監督が解説するアメリカ社会の二面性…映画『アス』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2019年)
日本公開日:2019年9月6日
監督:ジョーダン・ピール
アス
あす
『アス』あらすじ
アデレードは夫のゲイブ、娘のゾーラ、息子のジェイソンとともに夏休みを過ごすため、幼少期に住んでいたカリフォルニア州サンタクルーズを訪れた。しかし、彼女には、幼い時に経験した不気味なトラウマが今も刻まれていた。そして、家族の身に何か恐ろしいことが起こるのではないかという強迫観念を次第に強めていく彼女の前に、ついに会いたくなかった最悪の存在が現れる。
『アス』感想(ネタバレなし)
ジョーダン・ピールは只者じゃない
日本は労働現場が深刻な人手不足だから、きっと「ドッペルゲンガー」に遭遇しても、労働力になる!としか思わないのではないか…そんなふうに思う今日この頃。
ドッペルゲンガーは多くの人が知っていますよね(見た人は少ないでしょうけど)。自分自身に瓜二つの存在のことです。自分のドッペルゲンガーに出会ってしまったら死ぬとか、あれこれと尾ひれをつけながら、怪談や伝説を通して脈々と語られています。18世紀末あたりから文学にもよく登場したみたいですが、なぜなのでしょうか(教えて、詳しい人)。
このドッペルゲンガー、当然、映画のネタにも頻繁に用いられており、直接的な登場ではなくとも、モチーフ的な引用も含めれば、それこそドッペルゲンガーだらけです。とくにホラー映画・スリラー映画での題材採用が多いですが、私の最近のお気に入りのドッペルゲンガー映画は…『カムガール』かな(動画配信をしている女が自分とそっくりの存在しないはずの誰かにアカウントを乗っ取られて…というスリラー)。
ドッペルゲンガーというかたちでもうひとりの自分と向き合うという現象は、いろいろな解釈に使えるので、単なる恐怖の存在以上に、多義的な映画の深みを出せる格好の材料なのでしょう。
そして、2019年、新たなドッペルゲンガー映画の名作が生まれました。それが本作『アス』です。タイトルがやけにシンプルですが、原題は「Us」。そのままの邦題です。
監督は、あの2017年の自身の監督デビュー作『ゲット・アウト』で空前の大ブレイクを巻き起こし、いきなりアカデミー賞作品賞ノミネートを果たしてアメリカの多くの観客や批評家を熱狂させた、“ジョーダン・ピール”です。
本当にあまりにも『ゲット・アウト』が瞬発的な大ムーブメントだったゆえに、「なんだ、なんだ」と思っているうちに整理もつかずに日本で公開され、自分も鑑賞したわけですが、あれからレンタルやネット配信サービスでも何度か鑑賞して、この映画の面白さと斬新さをじっくり味わうことができました。その結果の感想は、やっぱり凄いなということと、この映画がアカデミー賞作品賞でも全然良かったなということ。今のアメリカ社会の急所を撃ち抜いていますからね。
しかし、ふと邪念を抱いてしまうわけです。“ジョーダン・ピール”監督、一発屋なんじゃないか、と。いじわるを言うつもりはありませんが、実際そういう1作目だけクリティカルヒットして2作目以降はあんまり…という監督は(大きい声では言えないけど)いますから。
ところが監督2作目の『アス』もまた興行的にも批評的にも大成功をおさめ、見事、ホラー・フィルムメーカーの先頭を堂々と継続して爆走中。才能は本物だったのでした。
私も『ゲット・アウト』に続いて『アス』を鑑賞して、“なるほど、確かにこの監督は実力がある”と実感できましたし、作家性というものもかなり理解できた気がします。それくらい“ジョーダン・ピール”監督はクリエイティビティがハッキリしていますし、2作目の登場でそれが証明されたかたちです。
『ゲット・アウト』は黒人差別の人種問題が物語の背景にあり、そのあたりに関心の薄い日本人には作品の趣旨が伝わりづらい部分もあったと思いますが、『アス』は意外に人種差別要素は前作よりも目立ちません。むしろ普遍性が増したのではないかなと思うくらいです。なので前作よりも日本人は物語に入りやすいのではないかな。ドッペルゲンガーはみんな親しんだ題材ですしね。
出演陣は、『それでも夜は明ける』でアカデミー助演女優賞に輝き、『スター・ウォーズ フォースの覚醒』以降の新3部作や『ブラックパンサー』といったブロックバスター大作でも活躍している“ルピタ・ニョンゴ”が主役。同じく『ブラックパンサー』でエムバクというサブキャラを演じた“ウィンストン・デューク”が肩を並べています。
鑑賞した後は、“あれはああだった、これはこうじゃないか”と、感想を語り合って議論したくなる映画なので、ぜひあれこれトークに加わるためにも、劇場へ。
感想後半は私の個人的な考察をだらだらと書き連ねています。
オススメ度のチェック
ひとり | ◎(ホラーファンは必見) |
友人 | ◎(語り合いが盛り上がる) |
恋人 | ◯(スリルを味わうなら) |
キッズ | ◯(そこまで残酷ではない) |
『アス』感想(ネタバレあり)
レッドがやってくる
『アス』は結構伏線が序盤から張り巡らされているので、何気ないシーンも見逃せません。
物語は1986年から始まります。
カリフォルニア州のサンタクルーズ。リベラルなこの地域は、温暖な気候でさまざまなレジャーが楽しめる憩いのエリア。サンタクルーズ・ビーチボードウォークという、カリフォルニアでも最古のアミューズメントパークもあります。
本作の主人公の少女アデレードは両親と共に遊園地を訪れ、楽しい時間を過ごします。ある時、母親がトイレで離れ、父親は「Whac-A-Mole」(“モグラたたき”みたいなやつ)に夢中になっているちょっとした間、ひとりトテトテと離れていくアデレート。そしてすぐ近くの浜辺に着くと、そこには大きめの建物がデンとありました。内部にいろいろな仕掛けがあって探索して楽しむアトラクションです(英語では「Funhouse」というらしい;日本だとあんまりないですね。たいていはお化け屋敷だし)。
中にひとりで入っていくと、案の定、迷子になってしまい、鏡の部屋に行き着きます。そして、不安を紛らわすように口笛を吹くと、なぜか誰かの口笛が返ってきます。鏡に映っているのは自分…のはず。しかし、その姿を見たアデレードは大きく目を見開き…。
バン!とシーンが変わり、ウサギです。そこに映画のタイトルが出てきて、ケージに入った何匹ものウサギが映るという異様な光景。
今度の時間軸は現代。大人になったアデレード。結婚して1男1女の賑やかな家庭を持ったアデレードは、サンタクルーズのビーチへ行くという休暇の計画に難色を示します。それでも夫のゲイブの勢いに押されてしぶしぶ承諾。いつもお面マスクを頭につけている息子のジェイソンと、スマホに夢中の娘のゾーラと一緒に車で例のビーチへ。
ちなみにこの一連のシーンで、アデレードは、口数が異様に少なく、食べ物も水とイチゴくらしか食べていないのですが、ちゃんと最後まで見ていると意味があるとわかってきます。
到着すると、誰かが救急搬送されている姿を目撃しますが、とりあえずそれは忘れて、砂浜を満喫。友人のタイラー家と合流しながら、のんびりしていると、トイレにひとりで行ってしまったジェイソンが原因でちょっとしたパニックになるアデレード。彼女は幼い頃のあの経験がトラウマになっているようですが、この時点で一体何が起こったのかはわかりません。一方、実はジェイソンはトイレに行ったとき、手から血をポタポタ垂らす不審な人物を目撃していたのでした。
そして、その夜。家に戻り、子どもたちを寝かしつけたアデレードは、夫に自分の心に深く刻まれているあの体験を話します。鏡の部屋で見た“もうひとりの自分”。それが近づいているのではないか、と。
そうこう言っているうちに異変が。突然の停電。家の前にいる4人の影。それはまるで自分たちと同じ姿のようで…。
こうして「私たち(us)」との対峙から、恐怖の一夜が始まるのでした。生き残るのは、自分たちか、それとも別の自分たちか。そもそも“アレ”は何なのか。自分の存在すらも疑わしくなる恐怖が待っているとも知らずに…。
白々しさを浮き彫りにする
『アス』は『ゲット・アウト』と比べて、かなり直接的な、いわゆる「マンハント」もののスリラーが展開していきます。一方、物語の根幹にある、実は作り手が本当は見せたい恐怖というのは巧妙に隠されており、そこが上手いところです。そしてその恐怖は“ジョーダン・ピール”監督は常に一貫していると思います。
それは私たちが抱える“白々しさ”。
『ゲット・アウト』では「私、差別とかしてないよ。むしろあなたが好きだよ」なんて言っちゃう人間の白々しさをあえて不気味に表出させたストーリーでしたが、『アス』も同様です。
その鍵となる要素は最初に提示されており、それが冒頭でTVに映る「Hands Across America」。これは作中の最初の年代である1986年に実際に実施されたイベントで、約650万人が手を繋いで、東はニューヨークから西のカリフォルニアまで、人間の鎖を作ろうという企画。目的はチャリティで、アフリカの飢餓に苦しむ人たちとアメリカのホームレスのために寄付を集めるうえでの話題作りでした。
で、大事なのはその結果なのですけど、アメリカ全体を横断する人間の鎖はさすがに作れず、集まった寄付金もコストを差し引くと1500万ドル程度。これならこんな労力を要することをしなくとも、同額のお金を集められたのではないか…そう思わなくもないレベル。
つまり、私たちの社会貢献をしたいという想いから起こる慈善的な活動に対する、触れてはいけない疑念。本当に意味があるのか?っていうことですね。
こういう気持ちは日本人でもわかる人は少なくないと思います。某24時間テレビとかに一種のシラケを感じている人もいるでしょう。
でも、こういうのを「偽善だよ」なんて指摘すると単に偉そうな奴にしか見えず、逆にこっちが白々しくなるわけで…。そんなジレンマを“ジョーダン・ピール”監督は非常にスタイリッシュなストーリーテリングでクリアしてみせています。
自分を疑ったことがある?
『アス』のもうひとつの大事な要素は、ドッペルゲンガー的な「自分」の存在。
昨今の現代では排外主義が蔓延り、分断の中で、他人不信が増大しています。あえて敵を作ることで優位に立とうとしたり、「右vs左」という構図を盛んに持ち出して対立を煽ったり、はたまた自分は関係ないですよと中立ぶってみたり…。
でも、冷静に考えると「他人」よりも「自分」の方が信用できないのでは? そもそもあなたは「自分」をどれだけ理解していると言い切れるの?
そんなことを投げかけるような物語が『アス』じゃないでしょうか。
正直、エンディングのオチは別に珍しくないです。それこそ『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年)から、『遊星からの物体X』(1982年)、最近だとドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『複製された男』(2013年)のように、散々繰り返されてきた“自分が別の何かに入れ替わってしまう”という恐怖。その裏に得体の知れない何かがいるかもという漠然とした強迫観念。
しかし、『アス』の場合は、そこにしっかり現代アメリカ社会への風刺がグサリと刺さるようになっているんですね。
ラストのあの着地は、そんな自分に近しい存在への無理解を見て見ぬふりをしながら私たちは生きているということであり、ズラッと続く真の人間の鎖は“団結”という私たちが信じている正義の別の側面。連帯とか団結とか、そういう反差別主義な人たちが信仰する概念だって、裏側があるかもしれないですよ…という見たくない一面を突きつけるかのように。
本作のタイトル「Us」は、つまり「United States(アメリカ)」であり、やはりアメリカを揶揄する映画なのでしょう。自分、そして自分の社会こそ疑うべき。正義に溺れ続けた歴史を持つアメリカを諫める、そんな作品でした。
この才能は唯一無二
また、『アス』はネタありきアイディア映画というわけでもなく、意外なほど“ジョーダン・ピール”監督のシネフィルさを随所に感じられる作品でもあり、ちゃんと映画の伝統を引き継いでいる感じがします。
アデレードの息子の名前「ジェイソン」は、マスクをつけている姿からも、当然、『13日の金曜日』のジェイソンが元ネタなのはわかりやすいところで、他にも『ジョーズ』『シャイニング』などあちこちに映画ネタが散りばめられていました。そこにブラックムービー的なギャグセンスも混ぜてくるので(音声アシスタントのPolice違いとか)、独特なタッチの映画に最終的には仕上がっています。
あと、やっぱり全体的なプロダクションデザインを含む、作品の“キマっている”感じ(上手く言葉にできない)が良いですね。あの冒頭から耳にザワザワと残る不吉なBGM(「Anthem」という曲名)の、これから不気味な物語が開幕しますよという雰囲気とか。ちょっとヨーロッパ的な魔女っぽさがありますね。
ウサギもね。なぜウサギなのかというと、監督がウサギが嫌いらしいです。『女王陛下のお気に入り』に続いてのウサギのドアップでした。確かにアップで見ると、怖い目ですよ。
ハサミという対の二面性を表す小道具の使い方も良いですし、遊園地ホラーという古典的な目配せもあって、なんというか、隙がない王道ホラーを自己流で作っちゃったな、と。シネフィル的な知識から生まれる王道さと、人種的なところから生まれる独創性を兼ね備える人は今まであまりいなかったですし…。この才能は唯一無二です。
良質なオリジナル・ホラーを生み出すクリエイターとして、“ジョーダン・ピール”監督、今後も期待大です。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 61%
IMDb
7.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
星 7/10 ★★★★★★★
作品ポスター・画像 (C)2018 Universal Studios All Rights Reserved.
以上、『アス』の感想でした。
Us (2019) [Japanese Review] 『アス』考察・評価レビュー