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『ミラベルと魔法だらけの家』感想(ネタバレ)…元ネタはあの有名ラテンアメリカ文学?

ミラベルと魔法だらけの家

南米のディズニープリンセスは眼鏡です…映画『ミラベルと魔法だらけの家』の感想です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。

原題:Encanto
製作国:アメリカ(2021年)
日本公開日:2021年11月26日
監督:バイロン・ハワード、ジャレッド・ブッシュ

ミラベルと魔法だらけの家

みらべるとまほうだらけのいえ
ミラベルと魔法だらけの家

『ミラベルと魔法だらけの家』あらすじ

コロンビアの奥地にたたずむ、魔法に包まれた不思議な家。そこに暮らすマドリガル家の子どもたちは、ひとりひとりが異なる「魔法の才能(ギフト)」を家から与えられ、特技として才能を活かしていた。しかし、ミラベルにだけは、何の力も与えられていなかった。力を持たずとも家族の一員として幸せな生活を過ごしていたミラベルだったが、魔法の家が危険にさらされていることを知った彼女は行動に出る。

『ミラベルと魔法だらけの家』感想(ネタバレなし)

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眼鏡のディズニープリンセス

2019年、ディズニーのファンである9歳のローリという名の子がウォルト・ディズニー・カンパニーのCEOである“ボブ・アイガー”にこんな手紙を送りました。

「眼鏡のディズニープリンセスを作ってくれませんか?」

この手紙で切実に訴えた子はずっと眼鏡をかけて生きてきたのですが、これまでのディズニープリンセスはどれも眼鏡をしておらず、自分を投影できるキャラクターがいないことに寂しさを感じての行動でした。眼鏡をかけているキャラクターはオタクなど“属性”的に扱われることも多く、そんな先入観も不満だと述べていました。

その切なる願いが届いたのかはわかりませんが、眼鏡のディズニープリンセスの登場は案外と早かったのでした。2021年、ついに待望の作品が生まれます。それが本作『ミラベルと魔法だらけの家』です。

本作はウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの記念すべき60作目となる長編アニメーション映画。そして、『塔の上のラプンツェル』(2010年)、『アナと雪の女王』(2013年)、『モアナと伝説の海』(2016年)、『ラーヤと龍の王国』(2021年)に続く、ディズニープリンセスものとなっています。といっても、『ミラベルと魔法だらけの家』の主人公は王族関係ではないので厳密にはプリンセスではないのですが、もうそのへんの条件とかはどうでもいいようです。

初の眼鏡のディズニープリンセスという話はもう紹介したとおり。なお、日本ならもっと昔から眼鏡のキャラがいるじゃないかという指摘もあるかもですが、ディズニープリンセスという極めて形式的だった世界に眼鏡のキャラが立ち入ったことが快挙なのであって、歴史的経緯を踏まえないとダメですね。

他にも『ミラベルと魔法だらけの家』の特筆点と言えば、初の南米のディズニープリンセスとなったという部分。これまでディズニーは個性を出すために昔から世界各地を題材にプリンセスを描いてきたのですが、『アナと雪の女王』は北欧、『モアナと伝説の海』はポリネシア、『ラーヤと龍の王国』は東南アジアと続き、今回の『ミラベルと魔法だらけの家』は南米、コロンビアを舞台にしています。ちなみにラテン系のプリンセスは映画以外を考慮に入れるなら、2016年の『アバローのプリンセス エレナ』で先んじて登場済みですが、『ミラベルと魔法だらけの家』は劇場作品としては初のラテン系のディズニープリンセスですね。

眼鏡・南米以外にもこの『ミラベルと魔法だらけの家』の主人公は特色があって、古きディズニープリンセスはどうしてもスラっとした規範的な体型の女性だったのですけど、今作はそういう“女らしさ”をなぞらないデザインになっており、なおかつ恋愛がメインでもないという…。このあたりは『モアナと伝説の海』『ラーヤと龍の王国』から継続している最近のディズニープリンセスのスタンスでもありますね。

じゃあ、何がテーマになるのか。それは観てのお楽しみ。物語面も従来にはない新しい踏み込みをしていますよ(後半の感想で)。

『ミラベルと魔法だらけの家』は毎度おなじみミュージカルなのですが、今回は今のハリウッドで最も絶好調の作曲家“リン=マニュエル・ミランダ”が登板。『モアナと伝説の海』でも音楽を担当していましたが、今作ではゆかりのあるラテンの地が舞台なのでいつも以上にノリに乗っています。ミュージカルアニメとしての濃度は歴代トップクラスじゃないかな。

監督は『ズートピア』の“バイロン・ハワード”。もうひとりの共同監督はこれまで近年の多くのディズニー映画に関わってきた“ジャレド・ブッシュ”。脚本にはドラマ『Sweetbitter』などを手がけたキューバ系アメリカ人の“チャリーズ・カストロ・スミス”が参加しています。

原語版の声を担当するのは、主人公の役で、『プリンセス・マヤと3人の戦士たち』『Qフォース』でも声をあてていたアルゼンチン生まれの“ステファニー・ベアトリス”。彼女はバイセクシュアルを公表しており、同じくラテン音楽が満載の『イン・ザ・ハイツ』でもクィアっぽい立ち回りで出演していましたね。

とりあえず子どもたちに『ミラベルと魔法だらけの家』を見せて安心してこう言えます。

「眼鏡でもディズニープリンセスになれるよ」と…。

オススメ度のチェック

ひとり 4.0:気軽に観れる
友人 4.0:ディズニー好き同士で
恋人 4.0:ほどよいエンタメ
キッズ 4.0:ディズニー好きな子に
↓ここからネタバレが含まれます↓

『ミラベルと魔法だらけの家』感想(ネタバレあり)

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あらすじ(前半):なぜ私だけ…

南米コロンビアの奥地にはマドリガル家の不思議な家がありました。それは魔法の家であり、家長であるアルマが3人の幼い子を抱えてこの地にやってきたとき、その家は突如として誕生したのでした。ロウソクが奇跡をもたらし、家族に魔法を与えたのです。

それ以来、このマドリガル家の面々はある年齢になると「魔法のギフト」を家から与えられることになっていました。

ペパ天気の魔法を持ち、夫のフェリックスと楽しく踊って暮らしています。そのペパ&フェリックスの子であるドロレス聴力のギフトを持ち、どんな小さな声も音も聴き逃しません。ペパ&フェリックスのもうひとりの子であるカミロ変身のギフトでどんな姿にも一瞬で変われます。

アルマが産んだ三つ子の1人であるフリエッタ癒しの魔法を持ち、アグスティンと結婚して幸せです。そのフリエッタ&アグスティンの長女イザベラの魔法であたりを美しい花で咲き乱れさせ、次女のルイーサ怪力の魔法でどんな重いものでも軽々と持ち上げられます。

ペパ&フェリックスの末っ子であるアントニオも5歳になろうとしており、もうすぐ魔法のギフトを授かる予定でした。これでマドリガル家は全員が魔法を…ところがひとりだけ例外がいました。

フリエッタ&アグスティンの末娘のミラベルです。彼女だけはなぜか魔法のギフトを授かることができず、今のまま。もう15歳。そのせいもあってアルマとは気まずい空気になってしまうことも。

アントニオは自分に魔法のギフトが与えられるかと不安でいっぱいでしたが、ミラベルは優しく励まします。

夜にみんなが集まり、いよいよアントニオの魔法のギフトの儀式です。アントニオが前に立ちますが、ミラベルに手を差し伸べるので隣に立って歩いてあげます。昔を思い出すミラベル。自分も以前に同じことをして、自分には何もギフトはなかった…。

魔法のドアノブを握るアントニオ。するとその腕にオオハシという鳥がとまり、アントニオはすぐにわかりました。動物と話せるようになっていると。不安だった顔が一気に笑顔に。たちまちたくさんの動物が集まってきて、みんなで祝福に包まれます。

そんな家族を複雑そうな表情で遠くから見つめるミラベル…。

ちなみに動物と話せるのはディズニープリンセスの伝統なので、その能力さえもミラベルには与えられなかったという切なさを醸し出すシーンになっています。

寂しさを感じつつ、誰もいない家を歩いていると、家の床に亀裂がはしっているのに気づきます。ガタガタと不吉に揺れる家。これはただごとじゃない…。

急いで儀式の場でお祝いしている家族に知らせ、祖母は急いで見に行くも、何事もなかったかのように普通の家でした。必死に訴えるミラベル。祖母はみんなを安心させ、いつものように盛り上がるように言います。

あれは一体何だったのか。どうしても頭から離れられないミラベルは、アルマの子で未来を予知できる魔法のギフトを与えられるも、いつの間にかどこかに姿を消したブルーノを頼ることにします。でもどこにいるのか。

砂の洞窟で見つけた翡翠のガラス板には、崩壊する家と自分の姿が映っており、この出来事との関係を匂わせていました。

このアルマが伝統を保ってきた魔法の家の秘密が解き明かされるときが…。

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ラテン音楽は最高です

『ミラベルと魔法だらけの家』はミュージカルアニメとしての濃密さはディズニー歴代トップクラスでした。

過去作と同じようにミュージカルは盛りだくさんなのですが、今作は魔法の家が舞台で、しかもほぼそこから動きません(街中を出かけるくらい)。その地味さを吹き飛ばすようにこの魔法の家がとにかくリズミカルに音楽に合わせて動き回る。連動するのです。まさにアニメーションならではの魔法を見せてくれます。

この無機物が音楽にノってリズムたっぷりに躍動するというのはディズニーが『蒸気船ウィリー』の頃からやってきたことですが、『ミラベルと魔法だらけの家』はその正統進化な映像をお届け。

しかも、今回はラテン・ミュージックというのがまた良くて。これは“リン=マニュエル・ミランダ”が『ビーボ』でも見せていた持ち味ですけど、ひとくちにラテン・ミュージックと言ってもとにかく多彩なんですね。

定番の陽気なリズムもあれば、バラードに近いようなしっとりした音楽もできるし、ルイーサの歌唱シーンで流れるようなヒップホップ系のスタイルもできる。

加えて今作はこれまでの作品と違ってミュージカルの場面ではイメージ映像みたいな空間に移行するのでもう何でもあり。音楽の自由度で楽しむという点では、頂点を極めた感じすらあります。

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「百年の孤独」との類似点

次は『ミラベルと魔法だらけの家』の物語面の感想を語る前に、本作にはおそらくストーリーと世界観の土台になったであろう作品があり、それを紹介しておこうと思います。

それは“ガブリエル・ガルシア=マルケス”というノーベル文学賞を受賞したコロンビアの作家であり、その作家が書いた「百年の孤独」というラテンアメリカ文学の代表作として語り継がれている作品です。初版は1967年ですが、有名な傑作文学ではあるのでわかる人は知っているはず。

「百年の孤独」、どういう物語なのかというと、とある人間を始祖とするブエンディア一族というのがいて、その家族がいたコミュニティでは近い血縁での婚姻が原因で豚の尻尾が生えた奇形児が生まれてしまっていたので、このブエンディア一族は独自に新しい住処「マコンド」を開拓し、婚姻の相手は血の繋がりのない相手に限定するという家訓を守り、繁栄していく…という大雑把に言うとそんな感じのストーリー。

『ミラベルと魔法だらけの家』もアルマという一族の始まりの人物がいて、その人が今作では魔法という要素で家を作り、村が発展し、その魔法の家訓を維持することを重要視しています。その家訓が乱れることで一族が文字どおり崩壊しそうになるという展開も「百年の孤独」とそっくりです。

「百年の孤独」は近親相姦が題材でこれは科学的にどうこうというよりも呪いみたいな扱いで、そういう意味でも『ミラベルと魔法だらけの家』の魔法と同じだと思います。ちなみに原題の「Encanto」は「魔術」や「呪文」という意味です。

もうひとつ“ガブリエル・ガルシア=マルケス”の特徴が「マジックリアリズム」というもので、魔術のような非日常が現実に溶け込んだ世界観を指しますが、このあたりは『ミラベルと魔法だらけの家』の空間がまさにそうですね。

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能力なき女性でもリーダーになれる

この「百年の孤独」と重ね合わせることで『ミラベルと魔法だらけの家』のテーマも考察できると思います。本作は家族を描いた、家族の内輪揉めの話ではあるのですが、その表面の皮をめくれば内にあるのは「体制」に対する風刺の物語である、と。実はディズニーアニメ映画の中では最も政治的な話なんじゃないでしょうか。

ここで本作がコロンビアを舞台にしていることを思い出してほしいのですが、コロンビアはこれまで幾度となく内戦などを経験し、体制によって蹂躙されてきました。なので体制というものへの恐怖を描いた作品は少なくなく、前述の「百年の孤独」もそういう背景があるのは察しがつくでしょう。最近の公開されたコロンビア映画である『MONOS 猿と呼ばれし者たち』もまさに体制の恐ろしさを映し出しており、その体制というものが家族という形をともなって現れるあたりも注目すべき点でした。

『ミラベルと魔法だらけの家』も家族という体制を保持する物語です。そしてその家族という体制は今作では魔法によって支えられています。

これまでのディズニー作品は魔法を無邪気に扱ってきたかもしれませんが、今作は体制側の道具としての魔法の負の側面を描き、それは同時に家族の有害性を描くことにもなっています。

一見すると魔法のギフトを与えるというのも煌びやかな物語ですが、実際はイザベラもルイーサもその魔法のギフトというレッテルに苦しんでいることがわかります。家族と魔法が重圧になってしまっている。本作は最終的にはその魔法が個人のアイデンティティを後押しする、体制側ではなく自分の武器に変身していきます。

その家族の在り方、魔法の在り方を問い直すのがミラベルであり、アルマという旧時代の家父長ならぬ家母長としての存在から新時代のリーダーシップにバトンタッチする主人公なわけです。ここで描かれるリーダーシップは「俺についてこい!」的な“男らしさ”ありきの古いリーダー像ではなく、相手の話を親身に寄り添って聞くというメンターなリーダー像というのも大事。

イザベラに対しては好きなものを好きとカミングアウトしていいし、結婚するかしないかは自分で決めていいし、ルイーサには仕事を押し付けられることのない自由を与える。家族のために…ではなく、個人のために家族はある。ミラベルには魔法はないですけど、リーダーシップというの才能はあるんですね。

ミラベルは能力無き者ではない。むしろ能力というものは可視化されやすいものと可視化されにくいものがあって、ミラベルは後者というだけ。そんな能力にこそ気づいてあげましょうという話だとも思います。

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魔法は捨てられないことが大事

『ミラベルと魔法だらけの家』は魔法を捨てればいいという安直なオチにもしません。

おそらく今作の魔法はそれこそジェンダーや性的指向みたいにその人が持ってして生まれたものを暗示しており、だから特定の年齢になるとドアの前で“気づく”(オープンになる)いうことなんだと思います。当然それらは「選ぶ」とか「捨てる」とかはできないものです。今作の魔法との向き合い方はそんなアイデンティティに対して、それが規範的なものに取り込まれずに、どう自分のものとして発揮していくか…そういう葛藤を描いているのだと思います。

これまで「魔法」は2つの立ち位置があったと思います。ひとつは『ハリー・ポッター』のように多少の才能は関係するけど基本は学んで習得するもの。もうひとつは他者から与えられる“パワー”であり、ときにそれはリスクのある呪いにもなりうる。『塔の上のラプンツェル』や『アナと雪の女王』は後者でした。ここで最近は3つ目の「魔法」の立ち位置が登場していて、それがアイデンティティとして魔法を位置づけるアプローチです。こっちの方が時代にフィットしやすいのでしょう。『ミラベルと魔法だらけの家』はこの3つ目の魔法ですね。

まあ、でもこのアイデンティティとして魔法の位置づけは別に真新しいアイディアでもなく、『マイリトルポニー トモダチは魔法』とかがもうやっていますけどね。

また、別の解釈ではこの魔法は迫害から逃れるためのシェルターを維持する欠かせないものでもあると言えるので、その魔法を捨てるわけにもいきません。

最近のディズニー(ピクサーもそうなのですが)は明らかに脱体制・脱規範に作品の方向性を向けており、この『ミラベルと魔法だらけの家』も表向きのルックはディズニーらしさを変えずに、それでも中身は新しい時代にふさわしいものにリフォームしている。このさりげない手際は見事ですね。本作は家族映画というディズニーの定番に表面上は見えつつ、実は今までで一番政治的な映画であり、政治や国家を描いたものだったと思いますし…。

『塔の上のラプンツェル』『アナと雪の女王』『モアナと伝説の海』ではわかりやすい特殊能力のある女性がそれを使いこなすことでリーダーになっていく物語でしたが、この『ミラベルと魔法だらけの家』では能力なき(もしくは見えづらい才能を持つ)女性でもリーダーになれることを描いており、またステップアップしたのではないでしょうか。

『ミラベルと魔法だらけの家』
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 93% Audience 93%
IMDb
7.8 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
7.0
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関連作品紹介

ディズニープリンセスを描いた作品の感想記事です。

・『プリンセスと魔法のキス』

・『塔の上のラプンツェル』

・『アナと雪の女王2』

・『モアナと伝説の海』

・『ラーヤと龍の王国』

作品ポスター・画像 (C)2021 Disney. All Rights Reserved.

以上、『ミラベルと魔法だらけの家』の感想でした。

Encanto (2021) [Japanese Review] 『ミラベルと魔法だらけの家』考察・評価レビュー