電子タバコの害は吸う前からわかっていた…「Netflix」ドキュメンタリーシリーズ『ビッグ・ベイプ: Juulと野望と終焉と』の感想&考察です。前半はネタバレなし、後半からネタバレありとなっています。
製作国:アメリカ(2023年)
配信日:2023年にNetflixで配信
監督:R・J・カトラー
びっぐべいぷ じゅーるとやぼうとしゅうえんと
『ビッグ・ベイプ Juulと野望と終焉と』簡単紹介
『ビッグ・ベイプ Juulと野望と終焉と』感想(ネタバレなし)
電子タバコのドキュメンタリーを吸いませんか?
日本の喫煙率は、2019年のデータでは、男性は27.1%、女性は7.6%、全体で計16.7%となっており、とくに男性の喫煙率は大幅に減少しています。
世界を見渡せば、世界人口の22.3%が喫煙しており、その数は13億人。WHOによれば、毎年800万人以上がタバコの使用により早期に死亡していると推定され、そのうち700万人以上が直接の喫煙が原因で死亡し、それ以外の約130万人が非喫煙者で受動喫煙により死亡しているという推定もあります。
そんな今や明白に認知されている「タバコの健康への悪影響」…とくに肺ガンについてですが、現在に至るまでかなり紆余曲折がありました。
1950年代初頭、すでに喫煙と肺ガンの因果関係が研究で証明されつつありました。ところがこれに大手タバコ企業が待ったをかけます。1954年、「A Frank Statement to Cigarette Smokers」と呼ばれる声明文の広告をアメリカの大手タバコ会社が打ち出し、タバコの健康への悪影響に関する研究に異議を唱えました。当時、タバコ業界は蓄積されつつあるタバコの有害性の研究にどう対処するか判断に悩み、結果、研究を真っ向から否定するという方針にしたのです。
これにより「タバコ産業vs公衆衛生」の戦いの火蓋が切られました。タバコ企業は大金を使ってロビー活動を展開。あらゆる手で「タバコは健康に有害ではありません!」と豪語し続けました。
その勝敗の行方は知ってのとおり、タバコ企業が自身の利益を守るべく、科学を歪ませて偽装し、タバコの有害性を隠したことが周知の事実となり、業界の信頼性は失われました。1990年代にはすっかりタバコの健康被害は動かぬ真実として固定化。タバコ企業は「嘘ついた奴ら」として自業自得ですが汚名を背負うことになります。
しかし、今もタバコ企業は有数の経済的な力を持つ存在です。とくに「ビッグ・タバコ」と呼ばれている「フィリップモリス」「ブリティッシュ・アメリカン・タバコ」「インペリアル・ブランズ」「JTインターナショナル(日本たばこ産業)」「中国烟草」の5大企業は絶大です。
そんなタバコ業界に異変が2000年代から起き始めました。それが「電子タバコ」の登場です。電子タバコは英語で通称「vape(ベイプ)」と呼ばれ、それを吸うことを「vaping(ベイピング)」といい、利用者を「vaper(ベイパー)」と言ったりします。
電子タバコって名前は聞いたことがあっても、利用者でもない限り、それが何なのかよくわからないですよね。普通のタバコとどう違うのか? 害はないの?…とか。
今回はどんな電子タバコの中でも一時期は市場を独占していた「Juul」という企業に焦点をあて、その栄光盛衰、そして電子タバコの存在意義を問う…そんなドキュメンタリーを紹介します。
それが本作『ビッグ・ベイプ Juulと野望と終焉と』です。
タイトルの「ビッグ・ベイプ」は先ほど言及した「ビッグ・タバコ」に重ねた表現ですね。もちろんこのタイトルには意図があって、それは観ればわかりますが…。
本作は「Big Vape: The Incendiary Rise of Juul」という“ジェイミー・デュシャルム”が著した書籍を基にしたドキュメンタリー・シリーズで、全4話からなります。
本作を観れば、電子タバコの全容はわかるかは保証できませんが、このつい最近の歴史を把握できます。電子タバコを語るならこの経緯は知っておいて損はないでしょう。
スタートアップ系のテクノロジー業界モノとしても楽しめますし、たぶん近いうちにドラマ化とかしそうだな…。
何よりも、ネットで「電子タバコ」を検索しても、どうせ商品を売り込みたいだけの宣伝記事しか表示されませんから、こういうドキュメンタリーはひと味違った視点を提供してくれるのでありがたいものです。
タバコに興味なんて全くない人もぜひ。私たち人間の危うさを反省する意味でも…。
なお、本作はあくまでアメリカにおける電子タバコの規制についての話であり、日本では法規制がまた違うので留意してください。
『ビッグ・ベイプ Juulと野望と終焉と』を観る前のQ&A
A:Netflixでオリジナル映画として2023年10月11日から配信中です。
オススメ度のチェック
ひとり | :知識を学んで |
友人 | :議論し合って |
恋人 | :関心あれば |
キッズ | :社会勉強に |
『ビッグ・ベイプ Juulと野望と終焉と』感想/考察(ネタバレあり)
喫煙をやめさせる発明
ここから『ビッグ・ベイプ Juulと野望と終焉と』のネタバレありの感想本文です。
『ビッグ・ベイプ Juulと野望と終焉と』で主題となる「Juul(ジュール)」という企業。後に10億ドルのユニコーンどころか100億ドル以上のデカコーン企業へと急成長をみせるのですが、始まりは些細な…そして途方もない野望からでした。
スタンフォード大学で院生をしていたアダム・ボウエンとジェームズ・モンシーズの2人。製品設計を専門とするこの若者たちは、スティーブ・ジョブズに憧れるありきたりなシリコンバレーで夢見るビジョナリーでした。
そんな2人は喫煙者。ふと考えます。
テクノロジーで禁煙を達成する効果的な新商品を発明できないか…。ニコチンパッチのような喫煙者には苦痛でしかないものではなく、もっと喫煙者の心を掴むような…。より安全なタバコを作る革命を…。テック業界のノウハウをタバコ業界へ…。喫煙のプラスの面を保ちつつ、害を無くして新しい経験をもたらしてみせる…。
このビジョンの背景には、多くの喫煙者が抱いてきた劣等感というか、複雑な心の内があることが本作でこぼれ出ているのが真っ先に印象に刻まれます。
実のところ、喫煙者の多くがタバコをやめられるものならやめたがっているということ。中には親がヘビースモーカーで肺ガンで亡くなっていながらも、自分も吸っていることへの罪悪感を持っている人もいたり…。
こうした思いがこのビジョンに対する「もしかしてついに待ち望んでいた救いの到来では?」という希望へと重なっているのが作中の出演者の本音から伝わってきます。
加えて「自分たちは既存の大手タバコ企業とは違うんだ!」という、既得権益への対抗心もあって、そうした「社会を良くしたい」という純粋な動機も窺えました。
これらの根本にある感情は大切だと思いますよ。たいていの人は賛同するでしょう。だからこそビジョンとしての輝きがでます。
でもそのビジョン自体が良くても、それを達成するためのアプローチがどうなのかという話で…。
有害なアップデート
アダム・ボウエンとジェームズ・モンシーズは喫煙者の理想とする電子タバコの開発に着手し、ライバルの電子タバコ製品が続々と参入している中、テック業界のアイディアで挑む斬新さを持ち味に独自性を発揮します。
こうして「プルーム」や「パックス」といった初期製品が生まれる中、試行錯誤のすえ、ついに「JUUL」が完成します。吸えるiPodみたいなクールなデザイン。シンプルな設計はまさにガジェット好きなら大好物のApple製品をお手本にしています。
しかし、その試行錯誤の中、明らかに当初のビジョンが妥協されているのもハッキリ浮き出ています。
使用した「ニコチンソルト」はニコチンを大手の人気ブランド「マールボロ」と同等に凝縮したもので、当然従来の喫煙者には大好評になりますが、「喫煙をやめさせる発明」と言いながらもニコチン量も紙巻タバコと変わりないものに。
そして既存のタバコのネガティブなイメージも一新しました。デザインだけでなく、フレーバーで味と匂いをつけ、気軽さとオシャレさを全面に。
オタクっぽい下品なコミュニティの空気があったものを、全く異なる層にアピールするべく、若者たちにターゲットを絞り、SNSでインフルエンサーを駆使してバズらせます。そのやりかたは昔に大手タバコ企業がやっていた広告戦略と同じもので…。
しかも、「JTインターナショナル(JTI)」に多額投資を受けたり、最終的には「アルトリア・グループ」に株式を取得されて、大手タバコ企業の傘下に収まるという…。「打倒“大手タバコ企業”」の建前さえも脆く崩れ去っていきました。社員は億万長者になったけども。
そして極めつけはその製品設計とマーケティングが最悪な結末を引き寄せてしまったこと。喫煙していなかった(反タバコキャンペーンをずっと見てきた)Z世代の10代の子どもにさえも「JUUL」は大ウケ。「水に味がついているだけだ」「パスタを茹でるときの湯気と同じだ」という感覚で吸いまくり、12~13歳の子でも手を出す。
次世代のニコチン中毒者を大量に生み出してしまいました。
喫煙者ですらも「普段タバコを吸わない場所でも吸ってしまう」とその「JUUL」の依存は通常タバコ以上と明言するほどなのに…。
要するに、「JUUL」は既存の紙巻タバコと確かに違うものを提供しましたよ。それはある意味では喫煙者にとっての理想でしょう。ただその理想がそもそも良いものなのかという根本的な議論をないがしろにしました。ニコチンにさらに有毒なものを追加してしまったとも言えます。紙巻タバコの欠点を失くして魅力的にしたら、そりゃあ電子タバコ利用者は増えるに決まっています。「魅力」はときに人類史上最悪の毒なのです。
こうやって振り返ると、ニコチンパッチがダサくて魅力ないのにはちゃんと意味があったんだなって思いますね。薬をめちゃくちゃ味を美味しくしたりとかしないじゃないですか(そんなことしたら絶対に過剰摂取する人が増える)。ダサさの社会的意義を軽視したとも言えるのかも。世の中にはダサいほうが社会にプラスなものもある。なんでもかんでもAppleみたいにしようとしたら大ヤケドしますよっていう…。これこそ商品開発における本当に重要な教訓なのでは?
どんなに才能があってもそのスキルが有害なアップデートに使われたら元も子もないです。
アダム・ボウエンとジェームズ・モンシーズの2人を見ていると、現代の「オッペンハイマー」みたいだなとも思いました。核兵器を根絶するために核兵器よりももっと魅力的な兵器を作りました…的なね…。純粋な設計至上主義の恐ろしさってやつです。
結局、電子タバコの危険性は?
2016年からの「JUUL」の若者への蔓延によって短期間で中毒が顕在化。あげくには「EVALI(e-cigarette, or vaping, product use associated lung injury)」と呼ばれる電子タバコ関連肺障害が続々と確認されるようになり、その有害性は社会に晒されます。
CDCの調査によってその死亡の原因は「ビタミンEアセテート」という非公式のポッド闇市場で流通していた物質が原因であり、「JUUL」そのものの原因ではないと示唆されましたが、企業としてリスク管理は全くできていませんでした。
そして一番問題の疑問に立ち返ります。
そもそも「電子タバコは危険なのか?」という問い。
2019年に創業者であるジェームズ・モンシーズが政治の場に立たされ、「喫煙をやめられる根拠は?」と問い詰められますが、答えられませんでした。
これぞこのビジョンの根本的欠点です。
「喫煙をやめさせる発明」を謳っているにもかかわらず、その電子タバコの健康面での公衆衛生上の評価をほとんどやってこなかったという…。
電子タバコが紙巻タバコと比べて健康によいというのは、ただの相対的な評価にすぎません。それは公衆衛生の分野では論外です。タバコ規制の専門家であるS・グランツ博士も作中で言っていましたが「50階から飛び降りるより15階から飛び降りるほうがマシ」みたいな論理と同じ。
じゃあ、喫煙をやめるにはどうしたらいいんだ!?ってなると思いますが、やっぱり健康に最短攻略法はないのではないかな。ひとりひとりに合った方法を模索し、気長に向き合うしかないわけで…。
そしてシリコンバレー式のスタートアップ思考がいかに公衆衛生と相性が悪いのかがハッキリ露呈しますね。とにかく稼げ!試せ!素早く大胆に!…そんなやり方は公衆衛生では愚かな行為です。
化学物質を肺に入れる製品を作るならなおさら。本来は、地道に何十年もかけてじっくりデータをとって健康面の評価をしないといけません。
健康とテック業界の融合で最悪をもたらした事例としては、ドラマ『ドロップアウト シリコンバレーを騙した女』で描かれたエリザベス・ホームズの事件も同一ですね。テック業界の資本主義なマッチョイズムはそれ自体が不健康極まりないですからね…。
今回はテック業界の話でしたけど、日本でも最近発覚した「小林製薬の紅麹」問題でも通じる話で、健康を謳う商品が資本主義ありきの体質で台無しになるというオチはそこらじゅうにあります。
いや、健康に限らないでしょう。「売れればいいんだ!」「魅了すればいいんだ!」…そんな採点ばかりをしてしまうと、本当に大切な本質を見誤る。
このドキュメンタリー『ビッグ・ベイプ Juulと野望と終焉と』はいち企業の失敗ではなく、何度も同じ過ちを繰り返す人間の虚しい弱点として、ずっと語り継いでいきたいものです。これはタバコのパッケージには注意書きされないことですけど、すごく大事ですから。
ROTTEN TOMATOES
Tomatometer 100% Audience 68%
IMDb
6.7 / 10
シネマンドレイクの個人的評価
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・『ペプシよ、戦闘機はどこに? 景品キャンペーンと法廷バトル』
・『スーパーサイズ・ミー ホーリーチキン!』
作品ポスター・画像 (C)Netflix ビッグベイプ ビックベイプ
以上、『ビッグ・ベイプ Juulと野望と終焉と』の感想でした。
Big Vape: The Rise and Fall of Juul (2023) [Japanese Review] 『ビッグ・ベイプ Juulと野望と終焉と』考察・評価レビュー