どんなに振り返っても過去は過去…映画『パスト ライブス/再会』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ・韓国(2023年)
日本公開日:2024年4月5日
監督:セリーヌ・ソン
恋愛描写
ぱすとらいぶす さいかい
『パスト ライブス 再会』物語 簡単紹介
『パスト ライブス 再会』感想(ネタバレなし)
アカデミー賞で目立たなかった凄い映画
2024年3月10日、第96回アカデミー賞の授賞式が行われ、事前の大方の予想どおり有力候補だった『オッペンハイマー』が最優秀作品賞を受賞しました。
日本映画もオスカー像を手にし、ここ数年で最も日本国内で話題になった米アカデミー賞でしたが、その一方で俳優賞のオスカー像受け渡し時にアジア系俳優の扱いが冷遇されていたと一部で批判を浴びたりもしました(ハフポスト)。
アジア系の人たちはハリウッドでずっと差別を受けてきました。それは露骨な誹謗中傷だけでなく、無自覚に嘲笑うような透明化というかたちをともなうことも多々あります。ドラマ『アメリカン・ボーン・チャイニーズ 僕らの西遊記』ではその問題を“キー・ホイ・クァン”が覚悟と真摯な姿勢で訴えていたばかり…。
2022年対象においては『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』がアカデミー作品賞を獲って、アジア系のレプリゼンテーションの歴史を新しく刻みましたが、まだまだこの業界には課題が多すぎることを実感しましたね。
そんな2023年対象のアカデミー賞において、全然スルーされていましたが、アジア系を主題にした映画も作品賞にノミネートされていました。
それが本作『パスト ライブス 再会』です。
本作の監督は、“セリーン・ソン”という韓国系カナダ人で、なんと本作が長編映画監督デビュー作。それ以前はオフブロードウェイを少し手がけていたらしいですが、まだ30代半ばとキャリアは浅いです。そんな“セリーン・ソン”のデビュー作がいきなりアカデミー作品賞にノミネートしているのって相当に快挙ですよ。アジア人女性監督の映画としては、”クロエ・ジャオ”監督の『ノマドランド』(2020年)に次いで2作目となる記録なのですが、デビュー作で一気にノミネートというのは”クロエ・ジャオ”を上回る勢いの良さ。ほんと、凄いな…。
大企業の後ろ盾もないこのインディペンデント映画の『パスト ライブス 再会』がこの実績をだせたのは、それだけ中身で純粋に観客をメロメロにできたということでしょう。
『パスト ライブス 再会』は、“セリーン・ソン”監督の移民としての実体験を基にしているそうで、主人公は韓国で暮らしていた男女。子ども時代に女性の方が北米に移住することになり、後に男性と再会する…ロマンス映画となっています。
ただ、ロマンスといっても気楽に楽しめるラブコメとかではなく、かなり抑制された演出で全編が整えられている切ないラブ・ストーリーです。『ブルーバレンタイン』や”リチャード・リンクレイター”監督の『ビフォア』シリーズに、アジア系移民の要素を織り交ぜた感じかな。そうやって考えると批評家好みなのも頷ける…。
『パスト ライブス 再会』で主演するのは、韓国系移民を両親に持つロサンゼルス生まれの“グレタ・リー”。ドラマ『ロシアン・ドール 謎のタイムループ』やドラマ『ザ・モーニングショー』などに出演し、『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』などでは声優として仕事するなど、あちこちで活躍はみられましたが、ついに堂々の主演作。しかも、各賞で注目を集めて輝かしい座に立てました。やっと才能が認められて良かったです。
その“グレタ・リー”と共演するのは、『めまい 窓越しの想い』の“ユ・テオ”。現在は韓国に住んでいるようですが、ドイツ出身で、アメリカ在住歴もあり、作中ではたどたどしい英語で喋っていますが、本人は普通に英語を話せるそうです。
他の出演者は、『ファースト・カウ』の”ジョン・マガロ”などです。
『パスト ライブス 再会』はわかりやすく盛り上がる一作ではないですけども、「アジア人」が母国を離れて「アジア系」になる過程を繊細にとらえ、それを距離ができていく恋愛感情と重ねるという、練り込まれたプロットで見せてくれます。
映画を観終わった後もじっくり余韻に浸りたくなる作品です。
『パスト ライブス 再会』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :しんみり味わう |
友人 | :シネフィル同士で |
恋人 | :切ない内容だけど |
キッズ | :大人のドラマです |
『パスト ライブス 再会』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
2000年、韓国のソウル。ここで暮らす12歳の少女ナヨンと少年ヘソン。2人は一緒に途中まで下校するくらいに仲がいいです。少年は「泣くなよ」と不器用ながら励まし、優しさを見せます。それを少女は素直に受け入れます。ナヨンとヘソンはお互いに相手への好きという感情を心に抱いており、子どもながらに表にだしていました。
2人の親はこのナヨンとヘソンが一緒にいられる時間を作ってくれます。しかし、今回は少し事情が違いました。何も知らない2人は無邪気に遊び、それが終わると、帰りの車の中で後部座席で手を繋ぎ、ナヨンは眠りこけます。
実はナヨンの家族はカナダのトロントに移住することになっていました。それは学校のみんなも知ることになります。当然、ヘソンも知ります。ヘソンはうつむきがちで、バスケットボールをいじるだけ。一緒に並んで歩く下校の道もどこか気まずいです。ヘソンはぶっきらぼうにさよならの挨拶を口にし、道が分かれていきます。
こうしてナヨンは韓国を離れました。ヘソンとは連絡もしなくなり…。
12年後。ナヨンは名前をノラ・ムーンに変え、ニューヨークに引っ越して仕事をしていました。ある日、ノラが母と通話しながらノートパソコンでインターネットをしていると、偶然にもFacebookであのヘソンがノラを探していることに気づきます。ヘソンはナヨンがノラに名前を変えたことを知らないので探すのに苦労している様子。思い切ってメッセージを送ってみます。
一方、ヘソンは兵役を終え、飲み屋で男友達とひとしきり感傷に浸っていたところ、ノラからのメッセージに気づきます。それは顔写真つき。大人になった顔を初めて見ました。朝になってそのノラの写真を再確認し、あまり感情をださずにヘソンは両親と食事をとり、普段どおりに過ごします。でも内心はノラのことしか頭にありません。
こうして2人のやりとりはオンラインで再開されました。
そしてビデオ通話をすることになります。ついにリアルタイムで顔を合わせます。12年ぶりです。感嘆の声が2人から漏れ、画面を見つめ、会話がゆっくり始まります。
ヘソンはノラという名前になったことを教えてもらい、納得。ヘソンの画面は固まりがちでカクついているも、それでも互いの笑みはわかります。しかし、距離は離れており、2人で寂しさを共有します。
しばらく何度かビデオ通話を繰り返し、すぐにリラックスした雰囲気で会話できるようになりました。
ノラはモントークでの仕事関連の合宿に参加する予定で、ヘソンは北京語学習のため中国に移住するため、互いに会うことはできません。結局、ノラはここでの生活に集中したいので話すのをやめようとヘソンに提案し、2人は了承します。
さらに12年後。ノラはアーサーという男性と出会い、良好な関係を深めて結婚して、ニューヨークに住んでいました。
その頃、ヘソンはノラと直接再会する機会が訪れることに…。
ノラの変化、ヘソンの変化
ここから『パスト ライブス 再会』のネタバレありの感想本文です。
『パスト ライブス 再会』は、累計で24年間の年月の経過による、ノラ(ナヨン)とヘソンの変化を丁寧に描いていました。12歳、24歳、36歳の3つの時間軸ですが、当然、身体的に成長するのですが、そういうところだけではなく、社会の中での存在感の変化ですね。
2000年、12歳のとき。この時期のノラ(まだナヨンという名)とヘソンは、思春期ながらもあまりまだ男女というジェンダーの違いが際立っていません。性別が違えど親しく肩を並べて遊んでいます。ただ、やっぱりちょっと意識することも増え始めたのか、ちょうどその間際という感じですね。ヘソンが妙に保護姿勢を示したりと、あの当時のヘソンの中に男らしさを見せようという多少の意地が見え隠れします。
そして2012年、24歳のとき。すでに決定的な変化が2人に訪れています。
まずノラは、北米へと居場所を変え、これは単に地理的な居住地の変化というだけでなく、韓国人から「韓国系(アジア系)」と扱われ方が変わったということです。名前を変えることになるというのも、典型的な韓国系の人が経験しやすいアイデンティティの変化です。
本作では露骨なアジア系差別は描写されませんが、引っ越ししたばかりのノラが学校で孤立している姿を一瞬映すことで、その後の彼女の人生にいろいろな苦難があったのだろうなということが察せられるようになっています。
ノラは人種的なマイノリティとしての経験を積み重ね、24歳というキャリアの前半戦でその障壁を乗り越えようと必死です。だからこそヘソンと再交流できるもまた距離をとることに決めたとも言えるかもしれません。
一方のヘソンですが、ヘソンは典型的な韓国人男性が通る道を進んでいます。兵役という世界でよりステレオタイプな男らしさは強化されたでしょうし、2012年時点で男たちとつるんでいて、すっかり周りの雰囲気は違います。でもやっぱり慰め役しているのがちょっとシュールなんですが…。
2024年、36歳のとき。ここでノラとヘソンは完全に違う世界になっています。
ノラはアジア系としての自分の立場を確立したように思えます。一度アジア系になれば、もうそれを自分から降ろすことはできません。この自分で生きていくと決めました。
対するヘソンは彼なりにノラのことについて見切りをつけており、淡々としています。ヘソンにも彼なりの人生があります。
本作はこの2人の24年ぶりの直接対面シーンで、ノラが躊躇なくハグし、そのハグといういかにも欧米的な仕草に慣れていないヘソンが若干戸惑いをみせることで、2人の文化的な違いを浮き彫りにするなど、ディテールが細かくてよかったです。
基本的にこの2024年時にはコミュニケーションをリードしているのはノラであるというところも印象的ですね。ノラの経験値がここでも発揮されています。異国でオロオロしているような心細さはそこでは見えません。自立しています。
”グレタ・リー”と“ユ・テオ”の演技の繊細な加減がまた良くて、思わず見入ってしまう静かな緊張感でした。
私たちはどう見えている?
『パスト ライブス 再会』は冒頭でアジア系を他者化するような視線で始まります。ノラとヘソンとアーサーの3人が並んで何か談笑している。それは他人(欧米)からはどう見えるだろうか、と。
間違いなくアジア系ですので何かしらの色眼鏡で見られやすいです。本作はそんな余計なあれこれを振り払って、グっと深部へと観客を誘い、あの登場人物たちの心を覗いていきます。アジア系ではなく、ひとりの人間として…。
また、アーサーというノラの結婚相手も白人としての他者的な視点を持っています。もちろんアーサーはノラを愛しているし、ノラもアーサーを愛しているのですが、やっぱり夫婦でも人種が違うとその人種を他者的に見てしまう瞬間というのは何かとありますよね。
アーサーからしてみれば、ノラとヘソンが韓国語という母国語であれだけ親しく話し込んでいると、蚊帳の外なのはもちろん、自分には理解できない何か文化的な密接さを2人は共有していることがわかります。でも自分はそこに入りようもありません。韓国人ではないので…。
本作はベタに三角関係に発展してギスギスするようなことはせず、この人種や文化的な違いによるアイデンティティの三角関係として、とても抑制的に描いていきます。
その違うが生まれるのはしょうがないこと。あとはそれをどう納得して、前に進んでいくのか。本作は「縁(イニョン)」という言葉が強調されますが、この縁の巡りあわせにじっくり向き合わせてくれる映画だったと思います。
ラスト、ノラはヘソンが車で別れて去っていった後、感情が押し寄せてアーサーの前で涙をみせますが(横カメラ移動の演出もいい)、人生は一方通行で車みたいに後退はできません。縁があるならまた会える。戻れはしないけれども…。切なさを余韻に残すエンディングが上手いですね。
アジア系を主題にしたロマンス作品は近年本当に増えてきました。『非常に残念なオトコ』みたいな皮肉たっぷりのものもあれば、ドラマ『アフターパーティー』のシーズン2みたいな今っぽい家族ドラマもあります。ドラマ『BEEF ビーフ』のような恋愛が絡まない男女の確執を描くものもありますね。
バラエティ豊かになるのはいいことです。『パスト ライブス 再会』はそのラインナップに上質な一品を加えてくれました。
あとはお願いですからそれらを過小評価しないでくださいね…と。アメリカだけで考えてもアジア系の人たちは大勢います。世界に散らばり、そこにアイデンティティを根付いたアジア系の人たちは無数にいます。まだまだ描かれていないたくさんの題材があります。いろいろなクリエイターにチャンスを与えてあげてください。それもまた縁です。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 95% Audience 84%
IMDb
7.9 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Twenty Years Rights LLC. All Rights Reserved パストライブス再会 パストライヴス
以上、『パスト ライブス 再会』の感想でした。
Past Lives (2023) [Japanese Review] 『パスト ライブス 再会』考察・評価レビュー
#グレタリー #アメリカ移民