それぞれの作品で描かれるケアを考察する…映画『ベイマックス』『ベイマックス ザ・シリーズ』『ベイマックス!』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ(2014年)
日本公開日:2014年12月20日
監督:ドン・ホール、クリス・ウィリアムズ
製作国:アメリカ(2017~2021年)
シーズン1:2017年に配信
シーズン2:2019年に配信
シーズン3:2020年に配信
恋愛描写
製作国:アメリカ(2022年)
シーズン1:2022年にDisney+で配信
ベイマックス
べいまっくす
『ベイマックス』あらすじ
『ベイマックス』感想(ネタバレなし)
「こんにちは、私はベイマックスです」
近頃も何かと「ケア」の重要性が叫ばれています。そのケアとは何を意味するのか、それは時代によって常に変化してきました。
『ケアの社会学 当事者主権の福祉社会へ』(上野千鶴子、2015年)の本の中では、メアリー・デイリーの文献を引用するかたちで、ケアの定義を「依存的な存在である成人または子どもの身体的かつ情緒的な要求を、それが担われ、遂行される規範的な・経済的・社会的枠組のもとにおいて、満たすことに関わる行為と関係」と説明しています。
ケアを研究する社会学などの資料は無数にあり、ケアを学びたければそれを読めばいいのですが、ここは映画やドラマの感想サイト。そこである作品を軸にして「ケアって何だろう?」という疑問を考えてみたいと思います。
その作品とは、2014年、ディズニーがケアを主題にして生み出したかなり変わったアニメーション映画。それが本作『ベイマックス』です。
『ベイマックス』は2014年の公開当時は日本でも大ヒット。プヨプヨした白いボディのベイマックスというロボットの愛らしさもあって、すっかり人気の作品となりました。
そんな『ベイマックス』ですが、知らない人もいまだにいると思いますが、実は原作はマーベルのコミックです。ディズニーは2009年頃にマーベル・エンターテインメントを買収する算段が進み、以降はディズニーの傘下となっていきます。その際、ディズニーのアニメーション・スタジオでは「じゃあ、何かマーベルの作品をアニメーション映画化してみようか」という企画が検討されます。そこでセレクトされたのが「Big Hero 6」というコミックでした。
この「Big Hero 6」は1998年が初出。日本を舞台にしたかなり異色な内容でしたが、人気とはならず、マーベル・ファンからも忘れ去られていきました。
そんな超マイナーなコミックを監督の“ドン・ホール”はわざわざ選んだわけですが、日本を軸にした大胆なアレンジによって世界観は独創性を開花させ、全く見違えるようなオリジナリティのある作品に生まれ変わりました。
とくに画期的なのがヒーローとケアの要素を合体させたことです。当時は2012年に『アベンジャーズ』が公開されていた時代。ヒーローと言えば男らしく悪を倒す存在でした。そこにケアの概念を持ち込み、ヒーローの固定観念を揺さぶる。今振り返っても『ベイマックス』がやってみせたことは後のヒーロー作品にも多大な影響を与えたのではないでしょうか。ヒーローの可能性を新規に切り開きましたよね。
その映画『ベイマックス』ですが、人気も後押しして関連作も作られました。
ひとつは2017年から始まった『ベイマックス ザ・シリーズ』というアニメーション・シリーズ作品。こちらは3Dではなく2Dアニメであり、毎話約25分程度の短いエピソードが連なります。映画『ベイマックス』のその後を描いた物語であり、主人公たちがヒーロー活動している姿を軸に描かれ、どちらかと言えば原作コミック寄りのノリ。戦隊モノ風で続々と現れる怪人や敵ロボットたちを倒していく雰囲気ですね。
そしてもうひとつは2022年から始まった『ベイマックス!』という短編アニメーション・シリーズ作品。こちらは映画と同じ3Dで描かれ、タイムラインはおそらく『ベイマックス ザ・シリーズ』と同時期と思われます。ケアロボットであるベイマックスの視点で、いろいろな街中の人や動物をケアしていく姿が映し出されます。こちらはバトル要素は皆無です。
映画の『ベイマックス』と『ベイマックス ザ・シリーズ』と『ベイマックス!』。世界観は同じでもアプローチの異なる3作品です。後半の感想では、この3作品を「ケア」の観点から考察してみたいと思います。それぞれのケアの在り方が見えてきて面白いです。
『ベイマックス』を観る前のQ&A
オススメ度のチェック
ひとり | :老若男女問わず楽しめる |
友人 | :リラックスできる相手と |
恋人 | :感動とエンタメが満載 |
キッズ | :ケアする大切さを学ぶ |
『ベイマックス!』予告動画
『ベイマックス』感想(ネタバレあり)
『ベイマックス』:死別のケア
出発点となった映画『ベイマックス』は子ども向けの作品であり、愛らしいベイマックスのユーモアもあってスルっと楽しめる親しみやすい物語です。ただ、主軸となる部分では結構シリアスなテーマを扱っています。それは「大切な人との死別という辛い経験をどう乗り越えるか」ということ。
主人公のヒロは14歳ながら天才的な科学スキルを持っていましたが、ある日、自分に学びの楽しさを教えてくれた兄のタダシが火災で亡くなり、ヒロは心に深い傷を負って塞ぎ込んでしまいます。
起動したベイマックスはそんなヒロのメンタルケアに努めようと健気に動作する。本作はまさしく「レジリエンス(resilience)」の物語です。
ベイマックスはなんだか表面上はおバカな行動をとっているように見受けられますが、しっかり適切なレジリエンスを高める方法を実践しています。
兄の死の原因となったのではないかと疑う黒幕探しに奔走してベイマックスを戦闘モードに改良していくヒロはさながら感情の捌け口を求めて自傷的行為に走る状況と同じ。ベイマックスはそんな負の感情に染まるヒロに付き合いつつ、セルフケアに専念できる環境を用意しようと努力します。
同時に仲間の支えを素直に受け入れることを提案し、大学で科学を学ぶという前向きな目標へと再始動できるようにアシストします。このあたりもとても大切です。
それは「暴力」「劣等感」に憑りつかれやすい“男らしさ”の解毒としてのケアでもあり、本作自体が古典的なヒーローものとは一線を画す立ち位置になっているわけです。
しかも、こういうケアは従来は「女性」が担わされてきたのですが、『ベイマックス』ではそのケアの昔からある構造的問題を回避するように設計されており、ベイマックスがジェンダー・ニュートラルなデザインになっているなど、女性要素が排除されています。あれだけ丸みの多用したキャラクターでありながら、女性らしさを微塵もだしていないのは、かなり製作者も慎重に考え抜いたのでしょうね。
ベイマックスを中心にケアが構築されるので、ありがちな男性主人公をケアしてあげる都合よく親身な女性キャラはこの作品にはひとりもでてきません。叔母のキャスはカフェ「ラッキー・キャット」を営むというキャリアに専念する女性像ですし、大学で出会うゴー・ゴーやハニー・レモンに対してもとくに女性らしさは求められません。
『ベイマックス』は『ドラえもん』と比較するのも面白く、『ドラえもん』ではロボットのドラえもんがのび太に秘密道具を与えるばかりでケアをするという要素はあまりありません。ゆえにのび太が時折ものすごく甘やかされた存在に思え、“男らしさ”を見せて名誉挽回する展開もあったり、正直言ってケアの物語としてはお手本にならないような…(でもそこも原作者”藤子・F・不二雄”にしてみれば狙いどおりなのでしょうけどね。ダメな男にモノだけ与えてもダメさは増していくんだという反面教師的寓話として…。ただアニメはそれを踏まえきれていない気もするけど)。
ベイマックスはドラえもんにはできなかった「ケア」に特化したロボットであり、現実でもフィクションでも大切にされてこなかったその要素に着眼して、子どもでも大人でも楽しめるケアの入門編みたいな物語にアレンジしている。そこが新鮮だったなと思います。
『ベイマックス ザ・シリーズ』:ニューロダイバーシティなケア
映画『ベイマックス』のラストでは、タダシの作ったベイマックスを異世界空間で失うも今度はヒロ自身でベイマックスを作り上げ、サンフランソウキョウの街を守るヒーローチーム「BIG HERO 6」として再出発するというエンディングを迎えました。
その続きが描かれる『ベイマックス ザ・シリーズ』は一転して登場キャラも非常に多く、バトル要素の盛り沢山な賑やかな物語が連発します。ベイマックスもなんだか投げやりでみんなに合わせている感じも…。でも本作にもさりげなくケアの要素があります。
『ベイマックス ザ・シリーズ』は既存キャラ、とくにヒロ以外の「BIG HERO 6」メンバーが掘り下げられているのですが、その多くがニューロダイバーシティな側面を抱えているのが特徴です。
一番にわかりやすいのがワサビです。彼は極度の潔癖症で、品々を綺麗に並べるなどの癖もあり、さらに人前で大勢の視線に耐えられなかったり…。
本作はそんなさまざまな特性を持った人にも、それぞれの暮らし方やキャリアの歩み方があることを描いており、ベイマックスだけが従事するのではないのですが、作品全体がケアを体現しています。
かといってニューロダイバーシティを「卓越した天才」として固定的な印象を与えないようにするためなのか、はたまた大学を舞台にしているので学歴主義的な方向性に偏りかねないのを意識してのことなのか、その緩衝材みたいになっているのがフレッドというキャラクターです。
フレッドは「BIG HERO 6」メンバーの中では唯一大学に行っておらず、そもそも学びには全く興味関心がない様子。その彼もすぐ気が散る性格で、一方的にマイペースで喋り続けるという人間であり、ニューロダイバーシティな面が濃いです。本作ではそのフレッドに「ミニ・マックス」という友ができ、彼は彼なりの生き方を見つけていきます。別にみんなに同調する必要はありません。
敵キャラもわりとそういうニューロダイバーシティを暗示させる存在が多く、これも意図しているのかな。
ともあれ『ベイマックス ザ・シリーズ』はそんな「変わった人」でも取りこぼさない姿勢を示していました。
そう言えば話は逸れますが、『ベイマックス ザ・シリーズ』では映画と違ってヒロインっぽいキャラが2人でてきます。どちらもヒロとの恋愛感情を匂わせる描写があるのですが、ひとりはメーガン・クルスという署長の娘で、ジャーナリストとしてヒーローの正体を追う女の子。この関係性はベタですね。一方でもうひとりがちょっと珍しく、それはカルミという大学の最年少学生だった少女(人種はインド系とかかな?)。カルミは「BIG HERO 6」の熱狂的ファンで、自ら二次創作活動に熱中し(後にアニメ化して人気まででる)、ヒーローのヒロとリアルのヒロが別人だと思いつつ、そこに推しと恋の区別が曖昧なままに突き進んでいくキャラになっています。最近のディズニーはこういうファンダム描写もノリノリな傾向がありますね。ファンにとっては推し活も一種のケアと言えるのかな。
『ベイマックス!』:ケアはさらに包括的に
2022年の最新作である『ベイマックス!』は、ケアがさらに包括性を増したのが特徴です。あらゆる存在をケアするぞ!という強い意志を感じますし、そのケアの精度というか丁寧さも深まっています。
第1話では働きすぎのキャスをケアし、第2話では孤独に閉じこもる老人を恐怖症緩和とともにケア。第5話では猫ですらもケアをしようとします。
包括性がとくに際立つのは第3話。学校で不意に初めての生理がきてしまって困惑する中学生のソフィアに対して、ベイマックスが手厚くサポート。単に生理用品を買ってきてあげるのではなく(たくさん買って持ち込むのは「学校に生理用品を常時設置しておこう」というメッセージでもあるのでしょう)、生理に対する社会からの圧力(「恥ずかしいもの」や「大人への一歩」といった大袈裟な誇張)からも解放してあげます。この舞台がオールジェンダートイレだったり、男子生徒も生理に正しく理解を見せたり、細かいシーン全てに配慮が行き届いているのも印象的。
また、この第3話では生理用品を買いに行ったベイマックスが売り場でたまたま居合わせた人にオススメを聞くと、いろいろな人が「これがいい」と生理用品をレコメンドしてくれるのですが、その一般市民の中にはトランスジェンダー男性もいて(着ている服がトランスジェンダーフラッグの色)、インクルージヴな描写はメディアでも注目され、ネットでも称賛されました(案の定トランスフォビアな人からは非難轟々ですが…)。
さらに第4話では魚スープの出店をしている男性が魚アレルギーを発症…ベイマックスは優しくキャリアの転向を促します。そしてその男性は好意を持っていた野菜店の男性をデートに誘うのですが、この同性愛表象においてベイマックスが「あなたは健康です」と告げるセリフはもちろん「同性愛は病気である」とされてきた歴史に対するとても穏やかな、でもきっぱりとしたカウンターですね。
このように『ベイマックス!』はどんな立場の人にもケアを届ける姿勢が貫かれており、これまで以上にベイマックスのセリフひとつとっても熟慮されていました。
ケア・ロボットというのはフィクションの中だけでなく、現実社会でも登場しています。『ベイマックス』シリーズはそんな将来的に本当に当たり前に普及していくかもしれないケア・ロボットに対する、とても健全な未来像を示してくれているのではないでしょうか。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 90% Audience 91%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
関連作品紹介
ディズニーのアニメーション映画の感想記事です。
・『ミラベルと魔法だらけの家』
作品ポスター・画像 (C)2014 Disney. All Rights Reserved.
以上、『ベイマックス』の感想でした。
Big Hero 6 (2014) [Japanese Review] 『ベイマックス』考察・評価レビュー