPJは自信満々に嘘の武勇伝を語り、顧問の先生をミスターGに頼んで、このファイト・クラブは本当に始動します。
しかも、ブリタニーとイザベルも来てくれたので2人は有頂天。
これは自分の欲望が叶っちゃうのか…?
フェミニストにはなれないが…
ここから『ボトムス 最底で最強?な私たち』のネタバレありの感想本文です。
『ボトムス 最底で最強?な私たち』の主人公であるPJとジョシーは本当にどうしようもない奴らで、「モテたい」という意志(またの名を欲望)はあれど、特段の努力はしていません。片や自信過剰、もう片や極度のビビリなので、噛み合っていないというのもありますが…。
がむしゃらにモテたいだけの奴っていうのは、『スーパーバッド 童貞ウォーズ』といい、セックス・コメディの定番です。
そんな2人が自分たちに降りかかってきた火の粉を払うために、流れるように口からでまかせをついてしまった「ファイト・クラブ」を本当に実行するハメになります。
表向きは苦境に立たされる女性たちを強く鍛え上げて連帯感も高めるためという目的を掲げますが、それも全部でっちあげです。
この2人、フェミニズムに関してもずぶのド素人で、いかにも「わたし、フェミニズムってめっちゃ大事だと思ってます」みたいな得意げな語り口でリーダーをきどるのがまた虚しさを増しています。
奇しくも『ファイト・クラブ』を監督した“デヴィッド・フィンチャー”が最新作の『ザ・キラー』で男らしさをきどる男を滑稽に描いてみせたこの年、その「ファイト・クラブ」要素を借用した本作『ボトムス 最底で最強?な私たち』にて今度は先進的な女性リーダー像をきどる女子高校生が描かれるのですから…。変な奇遇です。まあ、男女どちらでもこういう奴はいるってことで…。
肝心のファイト・クラブに集った面々も、実のところ、かなり個人的な悩みを抱えていて、しっかりフェミニズムなイシューをチラ見せしているのですけども、このPJとジョシーには全然届きません。
結果、ものすっごく短絡的な殴り合いと取っ組み合いの真似事をひたすら繰り広げているだけの集会になってしまいます。当人たちはこれでストレス解消できているのでそれでいいんですが…。
フェミニストにはなれない。けどストレス解消ならできるぞ!というマヌケな限界点が情けなくもあり、でもなんか気持ちはわからないでもない。いや、でもストレス解消って大事ですよね。同級生を殴るのが最適なのかはさておき…。
“レイチェル・セノット”と“アヨ・エデビリ”が縦横無尽に暴れまくる楽しい絵面を満喫できました。それにしても“アヨ・エデビリ”って『シアター・キャンプ』でも思いましたけど、コメディセンスあるんだな…。なんでも大学時代は有名な「Upright Citizens Brigade」という即興コメディグループで鍛えていたらしく、これはコメディアンとしてもどんどん羽ばたいていってほしいですね。ちなみに“アヨ・エデビリ”も自身をクィアであるとしてオープンに語っている人です。
自己中心的なクィアがオチを支配する
『ボトムス 最底で最強?な私たち』にてPJとジョシーに振り回されることになる他の女子たちの面々も印象的です。
今回はチアリーダーがロマンスの狙い目になりますが、これはアメリカの学園青春モノのベタであるというだけでなく、たぶんクィア青春モノの先駆けとなった『Go!Go!チアーズ』(1999年)の目配せもあるのでしょう。
今作におけるチアリーダーのブリタニーとイザベルは、「学校社会における上位に君臨する嫌な女子」というステレオタイプなチアリーダー像ではなく、わりと常識的なのがミソです。序盤から普通に真っ当なことを言ってます。
そして、ボコボコになりながらも健気に頑張るヘイゼル。演じた“ルビー・クルーズ”はドラマ『ウィロー』に続いてのクィアで中性的な雰囲気の役にハマっており、主人公2人のバカさの陰で応援したくなるクィアの筆頭としてしっかり物語の味になっていましたね。
この『ボトムス 最底で最強?な私たち』は不思議なバランスの映画です。
おそらく現代が舞台のはずなのに、スマホとかは全然でてこなくて、70年代や80年代の映画を観ているような気分にさせられます。作り手が意図的にそうしているのだと思いますが、この昔ながらのセックス・コメディのノリがそのままクィア女性を主役に展開している事実を存分に楽しめる作りです。
シリアスな展開もそんなには傾きません。PJとジョシーは仲違いしますが(逆に今までよく友達だったな…)、あっけなく関係は修繕。各キャラの深刻な悩みにもそんなにフォーカスしません。これはコメディだからそこはテキトーに流していくという姿勢が潔いです。
そして怒涛の「ハンティントン高校はヤバい。人死がでる!」というわけわからないにもほどがある危機感を勝手に背中に背負って全力ダッシュで終盤に突入。
乱闘のバカバカしさもそうですが、結局は「ジェフを救った」ことで世間はPJとジョシーのファイト・クラブを認めるという、あの全然反省していない感じをそのまま流しちゃうあたりがこの映画の緩いオチとして良いのでしょう。
男ありきでしか女を評価しない世界。レズビアンを見世物にしかしない世界。手のひら返しに何の躊躇いもない世界。
Z世代的な視線における「この世界って救いようがないし、ろくに自省もしない。ダメダメだよね」という冷めた感情が乗っかったままのエンディング。そして爆発のツッコミでフィニッシュ。
何も解決はしていないけども、そもそも何か世の中を良くしたいと思って始めたわけでもない。自己満足の物語です。
クィアだからって世界に貢献しないといけないわけじゃない。たまにはこうやって徹頭徹尾で自己中心的に動き回ったっていい。
そんなことを身をもって証明してくれた『ボトムス 最底で最強?な私たち』でした。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 90% Audience 89%
IMDb
6.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Metro-Goldwyn-Mayer Pictures ボトムズ 最底で最強な私たち
以上、『ボトムス 最底で最強?な私たち』の感想でした。
Bottoms (2023) [Japanese Review] 『ボトムス 最底で最強?な私たち』考察・評価レビュー
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