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『ビール・ストリートの恋人たち』感想(ネタバレ)…普通の愛がそこに

ビール・ストリートの恋人たち

普通の愛がそこに…映画『ビール・ストリートの恋人たち』(ビールストリートの恋人たち)の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。

原題:If Beale Street Could Talk
製作国:アメリカ(2018年)
日本公開日:2019年2月22日
監督:バリー・ジェンキンス
人種差別描写

ビール・ストリートの恋人たち

びーるすとりーとのこいびとたち
ビール・ストリートの恋人たち

『ビール・ストリートの恋人たち』あらすじ

1970年代のニューヨーク。19歳のティッシュはファニーと幼い頃から共に育ち、それはいつしか恋へと変わっていった。お腹の中に新しい命を宿し、二人は幸せの家庭を築くつもりでいた。しかし、ファニーは無実の罪で留置所にいる。面会室のガラスが二人を無情にも隔てていた。

『ビール・ストリートの恋人たち』感想(ネタバレなし)

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愛を描いたら政治的ですか?

アフリカ系アメリカ人の映画監督がよく口にすることがあります。

それは「黒人を“普通に”描く」ということ。

これまでの映画史でいかに黒人が普通に描かれてこなかったかについては、私のような部外者がダラダラと語るよりも当事者の言葉を聞くほうがいいです。オススメはドキュメンタリーの『私はあなたのニグロではない』という作品。この作品では黒人の著名な作家“ジェームズ・ボールドウィン”が往年の映画に登場する黒人の描写に関して黒人から見るとどこが問題なのかを語っています。

そして、ダイバーシティの重要性がハリウッドでも認識され始めた昨今。黒人を“普通に”描く映画も徐々に現れるようになりました。「黒人が“普通に”ヒーローになる」とか、「黒人が“普通に”スポーツに挑戦する」とか。

しかし、こうした黒人映画の出現に対して「政治的な意図がある」などと妙に勘ぐる人もいるのも事実です。でもその政治視点で打算的な見方でしか映画を見られない人は、裏を返せば「黒人の存在を“普通”だと思っていない」ということになりかねません。白人至上主義者に多い傾向の思考ですが、変に人種に対して自意識過剰すぎるんですね。

黒人を“普通に”描くことは政治的でもない、日常的な“当たり前”のこと。そう思ってもらえるように創作活動に励むアフリカ系アメリカ人の映画監督の挑戦はまだまだ道半ばのようです。

そして本作『ビール・ストリートの恋人たち』もまたその“普通”を描く映画と言えるでしょう。

この映画は先にも名を挙げた作家“ジェームズ・ボールドウィン”の小説「ビール・ストリートに口あらば」を原作に、ある黒人家族を主人公にした“普通”のドラマです。普通に恋をし、普通に喜びを分かち合い、普通に家族を作る…そんなささやかな物語。

それだと普通すぎて面白くないのではと心配になりますが、そこは監督があの“バリー・ジェンキンス”ですから問題なし。これの前の監督作『ムーンライト』が歴史上快挙となるアカデミー賞作品賞を受賞(「ラ・ラ・ラ…ムーンライト」事件が起きましたけど)。

こちらも素晴らしい純愛ドラマだったのは観た人は鮮明に記憶に残っていると思いますが、本作『ビール・ストリートの恋人たち』も相変わらず見事な作品に仕上がっています。

惜しくも2018年のアカデミー賞作品賞ノミネートには漏れてしまったのですが、まあ、ブラック・ムービーの強豪が他にもいくつかあったので、しょうがないのかな。

ただ繰り返しますけどクオリティは一級品です。本作を観て私も“バリー・ジェンキンス”監督の作家性が見えてきた気がします。

「黒人映画だから重い話では?」だとか変に意識する必要はありません。美しい撮影と音楽に彩られた愛の物語に舌鼓を打ってください。

なんでバレンタイン・デーが終わった後の週にこの映画を公開するんだろう…。

↓ここからネタバレが含まれます↓

『ビール・ストリートの恋人たち』感想(ネタバレあり)

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こんな時代でも幸せはある

『ビール・ストリートの恋人たち』は、原作は1974年に出版されたものであり、時代設定もちょうどその頃になっているようです。この時期は、1960年代に公民権運動の高まりが最高潮に達し、1964年に公民権法が制定され一定の成果を上げたものの、その後も悲惨な人種差別は各地で継続。最近に映画にもなった「デトロイト暴動」は1967年に起こり、1968年にはキング牧師が暗殺。

人種差別が社会から一掃されることなく日常に影を落としたまま月日が流れていた…そんな時期です。

舞台は、ニューヨーク市マンハッタン北部の「ハーレム」というところで、この場所はアフリカ系アメリカ人が多く集まり、独自の文化を築いていました。

そんな時代と場所で出会い、一緒になり、愛を育んだティシュという若い女性とフォニーという男性の物語。

それでも何度も言いますが、本作は決して壮絶な人生を描く悲劇にはなっていません

それを示すかのようなのが、序盤のティシュが妊娠していることを家族に打ち明ける場面。母のシャロンにまずは話し、次に父のジョセフに告白。姉のアーネスティンもその場にいます。ここでひと悶着あるのかと思いましたが、全くそんなことを杞憂で、一緒に乾杯しながら新たな命の誕生を祝う、とっても温かい家族の姿がそこにありました

黒人映画というと、どうしても家庭崩壊した家族ばかりが描かれがちですけど、本作はそういうステレオタイプにはなりません。

このリヴァーズ家の家族団欒のシーンは、色合いに温かみがあるせいか、スクリーンから幸せが滲み出るようなオーラがあります。

作中ではこの妊娠したティシュの現在パートの挟まれるように、フォニーとの恋人関係を深めていく過去パートも描かれ、それらが全部幸せそうなんですね。幼馴染同士が恋人になるとか、少女漫画かよ…という感じですけど、あそこまで幸福に満ちた姿を見せられるとね。良かったねと素直に拍手するしかないというか、これでハッピーエンドでいいですよ、本当に。

こんな時代だとしても幸せを見つけ出し、それを噛みしめていた黒人は普通にいるんだということを、あらためて優しく見せてくれる、純粋な映画のメッセージを感じます。

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支え合うことの大切さ

しかし、その充実した人生をこれから本格的に始めようと踏み出した二人の前に立ちはだかるのは、フォニーに降りかかったレイプ事件の冤罪。案の定、ろくな捜査もなく犯人扱いされ、独房に入れられたフォニーは、妊娠したティシュとは面会室のガラスで隔てられた環境でしか言葉を交わせません。

これが人種差別をメインテーマとする社会派映画なのだとしたら、このフォニーの無実を証明するために社会に挑戦していくティシュたちの勇ましい姿が描かれることでしょう。最後には真実が明かされるというカタルシスつきで。

でも、本作はやはりそういう映画ではないのが重要。それを期待した人には消化不良かもしれませんが、映画ではその論点については非常に突き放した対応をしています。もちろん、差別に苦しむ黒人を救うヒロイズムな物語も良いでしょう。それでも本作はそんな救世主的な理想論を描くよりは、「愛」という日常にある強さを伝えることに重きを置いている、そんな感じです。このスタイルは『ブラックパンサー』のエンディングの決着のつけ方も思い出させますね。こういう一番肝心な部分は非説明的な演出でサラリと示すのも“バリー・ジェンキンス”監督の持ち味です。

一方で、黒人以外の人種に視点をさりげなく広げているのも印象的でした。

例えば、“ディエゴ・ルナ”演じるペドロシートという名の男。彼はメキシコ系で、バーで働き、ティシュやフォニーを優しく見守ってくれています。また、“デイヴ・フランコ”演じるキッパーを頭にかぶったユダヤ人の青年レヴィも「人種に関係なく人は愛し合うべきなんだ」と親切にでも力強く声をかけてくれます。

この世界には自分たち(黒人)以外にも苦しい立場のものがいて、だからこそ人種の壁を超えて支え合う…その大切さを訴えるように。

ゆえに支え合えない状況になったときは絶望的です。それがハッキリと示され、本作の中でも最も激情的な場面となっているのが、フォニーの無実をなんとか証明したいシャロンが、引き金となったレイプ事件の被害者であるロジャース夫人を訪ねるシーン。「本当の事を話して欲しい」と言うと、突然、慟哭するように叫ぶヴィクトリア・ロジャース。彼女が凄惨なレイプ被害に遭ったのは事実なのでしょう。きっと思い出すだけでもツラいはず。でもその忌まわしい記憶を呼び起こすように強要しないといけないシャロンの苦悩。涙するシャロンは「支え合えない世界」に苦悶しているようでした。

フォニーの友人のダニエルが言います。恐怖を植え付けることについて。

愛がより大きければ、多くの人を、人種を、恐怖から救えたのかもしれない。本作は過酷な世界で拠り所になる愛の救済をあらゆるマイノリティや弱者にもたらすことの意義を指し示す映画でもあるのではないでしょうか。

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フェアなセックスは愛の証

『ビール・ストリートの恋人たち』は“バリー・ジェンキンス”監督らしい丁寧なドラマの語り口に、巧みな撮影や演出が合わさって、この何の変哲もない(とあえて言わせてもらいますが)ストーリーを良質にコーティングしているようです。

冒頭の仲良く歩く二人を上から映すショットからしてとても引き込まれますが、個人的にはセックスを描くシーンに監督の個性があるなと思います。それはというと、すごくフェアに描くんですね。たいていの世の映画のセックスは男性視点なんですが、今作は男女ともに限りなくフラットな立場で映し出されます。結果、露骨に淫らという感じではなく、優しく互いを労わるように、不安をかき消すように体を交える二人を見せることで、本物の愛が見えてくる。これは過去作の『ムーンライト』にもありました。

また『ムーンライト』にも見られた演出といえば、ティシュが元気な男児を出産する場面では、浴槽の水中からのカメラアングルで赤ん坊を映すという、かなり大胆なカメラワークが駆使されます。水場から浄化されたかのようなエネルギーを得る…そんな意味にも捉えられるこの演出もこだわりなのでしょうかね。

役者陣ももちろん素晴らしく、とくに本作が本格的な主演デビュー作らしい、“キキ・レイン”のみずみずしさは非常に映画的魅力に溢れ、今後も活躍が見たいと思わせます。さらにベテラン勢でいえば、シャロン・リヴァーズを演じた“レジーナ・キング”のあの終盤ワンシーンだけで見せる葛藤の表現。見事としか言いようがありません。

音楽も忘れられないポイント。原作の題名である「ビール・ストリート(Beale Street)」とは、W・C・ハンディというミュージシャンが1917年に作った「Beale Street Blues」という曲からインスパイアされています。今作では随所に“バリー・ジェンキンス”監督の音楽のこだわりも感じられました。

ラスト、無事に子どもを出産し、子育てをしながら、ティシュは息子・アロンゾを連れて有罪を認めたフォニーに会いに刑務所を訪れます。その面会部屋で、なにげなくお菓子を食べる家族の姿は、言ってしまえばショッピングモールのフードコートにいるファミリーの光景。そこは閉鎖的な環境なのですが、でも中には“普通”があって…。アフリカ系アメリカ人家族の社会における縮図がそのラストシーンだけで凝縮されている、とても味わいのある終わりでした。

多くの愛が世の中に“普通”に存在できるように願いたくなる作品です。

『ビール・ストリートの恋人たち』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 94% Audience 69%
IMDb
7.6 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★

作品ポスター・画像 (C)2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All Rights Reserved.

以上、『ビール・ストリートの恋人たち』の感想でした。

If Beale Street Could Talk (2018) [Japanese Review] 『ビール・ストリートの恋人たち』考察・評価レビュー