シーズン3は…ページはどこだっけ?…ドラマシリーズ『グッド・オーメンズ』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ・イギリス(2019年~)
シーズン1:2019年にAmazonで配信
シーズン2:2023年にAmazonで配信
原案:ニール・ゲイマン
恋愛描写
グッド・オーメンズ
ぐっどおーめんず
『グッド・オーメンズ』あらすじ
『グッド・オーメンズ』感想(ネタバレなし)
クィアベイティングは神が許さない
2023年7月末、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』はクィア界隈に失望をもたらしました。
詳細は私の感想でも書きましたが、このアニメは2人の主要女性キャラがいて、その2人が恋愛的に付き合っているかのような雰囲気で作品が進んでいました。結局、最終話でもハッキリはしなかったのですが、クィアな人の中にはこの作品をこんな日本でクィアに少しでも寄り添ったアニメなのだと信じて受け取った人もいたことでしょう。
ところがとある雑誌のインタビューにおいてのこのアニメに該当キャラ役で出演した声優の人が、「結婚した2人の~」という言葉で表現していた個所があり、それが公式設定なのかはわかりませんが、クィアな人たちはまたひとつ元気づけられたと思ったら、急に「結婚した」の文言が電子媒体で削除される事態が発生(Game Watch)。
これについて公式側は校正ミスと説明していますが、実は同じような問題は他にもあり、海外の公式でも該当キャラは同性カップルで結婚したかのように語られているのです(AUTOMATON WEST)。設定がどうであれ、あれだけ作中で匂わせながら、日本の公式だけが歯切れ悪いままという非常にダサい顛末。お手本のようなクィア・ベイティングでした。
こういうことをしても「クィア作品の失敗例」として今後ずっと語られ続けることになるだけなので、作品にとっても損しかないと思うのですけどね。
ただ、こうした出来事はいろんな作品で起きてきました。作品がクィアっぽいことを描く…でもクィアだと明言してくれない…モヤモヤする…このパターン。
でもそんな失望に慣れ始めてしまうくらいに落胆が身に沁み込んでしまったクィアな私たちに、救済と栄光をもたらす作品もありました。
2023年はこのドラマがその象徴になったと言えるのではないでしょうか。
それが本作『グッド・オーメンズ』です。
この作品は、『サンドマン』でおなじみの“ニール・ゲイマン”の小説が原作で、1990年に“テリー・プラチェット”との共著で発表しました。
宗教、とくにキリスト教を風刺したコミカルなファンタジーであり、主人公は天使ひとりと悪魔ひとり。地球の人間文化に愛着を持ってしまったこの2人は、天使と悪魔の世界の理を反故にして、独自に歩みだしていく…という皮肉とユーモアに満ち溢れている物語です。
キリスト教を風刺したファンタジーならドラマ『ダーク・マテリアルズ ⻩⾦の羅針盤』など他にもありますが、この『グッド・オーメンズ』はキリスト教をとことん弄び、シュールでユーモラスかつ軽妙に語られていくセンスが癖になります。
そしてキャラクターも愛嬌たっぷり。主人公の2人はずっと観察していたいくらいです。
その本作『グッド・オーメンズ』ですが、結論から言えばとてもクィアな作品です。しかし、そこには紆余曲折があり、それも含めて、この作品は「クィアな期待に応える」という道を選んでステージアップしたと言えるかもしれません。
まず本作は2019年にシーズン1が「Amazonプライムビデオ」で配信されたのですが、その時点では明確にクィアと断言しておらず、それでもいかにもクィアっぽい関係性が描かれていたので、「クィア・ベイティングじゃないか」と批判の声も上がりました。
しかし、2023年、好評でシーズン2が作られ、その内容が…まあネタバレはできませんが、それでも間違いなくクィアを明言する踏み込みをしていたため、ついにクィアなファンは大歓喜。しかも、その描き方も明らかに前シーズンの批判を意識したユーモアに満ちているところがこの作品らしくて…。
ともかく作品がクィア・ベイティングにならずにクィアとして真っ当に胸を張ってみせる。そのうえ、それはこんなにも誇らしいのだということを高らかに示す、最高の好例となったのは間違いないでしょう。
昨今のいろんな作品のクィアへの態度にガッカリを溜め込んでいる人は、ぜひこの『グッド・オーメンズ』を観てください。クィアな神様からのささやかな贈り物です。
『グッド・オーメンズ』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :元気がもらえる |
友人 | :楽しく紹介して |
恋人 | :同性ロマンスしっかり |
キッズ | :やや大人のギャグも |
『グッド・オーメンズ』予告動画
『グッド・オーメンズ』感想(ネタバレあり)
あらすじ(序盤):神である私は知っています
宇宙は約140億年前に生まれ、地球は一般的に約45億年前に生まれたと考えられています。中世の学者の中には紀元前3760年に地球が生まれたと言う者もいますし、紀元前5508年と考えた人もいます。アッシャー司教は天地が創られた日時を紀元前4004年10月21日の日曜日午前9時と主張しました。
これは全部間違いです。正確には天地創造の時刻は午前9時13分。恐竜は存在せず、化石はただのイタズラです。
始まりは6000年前、エデンの園。蛇がイブにリンゴを食えとそそのかします。それをアダムと一緒に食べて、覚醒した2人は炎の剣を持ってでていきます。
それを見つめるのは、蛇から元に戻った悪魔のクロウリーと、天使のアジラフェル。クロウリーは「原罪と呼ぶのは大袈裟だよな。善悪の違いを知るのは悪いのか?」とコメント。アジラフェルは「神は計り知れない計画を持っているんだ」と擁護。でも「炎の剣を渡してしまった」と動揺もしています。
クロウリーは「2人とも間違っていたら笑えるよな。俺が良いことをして、あんたが間違ったことをしたとか」と笑いながら揶揄います。
現在…の11年前。穏やかな夜に墓地に出現したのは2人の悪魔。そこへ人間社会に溶け込みすぎるほどに馴染んだクロウリーが、陽気なサングラス姿で車でやってきます。堕落自慢をひとしきりした後、2人は要件としてピクニックバッグを差し出します。
「俺がその役目を? こういうのは俺の出る幕じゃないね」と嫌そうな反応をするクロウリーですが、書類にサインして車で去ります。そのバッグには入っているのは、ハルマゲドンを到来させるサタンの赤ん坊…。
寿司を食べようとしていたアジラフェルの傍に大天使のガブリエルがやってきて、「信頼できる筋から終わりが近いと情報が入った」と教えてくれます。さらにそれはクロウリーが関係していると言い、見つからずに監視しろと命じられます。
悪魔崇拝修道院ではダウリング家の赤ん坊をサタンにすり替える作戦の本番日で緊張していました。そこに出産が早まったというヤング家も到来。そして何も知らぬクロウリーも。
3人の赤ん坊が意図せず揃い、サタンの子はダウリングの子とすり替えるつもりでしたが、ヤングの子とすり替えられ、ヤングの子はダウリングの子に。
クロウリーはアジラフェルに電話し、ロンドンのベンチで落ち合います。「残されたのは11年だ。協力しないと」とクロウリー。「私は手を貸さない」と威厳を保つアジラフェル。
そこで密かに結託して悪にも善にも偏らないようにダウリング家の子ども、ウォーロックを見守ることにします。それがサタンの子だとすっかり思いこんで…。
6年後、2人はこのウォーロックはサタンの子ではないとやっと気が付きます。
その頃、ヤング家の子、アダムのもとに地獄の番犬がやってきて「ドッグ」と名付けられ…。
シーズン1:乳首の数は何個だ?
ここから『グッド・オーメンズ』のネタバレありの感想本文です。
神様(声は“フランシス・マクドーマンド”!)の気の抜けたナレーションで始まる『グッド・オーメンズ』。シーズン1は悪魔のお得意技である「赤ん坊のすり替え(チェンジリング)」でのうっかりミスから始まります。『オーメン』(1976年)の直球のパロディです。
ミスは起きるときは起きるのでしょうがない。もちろん、すり替えで人間を苦しめるはずが、すり替えミスで自分たち悪魔が苦しむハメになるという自業自得ブーメランが本作の皮肉なのですが。
アメリカ外交官のタデウス・ダウリングの子としてサタンの子を潜り込ませて政界レベルで混沌をもたらすはずが、温厚そうなアーサー&デアドラのヤング家のもとで田舎ののんびりした空気の中、すくすくと育ってしまいました。
ここでこの反キリストと宿命づけられたアダムがこのシーズン1の軸になるわけですが、テーマ的には「本質主義からの解放」が際立ちます。
たとえ、サタンの子であろうとも、禍々しい能力を持っていようとも、自分が何者になりたいのかは自分で決められるのだということ。
アダムをすぐそばでなんだかんだで支えるあの3人の子どもたちも生意気ながら純真で、最終話でヨハネの黙示録の四騎士(戦争・飢饉・汚染・死)にギャフンと言わせるのもホッコリします。アダムもバカでかいだけのサタンにガツンと言ってやり、世界は元どおり。
でも、クジラを何頭捕まえられるか研究している日本の科学調査船がクラーケンに襲われたのは、別に無かったことにしなくてもいいですよ。
「魔女アグネス・ナッターの非常に正確な予言書」をめぐる、アグネス・ナッターの子孫であるアナセマと、アグネス・ナッターを火あぶりにした魔女狩り軍のカンインスルナカレ・パルシファー少佐の子孫であるニュートン。この2人の関係性と愛。
そして魔女狩り軍の生き残りであるシャドウェル軍曹と、霊媒師にして娼婦でもあるマダム・トレーシー。この2人の関係性と愛。
シーズン1はこれらの本来であれば対立するであろう二者の融和を描くということでも、この「本質主義からの解放」を強調しています。
本作って宗教を弄んではいるけど、宗教の大事な部分は否定していないどころか、「規範ではなくその人なりの喜びを見つけることに導くのが宗教である」という姿勢が一貫しているので、見ていて嫌な気持ちはしないんですね。
このシーズンでは実質的に蚊帳の外であった天使のアジラフェル(演じるのは“マイケル・シーン”)と悪魔のクロウリー(演じるのは“デイヴィッド・テナント”)。シーズン1は根幹のテーマの紹介です。この2人のメインストーリーの助走となるのが、次のシーズン2ですから。
シーズン2:6000年のエブリデイな愛
『グッド・オーメンズ』のシーズン2では、天使と悪魔のドタバタ・ラブコメが本格化します。
しかし、焦らしてくるのがまた意地悪で、今回の最初はアジラフェルとクロウリーは、レコード店主のマギーとカフェ店主のニーナという2人の人間の恋を結ばせようと奮闘します。今回も他人事です。数千年間ずっとそうなんですけど。
ここで同性同士の愛を対象しているのがミソ。つまり、本作の世界観には少なくとも表向きはホモフォビアな壁はなく、同性愛自体を特殊扱いしていません。
そしてニーナからの「みんなそれ思ってた」何気ないこのセリフがクロウリーにぶつけられることで、ついにこのテーマに焦点があたります。
「付き合って長いの? パートナーなの?」「いいや、そういうのじゃ…」「でもどう考えてもそう見えるけど…」
これぞ本作ならではの自虐。シーズン1を観ている頃から視聴者はずっと思ってきたこと。常にどの時代でも互いを一番に思いやってきたわけです。前シーズンの終わりなんか「一緒に住むか?」と何気なく同棲を提案したりしていたじゃないですか。
シーズン2では手柄欲しさに下級悪魔軍団(70人以下)で本屋に攻め込んできたシャックスのいざこざもありつつ、ガブリエルとベルゼブブの天使と悪魔の壁を越えた愛が明らかになります。
天使と悪魔の愛は成り立つ。これでもうアジラフェルとクロウリーに焦点を移す準備万全。お膳立ては完了しました。
マギー&ニーナから「遊びでくっつけようとしないで」と怒られつつ、「あなたこそフェルさんと話し合って本当の気持ちを伝えて」と背中を押されたクロウリー。
しかし、アジラフェルはメタトロンから最高位の大天使になってほしいと言われ、クロウリーを完全な天使の地位にも戻す選択肢しか頭になく、クロウリーは酷く失望し…。
切ないクロウリーからのキス。「君を赦す」というアジラフェルの悲しい言葉。
モノ悲しい別れのエンディングでシーズン2の助走は終わりをつげ、本番のメインコースに移るのでした。
この感覚、あれだな、『海賊になった貴族』の再来だな…。
でもここでも感心するのですが、『グッド・オーメンズ』はふざけつつも、やっぱり題材への向き合い方が誠実ですね。このシーズン2でも、アジラフェルとクロウリーが必死にあの女性2人をくっつけようとするのはカップリング的なファンダム行為にも思えますし、それをほどほどに風刺しつつ、肝心の主人公2人の愛へと上手く話題をスライドさせています。脚本が手際よいですよ。
さあ、天使の世界へ行ってしまったアジラフェルが次に担当する神の計画はキリストの再臨だという話ですけど、どうなるのか。本屋を任せられたポンコツ天使ムリエルはちゃんと人間の世界に馴染めるのか。失恋のクロウリーをケアできる存在なんているのか。
シーズン3を早く作らないとハルマゲドンの続編がAmazon本社に直撃しますよ。
ROTTEN TOMATOES
S1: Tomatometer 84% Audience 91%
S2: Tomatometer 87% Audience 99%
IMDb
8.0 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
作品ポスター・画像 (C)Amazon グッドオーメンズ
以上、『グッド・オーメンズ』の感想でした。
Good Omens (2019) [Japanese Review] 『グッド・オーメンズ』考察・評価レビュー